、という生涯のライバルがいた。僕と渡り合うだけの運動能力と頭の良さを兼ね備えたよきライバルは、けれど、出来のいい弟を疎んでいたという兄の差金によって身体を壊され、もう以前のように僕と同じスタートラインに立つことはできなくなった。
 彼にそう言われたとき、おしまいだ、と思った。何もかもおしまいだと思ってしまった。
 果てはないと思っていた。競い合う二人には言葉なんていらなくて、同じスタートラインに立って、相手の横顔が視界の中にあれば、それだけで、走り続けることができた。
 一度も口にしたことはなかったけれど、お互いに認め合っていた。
 嫉妬したり、敵視したり、背を向けたり、ときには睨み合ったりして、ライバルという程よい刺激のある毎日を走り抜けた日々。振り返れば輝かしいその全てにヒビが入って、砕けたガラスのように粉々になり、脆く呆気なく地面へと散らばる。
 それを必死に拾い集めようとする自分が我ながら滑稽だった。
 過去という思い出を映すガラス片で手を切る。痛みが走る。それでも手離せない。拾い集めた欠片で腕がいっぱいになって、全身が傷ついても、構わない。
 今になって思い知った。僕が退屈な学校へそれでも通った理由。他人と比べればできる勉強と運動能力をそれでも磨いたのは、という存在がいたからだった、と。
 彼がいなくなってしまえば。僕はこんなに惨めに、過去の残像を抱き締めて座り込んでいるだけの、どうしようもない奴なんだ。

「雲雀」
「、」

 ぱちっと目を開けると、の顔が至近距離にあって息が止まった。「さすがに風邪引くよ」と言った彼が僕にブランケットを被せる。
 …今のは、夢か。こっちが、現実か。
 のそりと起き上がって、茶色のブランケットを抱き締めると、ほんのりとのにおいがした。少しだけ薬品くさいところもそうだ。ブランケットから視線を上げて彷徨わせて、寒空ばかりが広がる屋上の景色に、自分が授業を抜け出したという現実を思い出した。「、授業は」「今日はぐあいが悪いので早退しますって届け出してきた。受理されてる」さらっとそんなことを言ったに「そう」とこぼして、一人分空いてる僕と彼との隙間を何となく見つめる。
 手を伸ばせばその手を取ることもできるし、埋めようと思えば、少し身体をずらせば埋まる距離。
 もう秋も終わりに近づいてきた。空っ風が吹き抜けるとブレザーを着ていても寒さを感じる。天気もはっきりしない日が多い。もうすぐ冬になるだろう。
 が授業に復帰してしばらく経つ。彼も勉強のペースを取り戻した。体育も参加するようになって、人並みのことができるようにと通院のリハビリをこなしながら頑張っている。完全に元通りとはいかないだろうと思うけど、テストの点ではまた並ぶだろうこともできるだろう。
「……
「うん?」
 こっちを見て首を捻る彼にはっきり物を言えない。なんていうか、その目をまっすぐ見られない。…気恥ずかしくて。
 成績はもう並べないかもしれない。それでも、心は隣に並ばせてほしい。僕と一緒にいたい。そう宣言した彼とそれを受け入れた僕のことは学校中の噂として広まり、もう公認にすらなりつつある。授業をたまに抜け出しても成績のいい僕らに教師が強い口を利くこともなく、流れている噂は噂として処理しているようだ。それに関して生徒指導室に呼び出されたりしたことはない。
「もう帰るの」
「…どっちでもいいよ。雲雀はどっちがいい?」
 そんなずるいことを言って不敵に笑う彼にむっと眉根が寄った。からかわれているのは明白だ。「帰ればいいじゃないか。ぐあい悪いんだろ」つーんとそっぽを向いたわりにはしっかりブランケットを握ったまま離さない自分が何をしたいのか分からない。
 ふっと笑顔を緩めた彼が「雲雀」と手を伸ばして僕の襟元に触れた。上まで留めていなかったせいで彼の指が僕の鎖骨を掠る。「風邪引くよ」とボタンを閉められて、それだけの動作に、カーと顔が熱くなってくる。

 頬を滑る指。
 添えられる掌。
 逸らせない目と目。
 重なる唇。
 こぼれる吐息。

 僕がと初めてキスしたのは、彼が学校に復帰して二週間目のことだったっけ。
 ぐあいが悪いと訴えたが保健室で寝ていると聞きつけた僕が、彼の様子を見に授業を抜け出して保健室へ行って。そこで寝ている彼を見つけて。保健医がいなかったことも手伝って、二人きりの空間で、無駄に寝顔を気にしたり落ち着きなく歩き回ったりしていたら、彼が目を覚まして。寝てたのを起こしてしまったのかと思ったら、最初から起きてたとかしれっと言ったが笑うから、顔が熱くなって仕方がなくて。
