『今日はクリスマス・イヴ! 皆さんのご予定はいかがですか?』
 テレビからのBGMに携帯から視線を上げた。テレビの中ではどこかの駅前の巨大なクリスマスツリーが映っていて、キャスターが通りかかる人にインタビューしている。
 見た限り幸せそうなカップルにインタビューがかかる。ふん、と息を吐いて携帯の画面に意識を戻し、指を滑らせてインターネットのショップを眺める。今が旬だという冬のファッションを眺めて、ページを下へ下へと進めてピンと人差し指を払う。
 十二月二十四日、クリスマスイヴ、現時刻は十一時十分が過ぎたところ。
 ドタバタと忙しない足音と共に階段を下りてきたはホスト顔負けな格好をしていた。「やべーやべー時間が」と携帯を気にしながら居間にやってくると携帯をいじる僕を見てよく分からない顔をする。「じゃあ恭弥、今日帰らないかもしれないから。ご飯、自分で頑張れよ」と言う、その顔を睨みつける。
 十秒くらい目を合わせていたろうか。彼は睨むだけの僕に肩を竦めて廊下へと消える。
 がこの家に住むようになってから女を連れ込んだことはない。僕の家なのだから当然といえば当然だけど。ということはイコール彼はあれから女を抱いていないということになる。それを今日という記念日にシようと思ってるんだろうけど、そうはいくものか。邪魔してやる。僕がいる場所でも平気で女と話をするから情報はダダ漏れだ。今日はこれから合コンに行って、そのあと十八時に女と駅前で一番ランクが上のホテルのロビーで待ち合わせだ。そこへ、乗り込んでやる。そのためには僕も今から忙しい。
 お昼に指定した宅配便がピンポーンとチャイムを鳴らした。荷物を受け取って部屋に取って返し、ネットショップで購入した品々を机の上に広げてみる。冬らしく、なおかつ僕が着てもおかしくなく、そして、が喜びそうなもの。しっかりサイズを測ってから注文したから着られないってことはないはず。
 背中の大きく開いただぼっとしたドルマンニットのワンピースは灰色。下はどうしようか迷って無難そうな黒いタイツを選んだ。さすがに生足で歩く勇気がないからだ。足元は靴屋でぺたんこのブーツを買ったし、首には彼がくれたマフラー、手にはミトンの手袋をしていけばいいんじゃないだろうか。最後に上着としてケープコートを着る。頭の中でそんな自分を想像してみて、上手くいかなかったため、実際に着替えてみた。もたつきながら手袋をして鏡の中の自分を睨みつける。
 …まぁ、こんなものか。やっぱり女みたいにはいかないな。十三の僕には色気ってものが足りないのかもしれない。胸はぺたんこだし、贅肉とか、ないしな。吐き続けてた期間で体重が落ちすぎたのかもしれないけど、もう遅い。
 唇を噛んで携帯の画面を指で弾く。
 化粧で対抗するしかない。やったことないけど、コンビニで雑誌でも買って、化粧品はドラッグストアで揃えよう。
 もたつきながらもう一度着替え、外着の適当なのを着て、マフラーと手袋をして家を出た。
 僕の計画としては、女装した僕がと女の間に飛び込んで三角関係みたいなものを誘い、女には浮気しているってことを見せつけて別れさせてやろうという感じ。
 …五歳の僕もそうだったけどやっぱり計画性がない。自分ではよく考えたつもりなんだけど。勉強はできるのに実践で活かせないんじゃあまり意味もないな。
 期末テストで学年三番を取った僕に、彼は言った。お祝いをくれると。それがお金で買えるものしか駄目とは言わなかった。普通に考えればお金で買えるものをねだるのかもしれないけど、僕は別のものをねだる。彼しか与えられないものを。
 コンビニで女が読むだろう雑誌を斜め読みし、メイクの仕方と使用した道具が載ってるものを選んで購入、その足でドラッグストアに行って雑誌で使っているものを全部購入し、帰宅。じっくり雑誌のメイクのページに目を通してから自分の顔で実践してみる。初めてだから難しい。
