キョーヤはただ一つの機巧人形としてこの世に誕生した。
 機巧人形とは、同類の機械・ロボットよりも精巧な設定、命令ができるとして、現代では兵士や戦争の駒として利用されているありふれた存在だ。
 あらかじめ型の用意された量産型ではなく、ただ唯一のオリジナルとして、社会と関わりを断絶して久しい男の手により一から製作され、長い年月をかけて僕は生まれた。
 そのことについて訊ねると、博士はいつも黙ってしまうので、何度か質問を重ねた僕は『これは博士にとって口をつぐみたくなるコト』としてメモリーに記録した。
 機巧人形である僕にも当然『戦闘を前提』としたプログラムや装備が組み込まれていたけど、博士はいつも異常がないか、正常に動作するかどうかを確認するだけで、僕を戦いに投入することはないし、模擬戦闘を行うこともしない。そのための設備はあるのに、だ。だから僕は機巧人形だけどまだ一度も戦ったことがない。
「博士」
「んー」
「僕は機巧人形だ。機巧人形は戦うモノなんだろう。それなのにどうして博士は僕にこういうことばかりさせるんだ」
 その日もいつもと同じだった。
 博士と自分の分のエネルギー摂取のために合成食品の野菜と肉を刻んで調理をする。メニューは博士が食べたいと言ったシチュー。頭の中に呼び出したレシピの通りに材料を切って調理していくだけの作業。
 これに不満があるとかそういうわけではないけど、これが僕のすべきことなのだろうか、と疑問があるのは事実だ。それを消したかった。
 博士は言う。「オレが作ったらマズいもんにしかならないだろう」と、キーボードを打ち続けながら、青白く光るパソコンの画面から目を逸らすことなく。
 でも、これは、僕じゃなくたってできるんじゃ。そりゃあ、ここには他に誰もいないのだから、博士がやらないなら必然僕がやるしかなくなることだけど。
 何かもやもやした頭のままシチューを完成させた。冷凍の合成パンをトースターでこんがり焼き上げて食卓に並べ、シチューをよそう。
 我ながらレシピ通りにできで満足だ。見た目も申し分ない。「博士。できた」「ああ」ガチャン、と椅子を立った博士が肩をバキボキ鳴らしながらダルそうに歩いてくる。揺れる白衣を眺めてから飲み物にコーヒーを用意した。なんの作業か知らないけど、どうせ今日もずっとパソコンにはりついているつもりなんだろう。目覚ましはあった方がいい。
 なんのBGMもないまま二人で向かい合って食事をする。
 リクエストのシチューを満足いくできで仕上げることができたのに、博士は何も言ってくれない。…それが気になる自分が馬鹿だと思う。
「おいしい…?」
「うまいよ」
 捻りも何もない淡白な感想を口にする博士は大して表情も変えずにそう言う。
 分かっている答えではあった。だって自分でそう思ったんだから。ただ、僕が訊く前に、確かめる前に、一言。そう言ってほしかった。たとえ分かりきっていた言葉だったとしても。
(頭の中が、もやもやしてる……)
「博士」
「ん?」
「博士は、なんのために僕を作ったの」
 少し質問の角度を変えて同じことを訊ねた僕に、博士はやれやれと嘆息した。何度も同じことを訊ねる僕にどこか呆れているようでもあった。「意味がほしいのか」と言われ、僕は「ほしい」と返した。人間と違って必要とされる道具として生まれてくるのが機巧人形である自分という存在である以上、意味がなければ、僕は成立しない。
 意味を、答えを求める僕に、博士は寝転がっていた体勢からダルそうに起き上がった。ベッドの上で胡座をかくとちょいちょいと僕に向かって手招きする。部屋の入り口で立ち尽くしていた僕は、呼ばれるままふらふらとベッドに寄っていった。一分後には訪れるだろう未来を予想しながら。
 博士は僕の手を取ると、ごつごつした指で肌を撫でていく。慈しむように。ここへ来いと胡座をかいている足を指す手に、僕は何も言えずにベッドに上がって博士の足の間におさまった。
 予想していた通りの一分後の未来だ。
