7.愛之名

「あのね〜ちょっとお願いがあるんだ。あ、っていうかキチンと会うのは初めましてだね。僕は白蘭。よろしくね。キャバッローネデパートのときは協力ありがとー」
 頭の中に直接CALLされて、指定された階に行けば、白髪? 銀髪? のいくつか年上だろう青年がいて、俺にそう挨拶して握手を求めてきたので、こちらも手を差し出して握手を交わした。
 白蘭。キャバッローネデパートのときに先立っての指示を出してジョットを呼びに行った人の名前だ。こんなに若いとは思ってなかったけど。
 ボンゴレは若手を採用する企業なのかもしれない。その方が将来性があっていいと俺は思う。
 安定性を重視すると自然と経験の少なく浅い若者は立ち入れない保守的な企業が多くなる。そういう企業ばかりが連なったら、日本は海外のように立ち行かなくなることは目に見えている。そういった意味でも俺はボンゴレが好きだ。ここは、なんていうか、日本の未来を切り開いていける、そんな場所に思えるから。
「お願い、ですか?」
 首を捻った俺にぱちっと手を合わせた白蘭は「とりあえずこっち来て。僕の仲間を紹介するよ」とシンプルイズベストな廊下を歩いていく。
 その背中についていきながら、さりげなく周囲を観察した。
 一定間隔の扉、近づかなければ読めないような銀プレートに小さな文字で記されている部屋の名前…右と左、どちらのエレベータから入ってきても鏡に映したように全く同じように見える造りは、意図的なものだろう。この階はエレベーターを降りたところで認識票の提示を求められたし、それだけ重要な階ってことになる。
 白蘭、を検索すると、技術部門専攻員と出てきた。中国からの難民で、技術部門をまとめる一人である正一がジョットに推薦し、認められ、ボンゴレ入りしたらしい。
「中国って、どんなところですか」
 訊ねると、白蘭は苦笑混じりにこっちを振り返った。
「思い出ってこと? そんなのないよ。僕は孤児だしねー。気付いたときから泥水すすって生きるような生活さ」
「…海外ってどういうところなんですか? 俺は知識しかなくて。最近の情勢は嘘か本当か分からないようなことしかネットに流れないので、何が真実なんだろうって思っていて」
「んー、なるほど。真実ね。キミの言う真実かは分からないけど、どこもかしこも戦争・略奪・力と欲の騙し合いってところかな」
 戦争。略奪。力と欲の騙し合い。日本の外に出たことのない俺にはスラムの状況が国規模になったって想像しかできないけど…。
「世界は滅んでいくんですね」
 ぽつりとこぼした俺に白蘭は明るく笑った。
「まぁ、そうだろうね。資本主義ってね、行き着くとこまで来ちゃうとさ、崩れちゃうんだよね。上の重みに耐えかねて。あ、資本主義って分かるよね?」
「はい」
「反資本主義は?」
「だいたいなら」
「ま、分からなきゃキミにはネットがあるか。うん、で、ボンゴレは反資本主義の会社だと思ってくれていい。一部の利益を追求して労働者を社畜みたいに扱う企業とは違う。だから僕はここに入ったってわけ。ここでなら働きたいかなぁってね」
 こくり、と頷く。そう言われればジョットはそういうイメージもある。利益を求めて労働環境を悪化させるということはないし、相手が平社員だろうがGだろうが態度は同じだ。変わらない。初めて会ったときはスラムだったにも関わらず俺にも今と変わらず普通に接してくれた。
 この会社は……会社というか、大きな家族…みたいな。あたたかい感じがある。
 白蘭は人差し指を立ててくるくると回しながら、「でもさ、ここからが難しい。資本主義を撤廃することなんて誰にだってできるんだよ。問題はそれに代わる体制さ。ウチもね、長年色んな分野に進出したりして視野を広げてきたんだけど、これっていうのがなかなか」ふう、と肩を落とした白蘭が足を止めた。「あーここここ。さ、どーぞ」扉の横の認識票と生体認証システムで扉のロックが解除される。
 中は、壁の一面がモニタの光で溢れた眩しい部屋だった。ボンゴレ内の監視カメラの映像…だけじゃないな、これ。前にキャバッローネのシステムを預かってるって言ってたし、他の会社のものもあるんだろう。かなりの数だ。隣の部屋も同じような空間なのか白っぽい光が漏れている。
 白蘭はその部屋をスルーしたので、俺もスルーした。目が合った人には軽く頭を下げておく。
 隣の、さらに隣の、そのまた隣。地続きになっていた部屋に扉がある。ここにも認証システムか。
 バシュ、と音を立てて開いた扉の中へ「やっほー正チャンお待たせ」と気軽な声をかけて中に入る白蘭に続く。この部屋は今までのように暗くはなく、逆に普通の部屋に見えた。壁はのっぺりしてるけど、ベッドがあって、パソコンがあって…ここ、正一の部屋だろうか?
