鏡に映したように僕そっくりの相手を睨みつけ、を庇って彼女の前に立つ。
 右腕に一発ぶち込んだけど、その腕を気にするでもない相手に出血は見られない。確かに撃ったのに、だ。
 に怪我はないようだけど、何かされていたことはさっきの体勢から見ても確実だった。できるなら今すぐ抱き締めて甘やかしてあげたいところだけど、そうもいかない。まずはこの僕そっくりの奴を始末しなくては。
「やぁ。初めまして」
「そうだね。会ってさっそくで悪いけど死んでくれる」
 パン、と一発見舞って眉間を撃ち抜いた。人間であれば間違いなく死んでいる場所。そこを撃たれても衝撃に仰け反っただけで倒れることもなかった相手が眉間に穴の開いた状態で笑うと、ひ、と息を呑む音が聞こえた。が怯えているのだ。その反応も当然だ。眉間を撃ち抜かれても死なず、血も流さずに笑っている人間…いや、人間の形をしたモノに恐怖を覚えても仕方がない。まるでこれは三流のホラー映画だ。
『喰らうかい? それしか奴らを仕留める方法はないよ。君達の武器じゃ歯が立たない。僕で試して、知っているだろう?』
 くすくすと笑う声が自分の内側に響く。その声にうるさいと毒づいて銃を畳に投げつけた。
 言いなりになるのは癪だが、無意味なやりとりで時間を食うのもごめんだ。僕は早くをこの腕に抱きたいのだから。
 自由になった右手を突き出し、相手の首を掴むイメージをする。ぎりっと捻ってねじり、首を捻り切る。そのイメージはそのまま現実になった。見えない手に首を掴まれ畳から足を浮かせることになった相手の顔から笑みが消える。「その、ちか…ど、こ、で」「どこだっていいだろう。」「、」「目を閉じるんだ」きっかり3秒待ってから、見えない腕を掴もうと抵抗していた相手の首を捩じ切った。ぶつ、と簡単に首が捩じ切れ、畳の上に人の頭が転がる。
 そっくりなだけとはいえ、自分の絶叫顔というのは見ていて気分のいいものではなかったので、その頭も身体も全部見えない手に喰らわせた。『ああ、まずい、まずい』と言いながらも声は楽しそうに食事をすませる。
 さっきまでそこにあった人の形はもうどこにも存在しない。
 転がっている銃を拾い上げてポケットに突っ込み、一つ呼吸してから振り返ると、はまだ目を閉じていた。「もういいよ」と言えば、恐る恐る瞼を押し上げた彼女の青と緑の瞳が覗く。
 僕を見上げたは大きくなっていた。
 髪が伸びた、かな。幼さ故の丸みを帯びた輪郭はもうなくなっている。成長したの姿が嫌でも時間の流れを感じさせる。僕が止まっている間に流れた月日のことを。
 くしゃっと表情を歪ませたが顔に掌を押し当てて泣き始める。
「待ち、くたびれちゃ、た」
 そうこぼす泣いた声は、僕の遅すぎる帰還を怒っているようで、悲しんでいるようで、喜んでいるようだった。
「…仕方ないさ」
 そうぼやいて返しながらも、僕のことを待ち続けていたに胸がいっぱいになっている。「ごめんね」と心から謝りながらそっと膝をついて、一度躊躇った手を伸ばして肩を震わせているを抱き寄せた。…やっぱり、憶えているよりも大きくなっている。僕のことを抱き返す手も、抱き締める身体も、以前とは違うやわらかさがある。
 カレンダーで確認したけど、あの日から二年が経過しているらしい。
 二年。僕は肉片状態からもとに戻るまで二年かかった。なんてザマだ、と自分の中で声を落とすと、『仕方がないだろう。再構成は苦手なんだ。あの出来損ないを見たら分かるだろう? そっちの才能はなかったんだよ』と声が言い訳する。キメラの集合体でしかなかった自分の本体のことを言っているらしい。
 全く、不甲斐なくて、情けなくて、笑えてくる。
 悪魔と契約してでも僕はのもとに戻ってきたのに、二年という時間の亀裂が僕らの間に以前はなかった溝を作っていた。
