5.求愛

 スィフリがちゃんと僕が回復したかどうかを心配するから、仕方なく古ぼけた寝台に座った。
 別に、検査は痛くないし、そういう意味で嫌だってことはないんだけど。問題は。
「…ねぇ」
「うん?」
「脱がないと駄目なの?」
「駄目です。その寝台は古いし、ギリギリ動いてる状態だから、なるべく負担をかけたくない。服はない方がいいんだ」
 そういう理由で服を脱がないと駄目なんだとか。最初に裸だったのもそういうことらしい。
 スィフリの手がシャツのボタンを一つ一つ外していくのがこれ以上ないくらい照れくさいというか、恥ずかしいというか。
 スニーカーも、靴下も、ズボンも、全部脱がされていく。下着くらいと思ったけどやっぱり脱がされた。一糸纏わぬ姿にされて視線が泳ぐ僕に対して、スィフリはいつもと変わらない。古ぼけた寝台を操作して端子と自分とを繋げる。「横になって」と言われて仕方なくプラスチックみたいな素材の上に仰向けになる。天井の蛍光灯は相変わらず半分以上切れたままだ。
「今日は俺が触るね」
「…えっ?」
 適当な相槌で思考から流しそうになった言葉に跳ね起きた。いつもは寝台に寝ているだけでよかったのに、なんで。
 頼りなくブレてところどころ欠けている立体ウィンドウを指で弾いたスィフリが首を傾げる。「今日で検査はもういらなくなると思うから、最後にちゃんと確認がしたいんだ。施術したのは俺だし、俺の指で確かめないと」…指でって言い方がなんかいやらしいと思うのは僕だけだろうか。
 スィフリが、僕に、触るのか。指で?
(いや、触るって、触診って意味だろう。ほら、腕がちゃんとくっついてるかとかそういう。落ち着け僕)
 ひっそり深呼吸をしてから寝台に寝なおして、平常心、と自分に言い聞かせながら目を閉じる。
 仮想キーを叩くピピピという音と静かに駆動する寝台からの振動と、あとは、視線。スィフリに観察されることに慣れたせいか、それとも僕が気にしすぎているだけか分からないけど、彼の視線を物理的なものに感じる。
「何か変な感じがしたり、痛かったら言ってね」
「…うん」
 もうすでに視線がくすぐったくて肌が火照っているとは言えない。
 目を閉じていればスィフリが触れてくることに気構えずにいられると思ったけど、まったく逆だった。見えないせいでいつ触れてくるのかとさっきから落ち着かない。いつもより動悸が激しい。深く呼吸して気持ちを落ち着けてるつもりなのに。
 右腕の肘より少し上。電動鋸に似た武器で飛ばされて、二度と使い物にならないはずだった腕が、スィフリの指に触れられて震えた。その震えをスィフリはちゃんと汲み取る。「痛い?」「…痛くない」痛いせいで震えたわけじゃない。緊張して君の指に過剰反応しただけだ。
 どうやら目を閉じていると逆に意識しすぎるようだと気付いて、諦めて薄目を開ける。
 ところどころ欠けた立体ディスプレイに囲まれながら、スィフリが僕の腕に触れている。つついたり、軽く押したり、神経が通ってるんだろう部分を撫でたり。
 彼の指が肌を滑る度に、目を瞑りたくなる。衝動的にこの場から逃げたくなる。
 腕だけじゃない。何も着てないんだ。僕の全部が青い瞳に見られている…。
「今から俺の言うとおりに右手を動かしてね」
「うん」
「最初はぐーで拳を握って、そのあとぱーで開いて。スピードはゆっくり。そう、そのくらい。だんだん早くして」
 それからいくつか彼の言うとおりに右手を動かした。瞬きもしないでじっと僕の手の動きを見ている彼の青い瞳が電子色に瞬く。たぶん、データを取っているんだろう。
 ……スィフリがアンドロイドだと聞いて、一度は納得した。常人離れした身体能力を考えればそうだろうなと予想はできたから大して驚きはしなかった。今も、目が光ってるし、彼が機械であるということは間違いない。
