腹が減ってるんだけどと言ったら行きがかりにあったモスバーガーに連れ込まれた。モスチキンと一番高いセットを選んでも何も言わないことに拍子抜けする。ホテルのレストランのことといい、雲雀はもう少し金銭に頓着を持った方がいい気がする。
 番号札を持って一番奥の席に行った。そこが外から一番遠いからだ。間違って誰かと遭遇して顔が割れる確率を避ける。
の好きなものは何?」
 席に着いた途端雲雀がそう質問してきた。また唐突だなぁ、と俺は首を捻る。「食べ物の話?」「なんでもいい。食べ物でも、ファッションでも、スポーツでも、なんでも」広範囲の好きなものについて言えと言っている雲雀に若干視線が泳いだ。店内に客はまばらだ。ノーパソに向かってる大学生っぽい人とカップルと親子が一組だけ。じゃあ、別にいいか。
「えーっと…食べ物なら手軽だからファーストフード。この間食べた子羊もおいしかったけど。服はー、まぁ使い分けるから…わりとなんでも似合うって言われるし、こだわりないかな。ああ、大人しすぎると存在感薄くなるからわりと派手めが好きかも。色とか。スポーツはー、どうかな。あんまり意識したことないけど、体育とかまぁまぁいい方」
「好きなタイプとかは」
 すぐに切り返された。雲雀は今にもメモまでしそうな真剣な表情だ。茶化して終われそうにない。
 タイプねぇ、と視線をふわふわさせる。相手選り好みしてられるほど立場とかないし、人気とかもな。真ん中っていうか。そりゃあまりにおばさんとかおっさんとかは考えちゃうけど、値を釣り上げてもそれだけ払うって言うんならもうそれでよかったっていうか。うん。
 今日の相手も三十代のいいとこの人だった。あなたの倍出すという人が現れたので、申し訳ありませんが本日のお約束はそちらを優先させていただきます。そんなメールを掲示板記入のアドレスに出して、返信はない。予定時間より二時間も前に連絡したんだからいいだろう。そういう気分でもなくなっちゃったし。だって、雲雀が、冷たくしないでとか言って縋るからさ。こんな俺に。
 ふあ、と欠伸をこぼして目をこする。
 それに、二日続けては、いくら盛りの男子高校生でもキツいものがある。今日は流した方がよかったんだ。そう思うことにする。
 欠伸で滲んだ視界で、雲雀の顔をじっと見つめる。きれいな顔だ、相変わらず。メニューを見るのにしていたださい眼鏡を外したところだから、素顔のきれいさが余計際立って見えるというか。
「雲雀のきれーな顔は好き。しゃぶるとおいしそう」
 冗談半分で笑って言ったのに、雲雀は三秒で顔を真っ赤にして俯いた。長い前髪を無意味に指でいじっている。そんなに本気に取られるとは思ってなかったので俺も若干慌てた。「冗談だよ冗談」と言ったらなんでか睨まれた。なんでだ。
 うーん、と髪をばさばささせる。ワックスで立ちすぎて違和感ばりばり。
 …なんかこの生ぬるい感じの空気、苦手かも。
「好きな色とかは」
「色ぉ? 別にないなぁ。蛍光色は目に痛いとかそれくらい」
 どうやらまだまだ質問が続くらしい。
 俺は嘆息しながらそれに応じた。今回も奢らせてしまったわけだし、雲雀に付き合う義務はあるだろう。
「じゃあ、季節は何が好き?」
「んー…夏」
「なんで」
「上とか一枚ですむから楽だし。部屋なんか半パンだけでもすむじゃん」
 しれっと言ったら雲雀の視線が泳いだ。わざとらしく顔を背ける姿にこっそり苦笑い。そんな分かりやすく頬染めてたら何考えてるかなんて丸分かりだ。
 そりゃあまぁ、部屋なんかじゃ半裸でいるけど。どうせ汗かいて何度もシャワー浴びるし、誰の目にも触れないところなら半パン穿いてればいいだろ、なんてね。
 そこで店員さんが番号札と引き換えに注文したセットやチキンを持ってきた。うまそうと手を合わせてさっそくいただく。熱いポテトを指でつまんで口に放り込みつつ「っていうか、何この質問攻めは。俺の好きなもの知ってどーするの?」と訊ねると、また雲雀の視線が泳いだ。「どうするって…どうもしないけど。ただ、知りたかっただけ」「ふーん?」にやりと笑う。雲雀はそっぽを向いてポテトをつまんだ。相変わらず純粋培養らしい初さだ。
