3.死執行

『状況は?』
 最後の5階分を跳んで上手く着地を決めて壁に背中を預けた。視界の右側をサーモセンサーに切り替える。壁の向こうの制御室では床に転がされている人間が4人。体温が平均値より下がり始めているから、死んでいるんだろう。容赦のないことだ。
『制御室に到着。恐らく守衛の4人が死んでいます。中にいるのは5人です』
 状況的に声を出すわけにいかないので、チャット形式にして報告する。『なんだと…』と呻いたのは正一というボンゴレ社の技術要員の一人だ。ボンゴレに最初に電話したとき出たのがこの人。『あわわわマズですよマズいですよー、どうするんですか、武装集団までキちゃってますよ! これディーノ氏が危ないんじゃないですか!』こっちの騒いでる声はジャンニーニっていうセキュリティ部門の管理職の人なんだけど、こういう土壇場には弱いタイプみたいだ。
『ジョット呼んできたよ〜』
『スフィリ、オレだ』
 白蘭のあとにジョットの声がした。『状況は白蘭から聞いてだいたい理解した。ツナは無事か?』『恭弥が守ってると思いますが、できるなら早く戻ってあげたいです』『そうだな。決断が必要か…』押し黙ったジョットにサーモの視界を細くする。
 この扉の向こうにいる人間は監視カメラの映像を見てるはずだ。武装集団と恭弥が交戦していたら、応援が必要だと判断して人員を割くかもしれない。時間をかけることはそれだけツナと恭弥を危険に晒す。
 恭弥が警備部門のリーダーであるリボーンと武器なしの肉弾戦で実力を示したことは記憶に新しいけど、それでも心配だ。恭弥が交戦している間ツナはどうしたって無防備になる。
『ジョット』
 時間がありません、と続ける俺にジョットは深く息を吐いた。
『キャバッローネとは会社を設立する前から交友関係があってな。トップのディーノとは今でも付き合いがある。…この襲撃の目的は定かではないが、殺しも辞さないとしている連中なら、仕方がない。スィフリ』
『はい』
『ツナのためにも、キャバッローネのためにも、君の力を貸してくれ。すべての人間のためにではなく、オレ達のためにだ』
『はい』
『襲撃犯を鎮圧しろ。可能ならば尋問のために何人かは生かしておけ』
『…はい』
 直接表現はしなかったけど、ジョットは俺にこう言っているわけだ。『キャバッローネを襲撃した、殺しも辞さない危険な連中を殺せ』と。
 恐らく普通のアンドロイドには必要のなかった機能。博士はそれを俺に組み込んでいる。どんな有事のさいも人のためになるアンドロイドとして。そうだったらいいなぁという希望系の見解ではあるけど。あの人、何考えてるのかよくわからなかったし。入れたかったから入れた、とか言いそうだ。
 俺はこの状況に対して有効的な手段を持っている。許可さえあれば、俺はそれを使える。
(鎮圧執行システム『リュンヌ』セイフティ解除。システム起動。ボンゴレ社・ジョットの要請により、目標鎮圧までの限定期間内の殺生を承認)
 頭の中でカチンと鍵の外れるような音がした。
 スラム街でも、今まで一度も人を殺したことはない。それは『人のために作られた機械』である俺には過ぎたことだった。兵器であるならそれは定義に当てはまっていたかもしれないけど、俺はアンドロイドだ。人のために尽くす機械が、人を殺めることは、有用性の証明という課題のある俺にはしてはいけないことだった。そのために普段は力を押さえるようセイフティもかけられている。
 今は『ジョットに求められたから』という正当性の証明できる理由でセイフティを解除したから何も反動はないけど、自分一人で勝手に解除しようものなら、できるけど、反動が酷い。らしい。そんなことしたことがないから分からないけど。
 かざした右手の表皮にもぞもぞとナノマシンが集まって刀になった。日本で武器って言ったらやっぱりこれだろう。
 制御室の扉を十字に切り刻むと紙みたいに呆気なく崩れた。同時に飛び込み、事前にセンサーで探知しておいた場所を薙いでいくだけの簡単な動作。それを5回やればすんだ。経験がないせいか最後に勢いが殺しきれずばんとコンソールに手をつく形になる。
 監視カメラのモニタリング画面にツナ達のいる階が映っている。恭弥が戦っている。すぐに戻らないと。
 頸動脈を薙いだから血しぶきを浴びてしまった。きっと酷い姿をしている。ツナが怖がるかもしれない。でも、躊躇っていられない。
 刀の形をしていたナノマシンが崩れて今度は小型のジェットエンジンになる。それで地下からもといた階まで飛び上がり、関係者以外立入禁止の扉を蹴破る。同時にナノマシンの形状記憶を解除、スーツの上着を払って携行している小型ピストルを両手に構えて、恭弥がトンファーを振るって一人の頭を打ち砕くところまでを計算に入れながらぶっ放した。