 これからその溝を埋めるために、とたくさん話をして、一緒に過ごして、怖い思いをした彼女を甘やかしてあげないと。
 あの頃暮らしていたアパートはとっくに引き払われているし、雲雀の実家に戻る気にもなれなくて、仕方なく沢田家のあるマンションに行った。
 を危ない目に合わせた沢田を咬み殺すという意味でも沢田家に用事はあったけど、僕がいることに驚いて、次いで、帰ってきたを抱き締めた沢田京子の顔に毒気を抜かれ、そっぽを向いて腕組みする。
 …二年。僕がいない間、沢田家はの家族として機能していたのだろう。そう頼んだのは僕とはいえ、釈然としない。
ちゃん、今日はね、ハンバーグを作ったのよ」
「ハンバーグ」
「そう。好きでしょ?」
「うん。きょーやの分、ある?」
「ツっくんの分を用意しましょう」
「いいの?」
「いいのいいの。ツっくんには冷凍ので我慢してもらうから」
 よく手洗いうがいをしてからリビングに来るのよ、と残して沢田が夕飯の準備にキッチンへ向かう。
 が機嫌よさそうに「こっちが洗面所」と僕の手を引いて、何かに気付いたようにまじまじと握った手を見つめてきた。その視線に居心地が悪くなる。背筋が定まらない、というか。一度この身体が潰れたということを知っているからか、どこも変じゃないだろうな、なんて思ってしまう。「何?」「ううん。あったかいなと思って」「…当たり前だろう」そう吐き出すのに少し時間がかかった。うん、と笑うの笑顔に罪悪感を抱く。僕が本当は死んでいると知ったら、は、泣くだろうな。
 僕と、沢田の三人の奇妙な食卓と、知らない人間の手の馴染まない味のハンバーグを、ほとんど飲み込んで胃に落とした。まだ身体が食べ物を受けつける状態でないことは落ちてたまっていくばかりの感覚で理解した。せめての作ったものならもう少し身体が受けつけたかもしれないのに…。
 が嬉しそうにハンバーグを食べていたので、僕は彼女の嬉しそうな顔を味わって気持ちの方を満たすことにした。そのうちが僕の視線に気付いて首を傾げる。「きょーや、お腹空いてないの?」胃が受けつけないと分かってからは箸を置いたままの僕に疑問を感じたようだ。
「僕はいいよ。は食べなさい」
「うん…」
 腑に落ちない、というふうに首を傾げつつ、はぱくぱくとハンバーグとご飯とサラダを平らげた。
 その後、沢田綱吉は夜も遅い時間になってから帰宅した。
 僕とは二年の空白を埋めるためにテレビを材料にしながら話をしていたところで、沢田京子は綱吉の帰宅に真っ先に玄関に行った。
 綱吉を一発ぶん殴るためにもここへ来たのだけど、いつかのように僕の上に乗っているが懐かしくて、ソファに寝転がったまま動けない。くすんだ金糸に青と緑の瞳。全てがあの頃のまま、と言いたいところだけど、成長に伴って体重は増えたかな。
「ツナが帰ってきたよ」
「そうみたいだね」
「お話、しないの?」
「するよ。は眠るんだ。続きはまた明日」
「……起きたら、いなくなってたり、しない?」
 不安そうな表情にふっと息を吐く。頬に手を滑らせて肌触りを確かめながら、「のために戻ってきたんだ。もういなくならないよ。約束する」『いいの? そんな無責任な約束』笑う声をうるさいと一喝し、こっくり頷いたと見つめ合って、唇を重ねた。
 ぱっと顔を上げた彼女の頬が赤かったことを僕は見逃さなかった。
 二年たっている。は12歳だ。世の中でいう思春期に入っている。…もう彼女も子供じゃない。
 起き上がる気がしなくてソファに寝転がったままでいると、ひょこっと顔を覗かせた綱吉が例の柔和な笑顔を見せた。「おかえりなさい雲雀さん。ずいぶんと遅かったんで心配してたんですよ」白々しいと感じる笑みを浮かべる沢田のネクタイを掴んで引っぱる。苦しいとソファを叩く相手に「僕が間に合ったからよかったけど、の面倒、頼んだはずだよね」「すみませんでした。ほんとにすみませんでした。勘弁してください」「うるさい」拳を上げた僕にぎゃっと目を閉じた沢田が小動物すぎて、殴る気が失せた。
