『合コン詳細。女子も参加気軽なランチ会ということで、並盛駅の時計台の下に十一時半集合。会費は二千円な』
 届いていたメール文に目を通してはーと息を吐く。さっぱり気が進まない話だ。利子として出ろとか言っときながらしっかり会費を払えときた。まぁ二千円くらいいいけどさぁ。
 というわけで、十二月二十四日、俺は過去に一万借りた友のために合コンに参加しなくてはならなくなった。
 正直なところ面倒くさい。こっちは店長から宿題として出された本を読んで憶えないとならないんだぞ。大嫌いな勉強をしないとならないんだぞ。しかもテストするって言ってたし。俺だってなぁホイホイ合コン参加するほど暇じゃないんだぞー!
 と、思うだけ思いつつ、メール文の返事は『了解』の二文字。男にメール送るのに顔文字も絵文字も必要ないだろ。要件だけでよし。と、ぐいと袖口を引っぱられたので視線を投げれば、難しい顔で携帯を睨んでいる恭弥がいた。折り畳みの携帯とタッチ式の携帯を手にして「どっちがいいの?」と訊いてくる。「使い勝手いい方、かな。時代の流れ的にはこっちだけど」俺が使ってるのと同じ機種のタッチのを指すと、だんまりになった恭弥が黙々と見本の携帯を操作し始めた。
 この間の一件で恭弥にも携帯が必要だと確信した俺は、だいぶ普通に食事ができるようになってきた恭弥を連れて駅前の携帯ショップに来ていた。
「これ、と同じ?」
「うん。でも近々買い替えるかも。電池もたなくなってきたし」
 一番新しいのとして売り出してる携帯を手にして操作してみる。特に今までのと変わりないけど、ちょっと薄くなって軽くなったかな。お値段は、まぁ変わらないなぁ。どうしようか。ついでに買い替える? いや、今月は懐厳しいしやっぱまだ先かな…。
 ふむと考える俺をじっと見上げた恭弥が「じゃあ僕もそれがいい。同じの」と言うから、苦笑いして見本の携帯を置いた。「じゃー契約しようか。ホントにこれでいい?」「…分からなかったら教えて」「はいはい」袖を握ってついてくる恭弥にやれやれと内心溜め息を吐く。
 学校が冬休みに入ったことも手伝い、恭弥は俺にベッタリである。いや、過剰な表現じゃないんだ。まさしくベッタリなんだよ。童心に返ったのかと思うくらいにベッタリなんだよ。小さい頃と違うところといったら、笑顔でないことくらいか。
 さっさと契約して、人で混み合うショップを出る。契約したばかりの新品の携帯で基本情報の操作をして、「恭弥メアドは? 何にする?」「…何でもいい」「候補考えとけって言ったろもー」とりあえず恭弥と誕生日の5/5を組み合わせて適当なメアドを作って俺のと交換、登録しておく。
 視界の端で白いボンボンが揺れている。キャラメルとブラウンのミトンの手袋をした手が俺の腕を握っていた。離すものかという勢いだ。ミトンの手をつついて「一回俺にかけてみて。アドレス帳から検索。はいやってみる」渋々手袋を外した恭弥が両手で携帯をいじり始めた。眉根を寄せて睨むような顔つきだ。ぐ、ぐっと携帯を押すから「それ壊れるから。言ったっしょ、静電気で反応するの」まるきり初心者の恭弥に思わず笑ってしまう。
 ホーム画面にアドレス帳があるからそれをタッチ、登録されてる中から俺を見つければいい。ようやく操作に慣れてきた恭弥が画面にタッチして俺の携帯がピリリリと淡白な音を立てた。とりあえず基本の通話は成功。ああ、恭弥の着メロ設定しないとな。分かりやすいやつ。
「はい、そんな感じで繋がる」
「…メールは?」
「んーとねぇ」
 歩きながらもやりづらいので、駅の壁際に寄った。恭弥の隣から画面を覗き込みつつ指を滑らせる。あ、指紋。保護シート貼ってなかった。あとできれいに拭いて貼ろう。
「これ、メールマークタッチすれば画面に移動する。で、宛先でアドレス帳が出るから俺選んで。件名はまぁ無視でいいや。本文に何か入れてみな」
