それは、春休みを控えた金曜日のことだった。
 ようやく事務仕事を終えてふーと一息吐いて、職員室が書類を確認したり電話を取ったりと忙しない空気に包まれているのを眺め、休憩に席を立ち、コーヒーメーカーのポットから紙コップにコーヒーを注いで戻ったとき、スチールデスクに放置したままだった携帯がチカリと光っているのが見えた。はっとして急ぎ足でデスクに戻って素早く席について携帯を取り上げる。着信を知らせてまたチカリと光っている。
 画面を点灯させて指を滑らせ確認すると、メールの着信だった。からだ。
 意識しすぎて震える指でメールを開くと、一言だけ書いてあった。
『今度デートしよう』
(でーと…)
 デート、と口の中で呟いて眼鏡のブリッジを指で押さえて僅かに顔を俯ける。
 デスクに積まれている書類はまだある。まだこれを片付けないとならない。でも、からメールが来て、それも、デートしようとか。どうしよう嬉しい。顔がニヤける。意識して戻しても頬辺りが引きつってしまう。くそ、の馬鹿。僕はまだ仕事をしないとならないっていうのに。
 コーヒーをすすりながらこそこそと返信する。『いつ、どこへ行く?』と、こちらも一言だけで送信した。あまり長いとメール自体が面倒だと思っているが返事を怠る可能性もあるし、最低限のことだけを訊ねる。
 この時期卒業生の整理と新入生を迎え入れる態勢を作ることで学校側は忙しい。担当クラスを受け持たない僕にもやらなければならないこともあるので、新学期が始まるまでは気が抜けない、というのが本当のところだ。
 でも、の誘いならどこだって行きたい。あとでどれだけ仕事に忙殺されようと構わない。に会って息抜きしたい。
 僕らは学校では先生と生徒の距離を守っているし、昼休みの電話だってあまり長いと人目につくからと一回五分程度の会話しかしてない。土日だって一緒にいられるわけじゃない。学校帰りか、土日のどちらか、一緒にいられる時間が取れればいい方なのだ。
 僕は日常にが足りなくて彼を渇望していた。とにかく一緒にいたかった。
 携帯を掌に載せたままコーヒーをすすっていると筐体が震えた。からの返信だ。画面に指を滑らせる。『映画館は行ったし、水族館でも行こうか』と表示されている画面をじっと見つめる。
 映画はこの間見た。水族館か。遊園地よりはずっといいな。特に魚が好きとかじゃないけど、デートって感じがする。
 それから何度かメールのやり取りをして明後日日曜日に水族館に行く約束をして携帯を置く。
 デート。デートだって。ああ駄目だ、また顔が。
 ぐに、と頬をつねっていると「どうされました雲雀先生」と隣の先生がびっくりした顔をしてたから、愛想笑いしてぱっと手を離す。「なんでもないですよ」とか言いつつ頭の八割くらいがデートの約束に浮かれていた。まだ仕事があるのに。せめてミスがないように気をつけないと。
 約束の日はあっという間にやってきた。
 昨日から今日の格好を考えていたけど、僕はみたいに派手なものは似合わないし、着こなせる自信もないので、どうしても地味目になってしまう。白と黒と茶色しかない鏡の自分を睨みつけ、茶色のストールは外した。目立たない方がいいからと今まで地味なものしか選んでこなかったけど、の隣に立つのだから、もう少し、考えた方がいいかもしれない。
 そうだ、今度ショッピングに誘おう。そう思い立った自分にいい案だと頷いて自画自賛し、はっとしてクローゼットをあさる。何かないかな。せめてもう少し色のついた何か。
 探してみたけど何もなかった。うう、と鏡の中の地味な自分を眺める。黒いズボンに白いシャツにチェックのベスト、カーディガン、上からコート。顔を隠すためにキャスケットでも被っていくとして…どう見たって地味だ。だけど、ないものはしょうがない。
 今度は僕がをデートに誘うんだ、と心に決めながらコートを羽織って部屋を出る。
