夜、贅沢にクーラーの効いた部屋で、借りてきたDVDをガラスのテーブルの上に並べた。「恭弥どれが見たい?」「…ねぇ、どうしてホラーが半分なの?」「え、だって夏の定番だろ?」首を捻ったオレに恭弥は呆れた顔をした。
「暑いの嫌いなくせに夏の定番は見るの?」
「いや、こう背筋が寒くなって体感温度も下がるかなーって期待を込めてさ」
「意味が分からない」
 あはと笑うと恭弥はそっぽを向いた。ちょっと拗ねてる顔だ。
 全部で五つ借りてきたDVDのうち三つがホラー系、一つはオレが見たかった洋物で、もう一つは恭弥が見たいって言った恋愛もののやつ。
 借りてくるともうパッケージはないディスクだけの状態だから、全部裏返してどれがどれだか分からないようにして、適当にぐるぐる混ぜた。顔を顰めた恭弥に「はい選んで」と言えば、迷った手が一つを取り上げる。引っくり返すと、ホラーだった。まぁ確率的に引くのはしょうがない。
 本当にこれ見るの? とでも言いたそうな顰めた顔ににオレは笑った。そういえば恭弥ってこの手のものは得意じゃなかったか。「何ならオレ一人で見るけど」「その間僕にどうしてろっていうの君は」「あー、勉強とか?」適当に言ったら睨まれた。首を竦めてピッとボタンを押す。夜だから開けていたカーテンをもう一度閉めて、部屋の灯りを落とした。「ちょっと」抗議の声に「暗い方が映画って感じだろ」と返して再生機にDVDを入れる。再生ボタンを押せば、宣伝が始まった。恭弥はぶすっとした顔でソファでクッションを抱いている。
「何飲みたい?」
「…カフェオレ」
「うーい」
 スーパーで買ってきた安いポップコーンの袋とカフェオレを二杯入れてソファに戻ると、恭弥はテレビを見ないようにしていた。「はい」カップを差し出せば、こっちを一瞥した恭弥が俺の手からカフェオレを受け取った。
 テレビでは他のホラー映画の宣伝シーンで、大音量にしても文句の言われない環境をいいことに、ホームシアターの四つのスピーカーから甲高い悲鳴が耳をつんざく。びくっと震えた恭弥がなんかかわいかった。隣に腰かけたらひっつくようにされたからちょっと笑う。
「怖いの?」
「見てて気持ちいいものじゃない」
「怖いならやめるけど?」
「…別に、怖くない」
 怖いを強調してみたところ、恭弥が拗ねたようにそっぽを向いた。
 嘘ばっかり。じゃあなんで俺の腕絡め取るんだか。まぁいいんだけどさ。恭弥がオレに甘えんぼなのは昔からだ。
 宣伝が終わって、本編再生をしようとして指を止めた。「ちょっと待ってて」「え、何、なんで離れるの」「ブランケット取ってくるよ」ぎゅっと腕を抱き締めてオレが離れることを拒否する恭弥に苦笑いして、その手にクッションを預けた。不安そうな面持ちの恭弥を残して部屋に行く。なんかかわいいんだから。ただの映画なのにさ。
 手触りのいい白いブランケットを持って戻れば、恭弥はテレビを見ないようにしていた。隣に戻ってリモコンの再生ボタンを押して、恭弥に白いブランケットを被せた。またオレの腕を絡め取ってテレビをあまり見ないようにしてる視線が上がってかち合う。首を捻ると顔を逸らされた。
 引いたのはエイリアンと人間が戦うヤツだから、ホラーというよりサバイバルな感じの内容。グロいシーンがあるのは同じかもしれないけど。
 ぴったりオレにくっついて、おまけに寄りかかってくるから、支えるために片腕をソファについてもう片腕で恭弥の背中を抱いた。もう本編は始まっていて、地球にエイリアンが飛来したシーンだった。
「怖くないよ。これエイリアンVSなんたらってヤツだから、ちょっとグロいシーンが多いだけで」
「…………」
