つ、認めよう

 一番上の兄貴の頭がおかしいってことにはとっくの昔に気付いていた。だからなるべく関わらないようにしていたら、関わらずにいられないことを仕掛けてきた。
 目の前には一人男がいる。金髪と、碧眼っぽい目をした外人だ。一番上の兄貴はこいつの説明を『拾ってきた』の一言で終了させた。オレだって驚いたけど、下二人も十分驚いていた。なんだよ拾ったって、犬猫じゃあるまいし。相変わらず意味が分からねぇよクソ兄貴、と面と向かって言えたらどんなにいいか。
 目の前でトーストを食べているそいつはとかいう名前らしい。というか、名前がないから兄貴がつけたらしい。なんかもうめちゃくちゃだ。意味不明。こんな他人がこれから同じ屋根の下で暮らすなんて話到底理解できないししたくもない。今まで家政婦さんとかその辺の人がしてたことを全部こいつがこなすなんて、そんなの無理に決まってるのに。
「あのさぁ、さすがに限界。ツッコむ。なんだよそれ、なんでこんなのうちに入れないといけないんだ」
 びっと金髪を指差すと、二番目の兄貴が「人を指差したらいけないよ」とオレの行動を窘めてきた。それは無視する。一番上の兄貴は茶をすすってるだけでオレの言葉はスルーした。代わりに二番目の兄貴が口を開いて「彼は記憶がないんだよ」と言う。「帰る場所も分からない。せめて思い出すまでは、面倒を見てあげよう」なんて言う兄貴を睨みつけて拳を握った。
 なんだそれ、その取ってつけたような記憶喪失って。だいたいそういう症状があるなら病院へ行くべきだろ。頭の検査とかしてもらえばいいじゃないか。うちにいる必要は全然ない。
 腹が立って仕方なくて、鞄を掴んで居間を出る。ずかずか歩いていってスニーカーに足を突っ込んで早々に家を出た。
 苛々する。あの家にいると本当に苛々する。
 早く自立したい。頭のおかしい兄貴のいる家なんて出て行きたい。それにはもう少しだけ時間がいる。オレも高校二年になった。バイトして少しずつお金を貯めてる。高校を卒業したら家を出るんだ。どんなボロアパートでもいいから引っ越すんだ。それで一人で生活する。どんな貧乏暮らしでもいい。
 今はあの兄貴に金の世話をしてもらってる状態なのだ。早々に事故で死んだ親がオレ達に残したのは金と財産のみ。それを管理してるのがあの兄貴だ。あんなんでも長男。だから決定権はあいつにある。
 苛々しながら登校する。どんと無駄に重い鞄を机に投げ出すと、「今日はまた一段と苛々していますね」と聞きたくもない声が聞こえて顔が引きつった。「じゃあ失せろよ六道」「朝から達者な口ですねぇ」営業スマイルみたいな笑顔を浮かべて教壇の向こうから言葉を投げてくるクラスメイトを睨みつける。なんで朝からこんなのの相手しないとならないんだ、オレは。
「君にこれを渡してほしいと女子生徒から頼まれまして」
 ひらりと振ってみせたのは手紙だ。オレはそういうものには辟易していた。「いらね」と突き放すと六道が目を丸くする。「おや。ラブレターですよ? 僕の悪戯ではありませんよ? 正真正銘本物なのですが」「だからいらないんだよそういうの」苛々しながら鞄の中身を机に移して突っ込む。
 小学校の高学年辺りからそうだ。そういうものは慣れきっていた。この顔のせいか、変にモテる。寄ってくるのは女子ばかりで、逆に男子には疎遠にされる。オレといると引き立て役にしかならないとかなんとかいって、変えようのない造形で区別される。その点をいえば六道はマシな奴だけど、ウザい。いなきゃいないで静かになるだろうけど、いたらいたで鬱陶しい。
 で、いたらいたで鬱陶しい相手にしっしと手を振って「いいよ捨てろよ。諦めてないならもう一回なんかしてくるだろその子も」「ははぁ。君も高慢ですねぇ」「うるせ」最後に筆箱を机の上に置いて鞄のチャックを乱暴に閉めた。
 夕方になって、学校を終えてからバイトに顔を出す。それから家に帰ると時間はもう九時だ。通学時間と余った時間は勉強につぎ込むことでなんとか授業についていってる。最近少し英語が遅れるようになってきたから、もう少しバイト時間を減らした方がいいかもしれない、と思いながら帰宅すると、とたとた足音が聞こえてきた。あの外人だ。思わず身構えるのは、その口から理解できない言葉が飛び出すんじゃないかとか思うからだろうか。
「おかえり。えっと、なんて呼べばいい?」
「…恭弥でいんじゃない」
「恭弥。分かった。ご飯あるよ」
「あっそう」
 スニーカーを脱いで廊下に上がってすたすた歩く。なぜか斜め後ろを外人がついてくる。部屋に直行しようかと思ってたけど、一応居間に顔を出してみた。他には誰もいなかった。机の上に食器が伏せてある。斜め後ろを歩いていた外人が頼んでないのに食事の準備を始めた。断ってやろうと思っていたけど、ちょっと腹が減ってるのも確かだった。
