そして、出逢う

 業界の嗜みとして、お前も花を持ちなさい。ある日父親にそう言われた。
 正直そんなの面倒くさいとは思ったが、父の秘書役をしているきれいめ男子も花であることを聞かされて少し考えた。少し考えている間に父が近く鹿王院財団が主催する花祭りがあることを畳み掛けるように言うから、俺はお手上げで両手を挙げて分かった行くよと適当に答え、父の部屋をあとにした。
 父の面倒は花であるあの子が看るから、俺はとっとと退散して自室へ向かう。父に言われたことを頭半分で考えつつ、もう半分では今日片付けるべき書類の山についてを考えている。どう頑張っても睡眠を蹴飛ばさなければ終えることができそうにない。
 …花というのは花主の教育次第で薔薇にもなれば桔梗にもなり蓮華にもなる。苗まで育って売られているそれを買い、どう育てるのかは買主次第。だからこそ花を連れるのは自分の時間や意識その他を余計に削られることのような気がして、今まで避けて通ってきていた。
(…そういえば、知り合いにも花主になったって奴多くなったなぁ……)
 自室に戻り、ぼんやりとそんなことを考えつつ書机に向かう。目を通すべきものがまだ山と積まれており、正直花のことなんて考える暇などないのが俺の現状だ。
 でも父がうるさいし。ある一定レベル以上の貴族、特に企業主が花を持つことは嗜みだとされてしまっている現代の流れを組むなら、花主になることは避けて通れない道なのだろう。
 ああ、面倒くさい。俺は今自分のことだけで手いっぱいだっていうのに。
 そんな投げやりな気持ちで花について考えることはいったんやめて、書机に山と積まれている書類を効率的に片付けるべく思考を切り替える。
 長くてあと一ヶ月。短ければ、あとどのくらいかも分からない、そんな時間の中で俺は父の仕事を引き継がなくてはならない。
 父がガンという病だと宣告された先週。医者は本人に向かっては言葉を濁していたが、唯一の親族である俺には正直に、その病がすでに末期症状に至るまで父を侵していることと、父の余命を告げた。
 長くて一ヶ月。短ければ、いつになるかも分からない。それが父に残された寿命だった。
 俺はこの一ヶ月でこれまで父が仕切っていた仕事を全て引き継ぎ、会社の経営が傾かないようリーダーとなって会社の先頭に立ち導かなければならない。
 俺は自分のことで手一杯だ。すべきことは山とある。一ヶ月じゃとても足りないくらいに。
 それなのに今以上に負荷となることを、花を得て花主になれと、父は言う。
「はぁー」
 どさ、と背中から畳の床に倒れ込み、三分だけ休憩しようと木目の天井を見上げる。
 別に、俺は花なんていらない。そういう趣味もないし。まぁきれいめな秘書役を得られるのだと言われれば悪くない気はするけど、正直、今はいらない。すべきことがたくさんある。余裕がない。そんな俺が花なんて得たって疎かにするだけで、マシに扱える気がしない。
 だけど父は俺が花を連れることを望んでいる。俺が花を連れて立派な一人前として社交場に立つことを望んでいる。
 ……それがあの人の最後の願いだというなら。無下にすることなんて、できるはずがない。
 三日後、俺は渋々、重い足取りで鹿王院財団主催の花祭りに出向いた。
 花は決まって美少年で、きれいめがきれいな着物を着たりきれいなスーツを着たりしてそこかしこに点在していて、花を連れた花主というのもたくさんいた。主にじーさんから親父までだったけど。俺くらいの若手はちらほらとしか見受けられず、ココってやっぱりそういうとこなんだよなぁと花街を思い浮かべる。が、来てしまったのだ、見るだけ見ていこうと、パンフレット片手に適当に舞台を見て適当に歩いた。
 そもそも花に感心のない俺には舞台を見てもそのよさがあまりピンとこず、芸を披露し、花が下がったあとでオークション形式で値段を吊り上げられて最終的に一番高い金額を出した人に買われていく花に、哀れだな、と思った。
 確かにきれいめだ。芸というのもできる。彼らが一様に孤児や捨て子であるとは限らない。
 それでも、哀れじゃないか。見世物として生きていく道を選択しなければならなかったその人生は。これからが勝負なのだと花自身が思っていても、俺には、彼らは哀れにしか映らない。
 その笑顔が嘘だとは言わない。晴やかに振舞うその姿が偽りだとは言わない。でも、俺には彼らは魅力的には映らない。それだけだ。
