2.破壊

 一生縁などないはずだった、スーパーよりツーランクは上の品物が揃えられているデパートまではボンゴレ社からGが送ってくれた。
 お供をつけるかという話もあったけど、5歳児の子供と買い物するだけなのにスーツとサングラスの人間に囲まれていたら変に浮くだろうし、綱吉が委縮するだろう。デパートは公共の場だし、スィフリがいるし、僕もいるわけだし、何かあったとしてもジョットの甥っ子を守るくらいできる。何よりぞろぞろ大勢で連れ立ったりするのが僕は嫌いだ。苛々するから。
 そういうわけで、Gは僕ら3人をデパートの前で降ろすと「帰りも来てやるから連絡寄越せ」と残して車を急発進させて去って行った。『先生、急患です』と無線の声がしたから本業の仕事でもできたんだろう。
 綱吉がそわそわと落ち着きなく辺りを見回している。不安と好奇心、半々だった瞳は、スィフリがやわらかく笑って「行こうか」と手を差し伸べれば安堵と好奇心に取って代わる。子供らしいことだ。
「…なんて読むの? あれ」
 デパートの英字『Cavallone』を見上げてぼやいた僕に、綱吉の手を取ったスィフリが「キャバッローネ。イタリア語だね。エンブレムに馬がいるだろう? そういう意味だよ」「…なんでイタリア語」海外文化は廃れて久しい。今日本に残っているものは母国語と海外=英語という認識だけだ。他の言葉なんて喋れなくても問題ない。
 なんでイタリア語なのかという点についてはスィフリも首を傾げていた。それで思い出したように「そういえばボンゴレもイタリア語にある。あさりって意味」「ふーん…パスタから取ったんだと思ってた」そっちは僕でも聞き覚えはある。スィフリは今気付いたって顔で「ああ、そっか。ボンゴレは馴染みがあるのか」…まぁ、デパートの名前の由来なんてどうだっていいけど。
「はやく、はやく」
 綱吉が小さな身体でスィフリの手を引っぱっている。苦笑いしながら綱吉に引っぱられて歩くスィフリが僕に向かってもう片手を差し伸べるので、思わず手を伸ばそうとして、ぐっと拳を握って踏み止まった。
 おかしい。それはおかしいと思う。綱吉を間に挟むとかならまだしも。
 腕組みしてぷいっとそっぽを向いた僕にスィフリは首を傾げつつ、綱吉に引っぱられて自動ドアをくぐり抜ける。
 2人の5歩くらい後ろを歩きながら、僕は人生で初めてのデパートという空間に足を踏み入れた。
 まずは綱吉が気にしている玩具の階から。
 僕は口をへの字にしてエスカレーターの横のソファで待っていたけど、スィフリは手を引っぱる綱吉についてあっちへこっちへ付き合った。僕は黙ってそれを目で追うだけ。
 平和だ。格式高いクラシックなんて子供服や玩具のフロアには合わないだろう。眠くなる。
 ピピピ、と通信の入る音に一拍置いてから左腕をかざす。ジョットに支給された腕時計型の小型端末に着信らしい。
 画面にタッチすると小さな立体ウィンドウが半透明色で空中に表示される。『白蘭』…誰だそれ。名前が中国人ぽいってことしか分からないけど憶えはない。この端末にかかってくるってことはボンゴレ関係の人間だろうけど。
「誰」
 疑問そのままをぶつけてみると、あは、と笑う声。『どーも初めまして、白蘭でーす』と軽そうな男の声がした。「で、誰。ボンゴレの人?」『そっ、ボンゴレの技術部門を専攻してまーす。パソコンとかセキュリティとか。ハッキングとかも得意だよ』語尾に星でもついてそうな軽さ。こういう人間は僕は苦手、というか、嫌いだ。苛々するから。
 たん、たん。靴先で石材の床を叩く。視線は白蘭の名を表示するウィンドウを外れてスィフリを捜していた。僕にとって視界に入れて心が安らぐとしたら彼くらいだから。
「で? 何の用」
『首尾はいかがなものかなーと思ってさ。どう? 綱吉クン泣いたりしてない?』
「…鬱陶しいくらいはしゃいでるけど。今欲しい玩具を2つまで絞って、どっちにするかって真剣に悩んでる」
 一つは、今では廃れてしまって趣味以外では持っている人間もいなさそうな、かつては有名だったらしい車の掌サイズのレプリカセット。もう一つは、なんか怪獣みたいな人形のセットだ。旧時代に流行っていそうなやつ。
(スィフリ、楽しそうだな…)
 綱吉の子供っぽさに呆れるでもなく、同じ目線になって同じものを見ている。
 綱吉にはない知識をスィフリがネットから引き出して教えているのだろうけど、その度に綱吉の目がキラキラ輝いてる気がする。きっと小さな彼からしたらスィフリは万能な、完璧な人間みたいに見えているんだろう。…まぁ、僕もそうだけど。
 綱吉が決めなければ先に進まないけど、真剣な顔で玩具二つを見比べたまま動かない。
 スィフリは苦笑いで綱吉の頭を叩いて僕の方を見た。首を傾げた彼が自分の腕を指す。この通話のことを言っているようだ。別に大した内容でもないけど、そういえばなんで僕にかけてきたんだろう。綱吉のことが訊きたいならスィフリの方が確実な情報が入るのに。
『あ』
「……何」
『キャバッローネのシステムにハッキングだ』