 はぁ、と息を吐いて鏡を睨んでいたところから一度休憩を入れ、ご飯を食べるために階下に下りた。気分転換に調理を開始し、オムライスを作ることにする。
 はっきり言ってより僕の方が料理は上手だ。でも、彼の作るご飯が好きだから、どんなものでも食べていた。
 お腹の調子は戻りつつあるし、そろそろ、僕がご飯を作ってあげてもいいかもしれない。そうしたら僕の方が上手だって認めた彼に調理の役を押しつけられるかもしれないけど、それでもいい。僕の作ったご飯を食べてがおいしいって笑ったら、幸せだ。
 自作のオムライスを食べて、こんなものかなと納得しながら適当につけているテレビに視線を投げる。またニュースがやっていてまたクリスマスイヴですと言っていた。日本人はキリストを信じているわけでもないのにイベントごとだけは取り上げる。商業に利用されているキリストを哀れに思ったけど、そもそも僕もキリストがどうとか知らないし興味もないので思考を切り離した。
 今日は余分なことを考えている余裕はない。
 とにかく、が女とベッドインすることを阻止しなくては。そのために僕は自分にできる最大のことをする。恥も羞恥も捨ててやる。女装だってしてやる。のことはよく知ってるんだ、思わず手が出ちゃうような格好で誘ってやるよ。それで、僕を抱けばいい。
 ぺろりと舌で唇を舐めるとリップの味がした。
 現在時刻、十三時十九分。
 この顔を携帯で撮って保存して、二度目に挑もう。一回ではやっぱり上手にできない。見られるようになるまで練習しないと。そして十八時前には二人の待ち合わせ場所に行かなくては。行ったことのない場所だし三十分前には駅前につくつもりで。それなら十七時には用意ばっちりで着替えるだけのつもりでいないと。なら、残り時間は。
 目まぐるしく頭を回転させながら食器を片付けて洗顔して化粧を落とし、二度目のメイクに挑むためずんずん階段を上がる。

 今日、僕は、彼を自分のものにする。 
✙  ✙  ✙  ✙  ✙
(結局当日になっちゃったか…)
 恭弥相手に割り切れずにいたら、あっという間に合コン&アイちゃんと会う当日になってしまった。案外と意気地がない自分が馬鹿のようだ。最初に会ったときに痴漢行為したくせになんで今できないかな。もう若くないって? あーそれ地味に傷つくからやめたげて。
 くそう、と歯噛みしながらパスタを食べる。カルボナーラ味。よっぽど家でパスタ茹でてちょっと高いソースかけて食べた方がうまいんじゃと思ったけど、合コンなのでまぁ仕方がない。味や質よりもこういう場の維持にお金がかかってるのだ。二千円だしね、文句は言えまい。
 で、俺に利子分として合コンに参加しろと言った友は現在頑張ってお目当ての娘にアピール中である。
 …でもなぁ。言っちゃ悪いとは思うけど、相手にされてないよお前。残念。合掌。
 もりもりパスタを食べるだけで完全に外野だった俺だけど、斜め向かいのちょっと、いやだいぶふくよかな娘の視線が痛い。「雲雀さんは食事好きなんですか?」と訊かれてははと笑う。「まぁ。腹減ってて」と適当なことを言って大してうまくもないカルボナーラを食べる。
 ストライクゾーンはわりと広いつもりでいるけど、ごめん、君は無理だ。
 あー早く解散にならないかなぁ退屈、という時間をそれから一時間過ごし、解散、好きな人は二次会でカラオケでも行ってという流れになってすかさず離脱した。理由はバイトが入っててといういつものあれだ。ちなみに今回は本当にカラオケ店員のバイトが入ってるので抜けねばならないのである。
 なんかあのふくよかな娘が追いかけてきそうな気がしたので必死で逃げた。こんなに辛い合コンは初めてである。
「あー、しんど…っ」
 駅の反対側まで逃げてきてぐてっとベンチに座り込む。
 あまり時間がない。さっさと電車に乗っていかねば。
 駅前でホストの勧誘に引っかかり、逆ナンに引っかかり、キャッチセールスに引っかかり、疲れ気味になりながらようやくカラオケ店に到着。何とか時間に間に合ってタイムカードを切って出社を記録し、手早く着替えて受付へ。「おせぇぞ」と小突いてきたカラオケ仲間を小突き返して「悪い」と謝って仕事を引き継いだ。