 溜息を吐いて拳を下ろし、ソファで寝転がったまま視界を腕で塞ぐ。
 からのコール音で目覚めて、日本まで飛んできた。目覚めたばかりの身体は休息を訴えている。眠い。
「でも、まぁ、ありがとうと言っておく。僕がいない間それなりに面倒を見てくれたようだから」
「そりゃあ、雲雀さんに頼まれましたからね。出来る限りのことはしてきたつもりです」
「で、訊きたいんだけど。君はアレが何か、どういうものか、知っているんだろう」
 話を切り出した僕に、綱吉が京子の方に声をかけた。もう眠っていいよ、あとは一人でもやれるからとやんわり彼女をこの場から追い出したのは綱吉なりの気遣いだろう。
 大事な人間にはできれば何も知らず、変わらずにいてもらいたい。そう願うことの意味を僕も知った。
ちゃんと雲雀さんが遭遇した相手を、俺達はミラーヒューマンと呼んでいます」
 聞き慣れない言葉に腕をずらして目を凝らす。沢田は向かいのソファに腰かけてネクタイを解いている。「鏡、人間?」「ええ。鏡に映したようにそっくりな、人間もどき。以前までは不完全体、それこそキメラが多かったんですが…連中も本気でこちらを潰しにかかってきた、ってことでしょう」顔色を曇らせる綱吉に眉を潜める。
 なんだ、その言い方。何か引っかかる。
 綱吉はこの異常事態を受け止めている。柔軟性は彼の売りだけど、それにしてはおかしい。
「連中って、なんのこと。僕はそんな話は知らない」
「…一応シークレット事項なので」
 話を濁した綱吉に苛立ってソファを殴りつける。
 役職を捨てろとは言わない。守るべき者を持つ人間にそんな酷なことは言えない。でも、僕には知る権利がある。聞かなかったことにするから、独り言として流せばいいんだ。僕はそれに従う。
「言っておくけど、そのミラーヒューマンとやらは普通の武器じゃ意味がない。眉間を撃ち抜いても倒れない奴らだ」
「知ってます。そして、雲雀さんが彼らに対抗できる力を得たことも」
 ますますもって綱吉の言動は気に入らず、僕の苛立ちは加速する。
『彼も同じ力が使えるんじゃないかな』
 僕の内側で、声がそう言う。
 その言葉でそういう可能性もあるということに気がついた。そして、試してみた。見えない手で綱吉の細い首を掴もうとして…相殺された。見えない手が同じような力に真っ向から衝突し、ぎりぎりと拮抗する。
 綱吉は何も言わない。ただ、これで分かったでしょうと言いたそうに情けない顔で笑っている。その情けない顔のまま手を組んで額を預けた。「夢は終わらせなければ」という小さな声に顔を顰める。「は? 何?」顰めた声で問う僕に相手は口元だけで笑みを作る。
「たとえば、ですよ。花は咲いたらいつか散りますし、眠って見る夢は必ず醒めます。それが自然なあり方です。
 彼らは、その摂理を壊すことを望んでいる。永遠に咲き続ける花のある世界に、醒めない夢が続く世界にしようとしている。自分達の都合のいい世界に作り変え、自分達が世界の中心として全てを担っていくことを未来図として描いている。俺達は決してそれに賛同することはできない。
 …それがどんなに甘い夢でも、幸せな夢でも、夢は終わるべきで、目は覚めるべきなんです」
 そう語る綱吉の言葉が突き刺さった。
 甘い、幸せな夢。僕にとっての現実がまさにそうだと言われているようで、それは覚めるべきただの夢だと言われているようで、怒りすら覚えた。
 だんっと勢いよく立ち上がったもののふらついてソファに沈み、『あまり無理をするとバラけるよ。糊でくっつけたばかりの紙は剥がれやすいだろう?』と笑う声に唇を噛む。
 僕が望むのは現実だ。夢じゃない。