「は?」
『スプリンクラーが誤作動するから気をつけて』
「はぁ?」
 何それどういう意味だ、と思った途端に前触れなく天井からシャワーが降ってきた。煙もないのにスプリンクラーが水を撒き散らしているのだ。…白蘭の言ったとおりに。
 天井を睨んでからソファを蹴飛ばしてスィフリと綱吉のもとへ行く。「わ、あめっ」慌てて玩具を庇う綱吉の頭にスィフリがスーツの上着を被せた。早い。天井を見上げて「誤作動?」と呟く。
 辺りは軽くパニックだ。こういった不用意な出来事に慣れていない抜けた連中ばかりなのだろう。
「白蘭」
『ちょっと待って待って解析に忙しいんだ。あー、スィフリいる?』
「はい」
『僕白蘭ね、ボンゴレの技術部門専攻員。で、今キャバッローネのシステムにクラッキングがあった』
「クラッキング…」
『外部からそこまで許すほどキャバッローネは弱くない。っていうかキャバッローネのセキュリティの半分くらいはウチが預かってるんだ。マズいんだよねー信用問題になる』
「俺にできることはありますか」
『待ってました! 君の有用性の発揮どころだよ! じゃー君の頭に直接CALLするからヨロシク』
 そこでブツッと通信が途切れた。スプリンクラーによる雨で頼りなく揺れていた立体ウィンドウが消失する。
 綱吉の頭をぽんぽんと叩いたスィフリが「ちょっと待っててね」といつもどおりの笑顔と声をかけて僕に顔を寄せる。キスするのかって思うくらい近くて思わず一歩後退った。
 別に、嫌とかじゃないけど、人が。まぁ、従業員も含めて、誰も彼もこの状況に混乱してて、人のこと気にする余裕もないようだけど。
「少し離れるけど、ツナを見てて」
「…分かった」
 言うが早いか、スィフリは非常時に見せるあの身体能力で一気にフロアを突っ切って『関係者以外立入禁止』と書かれているドアの向こうに滑り込んでいった。「スィフリ…っ!」後を追おうとする綱吉の腕を掴んで止める。「危ないからここで待ってよう」「でも…っ」「何かあったら僕が守る」断言すると、綱吉はおろおろした目で辺りを見回しながら僕にくっついてきた。
 綱吉がどうしてジョットに引き取られるに至ったのか、その過程は、一応知っている。それが同情に値するものだということも。綱吉がスィフリに懐いた理由がなんであれ、ジョットにとっては万々歳だったのだろうということも理解した。だからこそのこの好待遇なのだろうとも。
 降り続くスプリンクラーの雨が鬱陶しい。
 顔を伝う水とはりついて邪魔な前髪を払いのけて、階下が一段と騒がしくなったのに気付いた。綱吉がぎゅっと足にしがみついてくるのが鬱陶しいけど突き放しはしない。彼がこういった、悲鳴とか喧騒とか、そういう騒がしさに過剰反応する理由は理解してる。
 …スプリンクラーの誤作動だけを目的とした愉快犯ということもないだろう。これはこれで、キャバッローネの商品を水浸しにして売り物としての価値を下げたし、顧客からの信用だって下がったろうから、ライバル企業からしたら万々歳の成果だろうけど。
 人殺しの僕に言わせれば、ぬるい。こんなおままごとみたいな遊びで世界の半分以上ができているのかと思うと吐き気がするくらいだ。
「…綱吉」
「う」
「ちょっとだけ、そこの棚の前で小さくなっててくれる?」
「おにーちゃんは」
「お客さんの相手」
 どうやら、この騒動の犯人は愉快犯ではないようだし、本気のようだ。
 でも、馬鹿だな。スプリンクラーの誤作動以外にどんなクラッキングやハッキングを仕掛けたのか知らないけど、たとえ監視カメラの映像をクラッキングさせても、平和ボケした人間の目や記憶に焼きつくことになるのに。それこそ、最終的にここにいる人間皆殺しにしなくちゃ、犯罪の痕跡を消すことなんてできやしないのに。それともそのつもりだ、とか? それはそれで馬鹿みたいだけど。
 スーツのポケットに両手を突っ込んで懐かしい感触を握って引き抜く。
 人口の雨を弾く、ギラリと鈍い銀の色。
 折り畳み式のトンファーは、スィフリが取っておいたデータから同じ型で再現してもらった。銃とかも携帯しているけど、ここ一番てときは僕はこれがいい。
 ひっ、と息を呑んだ綱吉が慌てて棚の前に転がり込んだ。「できれば目を閉じて、耳も塞いで」頭から被っているスーツの上着の上から律儀に耳を塞ぐ綱吉に唇だけで笑う。そうそう、いい子だ。
 雨で停止したエスカレーターを駆け上がってきた武装集団はテロリストみたいな恰好をしていたけど、その姿に恐怖を覚えてフロアの隅で蹲る買い物客とは逆で、僕のテンションは上がっていく。
 相手は犯罪者だ。これだけのことをした。キャバッローネにどんな恨みがあるかなんて関係ないし、それによる利害も僕は興味がない。ただ、今している仕事はそこで震えている綱吉を守ることにある。その存在を脅かすものには容赦しない。そういう仕事だ。
 僕も犯罪者だ。現状そうじゃなくても、過去にはそういうことをしていた、同じ穴の狢。だからこそ手加減はしない。
(咬み殺してあげる)