4.有由日

 怖い思いをさせることになってしまったツナには好きな玩具が2つ買い与えられた。キャバッローネで気にしていた掌サイズの車のレプリカセットと、歴代怪獣と題された人形のセットだ。どちらも世界恐慌以前は人気だった。とくに車はたくさん走っていたんだとか、プレミアがつくものもあったんだとか。
 でも、世界経済がガラリと変わり、23世紀に入ってからは海外の国が経済を回し切れなくなり、それによって犯罪や略奪が横行、治安は荒れ、やがて内紛により消滅していって、最終的に日本のみが法治国家として残っている。そんな時代にもなれば、原油を海外に頼っていた日本の車産業は当然立ち行けない。早くからこの展開を先読みして電気自動車を取り入れていた会社以外はほぼ倒産。プレミアと名のつく車なんかは早々に換金されておしまい、だ。今ではこうして玩具として語り継がれるくらいで、走っている現物を見たことはない。
 その玩具をわくわくした顔で順番に一つずつ並べていくツナの前で積み木の家を作る。意味はとくにないけど、一緒に何かしていた方がリラックスできるかなって。
「なんてかいてあるの?」
 かさ、と同封されていた取扱説明書を揺らすツナの手から紙片を受け取る。
 各車名、その車についての簡単な説明、排気量、搭載されているエンジン、駆動方式…ツナには名前だけでよさそうだな。「車の名前と、どういう車かって説明してある」「ふーん。じゃあこれは?」赤い車を掲げるツナ。「それはフェラーリ。イタリア製だね。昔はカーレースっていうものがあって、そのレースはフェラーリが多かった。要するに、すごく速いんだ」「ふーん。じゃあこれは? へんなかたちしてる」今度は出目金みたいなライトのある新緑色の車を指す。「それはジャガーっていって、面白い形のインパクトと高性能さで売れたんだ」「ふーん」感心した顔で何度も頷くツナが車を指す。俺が答える。その繰り返し。
 車については納得したのか、次は人形セットの箱の包装紙をがさがさと剥がし始めるツナ。
「おにーちゃんは?」
「恭弥なら、」
 トンファーの手入れで別室に…とは言えない。「お手洗いだよ」「ながくない?」「お腹痛いんだって」「…けが、した?」眉尻を下げるツナに違うよと頭を振る。うまい嘘が思いつかない。駄目だな、今度上手な嘘について検索しておこう。子供には必要な、安心をあげるための嘘だ。人のためになる嘘なら俺が口にしても問題ないはず。
 ツナは少し沈んだ表情で箱の包装紙を丁寧に剥がすと、床に置いて折り目をなぞるように伸ばし始めた。きれいに四角くした包装紙の上に箱を置き、人形セットを開封する。
 部屋のテレビからは子供向けの児童番組が流れているけど、ツナはあまり興味がないようだ。
「替えてもいい? チャンネル」
「うん」
 ゴジラ、というらしい怪獣の人形を掲げて手足や尻尾を動かし始めたツナの顔がまたキラキラしている。
 リモコン片手にテレビのチャンネルを順番に回していく。国営放送、ニュース番組、昔のドラマの再放送、バラエティ番組の再放送、旅行番組の再放送…ほとんど再放送ばかりだ。知識になりそうなことは、昼寝をしている国会議員の目立つ国会中継より、ニュース番組、かな。
 チャンネルをニュース番組に戻すと、キャバッローネデパートのことが取り上げられていた。
 ツナの様子を盗み見て、音声を小さくする。ダイヤルを調節して拾える音を大きくすることでニュースキャスターの声を認識する。
『本日午前11時頃、デパート「キャバッローネ」を武装集団が襲撃するという事件が起きました。犯人グループは捕らえられた二人を除いた全員が死亡。偶然その場に居合わせたボンゴレコーポレーションのSPが適切な処理をしたとのことです』
(ふーん…)
 どうやら俺達のことは『SP』という立場で伝わっているらしい。その方が民間に報道しやすいってことだろう。あれだけ立ち回っておいてただの『教育係』で通るとは思わないけど、それにしてもSPって…変な意味でボンゴレの名前が有名になりそうだ。
 画面が切り替わり、現場のキャバッローネデパート内を映したものになる。散乱した商品、濡れたままの床、止まっているエスカレーターなど、ほぼそのまま放置してあるようだ。
『なお、犯人の一人は警察の調べに対し「金で雇われた」と供述しているようで、この犯人グループの目的はキャバッローネ社長ディーノ氏にあったようです』
(へぇ)
 これは新情報だ。
 あの集団はあれだけのことをしたのに理由は『お金』。これでキャバッローネはもう立ち行かなくなるのに、そんなこともお金、か。
 ディーノが雇われ集団に命を狙われた。その理由がなんであれ、一度そういうことがあったのなら、二度目だってあるかもしれない。誰もが考えることだ。