 雲雀、と呼ばれて入院生活で頼りなくなった細い腕が伸びると、拒めなかった。一度はぼっきりと折られてしまった腕を取って労るように撫でる。
 もうに酷いことなんて起こらないでほしい。彼は十分苦しんだのだから。
 雲雀と手を引かれる。もっと近くに寄れと言われているようで、煩わしいくらいに鼓動する心臓を思いながら枕元に顔を寄せる。
 何、と首を傾げたときにはキスされていた。
 今もそうだ。気付いたらキスされている。はキスするまでの動作に躊躇いがない。まるで自然なことのようにそうする。だから、考える暇もなくて、僕はと唇を重ねている。そのことに瞬きしてから気がつき、顔はあっという間に熱を帯びる。
 サウナにでも放り込まれたように全身が火照ってきて、逃げるように腰が引けると、これも迷う素振りなく抱き寄せられる。
 そうされると、もう、どうしたらいいのか分からなくなる。頭の中が真っ白になって何も考えられなくなる。
 男同士だ。分かってる。分かっていたけど、別に、嫌でもなかった。
 いつもそうだ。がいたから頑張れたことがあった。気怠くともこなしていた日々があった。今もそうだ。がそうするから胸が苦しくなっている。きつく抱き締められるから、何も言えなくなっている。
 何も言えなくて、何も考えられなくて、どことなく病院のにおいのするのブレザーに、目を閉じる。
 …僕の隣にいたいと言った君が、好きだった。
 ふあ、とあくびを漏らして滲んだ涙を指で払った。あちーと襟元を開けていた制服のまま外に出て慌ててボタンを留める。さむっ。病院あつっ。
 本日リハビリ卒業。これで明日からフルで授業に参加できるし、体育もできるところまでやっていいと許可が出たから、限界に挑めるな。痛くなるのは嫌だからほどほどにはするけど。
 さーて、と伸びをしてぶらぶら帰り道を歩き、今から寄れば六限目受けれるかなぁとか考えつつ並中に顔を出すと、中庭でフケッている雲雀を発見した。寒空の下ぼんやりした顔をしている。物憂げ、って感じ。
 気怠く授業をサボってる姿でも様になる、相変わらずの美男子だ。
 …全てに余裕があるみたいなその仕種を、動作を、表情を、壊してやりたい。ふとそういう衝動が湧いた。ざり、と土を踏み締めて歩いて行くと、気怠そうにこっちに視線をやった雲雀が間抜けな顔をした。「、病院は」「行ってきたよ。リハビリ卒業。六限目間に合うかなって病院帰りに寄ってみたんだ」は、と呆れた顔で笑った雲雀のいるベンチに腰かける。「勉強好きだね」とか言うからまさかと肩を竦める。それくらいしかやることがないからやってるだけで、好きでも嫌いでもないよ、勉強なんて。
「お前な、授業出ろよ。あんまりサボってるとなんか言われるぞ」
「……だって」
 もそもそとはっきり言わない雲雀にニヤリと笑って「なんだよ、俺のことでも考えてた?」とカマをかけるとガーと分かりやすく顔が赤くなった。普段の雲雀からしたら考えられないくらいおどおどと視線を彷徨わせて「だ、だって、今日でリハビリ終わるって話だったから…」おどおどした視線が地面に落ちて、窺うようにちらりとこっちを見つめる、そんな姿に一人満足する。
 テストにも女子にも興味ないって顔をしておきながら、俺相手になるとこんなふうにおどおどして、意識してさ。そうやって乱れてくれると、もっと乱したいって、そう思うんだよな。
 ポケットから抜いた手で雲雀の手を捕まえる。立ち上がってその手を引っぱって立たせる。「?」と困惑顔の雲雀の手を引っぱって下駄箱から校舎に入り、一番人のこない特別教室と倉庫教室ばかりの廊下を歩いて一番奥の階段の方へと向かう。
 寒いことも手伝って誰もいない階段を上がり、立ち止まる。雲雀もつられて足を止めた。くるりと振り返って雲雀の細い肩を掴んで壁に押しつけてキスを仕掛ける。
 俺を映して細くなる瞳とか、上気した頬とか、肩を掴んだ手にかかる細い指とか、膝を押しつけて軽く刺激したら震える身体とか。全部、俺だけが知っている。余裕でテストの満点を取る横顔じゃなく、何でもそつなくこなして女子から喝采を浴びる姿でもなく、この身一つで震えて乱れて喘ぐ雲雀を、俺だけが知っている。
