8.終之歌

 キャバッローネデパートでの出来事があって、無闇にツナを外に連れ出すのはよくないかもしれないと学んだ俺は、外での活動にはボンゴレ本社ビルの屋上の庭園を利用している。
 夏には日中の陽射しを受け止め、ビル内の温度管理に一役買う存在として緑や草花が植えてあって、目にも優しいし、環境にも優しい、素敵な庭園だ。
 屋上は中央のせり上がった部分にヘリポートがあり、上から見ると、そこ以外はほとんど緑に覆われている。
 実質的には半分が庭園スペースで、半分が何かの研究施設みたいになっている。G曰く、機械好きのスパナという変わり者の技術師が寝泊まりしながら自作のなんちゃらって機械をいじったりしているらしい。
 今日は陽射しもあっていい天気だし、庭園の緑は青く茂っている。冬だから彩りは少し寂しいけど。
 社員の運動不足解消のために開放されている庭園で、転がってきたサッカーボールを蹴飛ばした。あっちの方では大人グループがサッカーをやっているらしい。健康的でいいことだ。
 サンキューと片手を振られたので片手を振って返し、隣で花壇の花と図鑑の花を睨めっこしているツナに視線を戻す。
 あまりアクティブなタイプでないツナのため、今日の午後は図鑑を片手に庭園の草花や木を観察して、それがどんなものかを勉強するという時間にしている。
 恭弥は退屈そうにスーツのポケットに手を突っ込んでフェンスにもたれかかっている。暇、って顔に書いてある。
 ツナは難しい顔で図鑑と現物のチューリップを睨めっこしていた。「」「うん」「チューリップは、どうしておなじチューリップなのに、いろがちがうの? こっちはあかで、こっちはきいろ」花壇の赤いチューリップと図鑑の黄色いチューリップを指す小さな指に、目線を合わせて屈み込む。「色素かな」「しきそ?」何それ、と首を傾げるツナに腕組みする。色素なんて5歳の子に言っても分かるはずがない。うまい例え方はないだろうか。
 悩んでいると、恭弥がぼそっとした声で、「ミニトマト」と言った。ツナと二人で顔を向けると、フェンスの向こうのビル群に視線を投げたまま、恭弥はこう続けた。「黄色いのと、赤いのとあるだろ」「うん」ツナがこっくり頷く。「パプリカ…ピーマンも、黄色とか赤とか緑とかある」「うん」「それと同じだよ」納得した顔のツナになるほどと感心する俺。身近なものに例えると小さな子にも分かりやすい、と。
 小春日和なら外でじっとしているのも大丈夫だろうけど、今は冬だ。コートを着ていても屋上を吹き抜ける風は強く、小さなツナはビル風の突風から図鑑を死守しながらぐしゅっとくしゃみをした。元気な大人組のようにサッカーでもすれば身体はあたたまるんだけど。
「ツナ、ボール遊びはしない? あったかくなるよ」
「うんどうきらい」
 ぶすっと拗ねた声でそっぽを向いての一言に苦笑いしてしまう俺である。
 うーん…そのうち、ツナでもできるスポーツっていうのを考えないといけないな。小さい頃から運動を習慣づけておくと大人になってもいい方向に働くことはデータとして証明されている。あとは、気持ちの向かせ方一つだ。
 寒いから今日はここまでにしようか、とツナから図鑑を受け取ったときだった。
 チカ、と視界に刺す光。太陽のものではなく、作られた、人工物の。
 他の追随を許さない高さを誇る東京のシンボルタワーが轟音と共に爆発した。今では国会議事堂の役割も兼ねている、完璧鉄壁のセキュリティを誇ると謳われている、国の重要な場所が、呆気なく崩壊していく。
 大人組が蹴り上げたボールがコントロール下を大きく離れてフェンスにぶち当たった。びくんと大きく震えたツナが足にしがみついてくるので、抱き上げて、シンボルタワーへと視界をズームする。可能な限り拡大した視界の中では落下する瓦礫、ガラス類、風に飛ばされてくる粉塵が判別できた。「」気遣わしげな声で隣にやってきた恭弥にツナを預ける。「すぐ中へ。俺は庭園の人達を」「分かった」恭弥が迷わず屋上の出入口へと走る。我に返った大人組も出入口へと駆け出しているけど、動けないでいる人が何人かいる。
