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一見すれば平和に見える世界の水面下では、常に勢力争いが起こっている。グループ、派閥、権力、小さなものから大きなことまで挙げればきりがないが、それらは僕が統治する並盛であっても逃れられない『世界の形』だ。 最近の世は忙しなく、世間も世界もすぐに形を変えようとする。それが煩わしくはあったが、力で押さえつけたところで内からの変革は止められないことも知っていた。 僕は僕の世界を統治する義務と責務があったので、仕方なく、この世界の広く深い部分に根を張っているというボンゴレという組織に所属することにした。そうすることで今より手が広がるし、視野も広がる。それが並盛という僕の庭を守るために必要な手段だと判断した、最初は、それだけの話だった。 けど、僕がボンゴレに入ってからというもの、毎日は本当に忙しなく落ち着きがなくて、気付けば右の中指に趣味でもない指輪をつける羽目になっていたし、風紀委員に呆れるくらいの贈り物をされて初めて成人していたことに気付いたし、ボンゴレの守護者とかいう面倒なものにもなっていた。 …忙しなく形を変えていく世界。 激動とも呼べる時代の変化は、リングの能力を利用した匣とかいう兵器が作り出されたことによってその変化を急速なものとした。 一般人には分からなくていい世界。けれど、一歩踏み込んだが最後、上も下も果てのない陰の魅力に囚われる。 面倒事でしかなかったボンゴレはそれなりに僕の退屈を紛らわせる役に立ったし、並盛は今も平和で安泰だ。 けれど今、それが塗り替えられようとしている。 この数年でボンゴレに匹敵する力を持った『ミルフィオーレ』という組織。それを潰さなければ今後のボンゴレの立ち位置は危うく、覇権を争って二つの組織が表立ってぶつかろうものなら、この世のバランスは呆気なく崩れるという。 「…おかしな話だ。他のマフィアの監視なら言われなくても君がやっているんだと思っていたけど」 カチャン、とコーヒーのカップを持ち上げると、右斜め前辺りに座っている六道が深い溜息を吐いてみせた。「ええ、そうですね、僕は個人的にマフィアというのが大嫌いですから、言われなくてもやっていましたよ」いちいち言葉に刺を感じるのは流した。 何が楽しくておかしな髪型の六道と同じテーブルでコーヒーをすすらないとならないのか。さっさと話を終わらせてしまいたい。 「で、ボンゴレに匹敵する力を持つファミリーが現れるのを事前に防げなかった理由は？」 コーヒーをすすった六道はわざとらしい仕種でぴっと人差し指を立ててくるりと回し、簡潔に言った。 「予期せぬファミリー同士の合併です」 「…合併？」 これは僕も眉を顰めるに充分な理由だった。 力のないマフィアが潰されるのはよくある話だし、それだけの歴史や力のあるマフィアはそれなりに数がある。勢力の拡大を狙って合併・統合を図るマフィアも間々ある。けど、もともとがそれぞれの趣きや傾向があり、合併後はどうしたって組織内が落ち着かないから、その間に茶々を入れられたり内部が綻んだりして、上手くいっている例より失敗した例の方が多いほどだ。それが、合わさればボンゴレに匹敵するほどの大きなファミリーが二つ、六道が調べのつかない間に合わさっていた。そして今現在もマフィアとして機能している。…少し、いや、だいぶ、妙な話だ。 考え込んでコーヒーをすすっていると、カップが空になった。ボンゴレ本部がイタリアにあるせいでコーヒーに慣れ親しんだためか、カフェインがないと考え事がまとまらない。おかわりするかと席を立とうとして、「おかわり、どうですか」と横から気さくな声をかけられた。慣れ親しんだ声。視線を上げると、黒いすらっとしたパンツに襟も袖もピンとしている白いシャツ、控えめなボーダーラインのベストを身につけた彼が立っていた。すぐそばに立たれていたのに気付かなかったことに苦虫を噛み潰しつつカップを突き出す。そんな僕にも愛想よく笑った相手はカップにコーヒーを注いで、六道にもおかわりの有無を訊いてから店内に戻っていった。 おかわりを断った六道はカップを傾けると、目線で店を示した。