 2人くらいわざと外して、あとは眉間か心臓を狙った。糸が切れた人形のように次々と倒れ込む人間に恭弥が飛び退って距離を取り、俺に気付くとよく分からない顔で唇だけでよかったと笑った。無事でよかった、って意味だろう。
 足と腕を撃ち抜いて満足に動けない2人の手首を強化プラスチックでできている糸で縛った。ピアノ線より頑丈で切れ味も抜群という怖い代物だ。頑丈なので色々な使い方ができるとリボーンが言っていた。備えあれば憂いなしだと他にも色々預けられたけど、さっそく使うことになるとは思ってなかったな。
「フロアの鎮圧は完了。他の階の様子は?」
『残るは最上階だ。ディーノという友人がいる。そこには別働隊が向かっているようだ。ディーノは訳あって自力で動けない。頼むぞスィフリ』
「分かりました」
 ツナにも恭弥にも怪我はなさそうだ。一刻を争うので、銃声にガタガタ震えているツナの頭を撫でて、恭弥に「あと5分お願い」と囁いて、銃をホルスターに突っ込んでナノマシンをジェットエンジンに変換して飛ぶ。
 間一髪のところで間に合い、最上階、社長室の扉の施錠を電動鋸で突破した3人組に追いついた。
 俺に気付いて振り返った一人の眉間をナノマシンで構成したナイフで貫き、散弾銃を構えた相手の弾はすべて軌道を読んで避けた。避けきれないものは最低限の傷だけを作る形に留め、ナノマシンで構成したナイフを放つ。
 残るは一人。
 電動鋸を俺に向けて構えた相手はじりじりと後退る。退路は俺の後ろだ。さてどうする。
 残った一人は俺と向き合う形でじりじりと僅かに踵で後退しながら部屋の中へと進み、電動鋸を連続運転で稼働させたまま、ぶん投げた。ある場所に向けて。そこにあるのは最新式のカプセル型医療用ベッド。
(ディーノは訳があって自力で動けない…この襲撃犯の狙いはディーノか)
 電動鋸を無造作でいて狙った場所に投げ捨てた相手は携行している銃を抜き放っている。とても手慣れた動作だ。俺という機械でなければきっと何人も死んでいる。
 空気を震わせる電動鋸の重量を計算し、止めるのに必要なだけのナノマシンが表皮から空気中へと飛び出すと、演算速度が若干落ちた。
 医療用ベッドの前に鋼鉄の壁として無慈悲な鉄色が床から天井までの障壁となるのと、電動鋸が突き立つのはほぼ同時だった。
 銃を構えた相手が全弾躊躇いなくぶっ放す。演算速度の落ちた頭で推測した弾の軌道を計算して算出、身体が弾を回避するのに生じたタイムラグが少しだけ。その少し、百分の一秒で避けられなかった弾を肩に一発食らった。銃撃にもっていかれそうになる身体で踏み止まり、ただでさえ減っているナノマシンでナイフを形成、携行しているもう一丁の銃を引き抜いた相手の眉間へ向けて渾身の力で放つ。
 正確に描いた軌道を飛んだナイフが相手の眉間に突き立ち、その手から銃が転がり落ちた。続けて人の倒れる重い音が響く。
 ふー、と息を吐いて投擲の形に保っていた手を下ろす。
(演算速度低下。ナノマシンを強制帰還)
 普段一定に保たれている演算速度が低下したとき、その処理を手伝うと決められているナノマシンに勝手に指示がいき、ナイフと壁を形状記憶して形になっていたナノマシンが次々と崩れて俺のもとに戻ってくる。その指示を上書きして電動鋸が突き刺さってる箇所だけはそのまま維持させた。
 身体に浸透していくナノマシンの数を数値として表示、そのうち攻撃を受けたりして損傷したものなどが使えないものとして計算され、体内で生産される目途、そのために必要なエネルギーなどが算出され、数字と記号で埋め尽くされていくウィンドウを頭の片隅に追いやる。
 電動鋸をオフにしてしっかり掴んでからすべてのナノマシンを体内に帰還させ、重たい鋸を床に横たえた。
「鎮圧完了しました。そちらから異常は確認できますか」
『いや、大丈夫だ。よくやってくれたスィフリ』
(鎮圧執行システム『リュンヌ』終了)
 ジョットの言葉を以て現時点で鎮圧執行システムが正常に終了し、自動でセイフティがかかりロックされる。
 状況は終了した。
 ジョットが警備やセキュリティの人間に指示を出す声を聞きながら、念のため、医療用ベッドのディーノという人物の安否を確認しようと思い、カプセル型で完全に中の人間を覆う形のベッドを覗き込み……納得した。
 カプセル型ベッドに横たわっているのは、左半身に酷い傷を負った状態の、ジョットと同年代だろうと思われる男が一人。
 爆発にでも巻き込まれたのか、ディーノの半身は視診しただけでもかなり酷い。火傷を負ったと思われる表皮、それに手足の末端から壊死し始めている。いくら医療用ベッドに常時治療を施されていたとしても、時間の問題だ。
 そんな左半身とは違い正常に機能している右半身の右手を掲げ、ディーノは俺に向けてひらりと手を振った。