 車の方が移動も楽だし、知り合いの誰かに見かけられるという可能性も減るけど、両親が誰かを追尾させるという可能性もある。それを考えると公共交通機関を使った方がいい。
「出かけるの? 恭弥」
 玄関で母に呼び止められた。「うん」と生返事しつつブーツを履く。できれば見つかりたくなかったけど、今日は母も仕事がないのだ。出かける僕に声をかけるに決まっている。「何かあったら連絡するのよ」「うん」暗に連絡しろと言っている母に返事しながら玄関扉を押し開けて外に出た。
「気をつけてね」
「うん」
 バタン、と扉が閉まってロックがかかる。生憎の曇天を見上げて、時刻を確認し、並盛駅へと急ぐ。
 僕は両親に付き合っている人がいるからお見合いは受けられないと伝えた。当然、相手が誰か教えなさいと詰め寄られたけど黙秘で通した。
 両親は僕の主張がお見合いをしたくないためだけの嘘ではないと受け取っていた。僕が変わったということをどこかしらで感じていたに違いない。そして、その理由が恋人ができたことだということで納得したのだろう。
 彼に突き放されて泣き喚いて仕事までサボったのだ。僕の主張にはより現実味があったに違いない。
(そろそろコートのいらない時期になってきたな。今日は陽がないから寒いかもしれないと思って着てきたけど、邪魔なだけだったかもしれない)
 足早に駅を目指す途中、何度も後ろを確認した。誰かがつけていやしないか、と。両親ならば、僕が付き合っていると言った誰かを特定するためにそういうことをしていてもおかしくない。
 疑いながら駅まで急いで、着いた頃には息が上がっていた。
 携帯で時刻を確認すれば約束の三分前。
 待ち合わせ場所に指定された時計台の下には人が溢れていて、今日の彼の格好の予想ができない僕は視線を彷徨わせる。映画のときは大人しめの格好だったけど、今日はどうなんだろう。はなんでも似合うからなんでも着てくるし、こういう格好だ、という予想が立たない。
 視線をふわふわさせて息を整えていると、頬にひやりとしたものが当てられて驚いて振り返ったら、がいた。頬に当てられたのは冷たい缶ジュースだ。それを「はいどーぞ」とぽんと僕に預ける。
 缶をプッシュして、炭酸のオレンジを喉に押し込む。急ぎ足で上がった体温に冷たいジュースはおいしかった。
 一息吐いて、さりげなくを眺める。今日の彼は、赤い縁取りの伊達眼鏡と黒いキャスケットをしていた。着ているものはルーズなサルエルとだらっと大きい派手な柄のシャツにモッズコートを羽織っている。
 あ、キャスケットってところが同じだ。色は違うけど。なんか嬉しいな。
 ぼっと見つめてしまってからはっとして顔を逸らす。眼鏡のブリッジに手をやってくそぅと一人歯噛みしていると、首を傾げたが「行こうか?」と言うので浅く頷いた。
 ここから何度か乗り換えた先に水族館がある。今日は休日だし、水族館は恋人家族友人同士がごちゃ混ぜになる場所だ。気は抜けないのだ。並高生がいないとは限らない。
 道順はが知っていたので彼に従った。
 途中、被っていたキャスケットを取り上げた彼が僕のものと交換した。特に深い意味はなかった気がする。首を傾げた僕に彼は笑っただけだ。その笑顔に心臓が騒いでしまったから僕は黙って受け入れてしまった。僕のはブラウンで彼のは黒。僕のブラウンのキャスケットがのふんわりした茶髪の頭にのっている。
 電車に揺られる中、が欠伸をこぼして扉に寄りかかって目を閉じた隙を見計らい、こっそりと頭のキャスケットに手をやる。物自体は僕のやつの方がいいかもしれない。でも、これはのものだ。それを僕が被っている。…そんなことが嬉しい、なんて。
「恭弥は待ってて。俺が買ってくる」
 がチケットを買いに列に加わったのを見送り、あ、お金、と気付いた。ないわけはないと思うけどしまったな。まぁいいか、僕が昼食を奢るという形で清算しよう。
