「うーん…ねぇ骸、目の中がゴリゴリしたりしない?」
「ああ、ときどきありますね」
「目薬はきちんとさしてる?」
「もちろんです」
「何か無理をしたりは?」
「あー…えー、この間仕事で、運悪く、こちらにパンチを食らいました…」
「それね」
 パチン、と指を鳴らしたが僕の右目が最近よろしくない理由を当てた。やっぱりそれか、と僕は肩を落とす。義眼の不具合ではない。僕の運の悪さだ。ああ全く、喧嘩の仕事なんてたまったもんじゃない。僕は書類と睨めっこをするのがお似合いなのだ。もう二度と現場になんて同行するものか。
 僕の醜態を雲雀はせせら笑った。「ざまぁないね」と。きっと睨んだ僕に知らん顔でに視線を移して「、どうするの」言われた彼女はうーんと天井に視線をやり、「手っ取り早く、次のを作ってオペ…がいいんじゃないかしら」とにこやかに笑ってみせる。その笑顔に唇の端が引きつった。
 鮮やかな笑顔と一緒に君はオペと言ってみせたが、正直な話、義眼が馴染むまでのあの期間が気持ち悪いことといったらない。身体が汚物だと義眼を拒否するのだ。いずれ受け入れはするが、目の中でゴロゴロと動く義眼の感触は、できれば遠慮したい。
「いえ、それ以外の方法はないのですか?」
「あのね骸、その義眼も精密機械なの。故障した部分があるなら修理しなければ直らないわ。自然治癒は無理よ。それに、取り替えるなら早い方がいい。脳に何かあってからじゃ遅いわよ?」
 にこりとした笑顔で怖いことを言うにぞわっと背筋が寒くなった。「じゃあそれでいいです、新しい義眼って方向でいいですから、早く作ってください」と言う僕に彼女は悪戯っぽく笑った。「そうね、そうしましょう」と。
 彼女と彼の部屋をあとにした僕は、そっと右目を掌で覆った。
 …心臓に悪いことを聞いてしまった。
 くそぅ、と彼女の鮮やかな笑顔を怨みつつ、自分の執務室に戻る。
 義眼の状態がよくないとはいえ、目の中がときどきゴリゴリするだけで、視界に支障はない。仕事は続けなければ。
(そういえば…)
 結局空白ができたまま提出した彼と彼女の記録に、沢田は苦笑いをこぼしていたっけ。そうして作成した書類を破棄して、もういいんだ、と言った。ひょっとしたら彼は何かに気付いたのかもしれないが、それを僕に話す気はないようだ。
 まぁ、それでもいい。もしこのことで失敗があったのなら、それを彼のせいにして、思い切り詰ってやろう。そう心に決めつついつもの書類に判子押しの作業に戻る。
 くすくすとした笑い声が耳に引っかかったのは、休憩にとまだ大量に残っているチョコの一箱を片付けていたときのことだ。
 聞こえてくるその声に窓から中庭の方を見ると、灰色のワンピースを纏ったが楽しそうに中庭を駆けていた。その姿がまるで少女のようで、義眼のことはちゃんと考えてくれているんだろうな、と僕は束の間不安になる。
 そんな僕の視界に雲雀の姿が入る。彼はさっきと変わらないいつものスーツだったが、駆け寄ってくる彼女を抱き上げて、恐らく笑っている。他の誰にも向けない笑顔で。
「…僕も恋人が欲しいですねぇ」
 ぽつりとこぼして空しくなった。そもそも、執務室にこもって書類に判子を押すばかりの仕事で恋人などできるはずもない。
 はぁーと深い溜息を吐いて、投げやりに掴んだチョコを口いっぱいに押し込む。
 やっぱり外周りの仕事も少しはしようか。僕だって健全な男であって女性に興味がないわけじゃない。出逢いがあるなら欲しい。そんなことを考える自分は切実だった。
 くすくすとした笑い声に視線を外へとやる。
 中庭の芝生の上に転がって、人目も気にせずにイチャついて、キスして、顔を寄せ合って。全く見ているこちらの身にもなってほしい。あれは、今度沢田に言ってやろう。そうしよう。言いつけたところで愛まっしぐらの二人が人の言葉を聞くかどうかは別として。
◇  ◆  ◇  ◆  ◇
「なんだあれ……」
 耳に引っかかった笑い声に廊下の窓から中庭の方を見てみれば、と雲雀がイチャついていた。はまだいいとして、雲雀の笑った顔が普段のあいつと違いすぎてドン引いたオレは、思わず十代目の執務室に駆け込んだ。「十代目、あれは本当に雲雀なんスか? なんか別人のようで」と言うオレに、廊下に出て窓の向こうを確認した十代目が笑う。なんだかほっとしたような顔だった。