 指だけじゃなく掌で、やがて舌でも肌を刺激される頃になって、ぼそっとした声で、「愛でるために作ったんだよ」と言う声が僕の聴覚を孕ませる。普段は素っ気なくてなんの情熱も感じさせない声が、僕を愛するときだけは熱のあるものに変わる。それを憶えてしまった僕は博士の声だけで体温を上昇させてしまう。そうあたたかいとも言えない最低限の温度を保っている部屋にいるのに熱いと感じる。博士の舌が伝う肌が、項が、熱い。
 機巧人形にならいらないコト。たとえば、性感とか、そういうモノ。機巧人形にはなくても支障のないモノ、普通はつけない余分なそれを博士は僕に搭載した。
 機巧人形は機械だ。摂取した食物は全て余すところなく身体機能維持のためのエネルギーへと変換させる。人は食べても出すものがあるからそういう器官が必要だけど、僕にはいらない。それなのに博士はわざわざ僕を人と同じに仕様にした。いらないモノをつけた。性器も、性感も、後ろの孔だってそう。機械にはいらなかった人間らしいモノ。
「博士は、欲求不満なの?」
 僕に着てほしいからと普段からの着用を義務付けられている黒い制服。まるで旧時代を再現したかのようなそれは、見た目に反して機能的だ。博士が用意しただけあって色々と手が加えられている。だから、これは僕にとって一つのツールだ。それが博士の手によって脱がされていく。まるで自分のプログラムの外壁が一つ剥がされていくようで、見ていていつもなんとなく落ち着かない。そんな気持ちを誤魔化すために訊ねると、いつもと同じ声が「どうかな。まぁ、お前にこういうことしてる時点でそうじゃないとは言えないだろうな」と少しだけ笑う。
 白いシャツの間にごつごつした指が入り込んで肌の上を滑っていく。
 本当ならいらなかったのにわざわざ乳首とその感度まで再現させた博士の設計は完璧だ。普段はシャツがこすれても何も感じないのに、博士の指でつままれこすられ転がされを繰り返されて、胸の突起はすっかり膨らんで硬くなっている。
 博士の趣味や嗜好がなんであれ、彼に作られた僕にそれを否定する権利はない。
 僕が作られた目的が『博士の欲求不満を解消するため』だったとしても。それが僕の存在理由なら受け入れる。
 幸か不幸か、僕は博士以外の存在を知らない。端末を通してでしか見知りできない世界の断片にあまり興味はない。僕にとっての世界は博士のいるこの研究所と行き来の許されている場所だけだ。そこだけが僕の世界。狭くて暗くて素っ気ない、味気ない、一人の人のためだけに存在できる、安らかな、閉じた世界。
「ん、ア…っ」
 ぎし、ぎし、と規則的に軋むベッドに頬を押しつけ、シーツを握りしめながら喘ぐ。ベッドに背中を押しつけ、脚を押し広げられ、快楽を憶えた身体の中心は興奮して熱り立っている。硬く尖った先端からとろりとした液体を滴らせながら。
 本当ならいらないモノ。それが何でできているのか知らないけど、博士曰く、無味無臭なのだそうだ。どうしてもこれだけが上手くいかないとぼやいていたのを憶えている。
 人間の源の一つ、精子、つまり精液。それを再現しようとしているらしいけど。さすがの博士でも生命の謎を解き明かすのは無謀なんじゃないだろうか。
 それから。涙をしょっぱくするのも難しいって、言っていたっけ。
「あ、あァ、あ、はッ」
 前立腺と同じような機能をするらしい場所を強く抉られてびくりと身体が震えた。
 腰の辺りがむずむずしてきた。イッてしまうかもしれない。そう意識すると余計に神経が快楽を貪ろうとする。イッたらおしまいだと分かっているから。
 まだ終わりたくない。終わってほしくない。もっと愛してほしい。もっと、もっと、僕が壊れるくらい。
 はかせ、とうわ言のように僕を愛する人のことを呼ぶ。
 快楽だけは数値化して処理されないように設定されているようで、気持ちよさで滲む視界を凝らして震える腕を伸ばし、博士の首に抱きついた。
 内側を抉るような強い衝撃は堪え切れない快感となって僕の身体の真ん中を貫く。
 呼吸を忘れて叫んだ。頭の中が真っ白になる。何も考えられなくなる。普段は何かしらの計算式が展開されている頭の中が清々しいくらいに何もなくなる。
(きもち…ぃ)
 僕を愛する博士と、無機質な部屋の天井だけが分かるもの。見えるもの。僕の世界の全て。
