君が好き、それだけ

 冬晴れで風もない、陽射しのあるいい天気なのに、俺はベッドで臥せっていた。
 なぜかって? うん、ただでさえ病気持ちなのに風邪を引きました。油断してたわけじゃないんだけど、ボンゴレに出入りしてるうちに誰かからもらってきたらしい。
 げほ、と一つ咳き込む。ぼーっとしている頭でのそりと起き上がり、何か食わないと、とふらふらしながら台所に向かう。後ろ髪引かれながら仕事に出てったアラウディのためにも、何か食べて、薬飲んで寝て、少しでも元気になっておかえりって言わないと。
 持病持ちのせいか治りが遅い。他にうつすわけにもいかないのでこの三日はボンゴレにも出入りしていない。おかげで退屈極まりないわけだけど。Gに貸してもらった小説全部読んじゃったし。
 うあーぼやぼやするーと霞む目元を凝らしながら野菜と肉を切り刻んで、チーズも刻んで鍋にポイポイと入れてトマト缶も投入、チーズ風味のミネストローネを作る。いちいち調理がしんどいのでまとめて作ろうという算段。夜ご飯もこれにしよう。これにパンと、…パンで。サラダとか作る元気がない。
 ぐいと袖で目をこする。それにしても霞むな。また熱上がったのかな。薬飲んでるのに。
 何とかやっつけるようにしてミネストローネを完成させ、あとは煮込むだけ、とグツグツする鍋をソファからぼやっと眺めていると、ピンポーン、とチャイムの音がした。はぁい、と掠れた声で返事をしてのそりと起き上がり、ずるずる引きずるような歩みで玄関扉を開けると、「アラウディさん宅ですか?」と宅配業者に確認された。「そーですけど」げほ、と一つ咳き込む。「こちらお届けものです」それでずいっと差し出されたのは段ボール箱だ。俺は何も頼んだ憶えはない。…ってことはアラウディの買い物か。珍しいな、あいつが自分で何か買うのって。
 はいはい、とサインをして業者を帰し、段ボール箱を持ってみる。特に重くはないけどなんかいっぱい入ってるな感はある。
 なんだろうなーと思いながらリビングまで持って行って、グツグツしてる鍋の中をかき混ぜて、ぐらりと揺れて暗くなった視界にダンと壁に手をついた。まだ目の前が暗い。あっぶな。
 ほんと、薬効かないな。普段から薬飲んでるせいで抗体でもできてるかな。
 げほ、ごほ、と続けて咳き込んで気付く。しまった、薬。持病の方のがまだだ。
 ごほごほしながらテーブルに寄って薬入れを掴む。まだなんも食べてないけど仕方ない、とコップの水で薬を流し込んでソファに転がる。
 ごほ、と咳き込みながら床に置いた段ボール箱に視線を移し、手を伸ばす。暇だし開けてみよう。中身確認のために開けたって言えばアラウディだって頭ごなしに怒ったりしないはずだ。何買ったのかも気になるし。
 ガムテープを剥がしてパカリと蓋を開けて中を覗き込むと、段ボールの中は全てチョコレートのお菓子だった。
 ……なんだこれ。量が尋常じゃないぞ。しかもチョコばっかり。ナッツ入ってたりドライフルーツにチョコソースがかかってたりチョコがマカロンでサンドされてたりとバリエーションはあるけど、でも、全部チョコ。
「ん」
 手を伸ばしてチョコの箱の上に置いてあるメモ用紙を取り上げる。そこにはアラウディのきれいな字で『カロリーを摂れ』と書いてあった。…俺が開けること見越してメモ入れたわけか。
 まぁ確かに。カロリーね。でもこれってただ太るだけのカロリーな気がしますが。エネルギーのカロリーになるのチョコって。
 疑問に思いつつも試しに一箱取り上げて封を破った。おいしそうなバウムクーヘンがチョコでコーティングしてある。かじりついてんまいと思いながらふと気付いた。
 そういえばもう二月か。世間じゃバレンタインとか言ってる時期なんだろうな。
(ん…?)