 ホーム画面に戻して顔を離す。よく考えずとも近かった。
 眉根を寄せた恭弥が挑むように両手で携帯を操作し始める姿から視線を外す。
 駅前は人の出入りが激しい。昼間だし、学生も冬休みになったから子供もわんさかいるし。子供、苦手なんだよなぁ。恭弥だけで手一杯。
 …最近ますます恭弥が分からない。学校フケたと思ったら家で吐いてるし、風邪かと思ったら違うと言うし、なんでか俺のせいで興奮しちゃったと言い張るから恭弥のに触って抜いたりしたし、ようやくご飯食べ始めたと思ったら今度は俺にベッタリになるし。一体どういうことなんだ。恭弥の思春期どうなってるの誰か説明して。
 はぁ、と息を吐いたところで携帯がピロリンと音を立てた。はいはい、と確認すれば恭弥からメールが届いている。本文『テスト』うん、そのままだ。
「はい届いた。そんな感じ。分かった?」
 こくりと頷いた恭弥の意識がまた携帯にいく。ふう、と吐息したところで俺の携帯が鳴った。着メロからアイちゃんだと分かってごほんと一つ咳き込んでから通話を繋げる。「どしたのアイちゃん」と作った声を出したら隣からすごい勢いで恭弥が睨んできた。『用事ないと電話しちゃいけないんですか?』と素で敬語の話し方をするアイちゃんの甘い声がする。「いーえ全然大丈夫。外だからうっさいかも。ごめん」先に謝っておいてから恭弥のそばを離れた。なんかものすごく睨まれてて話がしづらいので。
さん』
「はい?」
『お友達から聞いたんですけど、合コンに参加するってお話、本当ですか?』
 いつもやわらかい声が若干棘を含んでいる気がして「あ、それはね、ちょっと理由があるんだ」と正直に話した。男友達にちょっとお金借りた分の利子として合コン参加を命令されたこと、あとそいつの本命が今回の合コンに参加するらしいのでまぁその手伝いを、と話してる途中でぼすんと背中に衝撃を受けた。首を捻って振り返ると恭弥が俺に腕を回してひっついている。
 え、何それ。なんでそんな涙目なんだよお前。前まで女の子と電話してる俺のこと蔑んだ目で睨んでたくせに。
「だから、ホントに仕方なく行くんだ。義務的参加。ナンパなんかしてこないからダイジョーブ。俺にはアイちゃんだけだよ」
 口ではそんなことを言いながら、ひっついている恭弥の黒い髪を撫でた。「俺にはそのあとの方が大事だもん」と続けると携帯の向こうのアイちゃんが仕方なさそうに笑った、のが見えた。『そうでしょうとも。あなたみたいに気の多い人を受け止めるのも大変なんですよ?』といつもの甘い声がして、ぎゅうぎゅうと俺を抱き締めてくる恭弥の頭をぽんぽん叩く。俺はどっちへ心を置けばいいんだ。
 せっかく電話をくれたんだから世間話をしようかと思ったんだけど、残念ながら恭弥が涙目すぎたので無理でした。人の往来が多い駅前で抱きつかれたまま電話の向こうの子に愛を紡げるほど俺は器用ではありませんでした。なので仕事を持ち出して通話を切るしかありませんでした。ごめんアイちゃん。
 ポケットに携帯を滑り込ませて恭弥の手を握る。抱き上げようか、と思ったけどさすがにずしっと腕に重かったので、まだ全然細いままの肩を抱いて駅前を離れた。恭弥の胸でマフラーの白いボンボンが歩く度にぽんぽんと跳ねている。
 …参ったな。恭弥のことが本当に分からないや。
「あのさ、恭弥」
 声をかけるとじろりと睨まれた。黒い瞳に相変わらず引力を感じる。女の子のメイクした目とはまた違った、なんていうの、表現しにくいんだけど、引き寄せられる何かがある。それがどうにも苦手で前を向いてその視線から逃れ、「そういうわけで、俺はクリスマスと前日は予定で埋まってるから」と言ったらぎりっと痛いくらい腕を握られた。
 うー、と涙目の恭弥に俺はタジタジである。
(え、何なの? 俺に行くなってこと? 予定作るなってこと? 何それ。恭弥俺のこと束縛したいのか?)