(…恭弥、だって)
 名前で呼ばれたことに背筋が痒い。また頬が引きつっている。嬉しくて。
 くそ、と両手で頬をぐりぐりしてもあまり変わらない。嬉しいものは嬉しい。そういうことだ。
 外では学校での雲雀との呼ばれ慣れた響きを捨てようって、これも一種の予防線ということで名前で呼び合うことを決めた、それだけじゃないか。僕だってのことをって呼んでいいんだから。よし、帰ってきたら呼ぶぞ。それで彼が嬉しくなるのかは分からないけど。
 ぼやっとルーズな格好をしているの姿を眺め、気の緩んでいる自分に気付いてごほんと一つ咳払い。亀の甲羅型のベンチに腰かけつつ改めて周囲を観察する。
 休日なだけに人が多い。…この中で誰かが僕を監視しているかもしれない。
 両親が僕の恋人特定のためにどれだけのことをしてくるのか、正直予想できない。僕が自分から告げるまで見守ってくれるかもしれないし、それと分からないように人を使うなりして把握しておこうと手を打つかもしれないし、最悪、携帯のGPS機能で場所を特定されているってこともある。考え出せばきりがない。普通の家庭なら気にしないですんだかもしれないことも、僕には当てはまらないのだ。
 無駄に人に目を光らせていると、が戻ってきた。「行こうか」と言う彼にさっき思ったことを思い出して、「」と呼んでみる。ん? と首を傾げた彼に続く言葉ない。…呼んでみたかっただけで用事は特になかった。
 何か言うことは、と頭の中を引っくり返している僕にふっと吹き出したが笑う。ああもう、とぼやくとすっと僕に手を差し伸べて「おいでよ」と僕を呼ぶ。
 人の目がある。こちらを注視している誰かだっているかもしれない。そう分かっていても、その手に呼ばれるまま手を重ねてしまう自分がいた。
 手を引かれてベンチを立つと、するりと彼の手が逃げた。途端に寂しくなる。人目があるのだ、手を繋いで歩けないことは分かってる。それでも寂しいものは寂しい。
 せめてとの隣に並ぶ。ポケットに手を突っ込んだが「誰もいなかったらキスするところだった」と耳元で囁くからぼわっと顔が熱くなる。吐息が。耳に。
 うう、くそ。こんな年下にいいように振り回されすぎだ。そう分かってるのに好きだという気持ちを止められない。振り回されていたって嬉しいなんて、恋ってなんて化け物なんだろう。僕の心をときには殴りつけ蹴り飛ばすそいつが憎いのに、優しく頭を撫でたり抱き締めたりしてくるそれが、とても愛しい。

「恭弥は魚好き?」
「僕は…普通。は?」
「俺もふつー。あーでも、刺身とか思い出しちゃって駄目だなぁ。食べたいってなる。ほら、あれマグロだし」

 ムードのない会話。そんな話でもと交わすならなんだってよかった。一つでも多く彼を知ることが僕の喜びだった。
 マグロが円筒形の水槽の中をぐるぐると泳ぎ続けている様子を二人で眺める。「熱帯魚系はきれいでしょ」「そーかも。深海魚系はグロテスクで苦手。食欲が失せる」「…って食いしん坊だね」「お腹いっぱいってくらい食べる方が少ない人生だったからなぁ」なんでもないことのようにそう言って笑う彼に視線が彷徨う。
 じゃあ、今日はお腹いっぱい食べさせてあげよう。お金はあるんだからたくさん食べればいいのに、相変わらずあの木造アパートに住んでいるし、食生活が改善された様子もないし。一千万あるんだからどんどん使えばいいんだ。
 くいと手を引かれた。さりげなく触れられて意識が手に集中した。「先行こ」と手を引いて人混みから抜け出した彼はすぐ僕の手を離してしまう。するりと逃げた体温。三百六十度全てが水槽の通り道の中でのコートの背中を眺める。
 なんだか夢みたいだな。ほら、が水の世界の中で生きているみたいだ。まるで映画のスクリーンの中のような存在。
 たん、と透明な床を蹴ってコートの裾を引っぱる。足を止めた彼が僕を振り返って首を傾げる。だから、ほら、本物だ。夢じゃない。作り物でもない。生きてるんだ、僕と同じに。