 でも、なんでかな。僕には彼が人間に見えて仕方がないというか…そう思いたいだけなのかもしれないけど。
 電子色に瞬いていた瞳から光がなくなった。普通に瞬きしたスィフリがほっと一息吐く。「うん、大丈夫。異常なし」「…もういい? 服ちょうだい」腕を突き出した僕にスィフリは緩く頭を振った。
「まだ駄目。全身調べます。今日で最後だからじっとしてて。寝てていいよ」
「全身…っ?」
 思わず跳ね起きた僕に彼は首を傾げた。何か問題があるのかって不思議そうな顔だ。その顔のまま首を傾げて心音を示すディスプレイを指で弾く。「そういえば、恭弥、いつもより動悸が速いね。緊張してる?」ぎくりと身体が固まる。当たらずとも遠からず、だ。「別に」答えるのが早口になった僕に彼はさらに不思議そうに首を傾げる。
「俺が触る度にドキドキしてるよ。もしかして調子が悪いとか」
「違う」
(調子が悪いからドキドキしてるんじゃないよ)
 どれだけ人間に見えても、スィフリは機械だ。人間とは無縁なものもある。
 肌に触れようとするスィフリの手を払いのけて、パイプ椅子の背もたれに引っ掛けてあるシャツを掴んで羽織った。
 これ以上肌を晒して触れられることに僕が耐えられそうにない。どうかなってしまう。今日で最後だって言うから我慢するつもりでいたけど、無理だ。
「もういいでしょ。僕は元気なんだから」
 逃げようとした。でも、彼はそれを許さなかった。寝台から逃げ出そうとした僕の手を掴んだと思ったらもう抱き上げている。
「言ったでしょ、今日で最後だから、我慢して」
「…できない」
「寝ててくれればいいから」
「できないって言ってる!」
 大きな声を上げてからはっとして口をつぐんだ。スィフリが驚いて目を丸くしているのが居心地が悪い。「じっとしてるだけだよ、恭弥。痛くないし、怖くもないよ」…彼は分かってない。なんにも分かってない。僕の気持ちなんてなんにも。
 君に、触られて、どうにかなってしまうって思いつめる僕の気持ちなんて、君は知らない。

 愛し方が分かったら、恭弥のこと一番に愛するね

 あのとき僕が考えたことは、思いついたことは、心を愛されることではなくて、身体を愛されることだった。
 あの視線で身体中を愛でられて、あの指で肌という肌に触れられる妄想をした。そんな自分が信じられなかった。
 当たり前の顔で僕にキスしたり裸にしたりして、その彼はといえば、僕に感じるものなんて何もないのだ。人間でないからそういったものとは無縁。いつも理性で思考が保たれている。人間みたいに気持ちに左右されて冷静さを欠くこともなければ、振り回されることもない。
 僕を抱き上げたまま困った顔で眉尻を下げているスィフリは、何も知らないんだ。愛なんて、それがどんなものかなんて、何も。
「泣きそうだよ、恭弥。どうしたの」
 困ったなぁと首を傾げた彼が僕を寝台に下ろして座らせた。それから気付いた顔で一つ二つと瞬く。
 君の視線と指に晒され続けた身体は、君に対しての情欲を覗かせつつあった。
 ……隠したかったのに。こんな僕。見せたくなかったのに。
「もう、見ないで」
 中古品でサイズが大きいシャツの前をたくし寄せるとギリギリ足の付け根が隠れた。

 俺を、愛してくれますか。俺に、愛されて、くれますか

(僕を、愛してくれますか。僕に、愛されて、くれますか)
 …馬鹿みたいだ。スィフリが言った『愛』は自分の有用性ってやつを証明するためだけの愛で、それ以上でも以下でもない。
 居心地の悪い沈黙の中、スィフリは困った顔のまま首を傾げた。飴色の髪は今日もやわらかくウェーブしている。
 こんな気持ちでいては駄目だと分かってる。スィフリは僕なんかより切羽詰まった状況に追い込まれているんだから、僕が助けてあげなくちゃって思ってる。スィフリはなんにも悪くなくて、むしろかわいそうなくらいで、できるなら彼の力になりたいと思ってる。