「ああ、よかった」
「はい?」
「いや、こっちの話だ。何でもない。っていうか、雲雀さんはああいうふうだよ。にだけはね」
「はぁ…そうでしたっけ……?」
 呆れ果てて言葉もないオレに十代目は苦笑いをこぼした。そして、いつもの少し困ってるような笑顔でこう言う。
「獄寺くんは恋人作らないの?」
 唐突すぎるその話題に「はっ!?」と動揺するオレ。「いや、オレは恋人とか全然興味ナイですし!」「あれ、そうなの?」「そうなんです!」拳を握って力説するオレに十代目は首を傾げて「そうなのかぁ。俺は欲しいなぁ、かわいい恋人」とこぼして人差し指で頬を引っかいた。その視線が中庭の方へ向けられるから、ばっと視界を遮って窓の前に立つ。十代目の恋路に口出しする権利はオレにはないが、あいつだけは駄目だ。絶対駄目だ。
「あいつは駄目ですよ十代目っ、雲雀が黙っちゃいませんし、ロクなもんじゃありませんから!」
「ロクなって…は雲雀さんのだしね。まぁ、俺は、彼女のことかわいいと思うけど」
「だから駄目ですってー!」
 俺の慌てぶりにあははとおかしそうに笑った十代目。が、オレにとっては笑い事ではない。
 そこへ「何騒がしいことしてんだ」とリボーンさんがやって来て、話はさらにごちゃごちゃとしてくる。
 その間もオレはちらちらと窓の向こうを窺っていたが、気がすんだのか、雲雀とは手を繋いで引き上げていった。それに心底ほっとした。
 を気にする十代目もそうだが、オレには何よりもあんなふうに笑う雲雀に寒気が走ってしょうがない。
◇  ◆  ◇  ◆  ◇
 と雲雀にあてがった部屋へノックしずに踏み入る。部屋のどこにも二人の姿がないことを確認して、寝室の壁にかかっている額縁に入ったスケッチの絵の前に立つ。
 ウチは増改築は確かに自由としている。過度なものでなければ。が、これは、ラインギリギリだな。
 額縁の下辺りの壁を掌で撫で、周囲より少しだけ浮いているそこを押す。何かのスイッチだったらしく、額縁の下の壁が自動ドアのように開いて暗い口を開けた。
 まぁ、勝手に入るんだから、今回はお咎めなしとしてやろう。
「甘いランデブーのあとはメンテナンスの時間、ってか」
 暗い階段を下りた先にはちょっとした空間があり、二人はそこにいた。
 オレの声にぱっと振り返ったがはぁと息を吐いて「驚かせないでちょうだい」とこぼしてパソコンの画面に向き直った。胸の辺りを切り裂き、そこからチューブを何本か生やして座り込んでいる雲雀が俺を睨めつけ、「何しに来たのさ」とぼやく。肩を竦めて「見学だよ。続けてくれ」「言われずとも」キーを打ち続ける音が響く地下室で、壁に立てかけてあるパイプ椅子を開いて座る。雲雀の野郎は相変わらず俺を睨んでいる。
 胸からチューブを生やし、右の肘から下をなくしている雲雀の見た目は人間だ。見た目は。
 …これはテストだ。最後のテスト。これに合格するなら、オレはお前らのことを放任する。
「死者を蘇らせる科学者、か。売れるだろうな」
「そうかしら」
「ああそうさ。今よりも引く手数多、莫大な金が手に入るだろう」
 はたんとキーを打ってオレを振り返る。「でも、万能じゃないわ」と言う声に「ほう?」と感心を示すと、は部屋の壁に埋め込まれたガラス管の方を見やった。半透明な液体に満たされたガラス管。その中で浮かんでいる雲雀こそがここにいる雲雀の本体。つまり、人間の、雲雀の死体だった。
 映画では見る光景だ。そしては、映画でよくある設定のように雲雀の脳を生かし、その記憶を機械の雲雀へとコピーしている。
 驚くべきはコピーの技能ではなく、コピーが本体の記憶を上書きできるということだ。雲雀の脳髄に主導権があるわけじゃあない。あくまで生きている雲雀の方が記憶する。そして、今を生きる雲雀が破壊されたとき、その記憶は本体へと上書きされる。オレが驚いたのはそこだった。
 だが、彼女はそのことにさえ無関心だ。この技術をもっと活かせばどうなるのか、そんなことはちっとも考えていない。
「腕、すぐ直すわ」
「うん」
 今を生きている機械の雲雀。その雲雀の髪を撫で、顔を上げた雲雀の額に唇を寄せるは、そんなことはどうだっていいのだ。あいつにとって重要なのは今を生きる雲雀であり、それ以外のことなどどうでもいいのだ。
