好きだ、と心が産生を上げる

「あぢー」
 ボンゴレ本部の僕にあてがわれた執務室に着くなり、スーツのジャケットをハンガーにかける。シャツをズボンから出してボタンもいくつか開けてだらっとソファに座るその格好はやはりだらしない。
 …だらしないだけですめばいいんだけど。胸が見えるくらいはだけさせるのはやめてほしい。視界に肌色がちらつく度に気になるから。
「だらしがない」
「だってあちーじゃんか…。アラウディはよく涼しい顔で仕事できるよなぁ」
 ソファでだらけたまま動こうとしない彼に一つ吐息して椅子を蹴って立ち上がる。集中力を妨げるものでしかない肌をシャツの下へと隠すため、ソファで寝転ぶ彼のシャツのボタンに手を伸ばした、そこでガチャッとノックなしに扉が開いた。「アラウディ、プリーモが臨時の会議を開くと…」よりによって相手はDだった。一見すると僕がをソファに倒して脱がせようとしている、そんなふうに、見えなくもない。
 がんとソファを思いきり蹴飛ばすと見事ひっくり返った。ソファと一緒にひっくり返って「いでっ!」と声を上げる彼を無視して「行く」ずんずんと歩いて部屋を出る。「いった、おま、アラウディい」と恨めしそうな声が聞こえたけど無視した。「何をしているんですかあなたは」と呆れた声をかけて追いついてくるDに無言を貫いて会議室の扉を開ける。
 どうやらDは僕よりまともな思考を持っているらしい。そう、男は女に、女は男に惹かれるという、動物的にまともな思考を。
 エレナとDがデキているという話は知っている。だからこいつには僕の抱えているものなど理解できるはずがない。
 さっきの行動がどう映っていたとしてもいい。馬鹿をしてるとかストレス発散の道具にしてるとかなんでもいい。ただ、この気持ちがバレなければ、それでいい。
 当然だけど、会議から戻った僕には怒った顔をしていた。
「お前なぁ、なんだよさっきの。痛いじゃん」
「うるさい」
 相変わらず胸元全開のシャツに手を伸ばして乱暴にボタンを留めた。鎖骨辺りまで留めてぱっと手を離す。
 昼時が近づいてじりじりと温度は上がっているのに、人肌というのは、どうしてこうも。いや、僕が意識しすぎているという話か、これは。
 …さっきのことは確かに乱暴だったと思ってはいる。けど、悪いのはあのタイミングでノックなしに入ってきたDだ。人の執務室に入るときくらいノックしろ。それから、僕は彼のシャツのボタンを留めようとしていたんであって外そうとか考えていたわけじゃない。
 ああくそ。なんでこんなこと考えるんだ。意味がわからない。頭の中がぐるぐるする。
 ぺし、と頬に当たった手の感触に視線を上げる。「アラウディ」と眉尻をつり上げている彼に、はぁ、と一つ吐息して目を逸らした。「どこか打った?」「大事はないけどさ。さっきの俺は何も悪くないよ。そうするとアラウディは俺に言うべきことがあるよな」…彼の言わんとすることを理解して、頬に当たっている手にそっと指をかけた。
 恐らく、壊そうと思えば壊してしまうことのできる、壊したくない手。
「…悪かったよ」
 ぼそっとそう言ってそばを離れる。するりと肌を滑らせて離れた指がもう彼の温度を恋しがる。
 夏の陽射しを遮るために大きな窓にカーテンを引いて、僕のサインを待っている書類が積まれている机に視線を移す。
 …正直面倒くさい。僕は事務仕事なんてしたくない。身体が凝るだけだ。が、忌避したところで仕事がなくなるわけでもないので仕方なく革張りの椅子に腰かけて、気付いた。が変な顔をしている。なんかムカつく顔だ。
「何?」
 書類の束をばさばさと机に広げつつ苛立ったた声でそう訊くと、彼は誤魔化すような笑いを浮かべて「別に」と言ってソファに寝そべった。