「今の彼」「…が、何」おかわりのコーヒーをすする。香りもよくて舌触りもなめらか、酸味より苦味が勝る。後味も悪くない。僕はこの店のブレンドコーヒーが一番好きだ。 「彼が件のファミリーのトップの要だという情報があります。確信できるものではありませんが」 僕の耳にだけ届く声量。そうでなくてもイタリアは騒々しく、昼間だろうが外のテラス席には人が溢れかえっており、声を潜めずとも会話などその騒々しさに自然と空気に流され消えていく。 六道のその言葉を理解するのに、五秒かかった。「確信はないんだろう」「ええ。噂、程度の頼りない話です」「くだらない」吐き捨てて、コーヒーをすすった。…やっぱりおいしい。 コーヒーの味が好きで、飲みたくなったときには立ち寄る。家にある豆もこの店で勧められたものだ。コーヒーをおいしいと思ったのは初めてだけど、淹れ方とかが分からないと言ったら彼が一から丁寧に教えてくれた。彼の勧めに従って道具を揃えたし、教えられたとおりにコーヒーを淹れて、家でも納得できる味が出せた。 個人的に小さな店を開いている、僕と同年代くらいの若い店主。 彼はといって、僕と同じ日本人だ。昔からコーヒーが好きで、どうしても自分オリジナルのブレンドが作りたい一心でイタリアまで来て勉強して、最近店をもつに至ったのだという。 オリジナルのブレンドコーヒーを売りにしているこの店は、注文の度に豆から挽いて淹れてくれるので、いつでもできたてを飲める。コーヒーの他には簡単な軽食程度しかないけど、彼の小奇麗な身なりや顔立ちに惹かれたのか、小さな店はわりと賑わっていることが多い。 名前を訊かれたとき、雲雀と名乗るとある意味悪名高いことで有名だからよしなさいと六道にうるさく言われていたことを思い出し、下の名前で恭弥とだけ名乗った。 そのとき、彼はなんだか優しそうな顔で笑っていた。 （確証のない話だ。あんなのんびりした奴が物騒なファミリーのトップと関係があるなんて、そんなことあるわけがない） 話はそれだけかと目線で問うと、「あとはこちらの資料を読み込んでくださいな」とファイリングされた書類を預けられた。これ以上僕と話をしても仕方がないとあちらも判断したらしい。僕の機嫌が降下したことを察知したのだろう。 僕が席を立つより早く伝票を取り上げて店に向かいながら、おかしな髪型の持ち主は僕の横をすり抜けるときにぼそっとこぼしていった。 「ですから、念のため、彼と今より友好的な関係になっておいてくださいね」 『ミルフィオーレファミリーのもととなったのはジッリョネロとジェッソという二つのファミリーで、合併後の母体はジェッソ、ボスはジェッソ率いる白蘭、�癸欧魯献奪螢腑優輓┐い襯罐法４管�勢は現在調査中。 実質ミルフィオーレトップである白蘭は、ボンゴレリングと同程度のレベルの炎まで耐えられるというマーレリングを所持。このマーレリングがもともとジッリョネロに代々伝えられていたもので、これを都合よく奪取するために表向きの合併という道に至ったものと推測される。 白蘭を覗く他六名のリング所持者の調査、補足を最優先事項とし、白蘭が懇意にしているという人物の調査は雲雀恭弥に一任するものとする』 都合のいい言葉が最後に付け足すみたいに並べられていたのに腹が立って、ぐしゃっと紙面を握り潰し、その辺に放ってやった。 自分を落ち着けるためにコーヒーを淹れにソファを立つ。おいしい水を使うとおいしいコーヒーが入るらしいので、口の細いやかんにペットボトルのミネラルウォーターを注ぐ。その透明な水を眺めながら、僕が知り得ているについて思いを馳せた。 ……最初に会ったときからこの間会ったときまで。どの記憶を引っぱり出しても、彼はコーヒー好きな一般人でしかないし、その指に装飾品の類はなかった。これは間違いない。右の中指にも左の薬指にも何もしていなかった。匣なんて物騒なものと彼の間に関係があるはずがない。 お湯を沸かす間、やかんを睨みつけながら、六道の情報は間違いだと何度も自分に言い聞かせた。 …けど。何か、嫌な予感がある。 いつものんびりしている彼が、その手にリングをはめて、左手に匣を持って、立っている。 