 うまい、とバウムクーヘンをもぐもぐしながらふと気付いた。
 まさかこのチョコばっかりの段ボール箱って俺へのバレンタインとか…。いやいやないか。アラウディに限ってそれはないか。単純に風邪で体力落としてる俺にせめてカロリーを摂れってだけのチョイスだろ。あいつが俺にチョコ贈ること考えてたとかだったら、すごく、かわいいとか思っちゃうけど。
 完成したミネストローネをすすっていると、アラウディが帰ってきた。今日は早い帰りだ。つかつかと靴音がまっすぐリビングに向かってくるのを聞きながらチーズを足した。カロリー摂るために贅沢にいきます。
 バン、と扉を開けたアラウディに「おかえりぃ」と若干調子の戻った声をかけると、アラウディの無表情が少しだけやわらかくなった。「調子は」「まぁ、少しは戻ってきたよ。あ、これありがと」テーブルに載せた段ボール箱を叩くと途端にアラウディが無口になった。なんでか床を睨んでいる。
 あれ? これお前からので合ってるよね? お前の字でメモも入ってたしいいんだよね? もう食べちゃったよ。
 不穏な空気にまさか俺はまずいものを食べてしまったのかと宛先や差出人を確認していると、はぁと溜息を吐いたアラウディがコートを脱いでハンガーにかけた。
「…は、バレンタインって知ってる?」
「は?」
 素っ頓狂な掠れ声を上げた俺にアラウディが首を捻った。知らないのか、という顔に「いや、行事は知ってるけど…お前の口からそんな言葉が出るとは思ってなくて」じろりと睨まれてあははと苦笑い。
 だってさ、他なんてどうでもいいって俗世から離れてるお前が、世間の行事に興味があるなんて思わないじゃないか。
「バレンタインは、愛を伝える日だろ。知ってるよ。俺も仕事してたときはけっこーもらった方だし」
 ぽろっと言ってからしまったと口を塞ぐけどもう遅い。アラウディのアイスブルーの瞳が機嫌悪そうに細められたのを見てしまった。
 あーと内心慌てる。いつもより調子の悪い風邪っぴきはこれ以上ダメージを喰らいたくない。アラウディの拳はできれば避けたい。必死に回らない頭を回転させて「でもこんなにもらったことはないかな。バウムクーヘン食べたけどうまかった」何とかアラウディの機嫌を取ろうと取り繕って笑うと、大股で歩いてきたアラウディが俺のトレーナーを掴んだ。ぐっと襟元を掴み上げられて椅子から腰が浮く。く、苦しい首絞まる。
 至近距離で睨まれて、アイスブルーの冷たい瞳に嫉妬という熱が灯っているのが見えて、あーもう風邪っぴきなのに、と諦めて吐息を一つ。スーツの肩に手を置いて顔を寄せ、見開いたアイスブルーの瞳を見ながらキスを一つ。
 アラウディの身体っていうのはなんか丈夫にできてるみたいで、喧嘩事で怪我をしてくることも稀なら病気とも無縁だ。腹痛だってめったにない。風邪っぴきの俺と一緒にいても風邪を引かない。だから、キスくらいで風邪はうつらないさ、が希望。
 仕事上すっかり上手になった艶っぽいリップ音を残して顔を離す。俺の襟元を掴み上げる手の力は緩んでいた。
「つまり、俺に告白しろってこと?」
「……別に」
 ぷいとそっぽを向いたアラウディがぱっと手を離した。どさっと椅子に座って首をさする。ああ、苦しかった。
 拳を握ってそっぽを向いたままのアラウディを眺め、「とりあえず着替えたら」と勧める。黙って離れて自室に向かうアラウディから段ボール箱のチョコへと視線を移し、一つを手に取る。
 これはトリュフか。おいしそう。今日はもうバウムクーヘンだけで甘いものいっぱいいっぱいだけど、また明日食べよう。
 …こんなに全部、俺のために買ったんだよな。カロリー摂れとか表向きの理由はそれにして、本当はバレンタインの行事に乗っかったんだよな。あのアラウディが。
(これって愛かな。愛だよな。好きだよって言ってるようなもん、だよなぁ)
 家にいてもあまりラフな格好はしないアラウディがシャツとズボン姿で戻ってきた。さすがに一枚では寒いから厚手のカーディガンを羽織っている。すでに今日の体力を使い果たしている俺は鍋を指して「そこ、チーズ風味のミネストローネね。パンはトースターであっためて。しんどくて、あとは何も作ってないんだ」ほんとは用意してあげたいんだけど、疲れてきたからさ、自分で頑張って。