 そう考えて、それもあながち外れちゃいないだろうと気付く。
 冬休みに入ってからのこのベッタリ感だ。おまけになんだ、不可抗力ではあるけどキスとかしちゃったわけだしね。成長した恭弥にかわいげなくなったなぁとか思ってたけどさぁ、いざかわいくなられても困るっていう。
 っていうかお前はもう少し喋るといいよ。ちっさいときからそうだったけど、基本の口数が少なすぎる。
 あのおんぼろアパートはこれからの季節寒さで厳しいので早々に引き払った。俺の現在の家は恭弥んちだ。
 あーとかうーとか唸りつつ店長が宿題として俺に貸し出した本を読み進める、そんな俺の隣で恭弥が冬休みの宿題を片付けている。それが最近の家でのスタイルかな。で、夜仕事の俺は早めの夕飯を作って恭弥と一緒にいただきますをして仕事へ行く、そんな感じ。
 年末に入ったらバーや居酒屋関係のところは忘年会やらなんやらで書き入れ時だ。ウチも今日は忘年会で予約が入ってるため準備に早く出なくてはいけない。
 早めの夕飯にチャーハンもちろんピーマンなしと豚汁っぽい汁物を食べた。なんか豚汁って味のしない豚汁っぽいもの。うん、今度はもう少しまともなもの作るわ。
 さっさと片付けて本を掴んで部屋に引き返し、着替えてからもう一度居間を覗くと、恭弥がゆっくりご飯を食べている。俺はかきこんでも平気な男の胃だけど恭弥の胃は繊細らしいので、俺に合わせないで自分のペースで食べなさいと言ったらこういう感じになった。
「じゃあ恭弥、しっかり施錠して寝ろよ。今日俺遅いだろうから」
「なんで?」
「忘年会で予約入ってんの。定時に上がれる保証なし。っていうか無理だろ、人数いっぱいで人来るのに後片付け店長だけとかさ。そーいうこと」
 ひらっと手を振って玄関に行きブーツに足を突っ込む。今日も外は寒そうだ。やだなぁ。まだ夏の方がいい。で、夏になったらまだ冬の方がいいとかいうタイプなんだよな俺。しょうもな。
 とたとたと廊下を歩いてくる音に首を捻ると、椀を持った恭弥が食べながら見送りに来た。「こぼすぞ」と呆れつつ、黒い髪にぽんと手を置いて撫でる。「じゃあ留守番よろしく」と玄関の引き戸を開けて外に出て、びゅうと吹いた風に身が竦んだ。うおお寒い。
「いってらっしゃい」
 背中にかかる声にひらひら手を振って引き戸の扉を閉める。
 そのいってらっしゃいの響きが何となく甘く感じた俺の耳は馬鹿なんだろうか。
 どこぞの会社の忘年会で、俺はもちろん給仕役。
 かったるいなぁと思いつつも顔には出さないで給仕に徹し、たまに酒類のオーダーがあると店長に伝達。空になった皿を下げないとならないしグラスにシャンパンを足すのは基本だ。ついでに世間話にも応じないとならない。誰が好んでおばちゃんの相手なんてするだろう、と思いつつも仕事っと心を切り替えて接客します。金髪ピアスのにーちゃんですみませんね。俺、そろそろ茶色くらいに落ち着くべきかな。
 午後八時から午前三時まで、たっぷり時間を拘束されて、やっと店の中が空になった。ネクタイを緩めて「だはっ」とうなだれた俺に、いつも姿勢正しい店長も若干猫背気味である。
「このシーズンはいつも大変ですね…」
「まぁ。仕事だからね。春の歓迎会と冬の忘年会が一番書き入れ時だ」
「ですねー」
 しかし疲れるものは疲れるのである。特に今日はおばちゃんに始終付き纏われていた。そんなに若いのが好きなんですかという色目だったので若干引いてしまった自分に反省。仕事って難しいなぁ。
 器を全て下げ、グラスも回収し、テーブルをきれいにする。食器の方は店長が片付けるというので俺は店内の掃除をした。空気清浄機は作動してるけど色んな人の香水臭さが残っている。そんな店内を掃き掃除して椅子もきれいに拭き、トイレの方もきれいにして照明が切れてないかなどを確認。
 バーといえば大事なのは雰囲気だ。流すBGM、そして照明での淡い光による雰囲気作り。そこに埃が積もってたりしたらだいなし。掃除とはいえ気は抜けない。
 ひと通りチェックして店長のところへ戻る。「終わりましたぁ」と声をかけて時計を確認するとすでに四時が近い。
「上がっていいよ。今日は助かった」
「うぃっす。店長もお疲れでした」