 あちち、と口でふーふーしつつポテトをつまみ、オニオンリングをかじって、いつものハンバーグにたっぷりチーズと厚切りベーコンという肉々してるハンバーガーにかぶりつく。なかなかいける。値段はモスの方が上がるけど、やっぱりこっちの方がうまいなぁ。
 黙々と食べている俺を雲雀が見ている。なんか、背中がこそばゆくなるくらいあたたかい目をしているのが逆に辛い。俺はきれいなお前に想ってもらえるような奴じゃないのに、と叫びたいくらい。
の嫌いなものは」
 そしてまだ質問は続くらしい。さっきは好きなもので、今度は嫌いなものときた。
 ずぞ、とコーラをすすってまたハンバーガーにかぶりつく。「寒いのはあんまり、かな。それで腹減るとすごいひもじいから」もくもく肉々してるハンバーガーを咀嚼していると、雲雀の日焼けしてない手が伸びて俺の口元をつついた。すくっていくように離れた指にはハンバーグの欠片がある。
 ぱく、と自分の指を食べた雲雀に一つ瞬きする。

 …さっきから分かってはいるんだけど。でも、俺はそれを認めちゃいけない気がするんだ。
 雲雀と俺じゃ生きてる世界が違いすぎる。

「あとは?」
「あと、ね。あー、勉強。実に学生らしい答え」
 うむ、と頷いた俺に雲雀の表情が曇ったのが見えて、あ、そういえば雲雀って先生じゃんと遅れて気がつく。ポテトをつまみつつ付け足して「雲雀の授業はわりと好きだよ。眠たくなってくるいい声で。自然と喘いでたときのことを思い出すけど」「うるさいっ」茶化したら怒られた。肩を竦めて「はいはいごめんなさい」と投げやりに謝って、オニポテの袋を空にした。
「……食べ物とか、あるんじゃないの」
 ぼそぼそとそんなことを言う雲雀に首を捻って考えてみる。食べられるものならなんでも食べる派だったしなぁ、と学校の給食なんかを思い出した。よほどまずいものか舌に合わないもの、または見た目がグロテスクで食べ物じゃないだろってもの以外は大丈夫だったかな。
「わりとなんでも食べるよ。さすがにイナゴの佃煮は無理だったけど。あとカエル料理とか」
「それは…普段食べるものじゃないだろう」
「仰るとおり」
 肩を竦めて返してハンバーガーを平らげた。うまかった。
 ホットコーヒーをすする雲雀とチキンにかぶりつく俺。親子連れが帰り、店内の客はさらに減る。それくらいがちょうどいい。
「僕は」
「ん?」
 うまい、とチキンの甘辛い味付けに夢中になっていた意識を雲雀に戻す。雲雀はテーブルの上で指を組んで、視線もテーブルに固定で、顔はどこか俯きがちだった。それでぼそぼそっとした声で「今まで生きてきて、初めて、他人に感心を持ったんだ。知りたい、近づきたい、って。きっかけは褒められたことじゃなかったかもしれないけど…それでも、僕はのことが知りたい」言い切られて、むぐ、とチキンをかじる口が止まった。

 なぁ、雲雀、お前自分が何言ってるのか気付いてるのか。純粋すぎるその想いが何からきてるか、どこからきてるか、知ってるのか。その純粋さを向けるには俺は汚れすぎてるって気がついてるのか。きれいなお前と手を繋いだら、黒く汚れた俺の手なんか握ったら、お前まであっという間に汚れて堕ちるよ。せっかくきれいなんだ。俺みたいなのと関わっちゃいけない。そうやって突き放してたのに、なんでかなぁ。なんで俺のこと諦めないでアタックしてきちゃうかな。冷たくしないでとか言われたら俺だって気にするじゃないか。
 お前に俺はふさわしくない。自分でよく分かってるんだ。

 雲雀の言葉にあえてツッコまず、へらっと笑って「それは至極光栄」と茶化して流す。雲雀はむぅと眉間に皺を寄せて納得した顔をしてなかったけど、「で、俺ばっかり質問されてるけど、雲雀の好きなものは?」と話題を転換させることでそちらに意識を取られたらしい。え、と目を丸くして考え込む姿に、チキンをかじるのを再開する。
 ああ、辛いな。こんなところでも汚れた自分を思い知らされるのは辛いな。思い込みかもしれないけど。
