最近妙なものが目につくようになった。それが所謂幽霊とかその辺りものだと気付いたのは、どうやら僕以外にはそれが見えていないらしい、ということを知ったからだ。 プラチナブロンドの髪とアイスブルーの瞳を持った幽霊はいつも一人の少女のそばを浮遊したり寄り添ったりしていた。 霊に憑かれている少女は、そんなことなど露知らずの顔でクラスメイトとあどけなく笑っていた。 特に害はないようだ、と判断した僕はそれを放っておくと決めた。いちいち首を突っ込むようなことでもない。幽霊が科学的にどうこうとか言う気もないし、正直どちらでもいいし。 そうやって放っておいたらその幽霊が見覚えのあるものであることに最近気付いた。 …なんだっけ。ほら。名前が思い出せないけど、ボンゴレリングってものに関わるようになってから何度か目にしていた。過去の記憶とか、その辺りのもので見ていた顔だ。名前はなんだっけ。 「ねぇ」 すっきりしないのが嫌で声をかけると、肩を揺らした少女が立ち止まった。僕は君ではなくてそっちの幽霊に声をかけたんだけど、とも言えず、恐る恐るこっちを振り返る少女の向こうからこっちを見ている半透明な幽霊に向かって言葉を投げる。 「君、何」 「え?」 「…君じゃない」 慌てる少女にぼやいて返し、少女の向こうにいる霊を睨む。そいつは何も言わずに僕をスルーして少女に纏わりついた。帰ろう、という小さな声に少女が見えないんだろう霊を振り返り、僕の方に顔を戻して「あの、わたしこれから塾がありまして。あの…」「ああそう」どうやらあの幽霊は僕とまともな会話をする気がないらしい。声をかけただけ無駄だったなと少女に背中を向けて歩き出し、遅れて聞こえた少女の足音に肩越しに視線を投げる。 見覚えのある霊は少女に寄り添って歩いていた。 僕には無関心の顔で何も言わなかったくせに、少女には見えてないというのに、あの幽霊は機嫌のよさそうな顔で少女の隣を歩いていた。
想い出はメテオ
「っていうんだってね、君」「は、い」 次の日応接室に呼び出したら、少女、は僕の問いかけにぎくしゃくした動きでぎこちなく頷いた。を呼び出せばついてくるだろうと踏んでいた幽霊は案の定彼女の背後霊となってついてきていた。 「いくつか訊きたいことがある。座って」 「は、い」 「……取って食おうってわけじゃないんだから、そんなに緊張しなくてもいいよ」 ぎくしゃくした動きでソファに座ったに半分呆れてそう言ったら、どうかな、と小さな声が聞こえて視線を上げた。の後ろに立っている背後霊の言葉だと思うけど、今のはどういう意味なんだ。 ぎくしゃく、を通り越してかちんこちんになってるにはぁと息を吐く。 …なんで僕がこんなことを、と思いながら隣の給水室でお茶を淹れることにした。急須と湯飲みを出してきて、女の子っていうのは甘いものの方が気が緩むんじゃないだろうか、と考え直して一つは紅茶にした。霊の分はいらないだろ。飲めるとも思えないし。 仕方なく淹れた紅茶をたんとテーブルに置くとは肩を震わせた。たったそれだけの動作にも驚いているらしい。どれだけ小動物なんだ、と思いながら向かい側に座って自分のお茶をすする。 は相変わらずかちんこちんだった。砂糖とミルクを足してある紅茶のカップを穴が開くほど見つめているだけで、全然動かない。 …そんなに僕は怖いかな、とふと思う。 別に、怖いと思われていてもいいけど。話がしたいのにそれすらできないようじゃ、少し困るな。 「あの」 「何」 「ご用件は、なんだったでしょうか」 「ああ…」 ず、とお茶をすする。の背後霊になっている男の方へ視線を投げた。相変わらず無表情でそこに立ち尽くしている。 