『口と鼻を衣服で覆って目を閉じてください! 早く!』
 今から走ったとしてもう間に合わないと判断して、マイクで拡声させたような大声で屋上全体に響き渡るように忠告する。
 口と鼻をハンカチで覆って目を閉じる。3秒後に爆風と砂粒のようなものが顔や身体を打ちつけた。この距離なら瓦礫の欠片が飛んでくるということはないはず。
 粉塵を含んだ衝撃波が過ぎ去ったのを確認して薄目を開け、睫毛の上にのっていた砂埃を払い落とす。
 現時点で屋上に残っている人達のところへ駆け寄り、一人一人に声をかけて状態を確認しながら、頭の中のCALL音に通話を繋げた。
、無事か』
「俺は問題ありません。ツナは恭弥と一緒にビル内です。屋上に残っている人達にも怪我はなし。粉塵は浴びてしまったので、念のためGに診てもらった方がいいかもしれません」
『分かった、すぐ向かわせる』
 赤外線カメラで生物の反応をチェックし、一人も見落としがないことを確認する。
 改めてシンボルタワーの方をズームした視界で捉える。粉塵と土煙、爆発の影響で視界がかなり悪い。…さすがにここからじゃ、生存者の確認もできそうにないな。
 屋上に残っていた人達を出入口まで誘導し、常駐医のGが今からここに来るので待っているよう伝え、エレベータ横でツナを抱っこした恭弥のもとへ。ぎゅっと恭弥にしがみついて震えているツナの頭を撫でる。二人とも怪我はなさそうだ。「他の人達は?」「階段で我先にって下りていったけど…さっき社内アナウンスでGが診察するって言ってたから、戻ってくるんじゃない」一つ頷いて、涙目で手を伸ばしてくるツナから一歩二歩引いて距離を取った。抱っこしてあげたいけど、粉塵まみれになってるから、今は駄目だ。人体に有害なものは検出されなかったけど、念のため。
「ツナを部屋に連れていって。俺はジョット達を手伝うから」
「…分かった」
 不承不承、という感じでエレベータに乗り込んだ恭弥と、涙目で「」と手を伸ばすツナに手を振って、笑う。
 不安なときにこそ笑顔を見せないと駄目だ。俺は人のためになるアンドロイドなんだから。
 ツナと恭弥を乗せたエレベータが54階で止まったのを見届け、頭に手を添える。
 シンボルタワー崩壊の影響か電波状況がよくない。そこら中で情報発信されているせいだろう。必要な情報を拾うのに集中しないとならない。
「ジョット。シンボルタワーの様子は?」
『ああ…消防や救急が出動したところだな。被害の全容はまだ把握されていない…。うちは人命救助に役に立つ人材があまりいないから、手を貸せないな』
「俺が出ます」
『いや。も我が社で待機だ。この先何が起こるか分からん。事態に備えなくては』
「……分かりました」
 頑な、というか、硬い、と感じる声に首を捻ったものの、ジョットの命令だ。従おう。
 Gによる検査と、俺は技術組みのスパナによる検査を受けて、みんなに異常がないことが分かった。あの爆発は基本に忠実な爆弾で、放射線その他の危険なものは含まれていなかったらしい。
 シャワーを浴びて粉塵を落とし、念のため着ていたスーツはビニール袋に入れて口をしっかり縛っておく。
 洗面所から出たら待ち受けていたツナを抱き上げ、まだ濡れている髪にタオルをのっけたまま部屋へ。
 恭弥は眉間に皺を寄せてテレビの中継を睨んでいた。ツナを不安にさせないようにだろう、片耳にイヤホンをつけてニュースの中継リポートを聞いている。俺はそのこもった音を拾いつつ、ベッドに腰かけ、ツナを膝の上に乗せてタオルで髪の水気を拭う。
 テレビの中継を気にして不安そうな顔をしているツナの気を逸らせたい。何かないかな。何か。
「ツナ、髪の毛拭いてよ」
「う、ん」
 タオルを預けると、ツナはおずおず頷いた。恭弥に横目で睨まれた気がするけど大目に見てくれると嬉しいです。
