初めてホラーものっていうかグロい場面の多い映画を見て、自分で思うよりずっとショックを受けた。人間外にあっさり殺されていく人間もそうだけど、何よりキモチワルイそれらがお互いに殺し合い奪い合い喰い合う場面が嫌な音と一緒に頭の中に残ってしまって。
 もう二つあると言ってたホラーの映画を見る気力はとてもなかった。だから、次の日はが見たいと言ってた洋物の映画を見ることにした。
 トロイの木馬っていうのが出てくる、なんていうか戦争もの。舞台がかなり古い時代設定で、剣とか弓とかで戦ってて、僕でも知ってる有名な海外のハリウッドスターがかなり身体を鍛えて主演を演じていた。
 昨日と同じように、暗くした部屋の中、大音量で、ソファに寝転がった彼の腕の中で映画を見た。
 背中越しに感じる体温。ぴったり寄り添えば、心臓の鼓動だって分かる。彼は黒いワイシャツ一枚で、僕は白いワイシャツ一枚。薄い布越しに感じる体温は火傷しそうなくらいに僕を焦がしている。
 昨日だって。部屋にがいるんだから一人じゃないと何度も自分に言い聞かせたのに、結局僕は彼に甘えた。一緒にいてくれないと落ち着かなかった。出来る限りくっついて寝ようと腕を抱き締めていたら、今度は抱き締められた。こうしててあげると囁かれて、僕の心臓がどんなに早鐘を打ったか、彼は知らない。
 せっかく勇気を出して、昂った身体でキスをしたのに、彼はそのまま眠ってしまった。あれはちょっと悔しかった。引っぱたいて起こせばよかったのかもしれないけど、あどけない寝顔を見ていたらそんなこともできなくて。結局彼の腕に抱かれたまま眠って、朝起き出した彼と一緒に僕も目が覚めた。
「かっこいいなぁ。今じゃああいう肉体作るの大変だろうな」
「…あんなにはならなくていい。今のままで十分だ」
 剣を使い弓を使う主人公に憧れるような声に、一応釘を刺した。さすがにあんなに筋肉つけてほしくはない。今のままで十分だ。
 小さく笑った彼が僕が持ってるポップコーンの袋に手を突っ込んだ。がさがさと音が鳴る。それでも映画の方がうるさい。
 映画にそんなに意識が割けない。面白くないわけじゃない。ただ、僕を緩く抱くようにしている彼の方がより近くて、より僕を惑わせているだけだ。
 そうやって二時間と三十分、長い映画を見て、それからお昼にして、彼の作ってくれたものを食べた。
 午後は気温が一番上がる。陽射しも強い。痛いくらいの日光を遮ってカーテンを閉めたままのリビングで、彼はぼけっとテレビを見ていた。ソファではなく床に座っている。ちらりと時計に目をやって「ねぇ、部屋戻ろうよ」と言うとこっちに顔を向けた彼が首を捻った。「なんで?」「使用人来ると思う」「あー。いちゃ駄目なの?」「別にいてもいいけど…」何となく顔を合わせるのが嫌で、僕はいつも部屋に引っ込んでいた。僕は家事なんて自分でしない。それをこなすのが使用人の仕事だ。昨日は出かけていた間に全部終わっていた。でも今日はこれから来るだろう。顔、合わせたくない気がする。
 僕が黙っていると、彼がテレビを消した。「いーよ、じゃあ部屋行こうか」と言われて視線だけ上げる。リビングの冷房を切った彼が僕の背中を押して歩き出した。押されるままに歩く。
 バイトで酷使された彼の身体は、さっきの映画の俳優みたいな筋肉はついてないけど、それなりに骨ばってるし、いい身体してると思う。なんて、何考えてんだろ僕は。
 部屋の冷房を入れる。少し蒸し暑い。参ったようにシャツの襟元をくつろげた彼がごろんとベッドに転がった。「あづいー」「外よりマシだよ。三分待って、涼しくなるから」「ううー」暑さがあると途端にだらしなくなる彼がベッドの上をごろごろ無意味に転がって、やがて力尽きたように動かなくなった。
 ふうと息を吐いてベッドに腰かける。