「君、知らないんだよね」 「はい?」 「自分の後ろのこと」 「…?」 後ろ、と言われたが振り返る。ソファの向こうには背後霊よろしく立っている男がいる。無表情に僕を見ていたアイスブルーの瞳が僅かに逸れてを見て、、と呼んでも、彼女には届かない。彼女には見えない。首を捻ったがこっちに顔を戻して何を言われてるのか分からないという顔をすると、背後霊は少し眉を顰めて、多分悲しそうな顔をしていた。 相変わらず名前が出てこない。プラチナブロンドにアイスブルーの瞳。重そうな冬のコート。知っている姿なのに。 背後霊を睨みつけるようにしていると、そろりとカップに手を伸ばしたが「いただき、ます」とこぼして紅茶に口をつけた。一口飲んで、なんというか、変な顔をしてカップを離した。 「…まずい?」 「あ、甘すぎます……砂糖どのくらい入れましたか?」 「ティースプーンに三杯」 「……………」 加減が分からなかったので適当に入れたのだけど、どうやらには甘すぎたらしい。甘い方がいいだろうと思って入れたんだけど、入れすぎなのか。憶えておこう。 僕にも欠点というか失敗することはあると知ってか、そこから彼女は少し緊張を解き、僕と話をするようになった。 それをまとめると、彼女は霊に憑かれるような罰当たりなことはしていないし、その心当たりもないということをそれとなく聞いた。 調べたその素性もありふれたもので、どこにもボンゴレリングは関係がなかったし、マフィアの文字なんて掠りもしなかった。 だけど現状、僕に憶えのある姿形の幽霊が彼女に憑いている。まるで背後霊のように。 これは、どういうことだろう。何を示すのだろう。 それとも本当にただの偶然か。それとも、幽霊のただの気紛れか。または僕をからかっているのか。 分からない、と答えを探してと話すようになって、と時間を重ねるようになっても、相変わらず幽霊は無口で無表情で僕の言葉には答えようとしなかった。 世間が冬休みに入ったある夜。が一人で流星群を見に行くのだと意気込んでいたから、夜に女の子を一人で山へ行かせるわけにはいかない、と僕は仕方なく彼女に同行して山を登った。 なんで僕がこんなことを、と思いながら倉庫に転がっていた望遠鏡を見せると、は顔を輝かせた。こんなに寒いのに元気がよすぎるくらいはしゃいでありがとう雲雀さん、と僕に笑う。 組み立てて、今回一番星が降るとされている場所に視点を合わせて、できたよ、と声をかけようとして思考がふと止まる。 は背伸びをして高台の手すりに体重を預け、めいっぱい手を伸ばしていた。空へ届け、天へ届けとばかりに背伸びして、寒そうに白い息を吐いて、一人ではしゃいでいた。 …その姿を知っている気がした。どこかで、よく似た姿を。でもどうして。 、と僕の隣で幽霊が彼女のことを呼ぶ。彼女は呼ばれたことに気付かない。幽霊はそんな彼女に哀しそうに笑った。 「」 「はい?」 隣の霊がそう呼んだように、彼女のことをそう呼んだ。天を仰ぐのをやめた彼女がきょとんとした顔で僕のことを見る。 その姿が。少しだけブレて。暖パンにダウンコートという防寒ばっちりの格好の彼女がブレて消えかかり、そこに誰か。黒いワンピースを揺らす違う誰かが重なって。細い両腕を天へと伸ばし、届けとばかりに目いっぱい背伸びした姿がまるでさっきの彼女と同じで。 その彼女は、こっちに気付いた顔で、アラウディ、と、満開の笑顔を向けて笑う。 「雲雀さん?」 はっとして焦点を今に合わせれば、そこには君がいた。黒いワンピースなんて着てない。暖パンにダウンコートなんて色気のない格好をした君が不思議そうな顔で首を傾げているだけで、僕にあんな無防備な笑顔は向けてはくれない。 