雲雀恭弥、というわたしの支配者だった人が死んで、もう五年になる。
 一月に一度、わたしは必ず雲雀家の墓にお参りに行く。彼が好きだった黒い色の花はさすがにないので、純粋にお墓参りに持ち寄る白い花を持ち、黒い着物を着て、彼を形作っていた骨だけが入っている冷たい色の墓石の前に立つ。
 …唐突に始まり、唐突に終わった、彼という人に縛られ、解放された人生。
 冷たい風の吹く墓石の前に膝をつき、花を手向け、線香の火を灯し、手を合わせて目を閉じる。
 思い起こすのは、クリスマスケーキなんて似合わないものを買ってきた彼との最後の会話。
 僕は身勝手な人間だから、君の幸せより自分の幸せを優先した。だから君は望まずここに縛りつけられている

 僕はね、生きている限り、きっとこれを続ける。君に理不尽を強いて、ここに閉じ込め、囲い、病気になっても、老いても、ずっとそばに置く

 でも、君は望まないでしょう。そんな未来

 だから。僕から君へプレゼントだ

 君に、僕のいないこれからを、あげる
 そして、銃声。
 簡単に傾いだ彼。いつも力強くて、わたしが何をやっても敵わなかった彼が、簡単に倒れた。銃の引き金を引き頭を撃ち抜いた彼は畳の床に倒れ込み、それっきり動かなかった。重い音を立ててその手から転がった銃と、頭に開いた小さな穴から流れ出す赤い色で、わたしは彼が死んでいるのだと気付いた。
 …いつ望んだろうか。わたしが、あなたが、死ぬことを。いつ望んだろうか。
 気付いたら泣いていた。泣き叫んでいた。いくら揺すっても彼は起きることはなく、こんなときだけ、こんな最後のときだけ、優しく笑っていた。
 雲雀恭弥という人は自分より大事なものを持たなかったから自分のことを一番にしていた。わたしのことなんてどうだってよかった。だから雲雀の屋敷に縛りつけていた。わたしを囲っていた。わたしを閉じ込めて理不尽を強いていた。確かにそういう人だった。だから、わたしはそんな彼が大嫌いだった。
 逃げ出したいと思っていた。彼の手の届かない場所で暮らしたいと思った。普通の暮らしが恋しかった。
 確かに望んでいた。彼のいない未来を。現実を。世界を。
 だからってわたしはあなたに死んでほしかったわけじゃない。そんなふうに、クリスマスプレゼントだなんて笑って、あなたに死んでほしかったわけじゃない。
 いくら話しかけても雲雀恭弥という人は起き上がることはなかった。
 銃声を聞き届けた草壁さんが駆けつけて彼から引き離されるまで、わたしは泣きながら彼に話しかけていた。
 ねぇ、だからって、あなたが死ぬことはなかったでしょう。ねぇ雲雀さん。ねぇ、ねぇ。返事をしてよ。ねぇ、雲雀さん。
「……ずるい人です。あなたは。おかげでわたしは、いつまでも、ここへ通い詰めているのですから」
 温度なんてものは存在しない冷たい石を撫でる。
 あなたはわたしを解放するつもりだったのだろう。けれど逆効果だ。わたしにこんな後悔に似た懺悔の心を植えつけて置いていくなんて、本当に、ずるくて、馬鹿で、子供で、あなたって人は。本当に。
 滲む目をこする。凍える手にはぁと息を吐きかけ、またしばらく墓石を見つめて、突風のように吹き荒れる冷たい北風に身を竦めて立ち上がったとき。声がした。「うそをついた」と幼い声が。
 振り返れば、風に黒い髪をさらわせる小さな男の子がいた。子供には似合わない鋭い目つきをしていて、幼い顔なのに今からでも将来を期待してしまうような整った顔立ちをしている子供。
「みれんだろうね。よみのみちをたどっていたら、きみがぼくをよぶこえがきこえて、もどってきてしまったよ」
「…え?」
「それはもう、ないてるこえで、なんどもぼくのことをよんでね。へんじなんかしないつもりだったし、ふりかえるつもりもなかったのに、あんまりにもきみがぼくをよぶものだから。つい、あしをとめてしまった」
 ぼくがわからない? と首を傾げる子供の顔をじっと見つめる。
 灰色の、冷たい双眸は、憶えがある。長いこと見ていなかった、いつもわたしを見下ろしていた目だ。
 まさか。そんなはずは。だって彼は。あれからもう五年も。
 幼い子供が言う。「もどってきたんだ」と。幼い足でしっかりと地を踏み、突風などどこ吹く風という顔でわたしの前まで来て手を伸ばす。小さなその手でわたしの黒い羽織りを掴んで「ぼくだよ。わかるでしょう」と囁く。
 …まさか。そんなはずは。
 震えそうになる身体で膝をついた。幼い顔立ちに手を伸ばしてそっと額を撫でる。黒い髪を撫でる。頬に掌を添えればあのときのことを思い出した。こんなにも人間離れしているのに、彼は人の皮を被った怪物ではなく、人間なのだ、と思ったときを思い出した。
 震えた声で「雲雀さん?」ともう呼ぶこともないはずだった名前を呟く。彼はゆるりと首を振って「いまはひばりじゃない。でも、なまえはきょうやだ」と言ってまっすぐわたしを見上げた。
 ……こんなこと、あるはずが。
 それ以上言葉も出てこないわたしのあちこちに視線をやった彼が難しい顔で腕を組んだ。「かわってない、といいたいところだけど、やっぱりじかんはたってるね。それにやせている。ぼくからかいほうされてじんせいをおうかしていてもよかったのに」幼い声で似合わない単語をぺらぺらと口にする彼。
 本当に彼なのかもしれない。生まれ変わりとか、そういうことが現実になるのだとしたら、この子は本当に彼なのかもしれない。
 そう思ったら涙が落ちた。ぎょっとした顔の彼をよそに化粧が落ちるのも構わずぼろぼろ泣き出すと彼は慌て始めた。子供らしくおろおろとわたしの周りを行ったり来たりして「なくな、なくんじゃない。ほら、ないたっていいことないよ。ねぇ」と小さな手でわたしの目を塞ぐ。
 その手を握って小さな彼を抱き締め、わたしは泣き続けた。
「恭弥さん。恭弥さん…っ」
 小さな彼は呆れたような諦めたような顔でわたしの涙を止めようとしていたけど、やがて満足そうに笑って子供っぽい笑みを寄せて私に口付けた。
 囁く分だけ唇を離して「つかまえた」と笑う彼に捕らえられる。今度は望み望まれて、想いが示すままに。

想いの箱庭