 気分はだいぶよかった。キモチワルイ映像がまだ残ってるけど、きっとそのうち忘れるだろう。他の映画を見ていればそっちに意識がいくし、今は何より意識したい人がいる。手を伸ばせば届く位置に、彼がいる。
 昨日のキスはきっと気付いていないんだろう。だから彼はいつも通り無防備にそこで寝転がっている。
 暑そうに舌まで出して、胸で大きくゆっくりと呼吸して。その胸に自分の胸を重ねて、その舌にこの舌を絡めたい。はだけたワイシャツから覗く鎖骨に唇を押しつけたい。そんな欲望が生まれた。けれどそれもピンポーンというチャイムの音に消えた。使用人が来たらしい。
「来たね。出ないの?」
「出ないよ。いつも勝手にやって勝手に帰ってく」
「ふーん。ああ、そういえば恭弥」
「何?」
「昨日寝るときさ、オレになんかした?」
 何気ない問いかけにぎくりと身体が固まった。「すぐ寝ちゃったから、オレの気のせいかな」という声と一緒にこっちに視線が投げられる。顔を上げられなくて、膝の上でぎゅうと拳を握った。痛いくらいに。
 せっかく勇気を出した昨日の昂りも、今はないに等しい。
 だけど伝えようと。僕は思って。だから彼をここに呼んで。一緒に暮らして。そして、堕ちて、いきたいと。ずっと保ってきた均衡を崩してしまおうと、僕は。
「恭弥?」
 呼ばれて、どうにか視線を上げる。冷房が効いてきたんだろう、彼はもう苦しそうではなかった。
「びっくりすること、言ってもいい?」
「いいけど。何?」
 首を捻った彼に、ベッドに手をついて膝を乗せて、四つん這いでそばに行った。不思議そうにこっちを見上げてる彼は本当に無防備で、胸を苛立ちが支配するくらいには、僕のことをただの幼馴染としか見ていない。

 いい加減苦しいんだ。一人で抱え込むのに疲れてしまった。
 ずっとこうやって君と一緒にいられるならきっと我慢できることだと信じてた。
 でも、君が僕から離れていく可能性なんていくらでもあると、気付かされた。今まで奇跡的に君が誰も特別を作らなかっただけで、これからもそう在ってくれる保障なんてどこにもないと気付いた。
 僕はずっとが特別だ。もうずっと昔からそうだ。だけが特別で、そばにいたいと願う人で、思う人だった。

 彼の顔の横に手をつく。覆い被さるようにして、「目を閉じてよ」と言ってみた。ここまでしたら次に何をされるか彼だって理解できたはずだ。拒絶、するならすればいい。そうやって睨んでいると、目を細めて僕を見上げた彼が笑った。「恭弥さ、今自分がどんな顔してるか分かんないだろ」「…分かんないよ。必死だもの」「だろうな」すっと伸びた手の細い指先が僕の目元を撫でた。「泣きそうだよ」と微笑まれて、その笑顔に唇を噛んで、噛み付くようにキスをする。
 拒まれなかった。それは嬉しかった。だけど泣きたくなった。涙がこぼれた。
 気持ちが悪いと突き放されたって泣いてしまうのに、優しくされたって、それが同情とかなら、僕はいらない。そのくせ手を離されることなんて耐えられなくて、これ以上一人ぼっちになるのは耐えられなくて、僕はに甘える。
 キスをする。何度も、何度でも。いつかの夜にそうしたように。一昨日の夜も、昨日の夜にもそうしたように、彼の唇を奪う。眠っている君とは違うから、這わせた舌にざらりとした君の舌が絡みつく。頭に回った腕に抱き寄せられて、その胸に身体を預けて、キスをする。
 だんだんと感覚をなくしてきた舌で、応えくれる君を求めた。
 吐息がこぼれて唾液もこぼれる。だんだん頭も痺れてきた。じんと心地のいい痺れだ。求め合い奪い合うキスが長くて、目を閉じる。なんだか気持ちがよくなってきた。
 どのくらいキスを続けてたのか、正直分からない。ちゅ、とリップ音を残して離れた唇にようやく瞼を押し上げると、が僕の頬を掌で撫でていた。
