さて、昔話を始めよう

「君をボンゴレに紹介しようと思う」
 サラダの残りをオムレツの中身にして片付け、時間がたってパサつきの気になるパンをミルクと卵に浸してフレンチトーストへと変身させ、はちみつがけの生クリーム添えて、豆からコーヒーを淹れた。
 満足いく出来上がりになった今朝の朝食の席で、オムレツを一口ぱくっと食べたところでアラウディがそんな話を切り出したので、俺は目を丸くして向かい側の相手を見やる。今日はブルーのシャツとクリーム色のズボン姿だ。
 ん? と首を捻って、それっきり黙って朝食を続けるアラウディを眺める。…今のは俺の聞き間違いだろうか。
 ボンゴレというのは、ここイタリアで近年大きな組織となりつつあるマフィアのことだ。もとは町の自警団か何かというところから出発したらしいんだけど、最近歯止めを忘れたように肥大化し始めていて、そこに入り込んで指示されたなんらかのことをするのがアラウディの仕事、らしい。
 で、そのボンゴレに俺を紹介して…それでどうなるんだろう。別に俺が顔出しする必要はない気がするんだけど。
「なんで?」
「…暇だろう。僕がいない間。もう家のこともだいたいしてしまったようだし……暇潰しくらいにはなるだろう、新しい場所っていうのは」
 ぼそぼそとした声に、ふむ、と腕組みする。
 もっともらしいようでいてそうでもない理由だ。今まで同じ理由で外へ出たいと言う俺をこの家へと縛りつけていたくせに。
 今まで頑なと言っていいほど俺の外出に制限をつけていたアラウディ。病気を理由を養生しろと囲われていたと言っても過言じゃない。それが今になって自分の仕事先であるボンゴレに行ってもいいと言う。
 …アラウディが何考えてるのか、まだ全然わからないなぁ。
 でもまぁありがたい申し出だ。いい加減、荷物持ちに送迎車つきでしか買い出しにすら行かせてもらえないこの状況が窮屈だった。ありがたい窮屈さだとわかっていたけど、本来が自由人だっただけに、ちょっと窮屈すぎたというのが本音だ。適度な運動は必要だとお医者さんも言ってたことだし、これを機にもう少し身体を動かそう。
 へらっと笑って「じゃあ行く」と言うと、アラウディは黙って頷いた。
 あとは特に会話もなく、朝食を片付け、後片付けはお昼にまとめてしようと汚れた食器を流し台に重ねておく。
 アラウディは今日も仕事だ。シャツの上からベストを着て上着のジャケットを羽織り、いくら薄手といえどきっちりスーツ姿になるアラウディに見てるこっちが暑くなる。
 俺は半ズボンにTシャツですよ。夏のまっただ中だっていうのによくきちっとした格好できるよお前は。
 そこで気がついた。さっさと出ていこうとするアラウディを「ちょい待ち」と引き止め、洗面台に置いてある身だしなみセットを持ってくる。いつもだいたいさらさらで癖なんてないプラチナブロンドの髪が一部変なところでぴよんと跳ねていた。それはそれでなんていうかかわいいんだけど、まぁ、直しておこう。
 整髪剤と櫛でぴよんと跳ねてる髪を他の髪に混じらせ、撫でつける。何度も何度も繰り返してようやく馴染んでくれた跳ねた髪を今度は手で解し、他の髪と絡ませつつ、自然になるまでそれを続けた。
 アイスブルーの瞳が俺の指の動きを追いかけている。そうしてるとなんか、動物みたいで、かわいいなぁ。
「はい、オッケ。今日もきれいだよ」
 そう言ったら顔を顰められた。俺的には褒めたつもりだったけどアラウディにはそう聞こえなかったらしい。「寝言は寝て言いなよ」と厳しいツッコミを残して玄関前に待たせていた黒塗りの車へと乗り込む。俺は外へ出てそれを見送った。ひらひらと手を振って走り去る車を眺め、視界から車が消えて、ぱたっと手を落とす。
 眩しい。太陽が。夏のせいかな。朝の陽射しは特に横から視界に突き刺さるから厳しい。
 視界を庇ってすぐに家の中に引っ込む。
 家主がいなくなって俺一人になった広い家はがらんどうとしていて、静かで、なんでもあるけど、虚しささえ漂っている。こんな広い場所にアラウディは今まで一人でいたらしい。今はプラス俺だけど。
 …妙な話をしようか。
 俺は、アラウディと時間を過ごすほどに、あいつに親しみを感じているらしい。
 いや、初対面の人間と何ヶ月も一緒に過ごした人間、どっちが親しいかなんて後者に決まっている。それは俺もわかってる。そういうことが言いたいんじゃないんだ。つまり、なんていうの? こうアラウディのことがきれいだなーとかかわいいなぁと思うことが多くなったっていうの?