(…雲雀が、俺とどうにかなりたいと願ってたとして。俺は……)
 いつかにも考えたことをぼんやりと考える。
 自分のことで手一杯な俺は、誰かと付き合うとか、恋人作るとか、そんな余裕のあることはできないよ。誰かのことを好きになるとか嫌いになるとか、そんな余裕さえないんだよ。
 男として出すもんは出さなきゃならないし、性欲発散させられて、ついでに生活費が入れば、それが一番ラクだと思ったんだ。
(俺は…駄目だろ。雲雀には、似合わない。似合わないよ)
 軟骨もきれいに平らげた骨をトレーの上に置く。
 どれだけ考えても答えは同じだ。
 雲雀が俺とどうにかなりたいと願ったとしても、俺は、雲雀とどうにかなることはできないんだよ。
「なんでホテル」
「今夜、僕にくれるんだろ」
「あげるとは言ったけど…知ってる? 明日もがっこーだよ」
「それくらい分かってる」
 苛立たしげにハンドルを叩いた雲雀に腕組みして考えた。
 俺の答えは変わらない。もう、雲雀を抱けない。これ以上俺が汚しちゃいけない。壁を越える手伝いはしたんだ。あとは雲雀が、自由に恋して、誰かを好きになって、お見合いなんかクソ食らえって蹴飛ばせばそれでいい。
 車から出ようとする雲雀の腕を掴んで止めた。眉根を寄せて振り返る顔から眼鏡を取り上げて身を乗り出してキスをすると、外に出ようとしていた身体は呆気なくシートに腰かけることを選ぶ。
 雲雀の長い睫毛に祈るように告げる。
 これ以上俺に溺れちゃ駄目だ。俺は汚い奴だから、金のために身体売るような奴だから、雲雀のそばにはいられないんだよ。
 お前だって、薄々そうだって気付いてるくせに。
 それでも現実を見たくないとホテルに連れ込むのなら、俺がお前に現実を見せてやる。
「今日は俺んち行こ」
「…でも、」
「誰もいないから大丈夫」
 ね、と笑いかけると雲雀は呆気なく堕ちた。バン、とドアを閉めてエンジンをかける。取り上げた眼鏡はもとの位置に戻した。「住所は」「ああ、入れる」タッチ式の最新ナビに自分ちの住所を入力すると、ナビがうちに辿り着くまでのルートを示して音声で案内する態勢に入る。
 雲雀はいいところのお坊ちゃんなんだろ。話を聞いた感じだと大した苦労もしてきてない。自分と環境が違いすぎる人間に触れたこともないだろう。生徒と先生なんて役柄は学校の中でしか通じない。俺はお前に現実を見せて、それで、おしまいにしよう。
 短く吐息して目を閉じ、夜の色が流れていく風景を思う。
 因果応報。
 …雲雀みたいな純粋できれいな子と付き合えて、笑って生きられたら、どんなに幸せだろうと思わないでもない。
 そう、これは、俺の今までの生き方の清算。普通にバイトをするんじゃなく援交で手軽に稼ぐという道を選んだ俺への当たり前の罪。
「ここ…?」
 ナビが目的地への到着を告げ、雲雀が訝しげにそう呟いた声に瞼を押し上げた。
 見えるのは変わらない我が家の全体像だ。安い警察ドラマで出てきそうな犯人が潜んでいる二階建ての木造アパート。つまりボロ屋。そこの一階の角部屋が俺の家だ。まぁ、こんなボロ屋でも角部屋なだけまだマシ。
「路駐でも大丈夫。誰も気にしないから」
 ガチャ、とドアを開けて先に外に出る。途端に冬の寒さに身が竦んだ。
 寒いのは嫌いなんだ。あのボロ屋は風で窓が揺れて、どこかから隙間風までやってきて、寒いから。それで財布が寒いことを考えるともう泣きたいくらいだ。今日おばさん抱いてあたたかくなるはずだった懐は寒いままだし。最悪。
 ポケットから鍵を取り出してガチャガチャと施錠を外しにかかる。あまりのボロ屋だからすぐ外れなくて、毎回苦戦する。
 俺の言ったとおり車を路駐してきた雲雀がおっかなびっくりという顔でそろりとそばにやってきた。ガチャン、と鍵が外れる。ギイイと古い音を出す扉を押し開けてパチンと入り口のスイッチで電気をつける。服以外ほぼ何もない部屋。雲雀はおっかなびっくりの顔のままでも俺のあとについて部屋に上がった。上品な革靴がこの場所に合ってなさすぎて笑えてくる。