「僕は、のこと、ずっと好きだった」
「うん。知ってる」
は、僕のこと好き?」
 問いかけると、彼は困ったような顔をした。あんなにキスしておきながら彼は迷う。僕にはもう迷いなんてないっていうのに、ずるい人だ。「ねぇ」と急かすと、部屋の向こうを掃除機の音が通過した。
「恭弥さ。エロいよね」
「…意味が分からない」
「そーいう顔してるって言ってるんだよ。誘ってんの?」
「…その気がないとは、言わないけど」
「ふーん」
 含み笑いした彼が僕の肩に手をかけて、横に押し倒した。ベッドを転がってシーツに背中を預けて、僕が下に、彼が上になる。途端に顔が熱くなってきた。「きょーや」と上から降ってくる彼の艶のある声が、普段と違う声が、身体を撫で回す。煽るように。
 降ってきたキスに目を閉じる。触れるだけのキスでもさっきよりずっと感じていた。掃除機の音がかろうじてここに僕ら以外の他人がいることを知らせてくれるけど、それだってブレーキになりはしない。
 本当はずっと、彼にこうされることを望んでいた。
「きょーや」
 こつりと額に額がぶつかる。唇が離れて、触れた吐息で、少し顔を離しただけなんだなと思った。「イケナイことだよな、これって」「知らないよ」「…恭弥、いつまでも知らないフリは駄目だ。受け止めることができないって言うんならオレはこれ以上はできない」きっぱりした声に瞼を押し上げて至近距離の彼の目を睨みつける。「何それ」「分かってるんだろ。ずっとこのまま家族に背中を向けて逃げるのか?」「…今は関係ないだろそんなこと。それに、僕を見放したのは、親からじゃないか。僕は何も悪く…っ」言いかけた口を塞がれる。口内を蹂躙する舌に翻弄される。またじんと頭が痺れ出した。
 掃除機の音が遠くなった頃に解放される。げほと咳き込んだのは、上から下へ、彼から僕へ流れ込んできた唾液が全部飲み干せずに溢れたせいだった。
「恭弥は悪くない。それはオレも分かってる。お前は頑張ってるし、お前の両親はそんなお前を見なかった。認めなかった。知ってるよ。もうずっと前から」
「だったら…」
「うん。一人で戦うことに疲れたんだろ?」
「……そうだよ。僕は、疲れた。だから逃げた。君のところへ。君だけが僕を受け入れてくれた。いつもそうだった。だから」
 だから、と絞り出した声が滲んだ。また唇を塞がれる。歯列をなぞる丁寧な舌がもどかしい。そんなとこばっか触ってないでよ、もっと激しくしてよと舌を出せば、絡め取られた。「…っ」身動ぎすれば、ぎしとベッドが軋む。二人分の体重にさっきから軋んだ音を立ててる。
「ふ、…ん……っ」
 長いキスのあと、ようやく解放されて、胸で大きく息をする。息苦しかった。さっきよりずっと感じてるみたいだった。なんだか視界さえぼやけている。僕はもしかしたら泣いているのかもしれない。
 目尻を拭うように彼の指が伸びて、僕の肌を撫でた。視界が少しマシになる。
「だからね、オレも一緒に戦うよ恭弥。それが言いたかった」
 一瞬。何を言われたのか理解できなかった。「え?」掠れた声を出せば、彼は笑う。やわらかく、優しく、僕の大好きな笑顔で笑ってくれる。「これ以上するってんなら責任持たないとな」なんて言って僕のワイシャツの下に手を滑り込ませた。びくと身体が震える。
「最後に一つだけ」
「な、に」
「後悔しない?」
「しない」
 きっぱり告げると、苦笑いをこぼした彼が僕の首筋に顔を埋めた。
 今は家に使用人がいるんだとか、そんなこと、関係なかった。