「そんなわけがない」 声に出して否定したことでようやく現実に立ち戻り、やかんの音に気付いて火を止めた。彼に教えられたとおりにコーヒーを淹れて、あの店のロゴが入っている、ただそれだけの白いカップを手にゆらゆらと黒い水面を揺らす。 …一人で考えていたって詮ないことだ。 六道は彼のことを僕に丸投げした。この間僕に場所を任せたのだって、僕が彼の店を贔屓にしていてそれなりに交友があると確かめるためだろう。 彼の存在がボンゴレに伏せられている今なら、何もなかったならなかったで彼を一般人として見逃せる。僕が、彼にはミルフィオーレとの関与の疑いは何もないと証明しなくては。 コーヒーを飲み干して、つい仕事着のスーツを手に取ってから違うものにしようとクローゼットを開け放つ。グレーのジーンズと黒いシャツという暗い色になった自分に一つ吐息してシャツの色を黒から白に変えた。 あいにくの雨だったけれど、傘を差して、雨で煙る景色の中を歩き、革靴で石畳を蹴飛ばし歩く。 雨だったけれど彼の店は開いていた。幸いというべきか、この雨だからか店内にも人気はない。店主と客という境界を超えるのにはもってこいの環境だ。 カップの白さを保つために洗浄でもしていたんだろう、ベルの音に気付いて顔を上げた彼はゴム手袋をしていた。相手が僕だと気付くと笑って「恭弥さん。いらっしゃいませ」と会釈する。 海外はファーストネームで相手を呼ぶことの方が多い。僕は下の名前しか教えていないし、便宜上、僕も彼を名前で呼ぶことにしている。 「」 「はい」 「手、空いてる？ 空いてないならここでこのまま話す」 カウンター席に腰かけた僕に彼は苦笑いでゴム手袋した手を振った。「そうですね、じゃあこのままでもいいですか。今日はお客さんがいないのでこの機会にきれいにしてしまいたくて」営業で使うんだろう白い食器を指す彼に、「好きにすればいい」とぼやいてテーブルに頬杖をつく。 では、お言葉に甘えて、と作業に戻った彼の背中を眺めても、やはり一般人だとしか思えなかった。無防備に向けられた背中は僕を警戒もしない。もし僕が銃を持っていたらとか考えないのだろうか。こっちではそういうことってそれなりにあるのに。 「」 「はい？」 「…店の、経営は、どうなの。一人で切り盛りしてるみたいだけど、やっていけてるの」 適当な話が思いつかずそんなことを訊いてみると、彼は苦笑いをこぼした。「ちょっと忙しいですね。暇よりはいいことなんですけど。恭弥さんがうちのコーヒーたくさん買ってくれるから、破綻はしてませんよ」さらりと言われて、何となく、彼の背中を眺めていたところから視線を泳がせた。勧められた器具も豆もブレンドの粉も、コーヒーカップも、買えるものは全部買って売上に貢献しているつもりだったけど、本当にそうなっているとは思っていなかった。 彼の中で僕は常連の客だろうか。それとも都合のいいカモだろうか。コーヒーをおいしいと思ったのは事実だし、彼のことをそんな人間だと思ったことはないけど。カモだと思われているとしたら癪だ。…いや、それ以上に。 思考を振り払う僕に、今度は彼が口を開いた。カチャカチャと食器を鳴らしながら、「そのうち、っていう夢ですけど、オリジナルコーヒーを作りたいと思ってるんです」「ふーん」「まぁ、まずはそのための資金がないと無理なんですけどね」困ったように笑った横顔を横目で眺めつつ、今のブレンドでもおいしいのにな、と思ったけど、言わないでおく。日本を離れてコーヒーが流通している国に移住して店を開いたくらいなのだから、彼にだってこだわりや夢はあるだろう。彼の将来にも危険性は感じられない。今の言葉でそれが知れた。 あっとこぼした彼がくるりとこっちを振り返る。「そういえば恭弥さんはなんのお仕事されてるんですか？」そう訊かれて内心惑う。そういえばそういったことは言ったことがなかった。彼は店主で僕は客で、僕はもともとあまり話をしないし、世間話だってときどきで、仕事の話なんてしたことがない。今日は僕から突っ込んだから、彼もそうしていいと受け取ったに違いない。 仕事。素直には話せない。どう言えば。 