 出会った頃は逮捕する警察と逮捕される無法者という関係でしかなかった俺達。
 夜の町でイタチごっこをしてるときには考えもしなかった未来がここに転がっている。
 俺が二人分の食事を作る。アラウディが仕事に出かける。俺はそれを見送ってから適当に家の中を掃除したり家具の配置を自己満足に変えたりと時間を潰す。三日に一度送迎車と荷物持ちの人付きで買い物に出かける。たくさん買って満足して家に帰る。
 アラウディが仕事を終えて帰宅する。無言で疲れたって顔をしているアラウディが好きな紅茶を淹れる。砂糖とミルクを入れた紅茶を黙って二人で飲む。その瞬間のアラウディの表情といったら、本当にきれいで、見惚れるくらいなんだ。
 アラウディは確かに傍若無人だ。どちらかというと口で言うより手が出る方で、およそ人に情ってものを向けない。あたたかい感情は向けず、冷たい瞳に宿すのはそのアイスブルーに似合う冷たい感情。
 きれいな薔薇には棘がある、の言葉のとおり、見目麗しいあいつはそれと同じくらいの棘で覆われていて、それで触れるもの全てを傷をつけるような生き方をしていた。
 …けど。なんでかなぁ。俺にだけは、自身の棘で傷つけることがないようにと気遣っているような、そんなところがあるんだよな。
 アラウディが俺を夜の町から拾い上げ、自分の家へと匿って、すでに半年が経過した。
 週一でアラウディの仕事先のお医者さんに行く。俺が処方される薬の量は最初より少し増えた。そして、それくらいの微量ではあるけれど、アラウディの俺への接し方ってやつも変化してるように思う。
 ただ、その理由というやつは不透明なまま、俺達はここまで生活してきた。
 はっきりさせる必要はない。アラウディにかわいいなんて言った日には頭を殴られそうだし、あいつもそんな言葉喜ばないだろうし。これは俺の心にしまい込めばそれでいい話。
 翌日、休暇を取ってきたというアラウディに引っぱられて新しいスーツを買いに外へ出た。ボンゴレに挨拶に行くのに自前のくたびれたスーツではあまりにも情けないと言われたので。俺はアラウディのスーツで応用すればいいじゃんと思ったんだけど、俺の方が背が高いから寸足らずになるところがあって、外から見るとそれが格好悪いらしく、アラウディにダメ出しされたのだ。
 お高そうなスーツ専門店で俺の背丈と体格に合うちょうどいいスーツがあったので、さっそく試着。新しいスーツ姿の俺にアラウディは少しだけ満足そうな顔をしていた。
 …最初の頃なら気付かなかったろうその表情の変化。
 本当にささやかだけれど、普段が無表情なだけに、ほんの少しでも感情を覗かせたときのその顔に目を奪われる。
 やっぱりアラウディはきれいだな。
「…何?」
 あんまり眺めてたら訝しげに見返されてしまった。あははと笑って顔を逸らす。さすがに見惚れてたとは言えないや。
 ボンゴレに挨拶へ行くのに必要なスーツと革靴を新調し、三日後に家に届く手配をして、俺が食べたいもので適当に買い出しをして帰宅。外で和気藹々と食事をするタイプでないアラウディのため、今日も俺は調理に勤しみます。
 そして後日。新しいスーツに新しい革靴で、いつも見送るだけだった黒塗りの車に乗り込んで、アラウディが今通ってる仕事場、ボンゴレファミリーの本部というところに顔出しに行った。
 巨大組織へと変わりつつあるボンゴレのトップは若かった。いや、アラウディ含めてボンゴレ幹部というのはみんな若い面子で占められていたことに驚いた。若さ故のエネルギーというやつだろうか。一人くらいムサくていかつい親父がいるだろうと思ってたのに、こんなに同年代ばかりとは。
「ボンゴレファミリーのジョットだ。お前がだな。アラウディから話は聞いているよ」
 キラキラ輝いてる金髪の持ち主に握手を求められて、これがボンゴレトップのジョットかぁと感心しながら握手を交わした。「こちらこそ…えっと、お世話に、なります?」アラウディが俺のことをどう話したのかわからず疑問符のついた言葉になると、ジョットは俺を笑った。面白い奴だな、というように。
 俺には組織を収めるのに必要なカリスマ性だとか、そういう詳しい話は何も分からないけど、ジョットにならついていってみたいなぁと思う、人を惹きつける引力というのを感じた。
 そこでぐいっと肩を引かれて反射で一歩下がる。無理矢理握手を中断させたアラウディが「本部、案内していいだろ」とジョットを睨むようにして言うと、ジョットは気を悪くしたふうでもなく笑って「ああ、構わない。好きにするといい」とアラウディのことを放任した。腕を引っぱられてジョットから離れつつ、隣にいる顔に刺青の入ってる男の方に視線を移す。「あっちは誰?」「Gだよ。ジョットの右腕」「へえぇ」しげしげとジョットとGを観察しているうちに四階建ての建物の中に連れ込まれ、バタン、と扉を閉められた。