 俺は貴族の一人息子として生まれて早くに母を亡くしたが、父が経営する企業はここまで存続し続け、俺へとその代を移そうとしている。恵まれた環境に生まれたと思っている。これは俺のエゴだけど、ここは人という生き物のその格差を見せつける場所のようで、居心地がよくない。
 俺達貴族は民草がいたからこそ成立した。その人達を踏みつけて生きてきた。その現実からできれば目を逸らしていたい。
 今は余計なことを考えたくないんだ。俺はただでさえ忙しい。そういうことはもう少し状況に余裕ができてから降ってきてほしい現実だ。
 だから、もう帰ろう。父の願いだから叶えてあげたいと思ってたけど、無理だ。今の俺にはまだ。
 華やかな空気。華やかな顔ぶれ。
 笑う花。値段をつけられる花。売られる花。
 それを買う人間。
 ああ、胸糞悪い。
 ざくざくと歩みを進めてこの場所から出て行こうとしたときだった。ガシャンと大きな音がして空気がざわりと揺れた。そのどよめき方は花の芸に対しての歓声などではない、不穏な感じだった。
 音のした方に視線を投げると、スーツを着た男が一人テーブルを引っくり返して倒れていた。なんだこんな場所で乱闘か、と眉を顰めた俺は、その男を殴ったんだろう相手を見て目を瞬かせた。
 黒を基調として赤い華を散らせた着物に、血のように真っ赤な帯をしている、花がいる。真っ黒い髪の間から鋭い双眸を向けて張り倒した男のことを睨みつけている。それは、笑顔を常としている花にはあるまじき姿と表情だった。
「な…っ、何をする、お前!」
 張り倒された方も黙っちゃいない。お客である自分が殴られたという状況に憤慨しているらしい親父が猛然と立ち上がる。けれどそこで殴るという行動に出ないのは、まぁ貴族故だろう。力で無闇に訴えたりしないという形だけでもの格好つけだ。そして、花はその男を無視してさっさとその場をあとにした。男は当然さらに憤慨する。そこへ西洋のドレスを着た花が飛び込んできて「申し訳ありません柏木様」と男に謝っていた。
(なんだあれ)
 俺は今の出来事にすっかり気を取られて足を止めていた。
 花はみんな笑っていた。そう努めていた。華やかであることが花の役割だと。
 花主の隣を彩る存在、それが花だと思っていた。
 ドレスを着た子がひたすら頭を下げて謝っているところへ、スーツを着た男が走ってやってきた。「おい、あれは」「ああ。鹿王院財団トップツーの…」周りからそんな声が低く交わされる。その男は頭を下げている花の肩に手を置いて「ルピいいよ」と下がらせた。そこからは自分が代わって柏木と呼ばれる男の叱責を受け続け、それに耐え続け、やがて少しは熱が冷めたらしく周囲の視線に気付いた男が自分から立ち去るまで、頭を下げ続けていた。
 そして俺は、何を思ったのか、あの花のあとを追って、裏道だろう狭い路地へと入り込んだ。
 その花はすぐに見つかった。仮設された茶屋の赤い布が敷かれた長椅子に退屈そうに腰掛けていた。
 伏せられた睫毛は長く、近くで見ればその顔は人形のように整っていて、気だるそうなその雰囲気さえ様にしていた。
 さっきの男はこれに呑まれて安易に手を出し、張り飛ばされたわけか。
「きょーや」
 さっき聞いた男の声が俺が入ってきた小道とは別の方から聞こえた。反射的に足を止める。ここが関係者が立ち入るべき場所であって、俺はいるべきじゃないのだ。ここで隠れて様子を窺おう。
 声をかけられた花が気の強そうな瞳で男のことを睨む。それから、男のあとからやって来たルピと呼ばれた子のことも同じように睨んだ。
 その視線には敵意を通り越した殺意というものが感じられて、空気がちりちりする感覚、というのを俺は初めて味わった。
「何?」
「何じゃないよ。さっきのアレこそ何? 鹿王院の花祭に泥塗る気なの?」
「はっ。泥でも鉄でもかけてあげるよ。こんなところくたばればいい」
 およそ花とは思えない冷たい口振りでそう言い放った花が明後日の方へ顔を背ける。ルピがかちんときたって顔で前に出ようとすれば、スーツに包まれた男の手がそれを遮る。
「怒ってるの?」
「怒ってるよ」
「どうして? 柏木さんて悪い人じゃないよ。少し怒りっぽいところはあるけど、花に対しての理解は普通の人よりは深いし。なんで殴ったりしたんだ。変なことされた?」
 男が首を傾げると、その顔を射殺す勢いで睨んでいた目がふい俺が潜む小道を捉えた。げ、と固まる。静かにしてたつもりだったのに見つかった。
「そこに隠れてるの、ウザい。見世物じゃないよ」
 整ったから吐き出される言葉は、これまた容赦ない罵倒。