 その優越感にハマってしまった。
「ん…っ」
 足を閉じようとする雲雀に膝を割り入れて身体をくっつけた。薄く開いている唇に舌を捩じ込んでやわらかくてぬるい温度を絡め取る。ふ、と息をこぼした雲雀の股間に自分のを押しつけて擦りつける。
 たとえ制服の上からだろうと、敏感に感じて睫毛を震わせ息を乱す姿は、どっちかっていうと女子に近い。
 そこでするりと離れて階段を下りると、雲雀が俺の手を掴んで止めた。こんな中途半端なところでやめるのか。そう言いたそうな恨めしそうな瞳に睨まれて満足する。そして、もっと乱したい、と渇望する。
「あそこ行こう」
 すっと指さしたのは、鍵が壊れてていつも開けっ放しなことで生徒間で密かに知られている空き教室だ。
 俺の意図を理解した雲雀が途端に睨むのをやめて、ぱた、とスリッパで階段を下りる。
 外から鍵をかけることはできないけど、中から鍵をかけることはできる。そんな穴場の教室に雲雀を押し込んで扉に鍵をかけ、埃っぽい教室内でバッグを床に落とす。
 落ち着きなく視線を彷徨わせている雲雀のブレザーに手をかけた。ぷち、とボタンを外して前を開ける。
「シていい?」
 ぷち、ぷち、と制服のボタンを外しながらそう言うと、雲雀がふいと顔を逸らした。やがて細い声で「好きに、すれば」と言う、男にしては白い色の肌に唇を寄せて舐め上げる。ぴくんと反応する身体の上と下にそれぞれ手を伸ばして、片手は薄い胸を撫で回し、もう片手でズボンのベルトを外してチャックを下げる。
 普段澄ました顔をして、何でもできる、一人でやっていけるって顔をして立っているお前が、俺がいないと全然駄目になって、俺を呼んで泣くとことかが、すごく、好きだ。
「雲雀、こっち見て」
 固く目を瞑っている雲雀の耳を食む。ふるふると小さく頭を振って嫌だと訴えるから、俺の刺激で緩く反応している雲雀の半身から手を離して放置した。両手で胸の突起をつまんで弄ぶ。キスは唇じゃなくて頬とか額とか鼻の頭とか首筋とか。そうして焦らしてやると、耐え切れなくなった雲雀が薄目を開けて俺を見る。「」と溜め息と一緒に俺のことを呼んで、触って、と訴えてくる。
 飴と鞭の使い分け。俺に翻弄される雲雀を見ているのが好きだった。
 もっと乱したい。もっと喘がせたい。もっと俺だけで埋めてやりたい。
 これは愛情なのかな。それとももっと違う何かかな。まぁ、どっちでもいいし、何でもいいよ。雲雀にこういうことしたいって心から思ってるのは本当だからさ。
 雲雀の足の付け根に顔を埋めて、すっかり興奮して硬くなってるのを口に含んだ。「あ、」吐息と一緒に声をこぼして腿を震わせる雲雀がエロいと思う。
…っ、
 、と俺を呼ぶ声が掠れる。くしゃくしゃと髪をかき回されるのはいつものことだ。引き離すわけでもなく受け止めるわけでもない中途半端な手。
って呼んでよ。恭弥」
「、」
 ふ、と息をこぼして唇を噛んだ恭弥の瞳から涙がこぼれた。濡れた目が俺を見つめながら「」とこぼして喘ぐ。ひたすらエロい。そんなふうに乱れて快感で喘いで泣く恭弥が好きだ。
 舌で弾いたりなぞったりしてるうちに恭弥は呆気なく弾けて座り込んだ。はぁ、と肩で息をしている姿に床に放ったバッグを引き寄せて中からローションを取り出す。
「もっと喘いでよ」
 ローションで濡らした指で恭弥の中を犯す。「ぅ、や…ッ、だって、がっこ」息を乱しながら腰をヒクつかせる恭弥のイイところを指で攻め立てる。細い身体がたまらないとばかりによじれて「あッ、アぁ、やッ、やだぁ」と涙をこぼしながら、喘ぐ合間合間にと俺のことを呼ぶ。煽ってるとしか思えない。挿れてとばかりに指に吸いつく恭弥の内側も、誘うように揺れる細い腰も、全部、俺のものだ。
「あッ…ん! あ、アぅ、んン…っ、
 泣いて喘ぎながら、俺が突き上げる度によがって跳ねる腰とか、快感に我慢ができなくて蜜をこぼし続けるとことか、本当エロい。
 中で出すわけにいかなかったので、限界まで二人で昇り詰めてから恭弥の腹に濁った欲望を吐き出した。
 はー、はー、と全身で息をしながらキスをする。安っぽいリップ音で唇を離して「恭弥」と呼ぶと、ゆらゆら彷徨っていた瞳が俺を捉えた。「好きだ」と汗ばんだ額にキスを施す。
 ふ、と息をこぼして笑った恭弥の笑顔がきれいだった。その顔を見れば、答えなんて聞くまでもない。