 十四時に入って十七時半上がりという中途半端さではあるが、この間恭弥の三者面談のため急遽変わってくれたのだ。この中途半端な時間でもやりきろう。
 頭を仕事に切り替えてイヴを過ごすのにカラオケ店を選ぶ人達を営業スマイルで出迎える。
 そうやって十七時半までを過ごし、次の奴にバトンタッチしてタイムカードを切って急いで着替えて電車に飛び乗った。五分かかる。結構ぎりぎりにしか着かないかもしれない。
 並盛の駅で電車を飛び降りて早足で改札を抜け、この辺りでは一番ランクの高いホテルへと急ぐ。
 指定したロビーにはそれなりに人がいた。イヴの特別料金でも利用しようってお客さんがいるらしい。
 時間を確認すると、十七時五十五分。よかった、五分間に合った。
 ふーと息を吐いて自分の格好を見下ろす。走ったために若干皺が寄ってたりしたので払ったり直したりする。黒のジャケット、深い紺のデニム、ヒートテックの上からワイン色の上品なワイシャツに緩くしたネクタイ。首にはアクセントで少し派手め白っぽいストール。うん、変なところはなしだ。よし、行こう。
 アイちゃんどこかな、と視線を彷徨わせたとき、設置されているソファから腰を浮かせた娘を見つけた。茶色で腰までのストレートヘア。アイちゃんだ。
 声をかけようとして、その隣にいる人物に視線がいった。なんでだろう。よく分からない。「さん」と弾んだ声に呼ばれたのに、その声で顔を上げた隣の黒髪の子に目がいっていた。
「恭弥…?」
 俺の声に応えるように、たん、と軽やかに立ち上がった恭弥がアイちゃんを追い抜いてぼふっと俺に抱きついてきた。
(え? え? 何これ。恭弥なんだその格好。その、まるきり女の子の格好は。しかもメイクしてるのかそれは。似合いすぎてて怖い)
さん?」
 訝しげな声に呼ばれてはっと我に返る。「あ、えっと、これはその」まさかの事態に動転する俺にアイちゃんが眉を顰めている。
 アイちゃんもしっかりおしゃれして上品なワンピース姿で立っているのに、俺にはちょっと無理して着てるかなって感じの出てる恭弥のニットワンピとふわっとしたコート姿の方が魅力的だった。
 細い背中を撫でる。「恭弥?」ともう一度呼べば、俺に抱きついていた恭弥がにこりと笑顔を浮かべて俺の心を撃ち抜いた。
 …駄目だ。そんな、長年やりたいと思ってたことを眼前に曝け出されたら、その欲望を誤魔化すために一緒にいた女の子に向ける顔なんて。あるわけがない。
 するりと俺から離れ、ワンピース姿を見せびらかすように小悪魔な顔をして一回転してみせた恭弥が、アイちゃんの視線から逃げるように俺の背中に隠れた。
 …気まずいにも程がある沈黙の末、口を開いたのはアイちゃんである。気のせいではなく俺のことを険しい目つきで睨んでいる。
さん、その子まだ中学生じゃないですか? そんな年下の子とこんなところでお食事ですか」
「いや…これは、その」
 うまい言い訳が思い浮かばない。口八丁手八丁な俺どこに行った。恭弥のことを中学生と言い当てたアイちゃんの勘の鋭さが痛いです。
「……さすがの私も今回のことには呆れました。もっと真面目に恋愛してくれる人を探します」
 言い訳もできない俺にカツカツとヒールを鳴らして目の前に立ったアイちゃん。パン、と思いきり頬を張られた。ビンタ食らったのとか久しぶりである。地味に痛い。
 ヒールを鳴らして「さようなら」とホテルを出ていくアイちゃんを情けない顔で見送ることしかできない俺。本当情けない。
 ぐうの音も出ない俺にけらけらと笑ったのは恭弥だ。「ざまぁみろ」とさっきまでのすまし顔を取っ払って俺を笑っている。