 仕方がない。今日は特別だ。自分に言い訳しながら椅子に座り込んでどさっと重い鞄を下ろす。今日も疲れた。
「高校生って、こんなに遅くまで勉強するの?」
「オレはそのあとバイト行ってるから」
「バイト。そっかそっか」
 なんだか楽しそうな声に毒気を抜かれる。見た目は思いっきり外人のくせに、日本語ぺらぺらだな。もしかしてハーフとか? まぁ、どうでもいいか。
 机に突っ伏して待っていると、ことんと食器の音がした。いいにおいに顔を上げると、うちでは滅多に食べることのない洋食料理が見えた。ごくりと喉が鳴る。
 なんか、すごく腹が減ってきた。
 置かれたスプーンを掴んで洋風炒飯っぽいものを口に流し入れて、感動した。うまい。なんだこれ。
「おいしい?」
 首を捻った外人の金髪がさらりと額を流れた。青と緑を混ぜた瞳に見つめられてごくんと口の中身を飲み込み、「うまい」と一言。ぱっと笑顔を浮かべた外人は「じゃあよかった。それ俺が作ったんだ」とか言うから、次の一口を頬張っていたオレは思わず咳き込んだ。げほげほ咳き込むオレに慌てて水を持ってきた外人の手からコップを奪い、無理矢理中身を飲み下す。
 ぶは、と息を吐いて胸を叩いた。ああびっくりした。
 改めて外人の方を観察する。小首を傾げる相手は多分オレより年上だ。背も高い。オレより十センチは高いだろう。あまり筋肉のある身体はしてない。どっちかっていうとモヤシだ。
 こんな奴が、こんなうまいものを。じっと炒飯を見てからうまさに負けてまた食べ始めた。ほっとしたような顔をしてる外人は、名前。ああそうだ、、だっけ。
 料理の腕は認めよう。まぁ、仕方ないから。
 どうせ兄貴が決めたんならオレの言い分なんて関係ないんだ。そんなこともうずっと前から分かってることだ。
 炒飯の他にはサラダとスープがあった。完璧な洋食だ。うちでは食べることがなかったメニューだ。これを全部一人でやったんだろうかこいつ。五人分、本人入れると六人分か。よく作ったな。
 ちょっと感心しつつ夕飯を食べ終えた。ぱちんと手を合わせて「ごちそうさま。うまかった」「ん」満足そうに笑った相手から顔を逸らして鞄を掴んで席を立つ。「風呂って誰か入ってる?」「空いてると思う」「そ」ひらひら手を振って「んじゃオレが入る」と残して居間を出る。階段を上がる背中に食器を片付ける音が響いて聞こえた。どうやらあいつ、本当に使用人と家政婦の仕事をする気らしい。
 朝ほどは苛々しない。全然使えなさそうに見えたけど、料理は上手いようだし。家事もする気があるみたいだし。
 部屋から着替えのジャージとかを持って階下に戻ると、台所で食器のぶつかる音が聞こえた。
 脱衣所に入って鍵をかける。歯ブラシとかを風呂場に持ち込む用意をしながら制服のボタンを外した。
 今日の昼もコンビニのおにぎり三つですませたけど。弁当作ってくれって言ったら、あいつ作ってくれるんだろうか。そんなことを思いながら歯磨きしつつ入浴して、何事も合理的にこなしながら風呂を出て居間を覗くと、あいつはまだいた。椅子に腰かけてぼんやりしている。何かあるのかと思ったけどその視線の先には何があるわけでもなかった。
「なぁ」
「、恭弥」
 声をかけると驚いた顔をされた。そんなにぼっとしてたのか今の。半分呆れながら「あんた弁当作れる?」「弁当。恭弥の?」「そ。高校だからさ、給食とかないんだよ。今までコンビニのおにぎりですませてたんだけど…さっきのあんたの飯うまかったから、さ。その」言っててなんとなく照れてきた。いやなんでだ。別にそんな変なこと言ってないぞ。だってこいつは家政婦兼使用人としてここにいるんだろ。だから別に変なことは言ってないぞオレは。
 一人自分の気持ちと格闘していると、あいつはへらっと笑った。「いいよ。明日からもういる?」「できれば」「分かった。何時までに用意すればいいかな」「あー、七時半までには」「ん」にこにこしている相手に「じゃあそういうことで頼んだ」と告げて逃げるように居間を出ると、廊下を歩いてきた二番目の兄貴とすれ違った。特に言葉もない。兄貴はどうやらあいつのいる居間へ向かったらしい。「」「恭」「少しいいかい」と言葉を交わすのを聞きながら階段を上がって部屋に戻る。和風の部屋を拒否したオレは廊下の一番端の洋室が自室だ。イマドキ鍵もかけられない襖の部屋なんてごめんだっていうのが主な理由。
 バタン、と扉を閉めて背中を預ける。
 明日からは弁当があるんだな、とぼんやり思ってぶんぶん首を振った。
 いや、弁当くらいでなんだ。あいつが料理しかできない役立たずならオレがびしっとそう言ってやる。
 いや、あんだけうまいものが毎日食えるなら、まぁここに置いてやってもいいけど、さ。
(あー勉強! しよう)
 ぶんぶん首を振って勉強机の灯りをつける。鞄から宿題を取り出して教科書を広げた。やるべきことは、山のようにある。