 じゃ、と片手を挙げて従業員用のロッカー室に引っ込む。
 念のため携帯を確認したところ恭弥からメールが来ていた。『おやすみ』と一言、深夜一時過ぎに。
 ぱっぱと着替えて早足で雲雀家に帰宅する。当然電気は落としてあるし真っ暗だ。庭に照明系がいるなぁと実感する。こんなに大きい家で灯りがついてないとか、泥棒持って来いの物件すぎる。ホームセンターでソーラーパワーでつく電灯的なのを買おう。そうしよう。
 施錠を外してカラカラと静かに引き戸を開けて帰宅。玄関扉の横の傘立てに突っ込んである恭弥お手製釘打ちバットがなかなかに生々しい。本人曰く防犯の一つのつもりで作ったらしいけど、その発想が。
 静かにブーツを脱いで、冷蔵庫で炭酸ジュースを呷り、一本空にした。ああ疲れたーお疲れじぶーん。
 …っていうかこの炭酸、何気に俺が最初に奢ったやつと同じの。
「……恭弥が何したいのか分からん…」
 ぼそっとぼやいて缶を洗って潰した。カコン、とゴミ箱に放り込んでうがい手洗い歯磨きをして二階に上がり、自分の部屋に戻る。スウェットに着替えて脱力してベッドに腰かけたところで、ふと気になって、そろりと部屋を抜け出した。隣接する恭弥の部屋のドアノブに手を滑らせれば鍵がかかっていない。
 静かに押し開けると、相変わらず俺信者みたいな部屋の光景が闇に沈んでいた。その中でベッドが異様に賑やかだ。昔の俺がユーフォーキャッチャーにハマってた頃にお土産だと獲ってきた人形達が並んでいる。その中で一番大きいテディベアを抱いて眠っている恭弥にそろそろと近づいた。よくよく見れば、テディベアを抱き締める手には携帯が握られている。
 そのくまは憶えてるぞ。一回二百円のユーフォーキャッチャーでかなりの大金すってゲットしてきたやつだ。大きいのをプレゼントしたら恭弥すごく喜んでたな。しばらく家の中で持ち歩いてたもんな。だから結構汚してた気がするけど。
 そんな昔のもんを大事に抱きかかえてさぁ。…なんだかなぁ。なんでそんなかわいいかなぁお前は。
 仕事で疲れた身体でその場に胡座をかいて座り込み、だらっとベッドに寄りかかる。熟睡中の恭弥が起きる気配はない。十三歳は十一時くらいには寝て朝七時に起きればいい。その方が健康的だ。
「……お前さぁ、俺にどうしてほしいわけ」
 ぼそっとぼやく。寝ている恭弥からの返事はない。
 俺にクリスマスここにいろって? いてどうするんだよ。男二人で寂しくメリークリスマスってシャンパン開けてケンタッキーのチキン食べるのか? 空しくないかそれ。
 はぁ、と湿っぽく溜め息を吐いたとき、もそりと恭弥が寝返りを打った。それでぱちっと目を開けるからぎくっとする。いや、別に夜這いしようとかしてたんじゃないけど勝手に部屋に入った後ろめたさというか。
…?」
「…ただいまって言おうかと思って。メールくれてたし」
 眠そうにまどろむ顔に笑いかける自分の顔が嘘っぽいことには気付いていた。

 かわいい恭弥にかわいい格好させてイタズラしてみたいと思う俺は十七歳の頃から変わってない。
 こんなにきれいな男の子がいるんだなぁという衝撃を受けたあの真夏の日、俺の頭はあまりの陽射しの強さにイカれてしまったんだろう。
 そのイカれた頭を誤魔化すために彼女とかたくさん作って隙間がないよう自分を追い込んでみたけど、一度イカれてしまったら、もう直らないんだろう。人は機械じゃない。壊れた部分は部品を交換してはいおしまいってわけにはいかない。俺の脳の代わりはないのだ。俺はこのイカれた頭を抱えて生きていくしかない。

「寝ればいいよ。俺もすぐ寝るから。おやすみ」
 眠そうにまどろんだ恭弥が携帯を手離して俺に手を伸ばす。むんず、と俺の手を掴むと離さないとばかりに抱き込んで、眠った。唇を寄せられた手の甲が僅かに熱いと感じる。寝息が肌に触れるのが妙にくすぐったい。
 …かわいいなぁお前、としみじみする自分がいる。
 それなりに女の子抱いてきたけど、あの日をさっぱり忘れさせてくれる子はいなかったな。これが、俺の現実、か。
 ぎ、とベッドに肘をついて身を乗り出し、眠ってる恭弥の額にキスをした。
 ……お前の望んでいることが俺と同じなら。俺は、もう自分を誤魔化さないよ。