 指で頬をひっかいた彼が僕に顔を寄せた。コートを握った僕の手を握って離しながら、「あんまり女子っぽいことしないでよ」抱きたくなるだろ、と囁いた顔が離れたことで眼鏡のブリッジに手をやって顔を俯ける。
 ああ、くそ。自分の中がぐちゃぐちゃだ。
 人目なんて気にしないで手を繋ぎたいしキスもしたいのに。思いきり抱きついてみたいのに。それは駄目だと分かっているのに、世間の目なんて気にしないで全部蹴飛ばしてを優先したくなってしまう。

「イルカショー見るだろ? せっかく来たんだし」
「混み合うんじゃないの?」
「まぁそうだろうけど。水族館来たーって感じがするし、見てこうよ」
「うん」

 クラゲとかエビとかよく分からない魚とか普通の魚とかを順番に見て回り、ちょうどいい時間になったからイルカショーも見に行った。がなぜか透明のレインコートを二人分買う。理由の分からない僕にお楽しみだよと唇に人差し指を当てる
 答えはすぐに分かった。彼は観覧席の一番前を陣取った。そして、イルカがジャンプしたり吊り下げられたボールを尻尾で叩いたりする度にプールの水が跳ね上がって観覧席まで派手に飛んできた。これを防ぐためのものだったのだ。
「おーすっげ! 一回一番前で見たいと思ってたんだよねー」
 面白おかしいと笑う彼が自然な笑顔だったから僕も笑った。
 水はまだ冷たいけど、水族館に来たいい記念になることは確かだ。イルカショーを一番前の席で見たのは僕も初めてだし。
 最後にイルカと握手でバイバイするという段階になって、子供がたくさん手を挙げる中で「はいはい!」と挙手した彼には驚いた。ついでに僕の手も握って挙げるから目立ってしまって、イルカと握手の役に選ばれてしまう。いい男二人が子供を押しのけて、だ。「ちょ、」「ほら行くよ」ぐいぐい手を引っぱられてプールの縁まで行く階段を上がる。
(こんな、悪目立ちじゃないか。子供を押しのけてイルカと握手って何なんだよもう)
 は物怖じせずにプールの縁にしゃがみ込んだ。僕はそろそろと隣のイルカの前にしゃがむ。イルカは笑ってみえる顔で片方のひれを出してぷかぷかしてる状態だ。これに触れろということ、なんだろうな。
「はい、ありがとうでした。面白かったよ」
 は笑ってイルカと握手する。僕も何とかそれを見習った。初めて触れたイルカの肌はつるつるのゴムみたいで、これで哺乳類なんだよな、とすぐ手を引っ込める。は係員に促されるまでいつまでもひれを握っていたけど、そこまでは真似できなかった。
 そのあとは、水族館にあるレストランで適当なものを食べて、館内を周り、のんびりしてるアザラシを見て、寒そうな水槽の中にいるペンギンを見た。今年生まれた子供がいるとかで、灰色のふわふわした羽毛をしているペンギンが親のあとをついて歩いたりくっついたりしているのをがじっと見つめていた。アザラシがひなたぼっこしている前には三分といなかったのに、どれだけ人で混み合おうと、十分たっても彼は水槽の前から動かなかった。
「ペンギン好きなの?」
「…いや。まともに見たのは小学校の遠足以来」
「でも、ずっと見てるけど」
 指摘すると、彼はうっすら笑ってペンギンの子供を指した。「ペンギンってさ、寒いところで生まれるだろ」「そうだね」「あんな寒いとこだから、卵が孵るまで親があっためるだろ」「そう、だね」「どんなに腹減っても、寒くっても、親は卵を一番に考えて守るんだ」それってすごく愛されてるなぁって。そう言った彼がぱたりと手を下ろした。ペンギンの子供は短い翼を揺らしながら歩く親鳥についてのたのたと歩いている。
 …寂しい言い方だった。俺もそんなふうに育ってみたかった、と言いたいように感じた。
 実際彼の家庭環境が厳しかったことは知っている。僕みたいな生ぬるい育ち方をした人間が簡単に同調していいわけがないとも思っている。