 二人の姿が視界から消えたことでようやくアラウディの方を見たら、なんか、変な顔をしていた。なんだその顔。
「アラウディ?」
 呼べばじろりと睨まれる。なんか俺が悪いことして責められてるような、そんな気持ちになる。…俺は何もしてないぞ。ジョットと握手してちょっと喋ったくらいで。なんでそんな恨めしそうな顔してるんだお前。
「……一度で憶えてよ。何度も説明するのは面倒くさい」
「え? あ、ここね。努力はする」
 ふいと顔を逸らして歩き出したアラウディに慌ててついていく。
 とはいっても、初めての場所を一度の説明で憶えろというのは無理があるような。
 言い返すと睨まれそうなので、余計なことを言うのはやめておいた。アラウディなんか機嫌悪いようだし、大人しくしておこう。
 会議室、資料室、食堂、各幹部の執務室などなど、四階に渡る建物内を案内したアラウディは、最後に医務室へ行った。恐らく俺が頻繁にお世話になるであろう場所だ。
 俺の病状についてはアラウディから書類等がいっているらしく、頼んでないのにさっそく診察された。あちこち診られたけど進展らしいものはなく、だよなぁ、と最後には苦笑いになる俺に比べて、アラウディは苛立たしげにタイルの床を靴先で叩いていた。
 俺を診る医者が多くなれば、それだけ何か進展という形も期待できるのかもしれない。アラウディはひょっとしたらそういったことを期待して俺をボンゴレに連れてくるという決断をしたのかもしれない。
 でも、俺はいいんだよ。
 そりゃあ病気が治ったら万々歳さ。
 でも、考えたんだ。この病気を違う方向で考えてみたんだ。そして思った。コレは俺とお前を繋いでいる鎖のようなものなんだ、って。馬鹿みたいな話だけど、そんなふうに考えたらさ、この病気もそう悪いことばかりじゃないなって思えたんだ。
 コレがあったからお前は俺を離さなかった。これがあったから俺はお前のもとから離れられなくなった。本来の自由人を捨てるしかなくなった。けど、それでよかったと思ってる。
「……何。変な顔して」
「え? 変な顔してる?」
「殴ってやりたくなるような顔してる。あの医者も役立たずだったっていうのに、何その顔」
 苛立ちを隠さないアラウディの物言いに俺は苦笑いだ。「こら、役立たずとか言うなよ。そんなこと言ったら俺ちょー役立たずのクズってことになるじゃん」そう言ったらアラウディは変な顔をして黙り込んだ。それで「僕は、別に、君のことを言ったんじゃ」ともごもご言い訳するアラウディがかわいい。
 あ、また思ってしまった。かわいいって。
(まずいなぁ)
「俺はさ、嬉しいんだよ。このビョーキが俺とお前を繋いでる鎖みたいで。締めつけられると苦しいけど、その分、繋がっているような気がして」
 言ってて、なんかMみたいな発言だなぁと自分を苦笑い。
 アラウディは病気を肯定する俺を笑うだろうか。何馬鹿を言ってるんだ、って。それとも怒るだろうか。誰が医療費を払ってると思ってるんだ、って。それとも呆れるだろうか。君は馬鹿だろうって。
 色んな反応を予想しつつアラウディの様子を窺う。
 視界の真ん中にいるアラウディは、今まで見てきた中で一番生きている顔をしていた。
 たとえるならそうだな。女の子に君のことが一番かわいいよ、愛してるって不意打ちで伝えたときの驚いた顔と照れくさそうな表情を足して二で割った感じ、かな。
 その顔を見れたのも三秒くらいのことだった。つかつかと早足で歩き出したアラウディがあっという間に俺を置いて進んでいく。
 対して、俺はちょっと呆然としていた。
(…なんだよその顔。なんでそんな顔するんだよ。俺のこと怒るか笑うか呆れるかしたらいいだろ。なんでそんな顔するんだ。そんな顔されたら、お前のことまたかわいいとか思っちゃうだろ)
「アラウディ?」
 慌てて歩幅を大きくしてスーツの背中に追いつこうとするものの、走るのはやめなさいと医者に言われている俺にとってはその背中までが遠くて、追いつけない。
 追いつけない、と思った思考に黒い靄がかかったとき、アラウディがぴたっと足を止めた。じろりとこっちに視線を投げるアラウディに、追いつけってことだとわかって、黒い靄を振りきって大股で進んで追いつき、隣に並ぶ。
 さっきの言葉を否定しないお前は、俺が言ったことの幾ばくかを思ってるってことでいいんだろうか。
 それ、結構嬉しい。かも。
「俺、嬉しいんだよ」
 もう一度だけ伝えると、アラウディが唇を噛んで顔を俯けた。「うるさいな。何度も言われなくても聞こえてるよ。…僕も……そう…」言いかけたアラウディががしっと俺の手を掴んで歩き出す。相変わらず力が強い。華奢な方のくせにどこにそんな力があるんだろうか。
 ……今は前だけを睨みつけてるアラウディが、さっき言いかけたこと。

 僕もそう思ってる

 さっきの言葉の続きがそうだったならいいなぁ。そんなことを思って笑う俺は、もう手遅れなのかもしれないな。