 スィフリは死ぬはずだった僕を助けた。同時に、すごく厄介なものを植えつけていってくれたけど。
「性的にコーフンするってやつだよね」
「…分かってるなら何も言わないでくれる」
 唇を噛んで羞恥心に耐えている僕に、彼は不思議そうに首を傾げていたかと思いきや、そーだ、と手を叩いてこう言った。
「抜けば早いんだろう? ねぇ、俺触ってみたい」
 にっこり笑顔で、何を言うかと思えば。
 冗談じゃない。最初はそう思った。でもすぐにこうも思った。スィフリの手でイかせてもらったら満足できるかもしれない、と。
 僕が何も言わないで黙りこくっているのを『嫌がってはいない』と取ったスィフリはやんわりシャツを押さえている僕の手を取った。「触っていい?」「…………勝手にすれば」ぼそっとぼやくとスィフリはにっこり笑顔で僕の手の甲にキスをした。 
 彼は肝心な部分を分かってない。なぜ僕が興奮してしまったのかという大事な理由だ。
 さっきまで身体検査のことでを頭いっぱいにしてたくせに、新しい玩具を与えられた子供みたいに目をキラキラさせて…馬鹿みたいだ。本当に。
 スィフリの手がワイシャツをめくって払うと、彼に触れられると分かってさっきより硬く大きくなっている性器があって、もう誤魔化しようがないほど興奮していた。スィフリの視線に晒されることで疼き始めている。
 気分は最悪だった。
 男相手にこうなってしまうのも最悪だけど、スィフリは男の形をしているだけの機械だ。そうだって分かっていたのに抑えきれなかった、自制心に欠ける自分が嫌になる。男なんてそういう生き物だと聞いたことはあるけど、自分は違うと思っていた。…思っていたかった。
「前と隣、どっちにいた方がいい?」
 気遣いのつもりなのかそんなことを訊いてくるスィフリに唇を噛んだ。僕の希望を叶える提案に落ち込んでいた気分が浮つく。
 考え方を変えるんだ、僕。
 これはいい機会だ。スィフリは何も知らないのだから、僕が教えてあげるつもりで、してほしいことをさせればいい。
「…後ろ」
「え?」
「後ろから、抱き込んで」
「じゃあベッドにしよう。二人分の体重で寝台が壊れるといけないから」
 自分の首からコードを引き抜いたスィフリはひょいっと簡単に僕を抱き上げると、場所をベッドに移した。
 全力疾走でもしたのかってくらいドキドキとうるさい心音はスィフリに丸聞こえのようで、彼はそれを笑うんじゃなく、心配してくる。「心拍がすごく速いけど、大丈夫?」「平気」ちっとも平気じゃなかったけどそう言うより他にない。
 ベッドを軋ませながら膝をついた彼が僕の後ろに回って、足の間に僕を挟むようにする。
 鼓動は忙しない。胸が破裂しそうだと錯覚するくらいに。
 彼に触れられるのを今か今かと待っている、疼く肌が、心が甘く痺れるような情欲が、憎い。
 ちゅう、と首筋にリップ音を立ててキスされてぞわっと肌が粟立った。「あ…」予想もしていなかったキスに声が漏れる。おまけに肌まで吸ってくるから一気に汗が噴き出た。それだけじゃなく、スィフリの手は僕の身体を撫でていた。やわらかく優しい手つきで。
 堪えがたい衝動が僕の全身を支配しつつある。その衝動に抗うようにシーツをつま先で蹴飛ばす。
 触るって、性器にだけかと思ってた。自分にない機能に関心があるんだとばかり。
 熱い。
「かじったくらいの知識しかないけど、恭弥のデータを加えて再構築するね。分からないことは今度自分でも調べてみるから」
 こんなときにでもデータがどうこう言うスィフリはやっぱり機械なのだ。…人間じゃない。
 僕はどうして彼のことを好きになってしまったんだろう。絶対に報われないのに。