 はあぁ、と深い息を吐いて恭弥を引っぱってロビーの端まで行った。若干目立っていたので。「お前、なんてことしてくれたんだ。今ので完全破局だよ。っていうかなんだその格好、女の子にしか見えない」「そう? なら前みたいに触ってみる?」ぴら、とニットワンピをめくる恭弥に慌てて顔を逸らした。大人をからかうもんじゃないぞお前。ちょっとドキッとした俺も俺だけど。
 はあぁ、と再び深い溜め息を吐き、がしがしと金髪をかき回す。
 もー。レストランに予約入れちゃってるんだ。キャンセルしたら結構取られる。行かないより、恭弥連れて行った方がお財布が納得する。
 仕方なく恭弥の手を取った。「腹減ってる? レストラン予約してあるんだ」と言うとぱっと恭弥の顔が輝いた。メイクのせいか普段より二割増しくらいにかわいく見えて視界が。眩しい。
「行く。食べる」
 ぴょんと跳ねて喜ぶ恭弥を連れてレストランに顔を出し、今日のために窓際のロケーション確保したんだけどなぁ、と肩を落とす俺。
「……なぁ。どういうつもりでそんな格好してきたんだ。アイちゃんばっちり俺をフっていったけど」
「決まってる。あなたと女の邪魔しに来たんだ」
「…じゃあお前の目的達成? おかげで俺のクリスマスは寂しいことになったわけですが」
「寂しいことになんてならないよ」
 ディナーの前菜が運ばれてきて、恭弥が携帯を取り出して写真を撮った。すっかり手慣れたらしい。保存すると「だって、僕と一緒だもの」とこぼして淡い笑顔を浮かべる。
 駄目だ。さっき恭弥の笑顔に心臓を撃ち抜かれたことを思い出した。
 くそー怒るべき場面なのにちっとも怒れん、と目の前に置かれた小さなカップを睨む。なんか説明してくれてた気がするけどあんまり聞いてなかったな。「これなんだって?」「ごあいさつの一皿だって」「ふぅん」スプーンでスープをすくう。かわいらしいサイズだ。クリスマスディナーって高いんだよなぁ。こんなにかわいい中身なのに。
 一応ディナーなのですすらないようにスープを口に含んで、はぁ、上品な味だなぁと思った。
 クリスマスイヴのレストランは混み合っていて、上品な制服姿の人間が給仕に行き交っている。
 どことなく忙しい空気も、生演奏でバイオリンとピアノが鳴り出せば、全てが自然になってくる。
 目を閉じて生演奏に聞き入っていた恭弥がぱちっと目を開けて俺を見上げた。「ねぇ、この格好かわいいでしょ?」と灰色のニットワンピをつまむ。「うん。かわいい」素直に言うと恭弥がまた笑った。
 …駄目だ、そういう顔されると俺は勝てない。ずっとそういう格好してそうやって笑えばいいのにと思ってたからだろう。自分の欲望が体現されてる現実が信じがたく、恭弥が俺とアイちゃんを別れさせるためにここまでしたんだということをじりじりと呑み込んで、渇いた喉で口を開く。
「恭弥、俺のこと好き?」

 それは絶対に訊いてはいけないと思っていた、禁断の、長年のわだかまりを解消させる、簡単な疑問文。

 きょとんとした顔の恭弥がスープの器を空にした。おいしかったとナプキンを口に当てて、「そんなこと言わなくても知ってるんだと思ってた」とこぼして俺と目を合わせた。黒い瞳。メイクでほんのり淡い鱗粉の漂う肌と少しだけ赤い頬。口紅か、それとも色つきのリップか、いつもより血色のいい唇が落とし気味の照明の中で艶を放つ。
 五歳の恭弥に感じた引力に、ずっと抗っていた。囚われたら二度とそこから足を離せない気がしていた。吸い込まれたらおしまいみたいなブラックホール級の引力。今そこに片足を捕まえられた。吸い込まれるまでなんて一瞬だ。
「僕はのこと昔から大好きだよ。何年もずっと好きだよ」
 ずる、と足元が崩れ、二度と抜け出すことのできない引力に囚われる。
 恭弥の声がまるで幻想のようだ。ピアノとヴァイオリンの音色と一緒にいつまでもふわふわと耳元を漂っている。
 そうか、とこぼして俺もスープを空にした。タイミングを見計らったウェイターが空の器を下げていく。
 それなら、俺ももう誤魔化すことはやめよう。恭弥を好きになってはいけないと何人もの女の子で誤魔化していた自分の欲望を認めよう。

 俺は、恭弥を抱きたい。