 求めていた人に求められた。応えられた。それだけで僕は涙が出るほど嬉しかったのだから。この心を奪った人に身体も奪われることに躊躇いなんてなかった。やっぱり痛いんだろうと少ない知識で思ったけれど、何も用意してないわけではなかったし、多少の痛みくらい堪えるつもりでいた。問題は彼が僕を抱けるかどうかという点だったのだけど、それだって杞憂に終わった。
 人がいるからとほとんど唇を塞がれての行為は、痛みと快楽による不協和音。
 夢にまで見た幸せは、切ないほどに苦しくて、甘いくらいに気持ちよくて、痛みを忘れるほどに快感が神経を支配した。
「あ、ぁ……ッ」
 ひくん、と腰が弾けて震える。またイッた。
 細く息を吐いたの手が僕の前髪を緩く払った。「恭弥」と呼ばれて虚ろになっていた視界で彼を見つめる。「まだ、もういっか、」「もう無理だって。今日だけでもう何回やったと思って、」「いやだ…まだ、まだ。シて」僕の上から退こうとするその手を掴む。震えて力の入らない手で「あと、一回だけ」と乞えば、はぁーと深く息を吐いた彼が緩く頭を振った。額にはりついた髪をぞんざいにかき上げると、「本当あと一回だから。それでおしまい。いい?」頷くと、彼の目が変わった。男は狼ってあの言葉は本当だったんだなと思うくらい、僕を抱くはいつもより荒々しくて、その目は獰猛で、重ねるキスはどんどん激しくなっていって、僕をただ酔わせた。
 いつの間にか人の気配はなくなっていて、それだけ時間がたったのだということを示していた。
 今日だけで腰が壊れるんじゃないかと思うくらい衝撃を受け止め続けて、後ろも前もぐちゃぐちゃになって、僕はやらしいな、とぼんやり思った。次の瞬間にはいいトコロを擦られて「や、ァっ!」なんて声を上げてしまって、そんな自分の甘ったるい嬌声もすっかり聞き慣れた。最初こそ気持ちが悪いと思っていたけど、抑えることなんてすぐに忘れてしまった。
「んん…っ、アっ、ゃ、
 僕の中を、彼が貫いている。熱くて硬くて猛ったそれが、僕の内側を擦り上げる。その度に腰が跳ねた。声が漏れた。僕の痛みに遠慮した探るようなゆっくりとした律動も、痛みがないことが分かれば深く奥を抉る激しい行為へと変わっていく。
 もう声が出なかった。出しすぎて嗄れてしまった。息もできないくらいに奥を抉られてびくんと身体が跳ねる。「やッ、ふか…も…っ」掠れた声で訴えれば、耐えるように眉根を寄せていた彼が「ん」と囁いてぐいと深く深く僕を抉った。それと同時に前も扱われて、強く爪を立てられた。強すぎる前後の刺激に身体が跳ねて、限界が訪れて、びくびくと腰が痙攣を起こす。
「く、ァ…ッ」
 限界だった。弓なりに反った背中がベッドに埋もれる。また、イッた。
 息が苦しかった。だけど彼を離すことを拒むように、僕の内側はしっかり彼を締めつけていた。「きょーや」片眉を顰めていた彼がゆるりと弛緩した僕のものを扱う。離れてほしくないという願いは、前からの刺激に誤魔化されて、彼を離してしまった。「ん…っ」身体を圧迫していたものがなくなって、楽になったような気もするし、寂しくなったような気もする。
 黒いシーツは今度からやめよう。汚れが目立つから。せめて白いのにしよう。それか、模様入りとか。シーツに投げ出したままの自分の手が動かないのをぼんやり見ていると、その手を取られた。指を絡めてぎゅっと握られる。「恭弥」と呼ばれて視線を動かす。揺れていて、定まらない。
 キスをされた。額に。「くち、びる」それだけ言うと笑った彼が唇にキスをくれた。指の一本一本に意識を向けて、他のどこは動かなくてもいいからと指先に力を込める。握られた手を握り返す。
「愛、してる」
「うん。知ってる」
 唇を舐めた舌の感覚さえ曖昧だった。熱いようなぬるいような。何もかもが曖昧なのは、どうやら僕の体力が尽きたせいらしい。
「オレも愛してる」
 そう言ってくれた彼の声を聞いて、僕は安心した。安心して、意識を手離した。