 スィフリはじれったいくらい僕を愛でた。触ってほしい場所以外をくまなく、触れていない場所はないってくらい全部に触った。
 焦らされて、堪えていたけど、スィフリの指が胸の突起をつまんだ瞬間先走りが漏れた。恥ずかしくて、彼の顔をまともに見られなかった。
 少し弄られただけでこりこりと硬く尖って、いやらしい。
「ねぇ、ここは気持ちいいの?」
 囁く声がすぐ耳元だ。僕の肩に顎を乗っけているから。「わか、ない」「それは、刺激が足りないってこと? もっと弄っていい?」がり、と指先で引っかかれて身体が跳ねた。「や、やめ…っ」ぐりぐりと強く乳首をこねくり回されてまた先走りが漏れてしまう。
 スィフリは今気付いたって顔で片手を伸ばして性器の先端に触れた。指ですくうようにして僕の体液を目の前に持ってくる。自分のそんなものは見たくなくて僕は目を逸らしたけど、スィフリは逆で、まじまじと指先を見つめていたかと思ったらぱくっと口にくわえた。「ば…っ」わしっと彼の手を掴んで引っぱるものの、僕の体液はすでにスィフリの口の中、だ。
「馬鹿じゃないの、食べるものじゃないし、汚いっ」
「えー? そうかなぁ…」
 不思議そうに首を傾げるスィフリの顔を引っぱたいてやりたい。どう考えても汚いだろこの馬鹿。やっぱり君は変だよ。普通は食べない。
 ぺろ、と舌で唇を拭った彼は何も反省していなかった。「じれったいな。くわえていい?」一瞬言われたことが理解できず、名残惜しそうに指を舐める姿を見て『くわえていい?』が何を指したのかを知る。「だ、駄目」「どうして? 手の方が気持ちがいいとか? あ、じゃあ手で抜いたあとに口でもう一回していい?」いいこと思いついたって顔してるけど、君は自分の言ってることを理解してるのか。そう思うくらいいつも通りの笑顔を浮かべるスィフリに目の前が揺れた気がした。
 手で抜いたあとに口でくわえる、だって? そんなことされたら僕は自分を保てる気がしない。今だって心臓が壊れるって思うくらい脈打ってるのに。
 僕が答える前に、じれったいくらい身体を愛でていた手が一番触れてほしい場所に触れた。どこをどう触ればいいのか迷っているような指と、唇を噛んだ僕を観察しているスィフリは、どう触れれば僕が一番感じるのかを探している。
 僕の反応を窺う目から逃げたいと思ったけど、目を閉じたところでさっきの二の舞、感覚は閉じるどころか増すだけだ。かといって僕に触れている手を見ているのも視覚的効果で快感が増すだけ…。逃げ場がない。
 必死になって口を押さえた。こうでもしないと抑えが効かなくなる気がした。
「生殖器っていうのはセックスをして子孫を残すためだって事典には謳ってあるけど、そんなことないね。人は快感を得るためにこういうこともする…というか、こういうことをするためにあると言っても過言じゃないか」
「ん…ッ」
 どうでもいいようなことを喋るのは僕の気を逸らすためだろうか。機械故に、彼は本当に細かいところまで見ているから。
 初めて人に触れられて、それが好きになった人で。好きにならない方がよかった相手で。必死に息をして声を殺して喘いでいると、「キスしよう?」と甘い声。
 もうどうにでもなれとやけくそになって唇を押しつけると、最初のときみたいに舌を入れられた。あのときは感じなかった欲が彼の舌を求める。
 あったかいな。ちゃんとやわらかい。いっそ違和感を感じるくらいだったなら僕もまだ救われたのに。
 あのときは逃げるだけだったのに、今の僕は、口の中を自分の舌とスィフリの舌でいっぱいにしながら、熱同士を絡ませる行為に溺れている。
 だんだんと、甘く、じぃんとした痺れが毒みたいに全身に広がっていく。
 最終的に、長いキスが終わった頃には力が入らなくなっていた。スィフリに体重を預けて寄りかかって、されるがままに喘ぐ。