 キョーヤという機巧人形は、という人間の心身を満たすためだけに存在する。普段の食事からベッドの上での情事まで、その人を満たすためだけに息を重ねている。
 その在り方に疑問を持つことはなかった。
 世界は相変わらず馬鹿げた戦争でお互いを潰し合っている。投入されるのはもっぱら機巧人形で血など流れない。散らばるのは鉄くずだけ。無表情な人形が無表情にお互いを潰し合う。機巧人形という兵力を潰し合う。ひたすらその繰り返し。そこには痛みもないし血も流れない。ただ湯水のように機巧人形に投資された費用が消える。数字と製造番号でしか管理されていないデータが書き換えられる。それだけ。そこに僕らはいない。僕も博士も関係ない。この世界は僕らがいなくても成り立っている。
 今日も画面の向こうの世界の様子を眺めて、大して興味も湧かず、ただ博士が見ているからという理由で同じ画面を見続けた。
 …ときどき。こんなに閉じた世界に自らを置いたんであろう博士が外へ示す興味が、こわい、と思うことがある。
 今もそうだ。瞬きすら最小限にしてじっと外の世界を、己を潰し合う機巧人形の兵達を見ている博士がなんだかこわいと思う。博士が僕の知らない人になってしまったような錯覚とでも言えばいいのだろうか。
「博士」
 渇いていると思う喉で博士を呼ぶ。その意識を隣にいる僕に向けてほしい、と。
 博士は眼鏡の奥の視線で僕を一瞥する。僕を認識する。それでもまだ外の世界に興味があるのか意識は画面の向こうへと戻ってしまう。
 僕は焦る。理由もなく。ただ、博士が外を向いているというだけで。
「お前は戦いたいか? キョーヤ」
「え」
 思いもよらない言葉に、先程までとは違う意味で目まぐるしく思考が回転した。
 機巧人形として作られた僕にそのための能力は備わっている。そうしようと思えばできるだろう。博士は僕を特別な機巧人形として仕上げた。従来のありふれた形のものよりもずっと何でもできる。試したことはないけれど、データを参考に判断するなら勝てるとも思う。
 けど。戦いたいのかと言われると、よく分からない。
 いつの間にか博士の視線が僕に戻っていた。じっとこっちを見下ろす目にいたたまれなくなり、俯く。
 機巧人形として。これはどうかと思うのだけど。でも、僕の気持ちを正直に言うのなら、こうだ。
「僕は…博士のそばにいたいから……あまり、危ないこととか、したくない。壊れるのも嫌だし」
 ぼそぼそこぼした僕に、うん、とぼやいた博士が映像を遮断した。「キョーヤおいで」と膝の上を叩かれて、隣にいるのに、と思いながら大人しく博士の膝の上に移動した。外見と同じだけかそれ以上の体重がある僕を膝に乗せるとか、重たいだろうに。それは博士にとって多少なりともの負担に、なんて考える思考回路も、背中側から回った腕に抱きしめられると跡形もない。

 僕にとって博士は、神様だ。
 僕を作った人。僕を愛した人。僕の支配者。絶対的な存在。僕という存在の指標。守るべき者。従うべき者。
 愛されるために作られた僕は、無条件に、無制限に、という人を慕い続ける。
 その在り方に疑問を持ったことはなかった。…その日までは。

 つけっぱなしになっている博士のパソコンがヴーンと低い駆動音を立てている。
 仮眠のつもりが本腰を入れてソファで寝ている博士に毛布をかけて、つけっぱなしのパソコンの電源を落とそうと近づいて、開かれていた窓を閉じている最中にそれを見つけた。
「……?」
 イマドキのは電力を食うから、という理由で博士が使用している古いタイプのパソコンの液晶画面に指を触れさせる。
 開かれたファイル。そのうちの一つに画像があった。日付的に昔の写真だ。十年くらい前のもの。そこに、僕がいる。
 この黒髪。きれいだと博士に褒められる顔のパーツ。鳩色の瞳。全て同じだ。間違いない。これは僕だ。
 でも、そんなわけがない。だって僕が稼働を始めたのはつい最近なのだ。ここ一年くらい。十年前には骨組みすらなかったはずだ。外の枠組みが出来上がっていたと仮定したとしても、こんなふうに写真に向かって笑うはずが。ない。
(これは、誰だ)
 僕は。誰なんだ。