 ブランケットを握り締めた恭弥がテレビの方を睨みつける。エイリアンが二種類が地球に到達し、地球で出会った殺戮しか知らないそれらは、人間を玩具のように殺しながら互いを初めて認識し、闘争の火がついたように周りを巻き込んで暴れ始める。まぁそんな感じの映画だった気がする。
 ぼけっと眺めてると、つんざく悲鳴でびくと震えた恭弥がさらにオレにくっついてきた。黒い髪が顔をくすぐって、ふわりといいにおいが香る。「ちょ、恭弥」さすがに体重をかけられると腕がくじけてくる。クッションを抱き締めて不安そうな面持ちの恭弥を押し返すとなぜか睨まれた。「重い」「うるさい」べしと頭を殴られる。痛い。
 結局恭弥が怖がってくっついてくるから、なんか知らないけど寝転ぶ破目になって、そんなオレに抱えられるようにして恭弥は白いブランケットを被ってテレビを見たり見なかったりしていた。
 なんでこんなふうに腕の中に男を抱いて映画見ないとならないのか、甚だ疑問である。戦闘シーンとか悲鳴とかに反応する恭弥はかわいいけど。
 そんなに怖くもないなぁと思いながらカフェオレをすすってポップコーンを口に入れた。そういえばさっきから恭弥は食べてないなと気付いて、伸ばした手でポップコーンをつまんで恭弥の口元に持っていった。顔を上げた恭弥と視線がかち合う。つーか近い。キスしそう。
「食べたら」
「…よく食べれるよね。こんなの見ながら」
「フツーだよこれ。あと二つもっと怖いよ」
「そんなの見ないもん」
 頬を膨らませた恭弥がかわいくて笑ったら、つまんでいたポップコーンをオレの指ごと食べられた。ぺろりと舌で舐められて指を引っこ抜く。くすぐって。
 テレビではエイリアンに対し人間側が頑張ってるところだ。オレも頑張らないといけない。何をって、…この状況と闘うことを、だろうか。
 映画館で映画を観るなんて金銭的余裕のないオレは、結局また恭弥に頼っている。涼しくて快適な部屋で大音量で映画を見るなんて贅沢をしてる。お金は恭弥持ち。恭弥は気にしなくていいと言ってくれるけど、夏の間バイトしない代わりに極貧生活で過ごすつもりだったオレはなんだか申し訳なくてだね。そんなわけだから、恭弥のわがままには全部付き合うつもりでいる。ここで過ごさせてもらってる最低限のマナーみたいな? だから恭弥が腕の中にいるって事態に疑問は浮かんでも反論みたいなものは浮かばない。
 頬杖をついてた腕を崩す。その腕に頭を乗せて、恭弥の黒い髪が微妙に邪魔をしてる視界で映画を見る。
「恭弥さぁ」
「何」
「…言ったら怒りそう」
「何それ。はっきりしてよ、鬱陶しいから」
「じゃあ言ってみよ。今の恭弥さ、なんかかわいいよ。女の子みたいで」
 言ったら、ごすと腹に肘打ちを食らった。「い…っ」思わず呻く。やっぱり怒った、しかも容赦ないし。「僕は男だ」「うん、知ってる分かってる。つか痛い…だから怒りそうって言ったのにぃ」「うるさい」スピーカーから大音量の爆発音が轟いて、びくと身を竦めた恭弥がオレの身体に埋もれるように身動ぎした。さっきよりさらに体温が密着する。オレの心臓の鼓動恭弥に伝わってそうだ。「ねぇ、音もう少し小さくしない?」「映画らしくないからやだ」リモコンを遠くにやると、手を伸ばしかけてた恭弥に睨まれた。
 片腕を恭弥の腰に回して「いいから見よ。あと三十分、ラストスパート。オレがいるから怖くないでしょ」と言うと、こっちを睨んでいた恭弥がぷいと顔を逸らしてテレビの方を見た。ブランケットを強く握っていた手が俺の手に重なる。
 細い指先がオレの手の甲を撫でた。その感触がとてもくすぐったい。
 さっき冗談半分だったんだけど、恭弥は白いし細いから、こうして抱いてると本当に女の子と錯覚しそうだ。なんて。
