「ああ、死んじゃった」
 そうこぼした自分の声はひどく淡白だった。特になんの感慨も抱いていない。彼が聞いたらきっと悲しむだろう。だから彼と一緒に視ているときはなるべく喋らない。喋ったら彼を悲しませるだけの気がして。
 自分の口からはどうやっても彼以外を気にかける言葉は出てきそうにない。
 鏡の中で果てた二人を視届けて、その世界に手をかけ、ぐしゃ、と握り潰す。その寸前に特殊な人間である大空属性の二人は世界の崩壊を察知して脱出した。
 ユニと白蘭。二人は彼らを救おうと手を貸してくれたようだけど、やはり、上手くいかない。
 砕けた世界は霧散して、どことも知れない薄闇の中に吸い込まれて消えていく。
 今回の世界を形作ったのは彼だから、とことんこだわって、手本を真似た不出来な世界ができたけど、やっぱり、幸せにはなれなかった。それだけがいつも決まっている。
 眠っていてよかったと思いつつ、そっと手を伸ばして、僕の腿に頬を預けて眠っている彼の灰色の髪を撫でた。適当に作ればいいのに、なるべく幸せになれるようにと背伸びして頑張るから、君に負荷がかかっている。適当でいいんだよ、次の世界なんて。
 だってどうせ彼らは。
「…まだ寝てる? 次を作るよ」
 すー、と寝息を立てて眠ったままの彼にまぁいいかと肩を竦めて両手を掲げた。適当に、とは言ってもあまりにも適当だと途中で崩壊してしまうため、それなりのルールとそれなりの歴史を作って二人をそこへ放り込む。その作業は七日間で世界を作ったという神よりもずっと簡単で、半日ですむ。つまり、それだけ簡単で、その場限りの世界なのだ。
 遥かな昔、始まりの世界で、彼らは誓った。長い長い魂の旅を。
 果たされるか分からない世の契り。
 何度死のうと何度でも生まれ変わり、何度でも巡り逢う約束。二つの魂の祈りと願いを聞き届ける限り、僕らは契約を果たし、彼らを何度でも蘇らせる。
 性別を越えて愛し合った二人が一生離れないための、とっておきの呪い。
 この呪いが続く限り絶対に幸せにはなれないという代償のもとに、僕らは二人を導き続ける。
 苦しいだろう。狂おしいだろう。
 出会っては引き裂かれくっついては剥がされ、もう何度目だ。僕らでも正確な回数は憶えていない。ただ、それでも諦めない二人に、愛で呪いに打ち勝つのだと奇跡を誓った二人に、手を貸し続ける。ただ、気紛れに、退屈を紛らわせるために。
 二人は、僕らの呪いを願いだと受け取った。
 まだ見ぬ世界でのお互いの絶えない笑顔を望む、ただそれだけの、願いだと。
「…ぁ、れ?」
「やぁ。起きたの。もう終わっちゃったよ」
 やっと目を覚ました彼は「わぁっ」と声を上げて慌てて飛び起きた。ごしごしと目をこすっては何度も瞬きをする。どうやらまだ眠いらしい。鏡の中がまっさらなことに気付くと「起こしてよ」と情けない顔を向けてくるから、肩を竦めて返し、現在進行形で作っている世界の骨格に意識を向け直す。
 あまりに今までのものと似すぎていても同じ結果にしかならないだろう。なら世界の軸から違うものにするしかない。違う歴史、違う文化、違う世界観の流れる世界に。少しでも二人が幸福になれそうな世界に。
 そこで、彼が抱きついてきたから、意識が大幅に乱れた。「あ」とこぼして大きく歪んだ部分の修正を図るものの、上手くいかず、結局そのまま続けるしかなくなった。「…ちょっと」何するの、と半眼を向ける僕に拗ねた顔の彼は「だってー。俺、あの世界すごく力入れて作ったんだよ?」そんなこと知ってるよ。だからこそその最期を見せたくなくて起こさなかったんだ。君が悲しむだろうと思って。胸のうちに言葉を呑み込んで、黙って世界の創造を続ける。僕の腰に抱きついたままぶうたれている彼が子供のようだ。
「君のせいで変になった場所がある。どう出るか、分からないけど」
「俺のせいー?」
「君のせい」
「ごめん。きょーや達に出ないといいなぁ」
 ぴく、と片眉が跳ねた。…君の口から僕以外の誰かの名前が出ることが気に入らない。けど、そんなことで機嫌を損ねているようでは僕の方が子供ってことになるので、口には出さず、態度にも出さず、黙って指を繰らせて大地の骨格を作り上げた。もうめんどくさいから大陸は一つにしよう。大きくて広い大陸が一つだけ。それでいい。あとは水の中に沈んでしまえ。
 僕の作業を見上げている彼が「てきとーだなぁ」と笑った。「うるさい」と返して適当に歴史の基礎を作り上げ、あとは年数ごとに勝手に変化するように設定したところ、大陸が一つしかないせいか、不毛な争いが頻発して、その世界はあっという間に荒んでいった。彼が抱きついたときにできた歪みが出てるんだろう。まだ二人が生まれてもいないのに世界は滅びそうだ。
「これは、失敗かなぁ?」
「…君のせいだよ」
「ごめんって。あ、」
 彼が大陸の真ん中を指した。そこには近代的な建物があって、ロケットが打ち上がっていた。そこまで時代が進んだらしい。自分達が長く争って荒廃させた大地を捨て空へと逃げるのか。「宇宙開発っぽいね。有人飛行だ」「へぇ」あまり関心がないので流して彼に寄りかかる。疲れてきた。二人を呼んではいるけど魂二つが生まれてこない。その間にも時代は進んで、人はその活動領域を宇宙にまで広げ、大地を捨てた。
 そこまできて、ようやく二つの魂が肉体を伴って生まれ落ちた。
 そして、ここにも大きな歪みが出ていた。
 雲雀恭弥の方は病気を抱えて生まれた。網膜色素変性症。視力に関わる病気だ。簡単に言えば徐々に見える範囲や景色が狭まっていき、やがては失明する。
 もう一人の彼は健康体で、そして、今までの記憶を有していた。
 さっきの世界では二人とも前世の記憶は持たなかった。ただ、魂が惹かれ合うままに求め合っただけで、それがなんだったのかを伝える前に、彼らは壊れてしまった。
 ぱたりと手を下ろす。二人が生まれるまでの面倒は見た。あとは、君達次第だ。
「今度は彼が憶えてるみたい…」
 指先に触れた感触にそうこぼした僕に、いそいそ起き上がって後ろから僕を抱え込んだ彼が「それはよかった」と言って僕の項にキスをした。「今度は幸せになれるといいなぁ」そう言う彼に僕は黙って鏡を睨みつけた。生まれたばかりの黒髪の赤ん坊は、まだ自分の運命を知らない。魂を結ぶ赤い糸の存在を知らない。
 一方の彼は、物心がつけば、迷わずに片割れを探すだろう。愛する存在を。今度こそ幸せになろうと笑って。
「早くここまでくればいいな」
 首の後ろに唇をこすりつけて喋る彼にふっと吐息して、「どうでもいい」とぼやいて返し、振り返って、唇をくっつけてキスをした。

 数千年後か数万年後か。あるいはもっと先か。
 巡り廻る絶望の未来を超えて、ここに立つ君達を、待っている。