 玄関入ってすぐのキッチンでお湯を沸かす。雲雀は落ち着きなさそうにこたつの前で突っ立っているだけだ。
 さあ、目を開いて耳かっぽじってよーく聞け。
 これが俺の現実だ。
「小六の終わりだったかな。親父とおふくろが離婚してね。その理由が、おふくろが親父より収入高くていいオトコを捕まえたから、なんだけど。親父はオトコの金の力に敵わなくて、おふくろを手放して。…捨てられたことがよっぽど悔しかったんだろうな。だから、俺を捨てた。それで捨てられた気分を捨てたんだろう。家を売っ払って俺をこのボロ屋に置いていった。それが中一のとき」
 百均のカップを二つ用意して、紅茶のティーバッグをそれぞれのカップに入れる。
 雲雀は何も言わなかった。困惑した顔で俺のことを見ているだけ。
 なぁ、知ってるか雲雀。お前みたいに恵まれて育って悩みを抱える奴もいれば、悩む暇すらなく現実をただこなして死んでいくだけの奴だっているんだよ。
「言われたことは三つ。高校に入ったらバイトをして自分で全て払え。それまでは家賃も光熱費も払ってやる。自分の面倒は自分で見ろ。…それだけ」
 こんなボロ屋でも維持費には三万くらいかかる。それに水道代や光熱費、携帯代を足せば四万はないとやってられない。日々の食費なんかだってかかってくる。それだけの収入を得るためにできることなど決まっているようなものだった。
 あくまで高校生をしたいなら、学業と両立するような割のいいバイトを探さなければならないけど、そうある話でもない。競争率だって激しい。そういう中に入ったら優男の外見しかない自分は徐々に落ちていくだろうと分かっていた。
 競争相手がいなくて自分のペースでやれて、それでいて収入が期待できて、学校と両立させられるようなこと。
 中学生の終わりには決意していた。援交しかないと。
「普通にバイトして間に合うはずがない。そりゃあ、高校生捨てればできたかもしれないけど、今の時代に高校卒って履歴書に書けないのは痛いし。学校は行かなきゃならない、金も稼がないとならないで、大変でさ」
 しゅんしゅん音を立てたやかんにガスの火を消し、カップに熱湯を注ぐ。何かつまみはあったかなと戸棚をあさったけど何もなかった。ああ、そういえば買い物へ行かないといけないんだったな。忘れてた。
 カップを持って部屋に移動。机の上に二つ並べてこたつのスイッチを入れる。だいぶ干してないカビっぽい布団に潜り込むと、雲雀がようやく座った。カップを包む手はそれでも俺の手を握りたいなんて思わないだろう。伏せられた目は自分と生き方が違いすぎる相手を見るには純粋すぎる。
 これで詰みだ。
「抱いたよ。オトコもオンナも、おっさんもおばさんも、みんな抱いた。選り好みしてられなかった。ヤれればいい。それで金も入るならそれが一番都合がいい。一万ぽっきりって謳って俺の顔出せばね、それなりに希望者とかいるんだ。で、あまりに人が多くても俺の身体がもたないから、だんだん値段を釣り上げてって、今一万五千。オトコは二倍。それで一週間に一回で、何とかやっていけてる」
 カップの中でティーバッグを揺らし、琥珀色の液体を眺めてすする。熱い。さっきモスでおいしいもん食べたせいか味が薄く感じる。まだ出てないかな。
 ゆらゆらティーバッグを揺らしながら「だから、雲雀は、俺に関わらない方がいい。援交って多分グレーラインで犯罪だから。俺は汚れてるから、きれいなお前は、もっときれいな人と一緒にいた方がいい」止めの言葉を口にしたとき胸が痛んだ。なぜかは分からない。束の間でも夢見たせいだろうか。雲雀と手を繋いで笑える現実があったら幸せだろうなんて考えたせいかも。
 雲雀は黙っていた。何も言わない。言葉が見つからないのかもしれない。長い前髪に隠れて表情はよく分からなかったけど、俺の現実に絶望したことは確かだろうから、それでいい。
 俺はお見合いなんか嫌だと泣くお前を助けられる王子様じゃないし、収入も社会的地位も底辺の子供だ。ほら、分かるだろ。お前に俺は全然ふさわしくないって。
