の夜に

 人を拾った。比喩ではなくて本当にだ。
 仕事で喧嘩を売買して、いつものようにトンファーで満足するまで暴れて回った、ある月夜の晩のことだ。
 金髪の頭から不似合いな赤い色を垂らしている男が足元に転がっている。死んでるのかと思って蹴飛ばしたところ呻いたからどうやら生きているらしい。ふうん、と無感動に男を見下ろして、どうしようかなと考える。めんどくさいからこれもここで壊してしまおうか、なんて思う。
 死屍累々とまではいかずとも、近い状況が自分の周りに展開されている。そんなことにさえボクは無感動だった。
 試しに手を伸ばして金髪を掴んで顔を上げさせる。外人っぽいようなそうでないような微妙な顔立ちに、どうしようかなと考える。
 壊すか、壊さないか。思考を傾けるのはそこにだけだ。相手の意見はどうでもいい。ボクの専門は喧嘩を売買して相手を叩きのめすことだけ。この場にいるならコレも関係者だったということでいいんだろう。じゃあ、壊そう。
 ぱっと手を離すと顔面をコンクリートの地面にぶつけた相手が、どうやら目を覚ましたらしい。トンファーを振り上げた腕をそのままに観察していると、呻いた相手は顔を押さえながらぼんやりした目でこっちを見上げた。
 青に緑が混ざっている、きれいな目だった。日本人にはない瞳の色だった。髪の色と合わせて考えれば、外人なんだろう。コレがどこの国のどういう人間かなんてボクにはどうだっていいけれど。
 けれど。そのきれいな瞳を壊すのは、少しだけ惜しい気がした。
「…?」
 ボクを見上げていた相手が頭に手をやる。血が出ているだけに痛むのかと思ったけど、そうではないらしい。困惑した、という表現がぴったりくる顔で相手が辺りを見回す。最後にボクを見上げて目を細める。青と緑の瞳は月夜を背景にトンファーを振り上げるボクを映していた。
「どこ」
「さぁね」
「おれ、は、だれ?」
「ボクが知るわけがない」
「ああ…そう、か」
 頭に手を添えた相手が顔を俯けると、長めの金髪がさらさらと滑り落ちて表情を隠した。
 ふっと息を吐いてトンファーを下ろす。仕方なくしまってから改めて相手を一瞥した。顔を伏せたまま動かない相手は怪我らしい怪我はしていない。ただ、気になるとすればさっきの一言。頭から血が出ているという点を考慮して念のため訊ねてみる。
「キミ、名前は?」
「…なまえ……は…」
 呻いて起き上がった相手は、長身を折り曲げて何度か咳をした。さっきボクが蹴飛ばした場所を押さえている。「わからない」と吐き出された言葉にまた少し考えた。
 記憶喪失ってヤツか。それならいっそ都合がいい。これをボクの道具にしてしまおう。青と緑の目が惜しいと少しでも思ったのだし、使えない奴だと分かったらやっぱり壊そう。使えるようなら使い続けよう。そうしよう。
「名前がわからないならボクがあげるよ」
「、」
。キミは今からだ」
…」
 ぼんやりしている相手に手を差し出す。「行くよ」と言えば迷うことなくはボクの手を取った。「なまえ、は」「ボクは雲雀恭弥。雲雀と呼んでくれればいい」「ひばり…」ぼんやりしてる声にちらりと視線をやる。引っぱられるままボクについてくるは空ろな顔をしていた。それでも青と緑の混じった瞳はきれいで、月明かりを受けて輝いていた。
 仕事用の車を呼んで、ついでにを手当てさせた。頭の傷は大したことがなかったらしく、軽く包帯を巻かれた程度で治療は終わった。本人が記憶喪失だという事実は意図して伏せた。代わりに、これはボクの仕事の傍らついてきてちょっと怪我をした奴だ、と説明しておいた。
 車に乗っても治療を受けても、は大して表情を変えない。
 記憶喪失も種類があるのは知っているけど、このパターンだと、自分に関する記憶がなくなっているという可能性が一番大きい。何も知らなかったら車にも治療にも何らかの反応を見せるだろう。ということは、自分以外の他のことは憶えているのだ。知識としての世界のことは知っている。それならますますボクにとって都合がいい。
 今家に出入りさせている使用人は全て解雇する。男も女も全て。代わりにを入れる。だからわざわざ拾った。名前をつけたのだってボクだ。なら、有効利用させてもらおう。
 車を降りて家の門前に立つ。隣に並んだが門を見上げた。「雲雀の家?」いくらかはっきりしている声に「そうだよ」と返しながら門をくぐり抜ける。は斜め後ろをついてきた。
 ガラリと玄関の引き戸を開けて帰宅する。は斜め後ろをついてきて、立ち止まった。仕方なく振り返ると、はまだ立ち止まっている。
「何してるの」
「和風だ」
「それが何? …ああ、そうか。キミには見慣れないってことか。慣れてよ。今日からキミはここで暮らすんだから」