 一応貴族の生まれでそれなりの企業の一人息子である俺は、そんな言葉言われたこともなかったので、ちょっと傷ついて、それから感心した。この子は誰にでもこんなふうに接するんだろうと思うと、それが地位も名誉も関係のない振る舞いなのだと思うと、俺にはきっと一生できないな、って思ったから。
 俺に出来ない生き方でこっちを睨みつけているその花が気に入った。
 芸なんて見てない。この調子なら人前で何か披露するということもないのだろうし、そもそもできないのかもしれない。それでもそばに置くだけでその端整な顔つきと雰囲気で満足する人はたくさんいそうだ。そして、どうやら俺も、その一人らしい。
 ざく、と一歩進んで小道から抜け出す。俺の存在に目を瞬かせたスーツの男と、逆に慌てるドレス姿の花。さっき耳に挟んだ話だと鹿王院財団の中でもトップツーに位置するという男に目を向けて、言う。
「この花が欲しいんだけど、どうしたらいいかな」
 俺の言葉に目を丸くしたのはルピとスーツの男の方で、肝心の花はだんと一息で立ち上がると下駄を鳴らしながら俺に向かってずんずん歩いてきた。殴られるであろうことはさっきの場面を見て想定していたので、「恭弥待って!」とドレスの子が叫んだことにも慌てず、揺れる黒い袖を眺めながら、あえて殴られた。遠慮なく鳩尾に入った。当たり前に痛かった。生まれて初めて殴られた。けど、想像していたからその痛みに耐え、伸ばした腕で俺を殴ったその花を抱き込んだ。
「俺、お前のこと気に入ったみたいなんだけど、どうしたらいい?」
 俺の行動を予測していなかったんだろう、動きを止めた花にそう囁いて、くそう痛い、と咳き込む。
 ああくそ痛い。殴る殴られるなんてこの俺が経験するとはね。全く、予想してなかった。
「離せ」
「嫌だ」
「、」
 声を詰めた花の足が俺を蹴り上げた。容赦なかった。ふつーに男の急所だった。さすがに耐え切れなくて呻いて膝をついてしまう。ほんとー容赦ないせめてそこは加減してほしかった。
 声もなく悶絶する俺に「すみません、申し訳ありませんっ」と慌てる声がかけられる。涙で霞む視界を上げるとルピって子がいた。近くで見るとなんだかかわいい顔をしていた。うん、ドレスを着てもしっくりくるくらいには似合っていた。この場所にいて鹿王院財団トップツーの男の隣に立つってことは、この子も花で、男なんだろうけど。女の子みたいだ。
 俺を蹴り上げた花を後ろから羽交い絞めにした男に、花が抵抗している。「離せっ、離せ!」俺にそうしたときよりえらい抵抗のしようだった。ばたばたと着物の裾が乱れるくらいに暴れていた。「恭弥、落ち着けって。大丈夫、大丈夫だから」と男が声をかければかけるほど恭弥と呼ばれた花は動転していき、しまいには男を背負投の要領で壁に叩きつけてその場から逃げ出した。
 相当にじゃじゃ馬なあの花の名は恭弥というらしい。
「きょーや、の馬鹿ぁ! あとで憶えてろよ君ッ」
 走り去っていく黒い着物姿に噛みついてそう言ったあと、ルピは俺から男の方へと駆け寄った。「大丈夫? 背中痛い? 氷持ってくる?」げほ、と咳き込んだ男が何とか起き上がる。はははと乾いた笑いを浮かべて「ああ、なんかすごく怒ってるなぁアイツ」とこぼして俺へと視線を向けた。やんわりと笑う顔は、財団のトップツーと言われるには頼りない感じだ。
「まぁ、ご覧の通り、恭弥は癖のある花でして。言いにくいことですが、他の花をお勧めします。見たところですが、花、持つの初めてなんでしょう?」
 あっさりと指摘され、蹴られた急所が痛いと思いつつ、スーツを払って立ち上がる。
 確かに、相当にじゃじゃ馬だってことは今ので痛く理解した。
 が、父が願う花を持つなら、選ぶなら、俺は恭弥がいいなと思った。その考えは今も変わらない。
「確かに花を持つのは初めてだ。だけど俺はあの花がいいんだ」
「…そうですか。それならお値段の方をサービスさせていただきます。こちらでも彼の教育についてできる限りの手は施しているのですが、あしらわれてしまうのが現状なので」
 苦笑いをこぼし、ルピに起こされた男が打ちつけた背中を押さえつつ立ち上がる。男の状態を気にしながらも営業の顔を作ったルピが「それでは、ご契約について何点か説明させていただきたく思いますので、ご一緒を願えますか」と男の背中を気遣いつつ表通りへと向かって歩き出す。
 俺はちらりと恭弥が去った奥の方の路地に視線をやり、二人について一歩踏み出す。

 そうして、俺は生まれて初めて花を持つことになるのだった。