 それから風呂をすませてリビングのクーラーを切って、恭弥の部屋のクーラーを入れてそっちに引き上げた。アクエリアスをぐびぐび飲んでたら恭弥がバタンとドアを開けて部屋に戻ってきて、濡れた髪もそのままに隣までやってくる。ごくんとアクエリアスを飲んでボトルから口を離した。
「まだ濡れてるよ恭弥」
「あんなの見たせいだ。なんか落ち着かないじゃないか」
 ベッドに座り込んだ恭弥が機嫌悪そうに髪を拭き始める。少し考えて、「もしかして怖いの?」と訊いてみるとじろりと睨まれて肩を竦める。「じゃああと二つはオレが一人で見るよ。恭弥が見たら怖くてトイレ行けなくなりそうだから」「馬鹿にしないでくれる」「…そう? じゃあ今から見る勇気ある?」にやりと笑うと恭弥に頭を叩かれた。暴力反対、痛いってば。怖いって認めればいいのに。
 ぞんざいに髪を拭っただけの恭弥に「ドライヤーで乾かさないと駄目だよ。お前すぐ風邪引くんだから」と言うとまた睨まれた。「ドライヤー持ってこようか」よっこらせとベッドを立ち上がると、シャツの裾を引っぱられて足が止まる。
「一人にしちゃやだ」
 早口の言葉に、言った本人がはっとしたように掌で口を塞いでシャツを握る手を離した。視線を床に固定して悔しそうな顔をしてる恭弥に一つ二つと瞬きしてから苦笑いをこぼす。
 どうやらあれでも恭弥には刺激が強すぎたらしい。うーんじゃああとは二つ本当に見ない方がいいと思うな。でも借りてきちゃったんだし、オレがこっそり見ればいいのかな。
「じゃあおいで」
 手を差し出せば、その手を睨みつけた恭弥が仕方なさそうに白い手を重ねてきた。本当は怖いくせにね。素直じゃないよな恭弥って。
 洗面所に行ってドライヤーを手にして、恭弥の黒い髪を乾かす。ちなみにオレは自然乾燥で全然オーケーなのでドライヤーなんて暑いものはしません。
 大人しくしてる恭弥の肌が白い。首筋も、なんか本当に女の子みたいだ。
(いや。いやいやいや)
 自分の思考にないないと手を振って払う。さらさらしてる恭弥の髪はすぐ乾いた。「はいおしまい」カチンとスイッチを切ってドライヤーを定位置に戻す。乾かしてる間髪からいいにおいがして仕方がない。同じシャンプー使ってると思うんだけど、オレの髪からもこんな香りがするのかな。自分じゃよく分からない。
「ねぇ」
「んー?」
 部屋に戻って、涼しい場所でうつらうつらしていると、ぎしとベッドの軋む音がした。オレが出した音じゃないから、恭弥が出した音だ。「」「んん、聞いてるって」「落ち着かないからこっちで一緒に寝て」…言葉の意味をちょっと考えてしまったのは何故だろう。寝転がっているところから顔を向けると、ベッドに手をついて起き上がった恭弥がこっちを見ていた。
 なんか猫みたいだな、そうしてると。黒い髪とか黒いシャツとか、切れ長の瞳とか。睨むようにこっちを見てるところとか。
 確かに、このまま会話がなければオレは間違いなく寝てしまう。でもだからってそっちで一緒に寝るっていうのはちょっとどうなんだ。セミダブルに男二人は狭いと思うし。
 うーんと悩んでいると、恭弥がもどかしげにベッドを叩いた。「ねぇってば。そのままにしてたら君寝るでしょ。」「…ちゃんと言ってくれたらそっち行ってあげるよ」そう笑ったら、恭弥が射殺さん勢いでオレを睨んできた。
「落ち着かないじゃなくて、他に言い方は?」
「…本当に落ち着かないだけだ」
「へー。じゃあクッション抱いて寝なさい。オレじゃなくても大丈夫」
「全然大丈夫じゃない。そんなの意味がない。クッションは体温なんてない」
「そりゃないけどさ。…きょーや」
 駄々っ子みたいな恭弥に一つ息を吐く。眠くなってきた。本当にこのまま寝そうだ。
 ベッドの軋む音のあとに瞼が落ちかけた視界に影ができて、髪を引っぱられた。痛い。何とか意識を戻して視界の焦点を合わせると、なんだか泣きそうな顔をしてる恭弥がいた。