 あれだけ固執していた金も、全ては雲雀のためだった。その新しい身体のため、機械の部品のために必要な金だったのだ。
「わたしは、運がよかったの。哲からの連絡で、縋る思いで現地に行って、恭弥を見つけられたわたしは、運がよかった。そこにあなたが残っていたことも、その脳が生きていたことも、運がよかっただけ。死んでいたら、無理だったもの」
 雲雀の左手が伸びての頬を撫でる。オレがいるっていうのにキスし始める二人の愛とやらにいっそ呆れた。
 いや、オレがどうこうというよりも、雲雀本人の死体が浮かぶガラス管の前で愛を語らうその姿というのが、オレには理解しがたいのだろう。
 ちゅ、とリップ音を残して顔を離したが微笑む。「ねぇリボーン、訊きたいことってなぁに?」と微笑むは理解している。この現実を。オレがここへ来たのはなぜかを。賢い女だ。表と裏を渡り歩いてきたお前は理解している。自分が犯した事の重大さを。
 そして、それを理解しながら、どうでもいいと思っている。
 人である雲雀は確かに死んだ。だがが生き返らせた。そして雲雀はそれを望んだ。
 人間同士である間に築けなかった愛をこの現在で育む二人は、それだけを思っていて、それ以外はお互いにどうだっていいのだ。
 ボンゴレのことも本当はどうだっていいのだろう。ただ、自分達を受け入れた組織として庇護の下に入る。恐らく考えてるのはそれくらいだ。
「お前らはこれでいいわけだ。どれだけ摂理に反してようが、誰に否定されようが肯定されようが、お互い以外はどうだっていい。そうだろ」
「…そうね。悪いけれど、そういう話になるわ」
「雲雀はどうなんだ」
「訊くまでもないと思うけど。僕は以外に思うものなんてない」
 きっぱり言い切った二人に、はぁ、と息を吐く。床を蹴って立ち上がり、片手を振って二人に背を向ける。「邪魔したな」と残して地下室から暗い階段を上がり、二人にあてがった部屋を出る。
 最後に確かめたいことも終わった。
 オレはあいつらの愛ってヤツを信じよう。
 たとえ死んでも想うことをやめなかった雲雀と、死んだ雲雀を生き返らせてまで愛を紡ごうとしたの、明るい未来に賭けよう。
 雲雀はの愛を喜んで受け入れた。死んだ自分が禁忌の科学で蘇ったことを受け入れ、盲目的だったの愛を真実にした。
 不器用なまま想いを伝えることのできなかった雲雀の無念の死を否定し、自らの全てを投げ捨てて雲雀の身体のために必要な金を掻き集め、足りない知識を貪欲に貪り、雲雀への愛を貫いた
 正直どっちも感服ものだ。たとえようもなくまっすぐだが、たとえようもなく歪んでいる。オレにはとうてい、理解できそうにない。
「どこ行ってたんだよリボーン。お前が商談だって言うから応接室で待ってたのに、肝心のお前が来なくて、相手方が怒って帰っちゃったじゃんか」
 執務室に戻るとさっそく甘ちゃんのツナがぶうたれてきた。ったくと帽子の上から頭をかく。「お前なぁ…それくらい一人で解決しろよ。お前はドン・ボンゴレなんだぞ」「そうは言うけどさぁ…」相変わらず甘いボンゴレボスの頭をしばいて「おら、電話かけ直せ。オレがいなかったのは突然の仕事でとかそう言え」「なっ、じゃあお前がかけろよ! 言っとくけどあの人達怖いんだぞっ」「うるせぇなぁ、いい加減度胸をつけろ度胸を」喚くツナの頭をも一つしばく。そんなんだからこのボンゴレのトップなのに外で甘くみられたりするんだっつの。
 泣く泣く勝手に帰った商談相手に電話をかけ始めたツナから視線を外す。
 …あいつらはこの先このボンゴレにどう関わってくるのか。
 骸の右目を義眼という形で視界を取り戻させ、ディーノが失くした足を義足で補ったの力は、手放すには惜しい。あいつは雲雀のために必要な金以外は執着しないようだから、こっちがそれを出してやるといえば、素直に出す仕事をするだろう。あれでも世界屈指の科学者様だ。今のままでも十分表裏どっちからも引く手数多だろう。雲雀が壊れるほどの無理をしなければ余計な出費は出ないはずだし、こっちにとっても悪い話じゃない。
 そうだな。問題としては、この二人を内包することで、ボンゴレがどうなるか、だな。
(…まぁ、そこはお前のお手並み拝見ってところか)
 携帯に向かってぺこぺこ頭を下げているツナに唇だけで笑う。
 さて、お前が向き合うべき現実はまだまだ山とあるぞ。せいぜい成長しろよ、ツナ。