「で、君は結局どうしたいわけ。摂理を壊そうとしてるっていう奴らを殲滅したいわけ」
「…そうですね。簡単に言うとそうなります。それには雲雀さん、あなたの力が必要です。この力を使える人はあまりにも限られている。こちらは常に人手不足です。一方向こうは数だけは多い。その代わり、一個体にはそう力はないですけど」
 あっさり頷いた綱吉に、ぼそっと訊ねた。「僕をギョレメに行かせたのは、このため?」睨む僕に相手は肯定も否定もしなかった。ただ少し疲れた顔で笑っただけだ。
 の部屋で寝るから毛布だけ貸してといったら実に微妙な顔をされた。その顔に呆れて床で寝るだけだと付け足すと、綱吉はほっとしたように毛布を預けてきた。
 気を失うようにして眠って、朝、頬を叩いて起こされた。無意識にその手を握ってから瞼を押し上げると、ぼんやりとした視界にこっちを覗き込んでいるが見えた。青と緑の瞳がきれいだ。
「朝だよ」
「まだ、ねむい」
「じゃあベッド使って。身体、痛くなっちゃう」
 別にいいよとぼやいて返したけど、手を引っぱってくるに、ベッドまで這うようにして行って倒れ込んだ。硬い床でもこの身体にはもう関係がなかったけど、やわらかい方が断然寝やすい。また気を失うようにして眠って、二度目はお昼に起こされた。「きょーや、ご飯だよ」と甘い声で。
 さすがに寝過ぎだと気付いたので、のそっと起き上がって欠伸をこぼす。まだ眠い意識でぼんやりとを眺めていると、青と緑の瞳はあっちへこっちへおどおどと動く。戸惑っているらしいと気付いて、愛しいな、と思った。
 二年も待たせてしまったけど、僕は帰ってきた。やっと君のところに帰ってこられた。
 帰ったら言おうと決めていたことがある。

「うん?」
「僕と、結婚しよう」
 何度も何度も練習してきた、決めてきた、心からの言葉を伝えると、彼女はぽかんと口を開けた。「結婚…?」「16になったらね。今はまだ無理だ」「……きょーやは、わたしと、結婚したいの? 好きで、いてくれてるの?」「そうだよ。愛している」これも何度も練習してきた言葉だ。それでも照れが混じるのはどうしようもない。
 ああ、分かっているよ。我が身を顧みれば、僕にそんなことを言う資格はないってことぐらい。生きているとも死んでいるともつかないこの身体で伝えるべきことではないってことくらい理解している。
 それでも、そんな良識を凌駕するほどに、君のことが愛おしいんだ。

 どうか許して。叶わない願い事を口にしているにすぎないかもしれない僕を。
 どうか赦して。自分から取り付けた約束を、破るかもしれない僕を。

 身勝手な僕に抱きついたは笑っていた。「お嫁さん? わたし、きょーやのお嫁さんになれるの?」天使の笑顔だと言っても過言ではない眩さに目を細くして「そうだよ」と肯定し、頬に、鼻の頭に、額に口付けを施す。
 君への愛で目の前が霞んで見える。
 ああ、僕は泣きそうなのかと気付いて、涙なんて見せたくないと強がって、思いきりのことを抱き締めた。「苦しいよきょーや」と笑う声の甘さがすぐ耳元だ。体温だってこの腕いっぱいに抱き締めている。確かに望んでいた現実なのに、どうして僕はこんなに苦しいのだろうか。泣きたいくらいに。
『それが叶わない願いだって、知っているからじゃないの』
 ぽつりとぼやいた声は努めて無視し、夢はと語った綱吉の声も無視して、僕はこの今を噛み締めた。くすんだ金糸に顔を埋めて盲目的にを想った。そうやって自分を人間にしなければ、僕はぺしゃんこになった肉塊に戻ってしまう。そんな気がしていた。
 君に出逢わなければ、あの辺境の地で死んでいたとしても、とくに思い残すこともなくあっさりと僕は死んでいたのだろうと思う。
 君と出逢ったこと。その一点が、空寒いと思うほど、僕を人間に、生に執着させるのだ。