僕、沢田、リボーン、他に若干名力を扱える人間がいて、その面子だけでミラーヒューマンを片付けていく、その繰り返しの作業に飽きるような日々が続く。
 ミラーヒューマンは日毎に数を増していき、それに合わせるように異常な事件の発生率も上昇。理解も推理もし難い事件の数々にミラーヒューマンが関与していることは疑いようがない。
 やがて心労や疲労を重ねて休職し始める人間が出始めた。あるいはミラーヒューマンの手によるものかは定かではないが、死亡するケースも。もともとそう大きな展開でもない特殊課の人員不足は問題視され、協議もされたが、多民族化の影響で警察自体が深刻な人員不足に陥っている。補欠員などいるはずもなく、さらなる治安の悪化は、もう防ぎようがなかった。
 結局なんの進展もなかった人員不足に関する協議のあと、痺れを切らした僕は前を歩く沢田とリボーンのスーツの背中に声を投げた。
「大本を叩こう。ザコの始末なんて続けたって仕方がないだろう」
 足を止めて半分こちらを振り返った沢田は微妙な顔をしていた。室内でも帽子を取らないスタイルのリボーンが肩を竦める。「そうだな。そうできりゃ話は早いんだが」…言い方が引っかかる。どこにいようが飛行機や船があるんだから突っ込んでいけばいいだけの話だろう。僕らには敵を始末する手段と方法がある。
 何か言いかけたリボーンに沢田が手をかざした。
 …あの顔だ。夢は、と語ったときのあの情けない顔をしている。
「雲雀さん」
「何」
 イラついた声を返すと、小さく笑った相手は情けない顔のまま僕にこう問うた。「夢を壊せますか?」と。…意味が分からない。僕はなぜ大本を叩かないのかと訊いたと思ったんだけど。
 甘い夢でも、幸せな夢でも、と語ったかつての沢田の言葉が再生される。
 甘い夢。幸せな夢。君といる、現実。
「俺達はそのために戦っています。敵は、この夢を永劫続けたいと願う者達。俺達はこの夢を破壊しようとしている者達」
「…本当に憶えていないのか? この街に何が起こったのか」
 眼光を鋭くして僕を睨んでくるリボーンを睨み返し、じわり、と背中に嫌な汗が吹き出したのを感じた。眼力のせいじゃなく、言葉の方に、何か、思い当たる感じがあったような気がしたからだ。
(この街に何が起こったのか…?)
 沢田と違いリボーンは僕を気遣わない。ただつらつらと言葉を並べていく。
「一般人に言わせれば災厄、オレらに言わせれば相当デカい匣兵器の白い龍が空から降りてきた日だ。
 街にひしめく高層建築物の樹海を薙ぎ倒したその力は、隕石の衝突とそう大差なかったよ。街には穴が穿たれ、東京は消えた。
 そのとき仕事で出ていたオレらはちょうど飛行機の中でな。被害は免れた。遥か下方に白い龍の形をした匣兵器の暴走。鎮めようにもあのデカブツに対してオレらだけでは太刀打ちできない。世界中からメンバーを集めてやっとこさの思いで暴走していた匣兵器を破壊したわけだ」
 全てを、当たり前のこととして受け入れていた。自分が警察の人間であることも、多民族化した日本の変わり果てた街並みも、道端に溢れる難民の多さも、変わっていく世界のことも、これからのことも、この世界に生きる当然の住人として、自然なこととして考えていた。
 知っている世界の姿がざらりと崩れていく。
(違う。僕は。ぼくは、)
 ぶるぶるとおかしな感じに腕が震えていた。普段はそれなりにうるさい声が今は静かだ。こういうときにこそ喋れよと思うのに何も言わない。
 僕を気遣う沢田は、視線をホロ加工された森の風景へと逃がした。
「俺ね、京子のことお嫁さんにもらったんですよ。新婚ほやほやでした。
 でも、あの日、部下を一握り残しただけで東京は死滅した。京子は匣なんて使えませんから…亡骸の欠片も見つかりませんでしたけど、超直感で、理解しました。彼女は死んだんだって。だから、この夢の世界で笑っている京子は、俺の望みで、理想で、夢なんです。現実にはあの子はいない。甘くて幸せで、終わってほしくないって心から思う夢……」
「やめろ」
「雲雀、お前が大事にしてるも夢だ。現実世界のお前は恋人に依存していた。仕事だってなんとか引き離したら、あの災厄…最初お前は恋人を殺された憎しみでオレらに協力した。だが、復讐の相手がいなくなった途端、抜け殻になっちまってな…。
 災厄と言われた匣兵器の暴走は食い止めた。だが、あまりに傷跡が大きかった。東京は形もないし、痕跡もなく消えた人間も数多い。
 最初はな、失った東京を夢幻という形で実現させて『生き残った人々のトラウマを軽減しよう』って話だったんだ。一時的な心理療法を科学技術で夢って形で見せる…半信半疑だったが、匣兵器を扱っている人間としてはな、一般人に頭が上がらない事態を招いたことには変わりない。ボンゴレでも協議はされたがこの方法を採用するってことで話がまとまった」
「やめろっ」
 聞きたくない、と耳を塞いで膝をつく。本来なら無機質な廊下はホロ加工で森の只中にいるかのような砂利道に、鳥の声、緑の色で溢れている。