「………取締役、みたいな感じかな」 ボンゴレの幹部で上に立っているという位置でいえば嘘ではない。 僕の長い間を不審に思った様子もなく、へえ、と感心したふうに頷いた彼は何も疑っていないようだ。そのことが少し、胸に痛い。 「すごいですね。俺と同じくらいなのに取締役かぁ」 「…別に、すごくないよ」 「そうですか？ おっさんが取締役っていうなら普通に納得しますけど、恭弥さん全然若いじゃないですか。イケメンだし、きれいだし、いいなぁ」 「別に…君だって悪くないと思うけど」 「またまたぁ」 お世辞言っちゃって、と笑う彼に本気なんだけどと低い声で返したら妙な間ができてしまった。 しまった。口が滑った。 さりげなく視線を逃がした先で、いつもカウンターに活けてある花が目に留まった。 白い花。いつ来ても同じものが活けてある。造花でないことは過去に触れて確認している。 妙な間を紛らわせるため、僕はその白い花を指した。 「あれ、いつも活けてあるけど…庭に群生でもしてるの？」 僕の指を辿った彼がああと笑う。その表情には困った色が混ざっている気がした。 「貰い物で…いいって遠慮しても送ってくるんです。部屋に飾っても愛でる人がいないし、どうせなら店に活けた方がいいかなと思いまして」 貰い物、という言葉が耳に引っかかった。 いつ来ても活けてある白い花。庭にあるわけでもなく買うわけでもなく、誰かからもらったものをここに活けている。 …送り主は。彼の思考回路を理解している。なぜかそんな気がした。 「それ、なんて花」 「えっと、アネモネだったかな…？」 どうだったろうと首を傾げた彼を横目に、面倒で電話での連絡でしかろくに使わない携帯を取り出し、白いアネモネを検索してみる。 その花言葉は、期待。 誰が。彼に。なんの期待をしているっていうんだ。 「…恭弥さん？」 怖い顔してますよ、と言われてふと自分の顔を気にした。あまり表情を変えない僕の怖い顔なんて、彼が見たことがあるわけがないのにな、と思う。 「君は、いつも優しい顔だね」 「え」 驚きに目を丸くした彼に口の滑った自分を殴りたくなった。今日何回目だ。気が緩んでいるんじゃないのか。僕は彼のことをミルフィオーレとはなんの関係もないと証明しないとならないのに。 「そんなこと、白蘭以外に言われるなんて」 照れたように視線を伏せた彼の独り言みたいな言葉が身体を貫いた気がした。 白蘭。ミルフィオーレトップの男の名前。この辺りでは珍しい名前だ。同名ってことはないだろう。 何より。相手への親しみを感じさせる声音だったことが、僕の心臓を疼かせている。 （そんな、馬鹿なことが） 「びゃくらん？」 「あ、はい。大学時代からの友達です。イタリアなんて遠いとこに来られたのも、このお店開くのも、彼が色々と手伝ってくれたおかげで…親友ってやつですかね」 へらっと笑う彼は何も知らない。あっさりとその名をこぼした重要性も。これで君がボンゴレにとっての注視すべき人物になってしまったことも、何も知らない。 白蘭と大学時代から付き合いがある…。六道が掴んできた情報はただの眉唾ではなかったということか。 事実だったんだ。それは確かに彼の中にある過去だ。 彼をこのまま拘束してしまえばボンゴレはミルフィオーレに対して切れる手札を一枚多くできるだろう。 （僕は） カウンターから見えない位置で硬く拳を握る。 ようやく食器の洗浄を終えたのか、僕の苦悩など露も知らない彼はきれいに洗ったカップを二つ並べ出した。「今日は恭弥さん以外にお客さんもいませんし、俺もゆっくりできます」と笑う。その辺りで売っているだろう適当な茶菓子のクッキーを皿に並べて、いつもと同じ手順でコーヒーを淹れ、僕へとカップを差し出す。 「どうぞ。毎度贔屓してもらってるお礼です」 「…どうも」 白蘭のことを話したときとは違う、飾った外向けの笑顔。 カップを受け取って、黒い水面をゆらゆらと揺らし、香りを味わう。…やっぱりいいにおいだ。香ばしくて芳醇。 出かける前にコーヒーを飲んできてカフェインで満たされている胃にさらにカフェインを注ぎ込んで、クッキーをかじって、僕のことを何も疑わない彼に、笑顔を向ける彼に、ひっそりと、心は痛んでいた。 |