 ずず、と紅茶をすすって、背中からぼさっと畳の床に倒れる。
 昨日オプションつけて一晩付き合ったせいで疲れてる。眠たいな。寝たい。せめて夢だけでも穏やかなものがみたい。
 ゆるゆると目を閉じてしばらく。窓を揺らす冷たい風だけが聞こえる中で、何も動きのなかった部屋の中で空気が軋んだ。床も軋んだ。雲雀が動いたのだ。黙って帰るつもりかもしれない。俺の現実に幻滅して我が家に戻るのだろう。うん、それでいい。それが自然だ。
 微かに痛む心で薄目を開けたとき、影ができたことに気付いた。
 雲雀にキスされて。今度は俺が呆然とする番だった。
 最初の日。車で高台まで向かわせて、そこでキスした俺に、お前も呆然としてたっけ。
 ……同情じゃない。憐れみでもない。
 それが分かって反射で肩を突き飛ばした。どさっと尻餅をつく雲雀を睨みつけて玄関を指した。「出てけよ」と。雲雀は動かなかった。出て行かない代わりにコートのポケットから財布を抜いてこたつの机に叩きつけた。
「現金は三万くらい、カードも入ってる。使えばいい」
「はぁ? なんだよそれ施しかよ。いいご身分だよなお前は。トントン拍子で人生進んで人との関係絶ったって生きていけて!」
 財布を掴んで雲雀に叩きつけて返した。だんと畳を蹴って立ち上がる。きれいな顔が歪むのが見ていられなかった。
「俺がどんだけのもん捨てたと思ってる。こんなボロ屋で一ヶ月生活するために何人抱くと思ってんだ」
「やめればいい。そんなのやめてしまえばいい!」
「そういうおきれいなところがウゼェっつってんだよッ!」
 紅茶のカップを掴んで中身をぶちまけた。下手したら火傷するかもしれないとどこかで分かっていて、そのきれいな顔に火傷の跡でも残ればいいんだと呪いながら部屋を突っ切ってスニーカーに足を突っ込む。「」と泣いた声に呼ばれたけど振り切り、もうどうとでもなれと寒空の下に飛び出した。
 最初からこうなるって予感してたんだ。きれいな雲雀と汚い俺は違いすぎるって。生きてきた世界があまりに違うから、そこに惹かれる部分があっても、最後にはお互いを傷つけるだけの刃にしかならないって、分かってた。
 雲雀があんまりきれいだったから、俺の掌の上でころころと都合よく転がるから、しばらくなら夕飯係として頼れるかなぁとかずるいことを考えてた。
 雲雀が突き放した俺に冷たくしないでよと縋ったとき、一瞬でも気を許したのがいけなかったんだ。今日素直におばさんを抱いてればこんなことにはなってなかった。
 ああ、ズキズキと胸が痛む。夜の中を走ってるからか。冷たい空気が喉と肺に沁みる。
 雲雀のきれいな顔が俺の暴言で歪んだ。
 …頼むから、
(頼むから、俺のこと嫌いになって、もう、関わらないでくれ)
 そうでないと苦しいんだ。たまらなくしんどいんだ。俺にとってお前は遠い。どうしようもなく遠い。緑が多く溢れ川も流れて潤った土地にいる聖人のようなお前には、荒野でボロ布まとってネズミにかじりつく俺の気持ちなんて分かるはずがない。
 もう傷つけたくない。さっきので最後にしてしまいたい。
 だから、雲雀、俺を嫌いになれ。憎んでいい。アドレス帳から俺の名前を削除しろ。学校でも無視すればいい。心配しなくてもお前が繁華街にいたってことは誰にも言わないから。
(だから、もう、頼むから、俺の前に立たないでくれ)
 がっ、と足元に何かが引っかかって派手に転んだ。いって、と足を引きずって立ち上がる。なんでこんなとこにでかい石があるんだよ。邪魔だろ。転んじまったじゃないかくそ。
 がつっと石を蹴って溝に落とし、ずり、と足を引きずりながら、歩みを止めない。
 雲雀が車で追いかけてくる可能性も否定しきれなかった。
 俺はもうお前を傷つけたくない。だからなるべく遠く離れて、今夜はどこかに泊まろう。漫喫のフリータイムでもいい。それくらいの金なら財布にあったはずだ。
 寒空を見上げて、今日は月がないのか、と星だけが瞬く空を眺めて白い息を吐き出す。
「…俺のこと嫌いになって、そして、忘れてくれ」
 それが、俺がお前に願う最後のことだ。