 今回は買い物客に被害は出なかったけど、次があると仮定して、同じように買い物客が無傷でいられるか、それが保証できるか…と言ったらそれは難しい。
 報道は伏せられているけど制御室の守衛は全員死亡が確認されている。どれだけ警察が秘匿しても、被害者の家族や関係者から、ネットの海にこの情報はすぐに流れてしまうだろう。そのすべてを知った上で今後もキャバッローネを利用しようと考える人は少ないはずだ。誰だって我が身が大事で、危険は回避する。買い物なら他のデパートがある。それを考えるなら、キャバッローネのデパートはもう経営が難しい。路線を切り替えて商品の提供だけにラインを絞るにしても、今回のことを受けてもなおキャバッローネの商品を置こうと考える場所がどのくらいあるか…。
 ディーノのあのカプセル型医療用ベッド。相当維持費を食うはずだ。24時間ずっと稼働していて、なおかつ施術も施されているとして…簡単に弾いてもデパートの収益の一割は維持費に充てていたはず。デパートの経営が難しくなった今、ディーノの治療費の問題も気になる。これくらいのことジョットも考えるだろうけど…。
 頭を巡らせている間にキャバッローネについての報道は終わっていた。パッケージが変わっただけで中身は一切変更のない食品が新商品として報道されている…よく見る手のCMだ。もう新しいものが打ち出せないとなるとこの手はよく使われる。
 そこに恭弥が戻ってきた。トンファーの手入れが終わったらしい。
 ぱっと顔を上げたツナが「おにーちゃん、おなかは? いたい?」「は?」顔を顰めた恭弥が俺を睨みつつ「平気だよ、治った」と嘘に付き合ってくれたので、ツナは安心して三つ首のドラゴンみたいなのを掲げて「ガオーガオー」と吠える真似をして喜んだ。
 いいところに帰ってきてくれた、恭弥。
 部屋に入ってきた恭弥のそばに行って「ちょっとツナのことお願い」と小声で頼むとまた顔を顰められた。
「ジョットのところか」
「うん。色々話したいことがあるから」
「…はぁ」
 その内容が何かについては口を噤んだ恭弥がちらりとツナを見やった。「…僕は子供の相手なんてできないよ」「そこをなんとか、頑張って。30分くらいで戻る」はぁ、とまた一つ溜息を吐いた恭弥がしっしと手を払ってさっさと行けと言外に言ってくれたので、わがままを聞いてくれたお礼に頬にキスしたらなぜかビンタではたかれた。痛い。
「ば…っ! さっさと、行けっ」
「へぇい」
 今朝だってちゅーしたのにどうして今のはビンタされないといけないのか、釈然としないまま、人形両手に怪獣同士を戦わせることに夢中になっているツナの部屋をそっと抜け出した。
 ジョットの腕時計型端末に『お時間ありますか。いくつかお話したいことがあります』とメールを送るとすぐに返事が返ってきた。ジョットも俺の訪問を予想していたらしい。
 最初にボンゴレ社を訪れたときに案内された応接室に行き、扉をノックする。「開いてる。入れ」というジョットの声に「失礼します」と断ってから扉を開けると、ボンゴレ内では見たことのないスーツに眼鏡の男が一人、ジョットと相対する形でソファに座っていた。お客さんだろうか。
 入っていいと言われたけど、本当に入っても大丈夫だったろうかと迷っていると、ジョットが笑った。「紹介しよう。ディーノの秘書兼世話役のロマーリオだ」紹介されたロマーリオが俺に向かって一礼するので、俺も一礼を返した。ディーノの秘書か…やっぱりジョットはもう動いてたんだな。じゃあ、大丈夫そうだ。
「ロマーリオにはもう君達のことは紹介済みだ。遠慮するな」
「はい」
 応接ソファに歩み寄ってもう一度一礼し、「スィフリです。その後、ディーノ氏は」「ああ、ウチのボスなら心配いらんよ。ぴんぴんしてる。あんたのおかげだ」「いえ…」ジョットの指示がなければ俺は動かなかった。その点でいえば、あの短時間で遠方から監視カメラの映像その他を完全に掌握したボンゴレのセキュリティ部門の才能と、ジョットの判断があればこそ、だ。俺があの場にいただけでは何にもならなかった。
 顔を上げると、ロマーリオが眼鏡の向こうから細目でまじまじと俺を見上げていた。
「映像を見たが、未だに信じられん…お前さん本当に機械なのか?」
「はい」
「足が変形して空飛んだり、腕が刀になったり?」
「はい」
「ちょっとだけ見せてくれ。な、ちょっとだけ」
 興味津々のロマーリオに困ったなとジョットを窺うと、苦笑いで一つ頷かれた。
 この場合、危険ではないものにしよう。ジェットエンジンも刀も安全とはいえない。
 考えた末に出てきたのはツナがさっき遊んでいた怪獣の人形の顔だった。金色の三つ首のドラゴン。