 アラウディの重たい愛というか過剰な愛というかが詰まっている段ボール箱を眺め、何となくチョコの箱を取り上げては眺め、同じ物がないなぁと変に感心しながら億劫な口を開く。「好きだよ」と言えばトースターにパンを放り込んだアラウディがコンロの火をつけようとした中途半端な姿勢で固まった。
 その後ろ姿に、は、と掠れた声で笑う。
 なんだよ。お前がねだるから言ってあげたのに。
 バレンタインって行事に乗ってでも俺に好きだと言いたくて、好きだと言ってほしくて、こんなにたくさんチョコ買ってきたんだろ。かわいいことするじゃないか。かわいいよアラウディ。かーわいい。そんなこと言ってもお前は不機嫌になるだけだろうから、言わないけど。
「アラウディはまっすぐだよ。すごくきれいだ。俺にはもったいないくらい」
 でも、お前と付き合える人間って、きっと俺くらいなんだろうね。そんなことをぼやいてからこれは言わなくてよかったなと思った。ああ、俺の頭もそろそろ回転が遅くなってきたぞ。薬が効いてきたのかも。寝ないと。
 ようやく動き出したアラウディが鍋を火にかけて、ぼそりと、「僕もそう思う」とこぼす。
 ん? と首を捻った俺を振り返ったアラウディは相変わらず芸術品みたいな端整な顔立ちをしていて、プラチナブロンドのやわらかい髪をしていて、瞳が氷みたいに冷たい。
「僕には君しかいないってことだよ。君にだって僕しかいない。言わなくても解れ」
 機嫌の悪そうな声に、そんな無茶な、と掠れた声で笑う。まぁすごくお前らしいけど。
 もう動く気力がない俺は手を伸ばして「おいで」とアラウディを呼ぶ。眉根を寄せる端正な顔に「キスしてあげる」と言うと、こっちを睨んでいた鋭い視線が惑った。初だなぁ。かわいいな。キスくらいで照れちゃってさ。まぁ、キス以上はしないんだけどね。
 自分の中の何かと格闘しているらしいアラウディを眺めていると、ふあ、と欠伸がこぼれた。「いいんならしないよ。俺寝ちゃうけどヨロシク」ガタン、と椅子から立って段ボール箱に蓋をし、さあ寝ようと一歩踏み出したところで手首を掴まれた。…どうやら寝かせてくれないらしい。
 しょうがないなぁと笑って手首を握る手を取る。
 アイスブルーの瞳を振り返って唇を寄せた。やわらかい他人の唇にキスをして食んでみる。ふにふにしてる。
 チョコって全部でいくつだったっけ。同じ数だけキスしようと思ったけどわかんないな。まぁいいか。アラウディがもういいって言うくらいまですれば。
 久しぶりに唇に舌を這わせた。バレンタインくらいもっと深いキスをしようか、とアラウディのやわらかい髪を片手ですくう。さらさらこぼれてきれいだ。月の光みたい。
 半開きになった唇から覗いた舌と、吐息の音と、揺れた瞳。
 汚れ仕事をしてきた俺にはもったいないくらいにきれいなお前には、でも、俺しかいない気がする。こんな俺が必要だと全力で訴えてくるのはお前しかいない気がする。だから、これでいいんだと思う。
 ちゅ、と音を立てて顔を離す。トラブル知らずの肌を撫でて、眠気と風邪気で霞む視界を凝らして「アラウディ、鍋」とキッチンを指すと、眉根を寄せたアラウディが大股でキッチンに行ってグツグツ煮立ってる鍋の火を消した。チーンとパンがあたたまる音もしたのにそっちには見向きもせずに俺のところに戻ってくる。どうやらまだ愛の口付けをご所望らしい。
 立ってるのがしんどくてどさっとソファに腰かける。ぎ、と足の間に膝を割り込ませて「キスしてくれるんだろ」と落ちる声に小さく笑う。頬を挟んだ両手が強制的に俺の顔を上げさせて、キスされる前にしてやる。
 わざとリップ音を残しながらキスをする。こそばゆそうに目を細めるアラウディがかわいい。
 意地悪でキスの合間に訊いてみた。「俺のこと好き?」と。そんなこと言わなくてもわかってるだろうと睨まれたけど、俺は笑ってそれを受け止めた。髪を撫でたり頬をつまんだり、果てにはカーディガンの上から身体のラインをなぞったところでアラウディがギブアップした。「好きだ」と、投げやりなくせに縋るような瞳と愛の言葉に薄く笑う。
 ああ、めちゃくちゃにしてやりたい。そんな欲望が全身を駆け抜けた。
(でも、駄目だ)
 自分の欲望を圧迫死させる。
 キスまでしかしない。自分の中でそうラインを引いている。
 呆れるくらいキスをするのだって今日だけだ。バレンタインだけの特別。アラウディが腕の中で大人しいのも、忘れるよう心がけている性で胸を焦がすのも、今日という甘い日だけの特別。