 全てを拒否したいのに、僕の中にはこの世界でない本当の世界が、僕の肉体が生きている世界が浮かび上がってくる。
 ここが、僕の、今だと、どうして叫べない。
『知っているからさ。君は、ここが夢の世界でしかないことを、知っているんだよ』
 やっと口を開いたと思ったら声は静かにそう言った。沢田達が言っていることは正しいと、そう。
 、じゃない。
 。僕の、
 素直に笑うとえくぼができる子で、黒い長髪を一度も染めたことがないのが自慢だと言ってて、すっと細いから何を着てもよく似合う。そのスタイルのよさからファッション関係の雑誌でよくモデルに起用されて、新しい雑誌に彼女が載る度に複雑な心地だったのをよく憶えている。
 僕のが雑誌という形で誰かの手に渡っているなんて考えるだけでイライラする。
 そのことを打ち明けたら彼女はおかしそうに笑っていた。大丈夫、わたしはあなたのもの、とキスをくれた。
 幸せだったんだ。幸福だったんだ。生きてきてやっとそう思えた時間だったんだ。
 失いたくなかった。ずっと幸せなまま、幸福なままでいたかった。
 災厄が降りてきたあの日、は死んだのだ。僕はそのことに耐えられなかった。
 だから、逃げた。災厄で恐怖とトラウマを焼きつけられた人間が夢を見るためのカプセルみたいな装置に入り、思考を、現実を、彼女のいない世界を放棄した。
 ああ、知っていた。この装置を提供している連中が最近金儲けに走り出したことくらい。多くの人間が夢を見るために現実世界の方に破綻が出始めたことも。
 でも、どうでもよかった。
 僕にとってはが全てだったから。
(どおりで、惹かれるはずだ。だって彼女に似せたんだから。僕が望んだんだから。を、を、望んだ。甘くて幸せな夢を……)
『よく聞くんだ、雲雀恭弥。
 僕は、この夢を終わらせるために送り込まれた手段だ。だから周りが拒否反応を起こして世界が変容した。甘く幸せな夢を見続けたい、それで破滅したっていい、とね。
 夢は終わらなければならない。夢は醒めなければならない。
 僕はそのために君を選んだ。そして、残念なことを言うなら、僕に取り込まれた夢の君に拒否権はない。
 リヴァイアサン。終末を告げし獣の名を戴いた僕は、その名のとおり、この世界に終焉をもたらす存在となる』
 のろりと顔を上げると、ぼんやりした視界には笑顔のがいた。笑顔のがいた。二人が重なって、僕の恋人になった。ふらふらと手を伸ばしても届かない。僕はもうどうやっても彼女には届かない。
「夢漬けになって廃人になるつもりか、雲雀」
 鋭い声も、眼光も、僕には響かない。「こんなことを頼んで、本当にごめんなさい」と頭を下げる沢田もスルーする。僕の意識はただ一点、後手を組んで淡く笑ってこっちを見ている彼女にある。
 …君は、こんな僕を情けないと思っているだろうか。
 君が死んで、君を失って、それが受け入れられなくて、よくないと知っているものに手を出した。それに縋った。どんな形になろうとももう一度君に会えるのならと思った。
 だから、僕は、眠った。夢を見ることにした。そこで生きることにした。現実のことなど忘れることにした。
 移民と難民が溢れ多民族化した東京。悪化した治安、雇用問題。異常性の増した事件。外国人の増加。綻んだ倫理観。適度な、疑いようのない現実度でもってあり続けた夢の世界。
『夢は、終わるべきだ。醒めてこその夢。君は生きている。生きているのにこの世界で死んでいては、彼女は笑わないんじゃないかな』
 違う? と問う声に唇を噛む。
 いつだって精一杯、できることに挑戦していく子だった。その姿勢に感心していた。
 僕のことが大好きで、子供みたいにまっすぐ甘えてくるから、子供みたいにまっすぐ甘えて返すことができた。ぎゅーって抱き締められたらぎゅーって抱き返す、そんな馬鹿みたいな関係でいられた。
 生きることに一生懸命で輝いていた彼女が、生きることを諦めて死んだように息をしている僕を見たら、悲しむだろう。
 きょーや、と僕を呼ぶ彼女がさらりと崩れ落ちる。届かなかった手をぱたりと下ろして強く強く拳を握り締めた。
 僕に決定権はない。これはすでに決まったこと。僕はこの夢の世界を破壊しなくてはならない。幻の東京を壊し、人々の目を覚まさせなければならない。
「……一つだけ、条件がある」
「はい」
は、最後まで、抱いたままでいたい」
 12歳の子供でしかないのことを挙げると、リボーンが顔を顰めた。「テメーで消せるのか」当然と言えば当然の心配だ。彼女に会いたくてこの世界に逃げ込んだ僕なのだから、説得力は欠けることは否めない。
「リヴァイアサンは、この世界を破壊したら、どうなるわけ」
「プログラムですから、自動的に終了…分かりやすく言うと、自爆するよう設定されてます」
 なんだ。じゃあ何も心配いらないじゃないか。僕が全てを破壊し尽くして、と一緒に行く。ああ、それでいい。それならいい。

 在りし日に縋って、君に縋って、馬鹿なことをした。
 似せて作った日々など所詮は砂の城。少しのきっかけで脆く崩れてしまう。
 真実を覆い隠し、緩やかな死と荒廃を与え続けたこの街は、終わる。僕の手で。