 ツナはもそもそベッドの上を移動して、俺の後ろに立ち、わしゃわしゃとタオルで髪を拭き始めた。
『現場では懸命な救助活動が行われています。現在生存が確認された方は以下のとおりです…』
 あの爆発でシンボルタワーの上部が倒壊し、下の広場に落下。冬とはいえ陽射しのある午後のいい天気の空の下、遅めの昼食を摂っていた人間は瓦礫に押し潰されほぼ即死状態だったそうだ。倒壊した建物の上部には国会議員や政界の人間が多く集まっていたらしく、そのほとんどが安否不明のまま。『唯一の法治国家に対するテロか?』『これでこの国も終わった』といった書き込みが連なる掲示板を頭の片隅に表示させたまま、滝のように流れる文面から情報になりそうなものを捜す。
 目に見えての混乱はまだ始まっていないにせよ、一部のスーパーなどでは買い溜めの人だかりができ、商品がなくなり始めているともある。見えない先行きに後押しされた形だろう。今後そういった場所は増えていく。国に指示を出せる人間がどれだけ生き残ったのか分からないけど、早く手を打たなくてはこの混乱と不安は水面に生まれたさざなみのように広がっていく。…何か手を打たないと。
『今のうちに食料確保に急げ。トイレットペーパーと水もだ。風呂桶に溜めるんだ』『貯蓄なんて意味がなくなるぞ、今のうちに使っておけ』『落ち着いて。被害は甚大だけど腐った人間どもが消えたんだ、好都合じゃないか。これでこの国ももう少しまともになるって』『そうだよ、いい機会だ。机上の政治しか知らない馬鹿なオヤジどもじゃなくて、実際に汗水流して働いてきた俺達って人間が国を作っていくべきだ』『そんなのどうでもいいよ。今までの暮らしができればそれで満足なんだ。誰か早くなんとかしてくれよ』
「…………」
 滝のように流れていく文字の羅列から意識を外す。有益な情報は上がりそうにもないな。感情論ばっかりだ。
 これが単なるテロで、日本を崩壊させることが目的なら、主要施設の破壊…つまり、ライフラインにも被害が出るはずだ。電気、水道、ガス。時間差があっては警備やセキュリティは強化される。素人が考えても分かる。すべての破壊が目的なら、もうすでに破壊されているはずなんだ。
 それなら、犯人の目的はなんだろう。
 この掲示板で数多い言葉のように、資本主義の崩壊…一部の人間だけに利益が循環する、その流れを変えるため?
(なんだろう。何かしっくりこない…)
 確かに、今回のことは土台を引っくり返すだけの効果はあった。同時に多くの混乱と不安も呼び起こしている。今はまだ一部に留まっている混乱と不安が伝染すれば、国を作り直すどころか、社会の秩序やルールは意味がなくなり、略奪と暴動の嵐が待っているだろう。これではまるで博打のような…。
「なんか」
 ぼそっとした声に思考を中断する。ツナが自分からドライヤーまで持ってきたので、コンセントの届くベッドサイドに移動して、「何?」と恭弥に声を投げる。
 恭弥は不機嫌そうな目つきで中継画面の続くテレビを睨んだまま口を開いた。
「どうでもいいって感じだね」
「何が?」
「これ。やった犯人。何がどうなろうが知ったこっちゃないっていうか……まぁ、こうなって嬉しいのはスラムの連中だろうね。今頃規制線を踏み越えてるんじゃないの。警察も消防も救急も全部出払ってるんだ。彼らには好都合だ」
 そう言われると、そうなる、か。
 こういう混乱した状況にスラムで生きる人々は強いだろう。生きている環境がそもそも違うから。
 何かが繋がりそうな気がしたけど、ツナがドライヤーのスイッチを入れたので、熱と温風に思考を一時中断した。重たそうにドライヤーを持つツナの手に手を添えて支える。
 夜になって、不安がって『一人は嫌だ』と言うツナのため、一つのベッドで3人が川の字で寝るということになった。ツナは真ん中だ。恭弥がぶすっとした顔をしてたけど、布団の上に置かれた手を握ると眉間の皺が少し減った。
 ジョットもGも夕飯には来なかった。