 戸惑いながら靴を脱いだが歩いてきた。こてりと首を傾げるとさらりと金髪が揺れて顔にかかる。「ここで?」「そうだよ。ボクはキミを拾って名前をあげた。これからも面倒をみてあげる。その代わり、キミは家のことをやるんだよ。ギブアンドテイクってやつ」感心したように頷いた相手に少し呆れた。ここはもう少し何かしら反抗する場面じゃないのか。まぁいいけど、扱いやすくて。
 廊下を突っ切って居間に行くと、弟が一人いた。だいたい着物を着てる次男だ。ボクを見ると「おかえり。お茶を淹れたところだけれど、」とか言いかけて、目を丸くしてボクのあとから居間に入ってきたを見つめた。開口一番、「誰だいその人は」「拾った」「…兄さん」「本当だよ。記憶がないっぽいから都合よく使おうと思って」「…さっき電話がかかってきたよ。家政婦の何人かから。急に解雇は納得できないと」「ああそう」適当に会話を流して冷蔵庫を覗く。ラップのしてある皿の料理は食べる気が起きなかった。はっきり言って何が入ってるのかさえ怪しい。本来なら捨てるところだけど、今日からは片付け役もいる。不思議そうにボクと弟を交互に見ているに「お腹は空いてるの」と訊くとこくりと頷かれた。仕方なくレンジに皿を突っ込んで加熱する。その間に自分の食事はカップ麺に決めて戸棚をあさる。
「兄弟?」
 首を傾げたに答えたのは弟だった。柔和な笑みを浮かべると「そうだよ」との疑問を肯定する。「とりあえず座ったらどうかな。ええと、」「」「そう、っていうのか。よろしく」「よろしく」ぱっと笑ったが頭を下げた。痛むのか、少し手を添えてから顔を上げる姿が視界の端に見える。
 ピーと音を立てて加熱終了を知らせたレンジから皿の方を取り出してラップを剥がした。弟に促されて椅子に座ったの前にどんと皿を置いて手をぷらぷらさせる。ああ熱かった。
 割り箸、を探そうとしてやめた。和風の家で戸惑ってたが箸を使いこなせるとは到底思えない。仕方なく戸棚をあさってフォークとナイフとスプーンを持ってきてがちゃんと食卓に置くと、こっちを見上げた青と緑の瞳の持ち主に「ありがとう」と言われた。ぷいと顔を背けてガタンと椅子に腰かけ、お湯を入れたカップ麺の蓋をべりっと剥がした。待つのがめんどくさいから硬くてもつつこう。
 置いてある湯飲みに手を伸ばしてお茶をすすると少しぬるかった。ボクは熱い方が好きだ。
 一つ吐息した弟が傾けていた湯飲みをことりと机に置いた。呆れたような諦めたような顔をしている。そういう顔は見飽きたよ、我が弟ながら。
「兄さん、もう少し説明を。を本当に家に置くのかい」
「置くよ。そのために拾ってきたんだから」
「また使用人が気に入らないって理由の気紛れではないの」
「まぁそれもあるけど…」
 机に頬杖をついてとんかつにフォークを突き刺しているを見やる。熱いのか、ふーふー息を吹きかけていた。まるで子供みたいだ。ああ、記憶がないのなら、今ここにいるは生まれたての赤ん坊と同じわけか。なら子供みたいでもしょうがないか。
 手を伸ばして、指先で口の端についていた衣を払って落とした。首を傾げたの青と緑の目はやっぱりきれいだ。ボクはこの目が気に入ったんだから。
の目はきれいだろ。気に入ったんだ」
 ボクの言葉に、弟は諦めたようだ。ふうと息を吐くと「そう。ならもうそのことについては問わないよ」と残して席を立つと、戸棚から茶碗を出してご飯をよそってきた。ことんと置かれた茶碗にがじっと視線を注ぐ。「白いご飯は初めてかな」「…おいしい?」「僕は好きだけれど」「雲雀は?」「ボクもまぁ好きかな。パンは腹持ち悪いからね」そう言うとはフォークでご飯をすくってぱくりと食べた。もぐもぐ咀嚼するとゆっくり飲み込んで、「だんだん甘い」と感想を漏らした。おいしいのかそうでないのか微妙な意見だったけど、気に入ったようだ。ご飯ととんかつを交互に食べ始めたから視線を外して硬い麺をかじる。バリボリと音がした。白いご飯だけ食べておけばよかったかな。食べるのがめんどくさくなってきた。
 およそラーメンらしくないラーメンを食べて少しスープをすすってカップを置く。後味が悪い。ぬるいお茶をすすったとき、階段を下りる足音が聞こえてきた。居間にやってきたのは高校生になる弟で、を見るとぎょっとした顔で「うわ、誰それ」と初対面相手に失礼な声を上げる。
 あとはもうめんどくさくて、次男に全て任せた。席を立ったボクを追いかける青と緑の目に「また明日ね」と残してスーツのネクタイを解いて居間を出る。
 今日は疲れたから、お風呂に入ってもう寝よう。彼の工面についてはまた考えればそれでいい。