僕が緩く首を振って「何でもない」と言えば、彼女は不思議そうな顔をしていたけど、ふと携帯を取り出して時刻を確認すると「あ、もう時間」とこぼして慌てて望遠鏡を覗き込んだ。三十秒もしないうちにぱちんと手を合わせてはしゃいで「わあもう一つ目!」と歓声を上げる声が耳に届く。 僕の隣で立ち尽くしている幽霊を見れば、あいつは僕を見ていた。 ようやく思い出した。 そうだ。アラウディ。そういう名前だったじゃないか。僕によく似たこの霊の名前は。 「…それで、あなた何」 彼女には聞こえない声音で訊ねる。アラウディは僅かに首を捻っただけで答えはしなかった。 沈黙の間に聞こえたのは、寒さに足踏みする彼女が出した音とか、ダウンコートが擦れる音とか、吐息の音とか、木々の葉が揺れる音とか、流れ星を見て歓声を上げる彼女の声くらい。 やっぱり僕には喋らないのか、と望遠鏡を覗く彼女のところへ一歩踏み出したとき、は、と小さな声が聞こえて振り返った。アラウディは遠い目で彼女のことを見ていた。懐かしむような色を持って。 は、彼女で。お前が僕なのだろう、と言われても僕には意味が分からない。 眉を顰めても補足のようなものはなく、足音なく彼女のそばへ移動したアラウディは触れられない彼女のことを抱き締めて言った。愛しているよ、と。ずっと愛し続ける、と残してその姿がすうと薄れていき、僕が何か言うよりも早く彼女に重なるようにして空気に溶けて消えてしまった。 意味が、分からない。 …分からないから知ろうと思っていたのに、もっと分からないままで、あいつは消えてしまった。 「雲雀さん雲雀さん」 声に呼ばれて意識を現実に戻すと、僕のところへ駆け寄ってきた君が見えた。僕に笑って「私もう三つも見ちゃいましたよ。ほら、雲雀さんのなんですから、雲雀さんも見てください」と手を取られた。 引っぱられて歩きながら、もう一人になってしまった彼女のことを眺める。 僕が、守っていかなければいけない。なぜかそんな気持ちが生まれていた。 一瞬だけ見えたワンピース姿の彼女が今の君で。さっきまでそこにいたアラウディが今の僕だというのなら。それが正しい姿のような気がしていた。 愛しているよ。ずっと愛し続ける 「はい、どうぞ」 手を引かれ、もう片手で背中を押されて、言われるまま望遠鏡を覗く。そこには普段は見ることのない小さな光の粒が数えきれないほど転がっていて、円の形に切り取られたその夜空の中をすっと光る筋が通りすぎた。僕の背中側で声がはしゃぎ、「やった四つ目! わあいすごいっ」と歓声を上げる。 顔を上げて振り返れば、夜空を見上げてはしゃぐ君がいる。笑ったその顔を僕へと向けて「きれいですよね」と言うから、ぼんやりその顔を見返して「ああ。きれいだ」とこぼし、僕は彼女を眺めた。 …愛しているよ。ずっと、愛し続ける。 最後に遺していった言葉が僕の頭をぐるぐると回っている。 それは、つまり。過去の君と過去の僕がそういう関係だったとしたなら。今の君と今の僕は、一体どういう関係になるのだろうね。 夜空を見上げる顔を眺めていると、視線に気付いたらしい彼女が困ったように笑った。 「えっと、何かついてます?」 「別に何も」 「えっと、…あんまり見られると恥ずかしいんですが……?」 「ああ。気にしないでいいよ。飽きるまで見ていたいだけだから」 「え」 え、こぼした彼女があちこちに視線を投げて、それから逃げるように望遠鏡を覗き込んだ。 その横顔を飽きるまで眺めていようと決めて、僕はポケットに手を突っ込んだ。 もうアラウディに守られていない君の背中はひどく無防備で。その背中を今度は僕が守らなくては、と強く思った。 |