午前三時十分。ようやく最後のカップルが出て行って店内からお客さんがいなくなり、バーは閉店することができた。
 はー、と息を吐いてぐでっとカウンターに突っ伏す。店長が少し疲れたって顔で「さあ、もう帰りなさい」と言う。はい? と首を捻って「いや、でも片付けとかが」「誰か待たせているんじゃないのかい」「うっ」ズバリだった。店長に頼んで電話する時間をくれと言ったんだから、相手がいると言ってるようなものだ。
 恭弥、クリスマスなんてカップルにとって重大なイベントにそばにいなかった俺のこと、怒ってるかなぁ。少なくとも機嫌は悪いだろうな。
 ばっと頭を下げて「すんません、お言葉に甘えます。ダッシュで帰るんで。お疲れさまでした!」ばっと更衣室に入ってばばっと着替えて店を飛び出す。駅前のコンビニに寄ってなんかお詫びの品になるようなものはないかと物色し、コンビニもので売れ残って値引きされてるホールケーキと未成年も飲めるシャンパン、という名の微炭酸ジュースを買って早足で家へと向かう。
 ホワイトクリームと苺で飾りつけされてるショートケーキに、シャンパンと銘打ってあるジュース。こんなもんでも何もないよりはきっといいはず。
 寒い中を早足で家へと辿り着き、ホームセンターで買ったソーラーパワーの照明があちこちで光ってるのを眺めつつ施錠を外し、カラカラと静かに引き戸を開け、帰宅。
 当然家は真っ暗…かと思ったら、閉めきってある居間の襖戸から細い光の筋が漏れているのが見えた。
 まさか、と早足で廊下を突っ切ってからりと襖戸を開けると、丸まっているブランケットが見えた。テレビがつけっぱなしだ。いやそれ以前に、とガス臭い空気にストーブを切りに行く。ピッと切ってそろりとブランケットの方を振り返ると、すー、と寝息が聞こえてきた。
 この部屋の状態を見るなら、俺が帰るまで起きてようって頑張ってたんだろうけど。さすがに午前三時半は恭弥に厳しかったみたいだ。
 ケーキの箱とシャンパンを置いて、そっとブランケットに手を伸ばしてめくってみると、化粧をした顔が見えた。一瞬女の子が寝てるとか思った俺しっかり。
 ん? と首を捻ってそろそろとブランケットをめくっていけば、トナカイの着ぐるみパジャマみたいなのを着た恭弥がいるではないか。え、何その格好かわいいな、と思ってブランケットをはだけさせてしげしげ観察していると、ぶるりと震えた恭弥がくしゅっとくしゃみをして目を開けた。あ、しまった起こしちゃった。
「…?」
「ん。ただいま」
 寝ぼけ眼をこすっていた恭弥がはっとした顔で起き上がる。じろりと俺を睨んだあとでなんでか視線が彷徨い、最後には俯いてしまった。そのわりに恭弥が纏う空気は拗ねている。今の行程の中でお前の中にどういう式が成り立ったのか謎である。
 とりあえず、パチンと手を合わせてケーキの箱とシャンパンを恭弥の前に置いて謝った。「クリスマス一緒できなくてすんませんでした」と謝ると、無言で通された。うむ、それなりに怒ってるようだ。まぁ女の子との修羅場をくぐり抜けてきた経験のある俺にはかわいい抵抗だけど。
「ケーキとシャンパン買ってきたから…食べない?」
「……こんな時間に食べたら眠れなくなる」
「一日くらい徹夜大丈夫だろ。俺も起きてるから」
 そう言うと、恭弥の拗ねた空気が若干マシになった。「仕事で疲れてるくせに」とか言いつつケーキの箱を開ける手に一息吐いて顔を上げる。「コンビニもんだけど我慢してね」声をかけつつ包丁を取りにキッチンへ行き、フォークやらコップやらを用意して戻る。恭弥が俺の手から包丁を受け取ってさっそく入刀した。コンビニケーキだけに、スポンジはクリームと果物を挟んで二段だけで、とってもコンビニらしい。せめてクリームがたっぷりめなのが救いか。
 フォークを取り上げて切り分け、恭弥の口元に運ぶ。ご機嫌取りの経験者としてはこれくらい朝飯前である。
「あーんして」
 一瞬視線を彷徨わせた恭弥が大人しく口を開けた。俺より小さい口にケーキが吸い込まれ、もぐもぐと咀嚼されて飲み下され、恭弥の胃へと消えていく。
「…ふつーの味」
「そりゃあコンビニだもん。我慢して。今度はちゃんとケーキ屋さんで買うから」
 むぅ、と眉根を寄せた恭弥にあーんさせてケーキを食べさせるうちに、白いクリームが口元を汚していた。ケーキを切る手を止めて畳に腕を突いて顔を寄せ、ぺろり、とクリームを舐め取る。甘さは控えめだ。男でも苦いコーヒーとならいけそうな感じ。