 右手左手、あと頭のてっぺんから、記憶の再生で生まれたナノマシンの竜の頭を三つにょきっと生やすと、ロマーリオがぎょっとした。「さ、触っても大丈夫か…?」「どうぞ」ぺたぺた両手のドラゴンの頭を触って、それが腕と完全に結合していることを確認してさらに驚いている。頭の竜が口パクで長い舌をちらつかせることにも。ジョットは笑ってたけど。
「なんだ、それは」
「ツナがさっき選んだ玩具の一つですよ。昔人気だった怪獣の人形セットの中にこれが」
 変形していた腕がしゅるっともとに戻って頭から生えていたドラゴンの頭が引っ込むと、ロマーリオはずり下がった眼鏡のブリッジを指で押し上げた。「はぁ、すげぇな。ボンゴレの秘蔵っこか」その言葉にジョットは曖昧に笑った。「いや…まぁ、そんなところだ」曖昧なままロマーリオの言葉を濁し、俺に目で隣に座れと言ってくるので従って着席する。
 ノックもなしに扉が開いたと思ったら、ティーセットを持ったGだった。俺がいるのを見て取ると扉の外に立っているスーツの人に「おい、誰かもう一人分お茶の用意してこい」と指示し、扉を閉める。
 首を捻ったジョットが「で? スィフリの用事はなんだ?」至極当然のように訊かれて、視界の片隅でロマーリオの様子を見つつ「あの…ディーノ氏や、キャバッローネの今後のことを、ジョットはどう考えているのか、気になって」関係者がいる前では堂々とは言いづらいことだ。話が明るい方向へ向かないならなおのこと。
 が、そんな俺の心配を他所に、ジョットはいつものように笑った。いや、いつもの笑顔に若干困った顔も混じっている。
「今話し合っていたところだ。やはりスィフリは頭が回るなぁ。ほらG、オレの言ったとおりだったろう」
「へっ。機械だったら頭回んのは当然だろ」
 軽口を返しつつGがロマーリオとジョットと俺の前に紅茶のカップを置く。砂糖とミルクも。
 ジョットは真面目な顔に戻ってミルクに手をつけた。「まぁ、今のところ決まっているのは」言いながら琥珀色の液体に白い色を落としていく。
「今回濡れてしまった商品だが、破格の三割引きでウチがすべて買い取る。商品は従業員の自由意志でこれを購入できるものとする。これでキャバッローネの大赤字は防げるだろう」
「そう、ですね」
「以前から話し合いには出ていたんだが…これを機にキャバッローネとボンゴレを合併する。形式的にはボンゴレがキャバッローネを吸収する形だ。
 今回の事態をオレもディーノも重く受け止めている。ディーノには狙われているという自覚が足りなかったし、オレ達は責務であるセキュリティ方面の突破を許してしまうという失態を犯した。よって、両成敗、だな」
 …そう聞けば、まぁそうかもな、と納得してしまいそうになるけど。
 ジョットはあくまでキャバッローネの視点に立っている。キャバッローネ側からすればこれは万々歳の申し入れかもしれない。倒産しなくてすむし、大赤字は防げるし。でもボンゴレは? ボンゴレ側の利点ってなんだ。キャバッローネの商品を買い取って合併という形で人員を吸収して、でも、それだけ資金は減るわけで。
 それに、ジョットは『狙われているという自覚』と言った。
 ボンゴレがキャバッローネを吸収合併するとして、そうなるならなおのこと、その『理由』を知っておいた方がいい。今回のようなことになった場合今度は我が身だ。ボンゴレへの被害は俺の有用性に懸けても食い止めなくてはならない。
 考えている俺の頭をGが叩いた。考え込むな、とばかりに。
「ディーノとは古い付き合いだ。経済面だけでスッパリ捨てられるような奴じゃねェんだよ」
「…どのくらいですか? 付き合いって」
「ん? そうだな…かれこれ10年にはなるか?」
「あー、そうだな。気付けばそんなもんか」
 10年。
 なら二人は知っているはずだ。ディーノが左半身に負った傷の理由も、経緯も、今回なぜディーノが命を狙われたのか、その可能性についても。
「じゃあ、あの傷の理由はなんですか? それに、命を狙われる理由も」
 一つ突っ込んだ俺にジョットとGは目配せだけでお互いの意見を交わした。最後は許可を求めるようにロマーリオに。
 そのロマーリオは「一本いいかい」とタバコを取り出したところだ。「構わない」と灰皿を差し出すジョット。ロマーリオがライターを取り出し、タバコに火をつけて煙を吐き出す。
「まぁ、ウチのことに関してならお前さんらの判断に任せるよ。ボスはそのことを話されたくらい気にしないさ」
 気負いも何もなく笑ったロマーリオを視界に入れつつ、紅茶のカップを持ち上げる。
 エネルギーのない飲み物はあまり摂らないんだけど、形式的にも、口をつけておいた方がいいだろう。
(30分では帰れないかも…。ごめん恭弥。頑張って)