『雲雀くん、あなた起きてます? というか、今寝ていたということは、また不規則な生活をしているようですね』
「うるさいな…咬み殺すよ」
『まぁそう言わずに。雲雀くん、君の妹を見つけたんですよ』
「はぁ?」
『これがもう本当にそっくりでしてね、あなたにぜひ会っていただきたいんです。もちろん今から』

 せっかく人が寝ていたところを六道のふざけた電話で起こされた僕の機嫌がいいわけがなく、妹を見つけたとかほざくあいつを殴らないと気がすまなかった。スーツのまま寝ていたのが逆に都合がよく、布団を跳ね除けて六道が一方的に告げた場所だけを聞いてぶちっと通話を切った。携帯をポケットに捻じ込んで車を走らせてホテルに突っ込み、ドアを開け放って鍵をドアマンに放る。慌てふためくドアマンの横を素通りしてエレベータで最上階へ行き、受付に六道のいる席を訊いて案内させ、相変わらずふざけた髪型の六道を見つけて開口一番咬み殺すでトンファーをぶん投げようかと、そう思ったところで初めて思考が止まった。
 勢いのまま、起きて車を運転してここまで来て、せっかく気持ちよく寝てたのにふざけた電話で僕の睡眠を邪魔して咬み殺すと六道を殺る気で来て、だから、あいつの言葉のどこに真意があったのかなど考えもしなかった。
「おや、さすが雲雀くん。お早い到着ですね」
 相変わらずのムカつく顔で笑う六道がディナーのコースを一つ追加する。起きたばかりでそんなもの入らないっていうのに。
 大きなテーブルに三角形になるように置かれたソファの一つに女が座っていた。両手で前菜のスティックパンをかじっていた女が手を止めて僕を見ている。暗くて、淀んでいるのかそうでないのかも分からないような底の無い瞳で。
「…僕の妹を見つけたとか、ふざけたことを言っただろう」
「言いましたね。ふざけているつもりはないんですが。雲雀くん、とりあえず座ったらどうですか。心配せずともお金は僕が持ちますよ。君はタダ飯を食いに来たと思っていればそれでいいんです」
 含み笑いを浮かべる六道に唇の端が引きつった。スーツの内ポケットに手を突っ込んで折りたたみのトンファーを握り締めたところで六道の視線が僕から流れる。知らない女はさっきから手を止めてじっと僕を見ていた。
 瞬きすら忘れたかのようにじっとこっちを見つめる暗い瞳に、やり辛い、と思った。自分のしたいことにやり辛いなんて思ったのはそれが初めてだった。
 深く息を吐いてスーツから手を抜く。乱暴に椅子を引いてどかっと腰かけて数秒。ようやく視線が離れて、またスティックパンを食べ始めた女に、六道がにこにこと気持ち悪い笑顔を向ける。
「お味はどうですか? 僕はこのレストランがなかなか好きなんですよ。今の時間帯なら特に景色がよく見える」
 女は答えずにこくんと一度頷いて、視線を景色の方に投げて、また食べることに戻った。にこにこしてる六道が気持ち悪い。
「で、それは何」
 女の方を顎でしゃくって示す。「女性をそれなんて顎で示すものではありません」とか知った顔で言う六道にイラつく。革靴の底でタイルの床を叩いた音がそれと分かるくらい苛々している。
「じゃあ本人に訊くよ。君、何」
 食べることに集中していると思っていた女はあっさり顔を上げて僕の方を見た。淀んでいるのか澄んでいるのか分からない暗い瞳。咀嚼していたパンを飲み込んだのだろう、小さな喉仏が僅かに上下するのが見えた。
 よく似ている、と思ったのは、何にだろう。