 …その変な顔をやめてくれないか。その、まんざらでもないって顔。君を苦しめる病気のことすら肯定して、これがあるからアラウディと繋がっていられるなんて、そんな馬鹿なこと、よく言えたものだよ。そのときと同じような顔をしてる今の君は一体何を思ってるんだ。

 俺、嬉しいんだよ

 耳を撫でた声に軽く頭を振る。
 君の病気は治った方がいい。たとえそれで僕が表立って君を拘束できる理由を失うとしてもだ。君は早く健康に戻って、普通に動けるようになるんだ。
 それじゃ僕と繋がるものがなくなるなんて言わせない。
 たとえ健康になったとしても、僕は君を、手離さない。
 そう、手離したりしない。君にかけた医療費分、僕のそばで家事なり炊事なりさせて働かせるさ。
 そう。手離したりなどはしない。
 だって僕はこんなにも君のことが、
(馬鹿を言ってるなよ)
 自分の思考に無理矢理刃を入れて切断した。
 ボンゴレに来てこの椅子に座ったからにはそれなりにやらなければならないことがあるのだ。馬鹿なことを考えてる時間を書類を片付けることに向けた方がよほど効率的だ。
 ようやく書類仕事にかかり始めた僕を、ぼやっとした顔のが眺めている。暇なんだろう。僕を見て、それで暇潰しになるのかどうか知らないけど。
 ……その瞳に捉われていると。一刀両断したはずの、死んだはずの思考の方が、むくむくと膨らんで、手足を生やして一人で立ち上がっていた。ぱかりと口を開けて、僕が斬る前に、好きだ、と叫ぶ。手足を生やしてもがく思考に刃を立てる。違う、好きなんかじゃない、と声を荒げながら引き裂いてその思考を殺した。
 それなのに足元で残骸が蠢く。好きだ、好きだ、と喚きながら。
 僕は男だ。彼も男だ。生き物というのは雄と雌で惹かれ合い子孫を残すものと決まっている。それが生き物として繁栄する本能としてあらかじめ植えつけられている。僕も彼も人間だ。同じ種の同じ性別の生き物だ。だから、男が男に惹かれるはずがない。惹かれるはずが。
「アラウディ」
「、」
 ピッ、と書類を走ったインクから視線を上げる。のそりとソファを起き上がったが「暇だから、適当に散歩してきていい?」と僕に許可を求めてきた。勝手にいなくなるとあとで僕に睨まれるということを理解している。
 唇を噛んで、サインに失敗した書類を睨む。
 強がっていないと、自分の中で蠢くソレに、負けてしまいそうだった。
「勝手にすればいい」
 そう吐き出した僕に「うーぃ」と片手を挙げた彼が部屋を出ていく。残された僕は、唇を噛み切る勢いで強く噛みながら、ただ書類を片付けることに没頭した。思考の片隅でもがく残骸を踏みつけて潰しながら。もう出てくるな、と願いながら。
 彼を家に囲っていた間は気にならなかったけど、いざ外に出してみると、その存在が嫌というほど思考で引っかかりを憶える。
 諜報部から言い渡された仕事を終えるにはまだまだかかりそうだ、と溜め息を吐いた夜。軽い食事をもらってくると言って出ていったきり帰ってこないを訝しみ、まさかどこかで発作で苦しんでいるんじゃと気が気でなくなって探しに出たときのことだ。
「なぁG、この間の続き貸して。暇だからもう読んじゃってさ」
「あ? 相変わらずだな…。ちょっと待ってろ」
 角を曲がったところでの姿を発見した。いつもと変わらない姿にほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、「ほらよ」と本を二冊預けたGに「あんがとー」と笑う彼に、ざわりと背筋が騒いだ。
 わかっている。彼の処世術だ。ああやって誰も彼もに笑顔を向けることで町を渡り歩いてきた彼の性だ。彼から笑顔を取り上げることはできない。笑わなくなったなんてじゃないだろう。
 でも、できるなら、その笑顔は僕にだけ向けていてほしい。