 でも、との手をそっと握った。「僕がその分愛する」と言ったらきょとんとした顔で僕を見た彼が不思議そうに首を傾げた。
 随分恥ずかしいことを言ったと気付いてぱっと手を離す。熱い。
 それから、最後にお土産のショップに寄った。遠慮したいくらいの人で賑わっていて、子供が多い。
「せっかく来たんだし、記念に何か買おうよ」
「うん…」
 僕は人が多いところはあまり得意じゃない。これまで積極的に人間関係を作ったことがないし、こういう一般的な場所に一般的に出入りすることがあまりなかったから、どちらかといえば、苦手だ。
 気後れする僕の手を取ったが先導して人の中に入っていく。避け方も割り込み方も慣れていた。「何がいいかな。キーホルダー、じゃ子供っぽいか。実用的にペンとか? ネックレスとかもあるけど」くるりとこっちを振り返った彼にはっとして「あ、うん、えっと」と適当な返事をしてしまう。乗り気じゃないと思われないように視線を彷徨わせて何かを探し、見つけたものを指した。
「じゃあ、はあれにしたら」
 皇帝ペンギンとその子供が寄り添っているポップ調の携帯カバー。今日のを思い出すならペンギンが一番いい気がした。愛されたいと、暗にそう言った彼を忘れたくなかった。
 僕の指を辿ったがふっと吹き出した。「ええ、あれ? いくらなんでも俺にはかわいくないか」「でも、ずっと見てたし」「まぁね」ポケットから携帯を出した彼が「そういやカバーはなかったな」とぼやいて箱に入った携帯カバーを手に取る。
「じゃー俺はこれね。恭弥は?」
「僕、は…あまり目立つものは…」
 わいわいがやがやとした人混みの向こうの商品に目を凝らす。今度は彼が「あ、なら今日はアレだな」と商品を持ってきた。先が控えめにイルカの形になっている銀のネクタイピンだ。
「いつもスーツだし、これならそんなに目立たず毎日つけれそうじゃない?」
 確かに、これくらい控えめなものなら、イルカと握手した今日の記念にもなるかもしれない。
 二点を購入して混み合う水族館を出た。夕方からは少し安く入館できるらしく、まだ人が絶える気配がない。
 時刻を確認すると、十七時六分。すっかり陽が長くなった。春は近い。
 今更ながら、そっと背後を振り返る。視界にちらつく誰かというのはいない。…僕の考えすぎなら、それが一番いいから、いいんだけど。
「行くでしょ?」
「え?」
 慌てて顔を戻す。歩き出しているに追いついた。「どこへ、」と言いかけて気付く。
 週に一回、学校帰りでも必ず時間を取ってすることがある。それをシようと言われていることに遅れて気がついた。つまり、ホテルか。
 それへの返事なんて決まっていた。「行く」その一択だ。
 二人きりになって初めて手を繋げる。惜しみなく身体をくっつけられる。キスもできる。それをしないなんて僕だって我慢ができない。
 ふいに立ち止まったにつられて足を止めて、キスするくらい顔を寄せてきた彼にかちんと身体が固まって動けなくなった。ちょっとでも動いたら誰かの目があるところでキスしてしまうことになる。いや、見る人によっては、僕らがキスしてるように取られてるんじゃ。
「今日の恭弥かわいいからさぁ、明日平日でも遠慮しないけどヨロシク」
 するりと離れた彼に、どきどきと一気にうるさくなった胸に手を当てる。
(…望むところだ)
 ペンギン相手に寂しそうになっていた君を僕が満たすんだ。
 愛してあげよう。甘やかしてあげよう。お腹いっぱい食べさせてあげるし、欲しいものは買ってあげる。愛してあげる。心でも身体でも、僕にできる全ての表現で。
 歩いて行く彼の背中が止まってくるりと僕を振り返る。「おいでよ恭弥」と言われて走った。傾きかけた陽がちょうど彼の後ろから射していて、彼が僕の人生の指針のように輝いて見えた。
 その姿に思う。僕が愛したいんだ、と。愛さずにはいられないんだ、と。