「あ…、ぁ、あ、はっ」
 ちゅう、と首筋にキスをしたスィフリの指が一番イイところをこすった。快感の強さに身体が勝手に跳ねて逃げ腰になる。これ以上刺激を与えられたらイってしまう、と。
 僕の先走りでぐちゃぐちゃになっている掌がふっと僕から離れた。もうちょっとでイけたのに中途半端に放置される形になる。
 どうかしたのかと思ったら、スィフリは僕の体液で汚れまくった掌を眺めて、また舐めた。「…たとえるのが難しい味だ」真剣な表情で何を言うかと思ったら、馬鹿みたい。そんなことあとで考えてよ。今は、僕を。
 放っておけばいつまでも掌を舐めていそうな手を掴んで股に持っていく。「はやく、さわってよ」…こんな言葉、自分から言う日が来るとは思ってなかった、な。
 場違いなにっこりした笑顔を浮かべたスィフリは、僕が望んだとおりに僕に触った。掌全体で性器を包み、微妙に力加減を変えながら、僕が一番感じる場所を指でこすり上げる形で快感を増幅させていく。 「あー、あっ、ぁ、イく、ぃく、い…ッ!」
 尿道の入口に指を立てられたことで快感は最高潮に達し、頭が真っ白になって、果てた。
 今までにこんなに激しい運動をしたろうかってくらい汗がひどい。動悸も。呼吸も荒い。
 スィフリはそんな僕を眺めたあと、飛び散った精液を指ですくって、やっぱり舐めた。うーんと考え込んでいたけど、上手いたとえや類似例が自分の中で見つからなかったのか、味の表現については諦めたらしい。達したことも手伝って力の抜けている僕を横たえるとベッドを下りる。
 何をするのかと思ったら、手でイかせたあとはのあの言葉のとおり、僕のをくわえた。イったばかりで敏感になっている性器に吸いつくようなその熱は強すぎた。目の前に火花が散る。
「すぃ、すぃー、だめ、やめ、」
 スィフリ、とちゃんと呼べない。舌が回ってない。身体に力が入らなくて起き上がることもできない。ただただ喘ぐだけ。
 投げ出したままの視界の中で、不安定に瞬いていた蛍光灯がふっと消えた。寿命がきたのだろう。
 口で施すだけじゃなくて、スィフリの指はまた乳首をこねくり回している。その鈍い痛みが痛気持ちいい。
 気持ちいい、と少しでも感じることで快感が増す。
 僕は、どこまで気持ちよくなれるのだろうか? ちょっと弄られただけでこれじゃあ、セックスなんかする日には本当に死にそうだな。そんなことを考えて、快楽に酔って滲んだ視界の涙を瞬きで落とし、自分の思考回路を嗤ってやる。
 僕も馬鹿だな。スィフリは機械なんだ。人間そっくりでもできないことだってある。彼が僕を抱けるはずがない。
 二度目の絶頂を迎えた頃にはすっかり疲れていたけど、おかげで思考も死んでいた。
 ようやく顔を上げたスィフリは飲み込んだらしい僕の精液の味を検証しているようで、難しい顔で腕組みをして…僕に気がつくと困った顔になる。
「どうして泣くの? 悲しいの?」
「…しらないの? ひとは、いろんなときに、なくんだよ。あくびしても、なみだがでる」
「そうなの? へぇ…」
 感心したように頷く彼から逃げるため、ベッドを叩いた。「ふとん」「シャワーは? あと検査も」「あとで。つかれた。すこしやすむ」僕の言い訳を疑わない彼は足元でたたまれた布団を広げて僕に被せた。それで少し気持ちが落ち着いたので、まだちっとも落ち着いてない身体のために、目を閉じて深くゆっくりと呼吸することを心がける。…彼が離れていく気配はない。きっと今の経験を自分の中で再構築しているんだろう。
 布団を顔まで引き上げたことでスィフリの姿が見えなくなり、ようやく息が吐けた。
(…有用性の証明……)
 彼が今もっとも必要としているもの。それを僕が与えられれば、愛してあげれば、彼は僕を愛してくれるだろうか。僕が求めているものをくれるだろうか。