 指が掌に食い込むほど拳を握ったとき、が僕に気がついた。「じゃあ借りてくわ。読んだやつまた今度返す」と言い置いて早足で僕のもとにやってくる。Gは彼の視線を追ってちらりとこっちを見やっただけでやれやれと部屋に引っ込んだ。
「悪い、遅かった? 今出せるものがないって言われて、なんか作ってって頼んだせいかな」
 困った顔をする彼を睨みつけ、顔を背ける。怒り。憤り。それに似たよくわからないものが思考を黒く染め上げようとしている。
 そんな中でも口を開けるソレが彼を前にして好きだと叫ぶ。
 そして、お前のそれは嫉妬だろう、と大きな口を歪めて嗤う。
「アラウディ?」
 呼ばれて、拳を解いた。ただでさえ病人な彼を殴ることはしたくなかった。
 黙ってその手からトレイを奪って歩き出すと、が慌てたようについてくる。
 悪気がない行動なんだ。ここにはつまらない資料本しか置いていないから、もっと面白いものが読みたいという彼に、じゃあ誰かに借りたら、と投げやりな提案をしたのは僕だ。結果、彼は僕が言ったとおり誰かから、Gから個人的に本を借りることにした。…それだけのはずだ。
 執務室に戻り、ガチャン、とソファの前のテーブルに乱暴にトレイを置くとスープが少しこぼれた。「こらアラウディ」と僕をたしなめる彼をじろりと睨んで、誰のせいで、と恨み言を思ったりする。
 並んでソファに座って、あたためられたパンとにんじんスープ、肉と野菜の炒め物を黙って食べる。苛々口に突っ込むようにして食べている僕に隣の彼は苦笑いしていた。そして、その手がそっと僕の手に重なるから、ガチャンとスプーンを取り落とした。
 なぜか心臓が早鐘を打ち始める。
 誰かの体温。の体温。人肌。あまりにも遠ざけていたそれらが一気に押し寄せて心臓をぎゅっと締めつけてくる。
 苦しい。
「Gには、本借りてるだけだよ。他には何もない。ジョットの右腕だけあって、いつも忙しそうだしさ」
「…そんなこと訊いてない」
「うん。俺が勝手に喋ってるだけ」
 取り落としたスプーンを握り直し、スープを口に運ぶ。
 …嫌だな。こんな自分は。誰かに手を握られて大人しくされたままでいるなんて自分は。僕が僕じゃないみたいで。
(だけど。悪くは、ない。かな)
 片手ではパンをちぎれなくて、仕方なくかぶりついた。ぱらぱらとスーツのズボンにパン屑が落ちる。だからいつもはちぎって食べる。だけど今は、片手が空かないから、こうして食べるしかない。
 …今はどんな顔をしてるのだろう。ふとそれが気になって、そっと視線をやる。
 彼は例の馬鹿っぽい顔をしていた。何その顔ムカつく、って思う顔。だらしがないっていうか、馬鹿っぽいっていうか。
 本当、馬鹿みたいだな。そう思って少しだけ笑ったとき、こっちを見た彼とぱちっと目が合ってしまった。逸らすのが遅すぎた。ばっちり目が合ってしまって、むぐ、とパンを噛んだまま思考が固まる。そんな僕にへらっとした馬鹿っぽい顔で笑いかけるが、彼のことが、好きだと、踏み潰して殺したはずの思考の残骸が叫ぶ。
 愛している、と。だから、愛してほしい、と声の限りに叫ぶ。
 ……いくら思考の中で叫び声を上げたとして、口で伝えなければ、絶対にわからない。この手を伝って彼の心へと思いが届くわけじゃない。言わなければ絶対わからない。
 だから、これは、黙っていれば、すむ話。
「君の、その馬鹿っぽい顔。嫌いだ」
 精一杯の虚勢で顔を逸らしてパンを食いちぎる。「そりゃすいませんね」と肩を竦める仕種が視界の端に見える。それでもその手は僕の手に重なったままだった。その間、僕の心臓はずっと騒がしいまま。
 ………いい加減苦しいんだ。
 と時間を過ごせば過ごすほどに苦しさが増す。その存在に胸を焦がされる。思考を焦がされる。君の一挙一動を気にする自分がいる。

 僕は、どうしようもなく、君に惹かれている。