、と言います」
「…、何」

「そう。僕は雲雀恭弥。そっちのふざけてるのは六道骸」
「ふざけてるとは聞き捨てなりませんね。僕はいつでも大真面目です」
「…咬み殺すよ?」

 スーツの内側に手を突っ込んだ辺りでまた迷った。が口に詰め込んだパンを何とか咀嚼している姿が動物じみて見えて、跳ね上がった苛立ちが少し治まる。それを理由にスーツから手を抜く。自分の苛立ちを誤魔化すためにはぁと息を吐いて足を組んだ。
 君の妹を見つけたんですよ。携帯越しの六道の声を思い出して、妹、と称されたという女を眺めた。
 …さっきあの暗い目が何かに似ていると思った。
 何に似ているのか分かった。鏡に映った僕の目だ。色彩が少し違えど、あの目は、僕の目とそっくりなのだ。六道が妹と称するくらいには。
 値段に見合う味の食事を終え、起きたばかりで働いてない胃が重いのを感じつつラウンジを出た。「おいしかったです」「それはよかった。黙々と食べていましたもんね」「こういう食事、久しぶりで…」「お気に召したなら幸いです。僕でよければまたお誘いしますよ」背中の向こうで交わされる声を聞きながらエレベータの前に立ってボタンを押す。すぐに口を開いた箱に乗り込んで、一階のボタンを押し、降下。
 その間も六道とは会話を交わしていた。六道は始終笑って、は表情を動かさず、感情の見えないような平坦な声で、淡々と。
 …憶えがある。あれではまるで僕だ。
 でも、だからなんだっていうんだ。どうもしない。世の中には自分に似た人間が三人くらいはいるっていうじゃないか。自分と同じような誰かがいた、それだけのことだ。僕にはどうだっていいことだ。
 フロントで車を正面に回すように言ったとき、六道がわざとらしく手を叩いた。じろりと睨めば「そうだ雲雀くん、あなた車でしたね。を送ってあげてください」なんてふざけたことをにこにこと笑顔で言う。
 …なんでもう名前呼びなんだとか、そんなところを気にかけたのか。
 平坦な声でしか応じなかったが、そこで少しだけ表情を動かした。「骸さん、私電車で帰れますから」…まで六道のことを名前呼びしている。どうしてそんなことが引っかかるのか自分が分からない。
「いえいえ、お誘いしたのはこちらですし、夜に女性を一人で帰らせるわけには。残念ながら僕はこれから仕事でして、お送りすることができないのですが…ねぇ雲雀くん?」
「なんで僕が。断る」
「…あなたは本当に自分勝手なままですねぇ。少しは成長なさい」
 知った顔で知った口を利く六道に、苛々が跳ね上がった。スーツの内ポケットに手を突っ込む。手に馴染んだ重みを握って引き抜いた手。展開すればすぐに相手を殴る武器へと変わるそれを、それ以上動かせない。じっとこっちを見つめる暗い瞳と目が合ったせいで。
 あまり動かない平坦な声が、遠慮するように細々と、「あの、大丈夫ですから。帰れます。ごめんなさい雲雀さん」と、僕のことを呼んだ。ぺこりと頭を下げた拍子にさらさらと流れた黒い髪がきれいだった。
「………送れば。いいんだろ」
 手に握った馴染んだものを展開することなく、スーツのポケットに突っ込む。六道がにこっと笑ったのが気持ち悪い。
 いつまでも頭を下げたままのに向かって一歩踏み出すのに足が迷った。一歩目を踏み出せば二歩三歩は簡単で、勢いのままの前に立って頭を下げたままの姿に手を伸ばした。
 手を伸ばして、何をしようと思ったのか、細い肩に触れてから気付いた。
 顔を上げたの瞳を見ていると鏡と相対しているような気分になった。それを誤魔化すようにくるりと回れ右をさせて「送る。家はどこ」と訊けば、は迷っているような素振りで僕を振り返った。「でも…ご迷惑で」「家は、どこ」言葉を遮って質問を繰り返す。声はまだ迷っているような感じだったけど、やがて諦めたように住所を口にした。
 エントランスを抜けてドアマンから鍵を受け取り、車の助手席側のドアを開ける。
「…あの」
「何? 早く乗って」
「あの、この車は、雲雀さんのですか?」
「そうだけど」
「…高そうな車ですけど、私が乗ってもいいんですか」
 遠慮しているらしいと気付いてふっと息を吐く。僕には別段高い買い物ではなかったんだけど、はそうではないらしい。「乗ってよ。出れないから」「…はい。お邪魔します」そっとシートに座って車に乗り込んだを確かめてからドアを閉めた。運転席に回る前にそばに来ていた六道に視線を投げる。何その顔、咬み殺すよ。
「君が曲がりなりにも女性をエスコートする日が来るとは」
「誰のせいだと思ってるわけ。…妙なモノを見つけてきて僕を呼び出して、一体何がしたいのさ」
「別に何も。君に似ていると思ったのは本当ですから」
 どこまでが本気か読めない笑顔で「さぁ、女性をあまり待たせるものじゃありませんよ。車内でも会話くらいするように。始終無言はやめてくださいね」「うるさい」ふんとそっぽを向いて運転席のドアを開け放って乗り込みばんと勢いよく閉めた。
 ナビに住所を打ち込んでいる間がじっと僕の手元を見ていた。その視線に居心地が悪くなる。背中が落ち着かない、とでも言うのか。
 ホテルを出ての家へ向かう。
 車の中は静かで、彼女は気配というものも乏しく、生きているという感覚すら乏しいような、そんな遠い表情でただ景色だけを眺めていた。
 ……まるで死んでいるみたいなのに、生きていた。死んでるように生きていた。生きるでもなく死ぬでもなく、在るだけ。
 に対してそんなことを思って、思考を振り切る。僕にはどうだっていいことだと。
「…六道とは知り合い?」
 微かなエンジン音しか届かない車の中、呟くような声色で訊ねると、はこっちに顔を向けた。仄暗い瞳で僕を見て「今日知り合いましたから…ナンパされた、ってやつになるんでしょうか」僅かに首を傾けた姿に「そう」と返せば、会話は終了、車内はまた静かになる。ただ、彼女がじっとこっちを見ているというのが問題なだけ。
 指先でとんとんハンドルを叩く。
 落ち着ける、わけがない。
「……何?」
 じっとこっちを見ているが「失礼かと、思うんですけど」「だから何」「雲雀さんは」そこで一度言葉を切った彼女に視線を投げる。かち合って数秒。あまり血色のよくない唇が「私と、似ているような気がして」と言葉を漏らす。

 …六道が君のことを僕の妹だと言ってみせた。僕も君が自分に似ていると思った。君も、僕が自分に似ていると思った。
 妙に背筋が騒いで落ち着かない。喧嘩の前でもないっていうのに、血が騒ぐのにも似たこの感じは、一体なんだろう。

「奇遇だね。僕もそう思った」
 青に変わった信号にアクセルを踏み込む。
 ようやく僕から視線を外した君は、前を見て、流れ行く景色を見て、本当に薄く、小さく、唇だけで笑ってみせた。