 舌で唇周りを拭っていると、恭弥の舌が俺をつついてきた。キスがしたいと。熱っぽく潤んでいる黒い瞳に見つめられて小さく笑う。さっきまで機嫌が悪かったくせに現金だな。そういうところかわいいと思うけど。
 いじわるで、ぺろりと唇を舐めただけで顔を離す。「その格好かわいい」と言うと恭弥はちょっと嬉しそうにしつつ、キスをしなかった俺を不満そうに睨めつけた。
 スポンジケーキにフォークを刺して自分でも食べてみる。うーん…ホールを買ってきたけどちゃんと片付くか不安です。
 はいあーん、と恭弥にケーキを食べさせ続け、二切れでギブアップされた。そこから俺が一切食べても半分残ったので、あとは明日起きてからどうにかしたい。
 けぷ、と息を吐いた恭弥がトナカイの腹をさすった。眠そうにまどろんでいる姿と合わせてプライスレス。かわいいなぁ。
 そこではっと思い出した。トナカイ、で思い出したのだ。仕事で忙殺されていた頭がようやく通常稼働してきたようだ。そうそう、クリスマスのために買っておいたものがあるんだった。
「きょーやちょっと待ってて」
 だいぶ機嫌の回復した恭弥を残して一度部屋に引き上げ、ラッピングされた袋と箱一つを持って戻る。それなりにでかい箱を上手に背中に隠しつつ、袋は分かりやすく手に持って戻ると、恭弥がちょっと顔を輝かせた。
 クリスマスで子供が思い浮かべるものといえば、クリスマスプレゼントに他ならないだろう。いくら大人びてる恭弥だって期待はしてたはずだ。
「開けてどーぞ」
 背中に一つを隠したまま畳の上に胡座をかいて、後手の箱を恭弥から見えない位置にそっと置く。
 期待した顔でラッピングの包みを解いた恭弥が中身を見て眉を顰めた。じろりと俺を睨んで「何これ」と言う声は険しい。「ミニスカサンタ」と見て分かるだろう赤いコスチュームの四点セットを説明をすると、恭弥が呆れた顔で女の子が着るミニスカサンタのスカートとセクシー全開のトップスを取り上げた。「それ着てシよう」と言うとかっと頬を赤くして「うるさい誰が」と言い捨ててべしっとサンタコスを畳に叩きつける。そんなこと言いつつもどうせ着てシてくれるんだろうけど。
 さすがにクリスマスプレゼントがサンタコスっていうのは落胆していたようなので、さっさと本命の箱を差し出す。じゃじゃーん、という感じで。
「そっちは前座です。こっちが本命です」
「…それは何?」
「開けてみてのお楽しみー。一生懸命選んだからきっと気に入るよ」
 笑った俺に、気を取り直した恭弥がラッピングを外し始めた。クリスマス特別仕様の箱をぱかりと開ける。
 収まっているのは、シワ加工されたレザーのバッグだ。ウエストバッグ、ショルダーバッグ、ボディバッグと三つの顔を楽しめる、まぁそれなりにお値段のしたもの。恭弥はまだお出かけ用のバッグってのを持ってない感じだったので選んでみました。ちゃんとショルダー用のベルトも買って足したので、まぁ、それなりにしたかな。色はブラウン。その落ち着いたブラウンなら女の子の格好でも似合うだろうと思って。
(ああ、革のにおいがするなぁ。そうだ、恭弥に革製品の手入れの仕方とかも教えないといけないかな。俺の部屋に手入れ道具はあるから…)
 そんなことを考えていると、恭弥がそろそろとバッグを取り出して、試しにとばかりにトナカイの腹にベルトを巻いてつけてみた。バッグを前に回してポケットや中がどうなっているかを確認し始める。
 全世界のトナカイに言いたい。ここにいるトナカイが世界一かわいい。
「それならさ、女の子の格好でも似合うだろうと思って」
 俺がそう言うとぴたりと恭弥の手が止まった。大事そうにバッグを外して、「僕にくれるの?」と上目遣いでこっちを見上げてくる。うわあこのトナカイ食べたいという気持ちに駆られつつ「あげるよ」と言うと、恭弥の顔がぱあっと輝いた。うお、眩しい。
「僕もあげるものがある」
「え? まじで?」
「だから、ちょっと出てて」
 ん? と首を捻る。出てて、の意味がよく分からなかったのだ。「外、出てて。着替えでもすませてきて。僕がいいって言うまで入ってこないでよ」と手を引っぱられ、居間の外へと放り出された。さむっ、と腕をさすってピシャっと閉じられた襖戸を振り返る。なんか準備? があるんだろうか。まぁいいや、恭弥の言うとおり着替えとかすませてくるかな。