『おー、助かったぜ』
 ベッドから発せられる声は機械合成の男の声だ。もう本人は満足に喋ることができないからだろう。「ジョットの指示です」『ジョットの? ってことはお前、ボンゴレの』「はい」身分証明が必要になったときに使うといいと言われた、ジョットの署名つきの電子署名の名刺を表示させた俺にディーノは息を吐いた。『まぁた助けられたなぁ』「…?」また、という部分に引っかかりを覚えつつ、『ディーノも無事なようだな』というジョットの声に「はい」と返し、医療用カプセルベッドを指で撫でた。
 色々ツッコミたいところはあるけど、今はそのときじゃないだろう。
 ひとまず状況は沈静化したし、あとの処理は警察や然るべき機関に任せるべきだ。俺がしたことへの有用性についてはジョットの指示を信頼しているし、今回のことが問題になったとしても、まぁ、仕方がないこととも言える。
 気になったことを訊ねるのはボンゴレに帰還してからでも遅くはない。
「スィフリいいぃ」
 玩具売り場に戻るなり飛びついてきたツナの頭を撫でて、迷ってから抱き上げる。赤い色で汚れた俺を見て一度は怯んだけど、それでも抱き上げてくれとせがんでくる両手を払う権利は俺にはない。
「怪我はしてない?」
「うん」
「怖かったね」
「うん」
「離れてごめん」
 ぶんぶん首を横に振るツナのあやしつつ、それとなく恭弥を観察する。忌々しそうにトンファーを振るってこびりついた肉片を払い落とし、血で汚れた鈍色を睨みつけて手入れが大変だとばかりに吐息してみせる姿はおよそいつも通りだ。「恭弥は、怪我とか」「ない」ぶん、とトンファーを振るった恭弥は諦めた顔で武器を折りたたんでポケットに押し込んだ。「君こそ、怪我…」言いかけた恭弥がはっと気付いた顔で左肩を掴んでくる。痛いです。「怪我っ、してるじゃないか」「一発もらっただけだよ。ナノマシンが治療してるからもう治る」ちょうどいいタイミングでミシッと音を立てて体内から体外へ弾を押し出したナノマシンが傷口を塞ぎ始める。
 恭弥は複雑そうな顔で濡れた床に転がった歪んだ弾を見下ろしていた。

 その後、警察より早く到着したボンゴレの面々は、ジョットと白蘭がディーノのもとへ向かい、制御室には正一とリボーンが向かった。Gは怪我をしてる一般人がいた場合のためと、生け捕りにした二人の状態を診ている。
 やって来た警察にあれこれ訊かれるかと思ったけど、ボンゴレが提出したデータでほとんどのことは証明できるようで、あとは映像と証言に違いがないかを確認する作業的なもので終わった。
 取り調べを終えて警察署を出ると、外でツナとジョットが待っていた。「お疲れ」と片手を挙げて車に指示を出すとエンジンがかかる。ツナがばたばた走ってきて足にタックルしてくるので抱き上げ、恭弥と一緒に後部座席に乗り込んだ。
 運転席のGが片手運転でタバコをくゆらせる。
「ま、お疲れさん」
「いえ」
 膝の上に座っているツナの頭を撫でつつ、「すみませんでした」と謝ると、前の座席の二人、ジョットとGがミラー越しに視線を向けてくる。「どうした、急に」ジョットの声はあくまでいつも通りだ。でも。
「ツナを危険な目に合わせてしまいました」
 そうこぼした俺にばっと顔を上げたツナが「スィフリのせいじゃない!」と声を荒げてぽかぽか胸を叩いてくる。
 ふん、と鼻を鳴らした雲雀が「誰もあんなことが起こるなんて予想しないよ。確率としても相当低いでしょ。君のせいじゃないと僕も思う」「うん…」「それでも君が自分が悪いって思うなら、僕も悪いってことになる」「どうして?」「君の立てたスケジュールにそれでいいって僕も同意したから」…また随分な屁理屈だなぁ、それ。
「おじさん、スィフリわるくない!」
「ああ、分かっているよ。そのことでスィフリを怒ったりしないから心配するな」
 ジョットが苦笑いで応じると、頬を膨らませてぷるぷるしていたツナがわぁっと泣き始めた。その急激な変化にぎょっとする俺。「ツナ? ツナ、どうしたんだ」「おもちゃ…」「え? あー」そういえば玩具を買おうとしてて、頑張って二つまで絞って、さあどっちにしようかってところだったんだっけ。すっかりそんな場合じゃなくなって忘れていた。
 わんわん泣くツナをあやしつつ、助手席のジョットを窺う。泣き喚くツナに参った顔をしたジョットが「分かった、分かった、今から違うデパートに行こう。そこで新しい玩具を買おう。な? ツナ、それならどうだ」ぐずつくツナがこっくり頷くと、タバコの煙を吐き出したGが相変わらず片手運転でハンドルを切った。仕方なさそうに進路変更する。
 ツナの泣き声に迷惑そうに眉を顰めていた恭弥がはぁと息を吐き出す。親馬鹿だ、とか言いたそうだ。