「怖いから一緒に寝て」
「…へいへい」
 なんだ。言葉だけでよかったのに。そんな顔しなくたっていいのに。あれで怖いなら、恭弥はホラーものは無理だ。やっぱりあと二つは一人で見よう。そう決めながら起き上がって、恭弥の手を取って隣のベッドに移った。黒いシーツのベッドはいいにおいがした。ちょっと心臓に悪い。いや、いいにおいなんだけど。
 壁際まで転がって天井を見上げる。恭弥はオレにくっついてきた。ちょっと暑い。
 ゆるりと手を伸ばして、恭弥のさらさらの髪を撫でた。ふわふわといいにおいがして、夏に似合ういいにおいだな、なんてぼんやり思う。
「そんなに怖かった? ごめん」
「……あと二つ見たくない」
「うん。オレのチョイスが悪かった。恭弥も一言やだって言ってくれれば候補から外したのに」
「…が見たいって言うから。どんなものか、分からなかったし」
「そっか」
 なでなでと頭を撫でる。恭弥は俺の腕を絡め取って抱き締めたまま、顔を上げない。
 いつかにもこんなことがあったな。あれは確か、小学校の、テストだったかな。一教科だけ満点が取れなくて、両親にそのことをぐちぐちと言われ続けた恭弥が家を飛び出してオレのところに来たんだ。プチ家出ってやつ。でも財布はしっかり持ってきた辺り、恭弥はオレんちの事情は理解していた。泣きそうな顔をして泣かない恭弥の頭を撫でて、代わりに言っていた。よくできたよ恭弥、すごいよ、えらいよ。オレなんか全部七十点以下だぜ、天と地の差。だから恭弥、大丈夫。オレは恭弥が頑張ってるの知ってるよ。大丈夫。ね、恭弥。
 今も、あのときに似てる。あれからだいぶ時間がたったけど、恭弥はオレに依存したまま、どこへも進めていない。きっと本人が一番よく分かってる。そして、それでもいいと思っている。オレがいれば恭弥は両親を顧みることはないし、愛を求めることもない。
 オレがいれば。
「………きょーや」
 さらり、と黒い髪を揺らした。恭弥がくぐもった声で「なに」と言う。「寝にくい」「離さないから」「えー…つか、どうせオレに自分が寝るまで寝るなって言うんだろ」「よく分かってるじゃない」息を吐いて身体の向きを変える。あの程度の映画で参ってるらしい恭弥に「腕離して」「やだ」「逃げないよ。もっとくっついてあげるからちょっと離して」そう言うと、恭弥が渋ったあとに腕を離してくれた。その腕を恭弥の身体の下に滑り込ませて、もう片腕を背中に回して抱き寄せると、シャンプーのいい香りが少し強くなる。
「こうしててあげる」
 囁くと、恭弥の身体が震えた気がした。まさか思い出すだけでそんなに怖いんだろうか。駄目だな、恭弥に軽くトラウマ植えつけちゃったかも。しまったなぁ、恭弥は耐性ないものには弱いんだからもうちょっと気を遣うべきだったな。オレも昔のまま成長してない馬鹿なのかも。
「そんなに怖がるとは思ってなくて。ごめん恭弥」
「…別に……今は、怖くない。から」
「うん。オレがいるから大丈夫」
 大丈夫、と囁いて黒い髪に顔を埋めた。いいにおいがする。それなりに抵抗してるのに意識がまどろんできた。恭弥の下になってる腕が圧迫されていて痛いくらいなのに、その痛みで眠らないでいられるかもなんて思ったけど、甘かったようだ。さすがオレの睡眠。…褒めることでもないかそれ。
 うつらうつらしていると、「」と呼ばれた。「おきてる、おきてる」と生返事を返しながら瞼が下がってくる。
 顔を上げた恭弥が見えたけど、ついに瞼が落ち切ってしまった。もふと枕に頭を預けて完全に眠気に襲われる直前、唇に、何かが当たったような気がした。気がしただけで、確かめる前に、オレはもう眠りに落ちてしまった。