イメージは包丁。漫画に出てくるような小振りできらりとかっこいいナイフなんて思い浮かばない私は、家にあるステンレスの銀の包丁をイメージした。
 柄まで銀色の包丁をしっかりと握り締める。刃を下に向けて柄を両手で握り、狙いを定めて、あとは少し力を込めて振り下ろすだけ。
 ざくり、か、ざっくり、か。効果音はそんなところだろうか。
 そうして私は何度も包丁を振り上げ、振り下ろし、その作業を繰り返す。
 切るというより刺す。ざくざくざくざくとひたすら刺す。みじん切りをイメージして、それを刺し殺す。
 殺したのは私の気持ち。私の心。私の思い。
 この利己的な世界で生き抜いていくために不必要な自分の全てを、私はいつもこうやって殺している。何度でも、何度でも。
 特別嘆く必要もない。みんなやっていることだ。それぞれ程度の差はあれ、自分を曝け出すなんて無防備な真似は危険以外の何者でもないと知り、みんなが自己防衛している。その方法の一つがこれというだけのこと。
 自分で自分を殺すこと。誰かに殺される前に、自分で自分を殺しておくこと。そうすれば他の誰かに自分を傷つけられることはない。他の誰かに自分を殺されることはない。世界で唯一無二の自分を、私を、誰か知りもしない相手に不本意に傷つけられることはないのだ。
 誰だって自分のことしか分からない。だから自分が大事。私という意識が収まっている箱である自分が大事。
 だから守る。どんなことをしてでも。
 だから殺す。大事な自分を、私を、他の誰かになんて傷つけさせないように。
 そんなふうに生きてきたせいか、最近はとんと涙も涸れ、笑うこともなくなり、怒ることもなくなった。
「そういう生き方は、淋しくありませんか」
 …誰かにそんなふうに声をかけられて、足を止めた。
 仕事の帰り道。寒風が吹き抜ける夕暮れ時の駅のホーム。学生服姿の誰かやサラリーマン風の誰か、老若男女が入り混じるそこに見分けがつかぬように混じり合い、帰宅するために電車を待っていた私は、その声で顔を上げた。
 その人は私を見ていた。だから私もその人を見ることにした。
 左右で違う色の瞳をしたその人は、男の人で、すらりと背が高い。それから髪が長くて、頭部の方がちょっと変わった髪形だ。ワックスで固めるのは大変そうだろうな、と思ったけれどすぐにどうでもよくなった。他人のファッションに口を出すことなんて無意味でしかない。
 はてと首を傾げるとその人も同じように首を傾げるので、やっぱりさっきの言葉は私に向けられたもののようだ、と認識する。
「何かご用ですか?」
「用というほどのことでもないのですが。あなた、退屈ではありませんか」
「…ナンパというやつならお断りします」
「おや、お堅いですね」
 くふふ、と含みのある笑い方をしたその人から視線を外し、ホームのアナウンスを聴く。聞き慣れた音楽のあとに『まもなく三番線に電車が参ります』と聞き慣れた声で聞き飽きた言葉を繋げる。
 どうやらさっきの言葉に深い意味はなかったようだと思ったことで、少し残念なような、ほっとしたような、よく分からない気持ちになる。
「あなたが僕の知り合いとよく似ていましてね」
「、」
 ホームの線路を見つめていたら隣から声が聞こえて驚いて顔を上げた。いつの間にか隣に立っているその人がにこりとした笑みを浮かべて「ですから面白くて。ここまで似ているのも空寒い」「…あの」ガタンゴトンと電車の音が聞こえてくる。夕暮れを切り裂くような眩しい白のライトがホームを照らし出し、私と、そしてその人の横顔を一瞬だけ白く染め上げた。
 ホームに滑り込んだ列車が寒い風を吹き込ませながら停車して、ドアが開く。ホームへとなだれ込む人の群れ。私とその人を煙たげな目で見やって避けていく、その中で、私はオッドアイの彼を見ていた。
 犬や猫ならたまに見るけれど、人でそういう目は珍しい。
(それに、とてもきれい)
 その気持ちが、電車を一本遅らせるくらい何も問題ないだろう、と結論づけた。
 …人に対して、感情らしいものを抱いて、それが不快ではなかったのは久しぶりだった。

 自分で自分の気持ちを殺すのは、それが気に入らないものだから。持っていても仕方のないものだから。不利益なものだから。得のないものだから。損をするものだから。
 だったらそんなモノは殺してしまおう。なかったことにしてしまおう。それが私のためになる。
 たとえ、苦しみや痛みを感じても。それは過ぎ去る。やがて訪れる安寧のためならば、殺すことも、哀しくはない。

「これはナンパということになるのでしょうが、どうですか。僕と一緒に食事でも。もちろんホテルのディナーをご用意しますよ」
 今の時期でしたら、そうですね、なんて一人続ける彼を見つめて数秒。考えてみて、断る理由が見つからなかった。
 控えめに言って、面白い髪型の、きれいな目を持った、少し変わった人だ。変化というものに乏しい私の日常の転機としては、申し分ないインパクトのある人。
 そういう生き方は、淋しくありませんか
 ……その言葉を。私は自分で気付いていながら、知らない、気付かない、気付きたくないで通してきた。
 涙は涸れ、表情が動くほど感情が動くこともなくなり、笑うことも、怒ることも、もう忘れてしまっていた。
 生きた機械のように社会を回す歯車の一つとして日々を過ごす。機械のように無機質に、それでも生きて、生きて、そうやって死んでいく。
 そんなのはごめんだ。
 知っていた。私は生きている。望んで生まれたわけではないけれど、生きている。生きてしまっている。それが世界に投げ出された私という被害者の生でも、生きてしまっている。
 それならもう生きるしか方法はない。
 いずれ失われるモノなのに、それでも生きるのは、一度築いた私が思うから。ここにいる私が在るから。それが無くなることが、恐いから。
 生きなければならない。死にたくはない。でも世界が冷たい。世間が冷たい。私も冷たくならなくてはやっていけない。生きていけない。そうやって私も世界も、私が知っている全ては冷たいものに成り果てた。
 あるのだろうか。この世界には、私が憧れた、あたたかい、傷つけられない、傷ついても癒されるような、傷ついた分だけ納得できるような、そんな世界が。

 彼はにこりと微笑んだ。手袋に包まれた手を差し出され、「お手を」と言われて、誘われるまま、その手に自分の指をかける。
 久しぶりに触れた誰かの体温。手袋越しでも、人は生きているのだ、というあたたかさが伝わった。