 ベッドサイドには大きめの棚があって、すべて円盤状の記録媒体で埋まっている。
 あれはたぶんCDだ。イマドキ音楽なんてネットでも配信されているのに。それとも、昔のものだろうか。レコードほど年代物ではないにしても、CDを手に入れるのだってそれなりに面倒だったろう。
 その正一はソファでうたた寝していたらしく、白蘭の声で飛び起きていた。ヘッドフォンが頭からずり落ちてソファの上にぼすっと落ちて音を立てる。「ぁ、ああもー寝てた!」「それ僕のせいじゃないよ」「分かってますよそんなこと! ああもう」寝転がったことで崩れていたシャツの襟をびしっと立てて、眼鏡をして、きりっと表情を引き締めた正一が「呼び出してすまない、スィフリ」と頭を下げるので、「いいえ」と頭を下げ返しておく。
 正一は白蘭と同い年くらいに見えるけど、立場的には白蘭の上司なのに、なんで正一が敬語なんだろうか。それとなく疑問だ。
 ツナは今お昼寝の時間だ。ものすごく長い話になるって場合を除けば、とくに帰りを急ぐこともない。
 恭弥は腰が痛いってベッドの上で唸ってたし、急いで戻っても睨まれそうだ。心配してもなんでか怒るんだよなぁ。なんでだろう。
 正一がパソコン前のデスクチェアに腰かけたので、俺は勧められたソファの方に座った。白蘭は部屋の隅の冷蔵庫を開けている。「えー何コレ正チャン、ジュースないの?」「ないですよ。麦茶の入ったボトルがあるでしょう? それで」「うえー、僕甘いもの飲めると思ってたのにぃ」ちぇっと舌を出した白蘭が仕方なさそうに麦茶のボトルとコップを3つ持ってきた。
「それで、お願いっていうのはなんでしょう」
 首を捻った俺に二人の視線が一瞬かち合う。白蘭はすぐコップにお茶を注ぎ始めた。一方正一は歯切れが悪い。
「いや、その、もしよければ…という話なんだが」
「はい」
「最新テクノロジーの塊であるキミをちょびっとでいいから調べてみたいわけだよ、僕ら」
 もごもごする正一の後半のセリフは白蘭が引き継いだ。にっこり笑顔つきで。
 ボンゴレのことは信頼している。俺の有用性が証明できたのはボンゴレのおかげだ。協力できることはしようと思っている。…でも。
 ぺこり、と頭を下げて「すみません。それはできません」と言うと、正一からは『やっぱり』という感じの残念そうな溜息。白蘭からは「ええーなんで? ちょっと調べるだけだよ? ねぇちょっとだけだよ。変なことしないよ。痛くも痒くもないよ」と詰め寄られる始末。
 視線が迷うのは、博士が俺に託したものについて、思考が巡ったからだ。
 俺は博士の最高傑作と呼ばれる作品だ。博士は別に、自分の技術が盗まれることには関心を持っていなかったけど、今回は事情が違う。
 博士が最期に俺に託したデータはすべて浸透している。それがなんだったのか、データの染み込んだ身体ではもう判別がつかない。上書き保存されたシステムのバックアップは取っていない。今の俺を調べられることはできれば避けたい。
「必要なデータがあるなら、可能な限りの形で提出します」
「ええー」
 ぶうたれる白蘭に、正一は眼鏡のブリッジを指で押し上げ「白蘭さん」と釘をさした。ちぇ、と舌打ちした白蘭が麦茶の入ったコップを呷る。
 大きめの携帯端末を起動させた正一が仮想キーに指を置いた。「では、まずは口頭でいい。君を作成した博士について知りたいんだ。何せ僕ら科学者の夢を体現した人だからね」そう言われて、あの人がねぇ、なんて思ってしまう俺である。知らぬが花というやつか。

「博士の名前は、ジェペット・ロレンツィニ。独身。年齢は…本人が忘れたって言っていたので、外見から判断すると、三十代半ばから後半だったと思います」
「両親ともに科学者で、技術を売りにして日本に渡りました。博士は彼らの子供として科学専攻の大学まで出ています。そこからは独断で色々やって、興味の向くまま研究を続けてたそうです」
「生活するのにはお金が必要ですから…両親が科学実験の失敗で事故死したあと、仕方なく政財界に関わり始めて、仕事をもらって生活して…最終的に政界を毛嫌いして田舎に引っ込む形になりました。その頃には生活に困らないくらいは稼いでいたみたいです」
「俺の作成に着手し始めたのは、この辺りからではないかと思います」