 この事態にセキュリティ部門の人間は夜通しやることがあるらしいし、警備部門も同様に緩みが出ている周辺の警備に駆り出されている。ジョットやGといった上の人間は会議で事態について話し合っている最中だ。
 俺にもできることはあるはずなのに、『不安がっているツナの相手をしてやってくれ』と言われたことがどうにも腑に落ちない。この場合、それは俺でなくてもできることの気がする。
 部屋の電気を消して、ツナの部屋とそっくり同じ淡い色のプラネタリウムのホログラムを部屋に投影して、しばらく。見知っている2人の体温に挟まれて安心したのか、ツナから寝息が聞こえてきた。
 淡い光の中、俺と恭弥は目を合わせたまま、ツナを起こさないよう、ひっそりと言葉を交わす。
「ねぇ」
「ん」
「死んだって発表されてた人間の顔、憶えてる? テレビに映ってた」
「うん」
「君に有用性を証明しろって言ってきた奴らが全員入ってた。少なくとも、あの裁判にいた人間は全員」
「うん」
「…意味があると思う?」
「…分からない…かな」
 恭弥の指をするすると撫でて弄りながら、翳った思考を追い払った。
 恭弥の言うとおりだ。俺をバラそうと考えていた人間の、知っている顔が、全員死んだ。首から上だけが倒壊したシンボルタワーの正面玄関の中に散らばっていたらしい。そう、器用に首から上だけが、鋭利な刃物で切断されて、散らばっていた。身体の方は見つかっていない。これはネットの海から拾った情報だ。テレビでは『死亡が確認された』としか報道されていない。
 これには明らかに意図があるだろう。
 建物が倒壊したことに巻き込まれただけなら、遺体すら見つからない、安否不明で片付けられていた。『この人間は確実に死んでいる』と知らしめるために犯人がわざと首から上を切断して置いていった…そう考えるのが自然だ。
 確かに、あの人達は偉い人達だったと聞いた。詳しい役職まで調べようと思ったことはないけど、シンボルタワーにいたのは役職として、だろう。……これが偶然なら、できすぎている。本当に。
(俺に、関係が…ある。のか?)
 だから、ジョットは俺を動かそうとしない、とか? そう考えると辻褄が合う…。
 思いついてしまうと、確認したくなってきた。会議の様子も知っておきたいし。
 恭弥の指を滑った手が離れようとすると、ぱしっと音を立てて握られた。「どこ行くの」こっちを睨みつける瞳を見つめる。…濡れてる。星の光の瞬きでキラキラしてる。「ジョットのところ」「綱吉の面倒を見ろって言われたんだろ」「うん。でも、それって変だ。キャバッローネのときは俺に事態の収拾を命じたのに、今回の非常事態にはじっとしてろなんて、変だろ。だからちょっと訊いてこようと思って」すぐ戻るよ、と言う俺の手を恭弥は離さない。なおのこと強く握りしめて、その強さと反比例したような小さく弱い声で「行かないで」とこぼす姿に、不覚にもじわっときた。
 恭弥だって不安なんだ。俺にそばにいてほしいんだ。
 その気持ちは、嬉しい。頼られていることは誇らしい。俺の有用性は恭弥に求められたときに一番マックスに感じられる。
 満たしてあげたい。それが俺にできるなら。
「…すぐ戻るよ。待ってて」
 涙目の恭弥の頬に顔を寄せてキスをする。恭弥は相変わらず涙目だったけど、「30分で戻ってくるって、約束…」「分かった」了承すると、唇を押しつけられた。軽く舌を絡ませるキスをしてからベッドを下りてカーディガンを羽織る。ボンゴレの電気系統にアクセスして今集中的に電力が消費されている部屋を割り出し、淡い星の夜に沈む部屋に恭弥とツナを残して自室を出た。セキュリティ管理部門以外で集中的に電力が消費されている場所。そこが会議が開かれている場所だ。
 エレベータのボタンを押し、ポーンと音を立てて到着した四角い箱の中に乗り込む。

 それが、恭弥とツナとの長い別れの時間の始まりになるとは、俺は露も知らないままだった。