 二人とも黙って俺の話を聞いていた。静かで、それでいて真剣な眼差しで。
 質問、と手が挙げられれば俺は出来うる限りその問いに答えた。
 改めて博士のことを語ったのは、これが初めてのことかもしれない。
 この人達はあの人達とは違う。博士の遺物を探して家探しした人達とは違う。博士を科学者として尊んでくれる。こういう人が博士の周りにいたら、あの人の最期もきっと違うものになっていただろう。もしも博士のそばにジョットがいたら…案外うまくやっていたかもしれない。
「あ、ねぇ、博士の顔写真とかないの? 三十代の男ってだけじゃ想像が追いつかないんだよねぇ」
 白蘭に言われて頭の中を検索してみる。何枚かヒットしたけど、顔が判別できるほどちゃんと映っているものは一枚だけだ。その写真を目の前の正一の端末にメール添付して送った。立体ウィンドウに表示された写真を覗き込んだ白蘭が「へー、普通のオジサンだね!」「…白蘭さん」「素直な感想だよ〜。この人が偉大な科学者になれるんだから、正チャンも夢じゃないって!」ばん、と背中を叩かれて正一は溜息を吐いていた。「そんな簡単じゃありませんよ…」と。
 白蘭に送られる形でセキュリティ部門の部屋を出て、シンブルイズベストの廊下を歩いてエレベータ前に到着。上行きのボタンを押す。
「さっきのさ、資本主義の話だけど」
「はい」
「スィフリは思いつく? 資本主義に成り代わる社会の体制とか」
 三白眼の瞳にじっと見つめられ、視線が泳ぐ。「ええと…考えたこともなかったので。今は何も浮かびません」正直に答えると白蘭は明るく笑った。「ま、フツーはそうだって。っていうかそんなホイホイ答え出されたら長年考えてきた僕らが馬鹿みたいだよ」控えめに笑って返し、ポーン、と音を立てて扉を開けたエレベータの箱の中に乗り込む。
「でもさ、考えておいてよ。そりゃね、キミは自分の身体をイジられるわけだから、抵抗あるのは分かってる。僕らこれでも一応専門職だからさ。キミの身体、何かガタが来る前に打てる手は打ちたいんだよね」
「…俺は体内にナノマシンがいますから、傷も直ります。食物を摂取すればエネルギーにできますし、外部の手はいりませんよ」
 首を捻った俺に白蘭は笑う。
 その笑顔がどういう意味なのか、問う暇もなく静かにエレベータの扉は閉ざされ、最上階へと上昇していく。
 何か引っかかるものを感じつつも、まずはツナの部屋に行ってそっと中を覗いた。
 電気を落とした部屋はほんのりとした色合いの星の光で満たされている。ホログラムのプラネタリウムだ。ただ暗いだけの部屋では怖くて眠れないというツナのため、色々考案した結果、今はこの形で落ち着いている。…まだ寝てるなぁ、ツナ。
 脳内時計を確認。そろそろ昼寝を始めて一時間になるみたいだから、夜もちゃんと寝れるように、もう起こそうか。
 そっと部屋に入って、ベッドで眠りこけているツナを揺り起こした。「ツナ、そろそろ起きよう」「んー…」もぞもぞ動きはしたけどまたぱったり静かになる。「夜寝れなくなるよ。ツナ」小さな肩を揺さぶってみるものの、すやすや眠り続けるツナ。
 まぁ、いいか。起きたらいつもより運動量の多い遊びをすれば、夜も自然と眠くなるはず。
 ツナを起こすのは諦めて、自室に行ってみる。
 バシュ、と音を立てて開いた扉の向こうでは、恭弥が部屋を出て行ったときと同じでベッドの上で恨めしそうに俺を睨んでいた。こっちの部屋にはホログラムは何もしていないので、部屋本来の風景があるだけだ。エッチのときには雰囲気を出すために色々変えちゃうけど。
「ただいま?」
「…おかえり」
 ぼそぼそとした声で返事があったので安心した。怒っているわけじゃないみたいだ。よかった。
 触ると過剰反応するとかで、俺には恭弥お触り禁止令が出されている。
 ものすごくちゅーしたいけど我慢。我慢。何かすることない? って世話を焼きたくなるけど我慢。恭弥は触るなって言うし、気にするなって言うし。それってなかなか難しいんだけど、我慢。

 ぼそっとした声に、テレビでもつけようかとリモコンを持った姿勢で首だけで振り返る。「え? 何それ」「名前」「誰の?」「君の」ぼそぼそした声に首を傾げる。。俺の、名前?
 ころり、と転がった恭弥がこっちに背中を向けたまま「スィフリって、呼び名なんでしょ。君の有用性は証明されたんだし…お祝い。名前、あげる」ぼそぼそした声に何度も瞬きした。記憶を再生する。『スィフリって、呼び名なんでしょ。君の有用性は証明されたんだし…お祝い。名前、あげる』さっき聞いたのと何も変わらない。
 名前。俺の。

 俺の、名前。
 もう我慢できない、とベッドに駆け寄って抱きしめると恭弥がぼかすか殴ってきた。「ばっ、触るな、馬鹿!」「無理、もう駄目、かわいい。ぎゅってしてたい」「ぅ、馬鹿じゃないのほんと、かわいくなんてないっ!」「かわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいい」「〜っ!」どすっ、とわりと本気で鳩尾を殴られてクラッときた。さすが博士。人体に忠実に作ったんだな。必要ないだろう性器までくっつけた人なんだから、ほんと、変な人だったなぁ。博士。
「愛してるよ恭弥」
 頬にも鼻の頭にも耳にも首筋にもところかまわずキスしていると、ぐいっと前髪を引っぱられた。痛い。抜けちゃう。
 また殴られるかなと思ったけど、恭弥は涙目でこっちを見上げていた。プログラムでできてる頭でもこうムラってする。噛みつきたい。
 欲求にあっさり敗北した俺は恭弥とちゅーしていた。さっきの涙目は『するなら口にしろ』って意味だったらしく、恭弥はそれ以上パンチを繰り出すことなく俺の舌を受け入れた。
 ベロちゅーで恭弥の唾液を吸って舌のやわらかさを味わいつつ、潤んでいる灰色の瞳と見つめ合っていると、恭弥が触るなって言っていた意味が分かってきた。つまるところ下半身が疼くわけである。
 性行為ってすごいなぁと変なところで感心してしまう。知らなければ無縁でいたかもしれないのに、体験したら囚われてしまうわけか。快楽ってすごいんだなぁ。
「ん…ッ」
 鼻にかかった吐息があれだ。エロい。
 恭弥の口を塞ぐようにキスしながら、冷静な思考が告げる。このままは駄目だ、と。
 よくないことだと分かってはいる。今はまだ仕事中だ。ツナの就寝までが俺達の仕事なんだ。きっともうすぐ昼寝から起き出してくる。そうしたら仕事に戻らなくてはいけない。キス以上はできない。このままは、よくない。
 このままキスしていたら触ってしまう。服を脱がしてしまったら行為が止まらなくなる。
 キスに応える舌の動きが鈍ったとき、足音が聞こえてきた。歩幅は小さい。ツナだ。起きたんだろう。
 リップ音を残して顔を離した俺に恭弥は不満そうにむくれていたけど、扉の外の気配に気付いたらしく、痛いって顔をしながらも身体を起こした。ベッドサイドに投げたままだったスーツの上着を預けて扉の前に行く。
「スィフリ? おにーちゃん?」
「いるよ」
 小さな声に扉を開けると、ツナがほっとしたように笑顔を見せた。「おれ、おきたよ。えらい?」「えらいえらい」小さなツナを抱き上げてさりげなく部屋を離れる。恭弥勃ってたから自分で処理して戻ってくるだろう。その間ツナを部屋から離さないと。
「そうだ、俺名前が変わったんだ。これからはって呼んでね、ツナ」
 忘れないうちにと告げたら、ツナが目を丸くした。「?」「うん。恭弥がくれたんだ。いい名前だろ」笑った俺に、ツナはこっくりと一つ頷いた。それから難しい顔になって「スィフリじゃなくて、、スィフリじゃなくて、」ぶつぶつ練習しているから、しばらく間違えて呼ばれるだろうけど、そのうち憶えてくれるだろう。
 俺の名前。呼び名以外でやっともらえた、名前だ。