ガシャンと派手な音と一緒にとショーウィンドウのガラスを突き破った。僕がじゃない、僕が振るったトンファーを愚かにもガードしようとしたどこかの誰かがだ。 名前は知らない。知る必要もない。 ただ彼女に手を出した時点で、僕がそれを咬み殺すことは決まっていた。 「…まだ生きてるんだ。案外丈夫じゃないか」 じゃりと靴底でガラス片を踏み締める。ガラスのあった向こう側には着飾ったマネキンが数体転がってる。着飾っていようがいまいが所詮人形は人形、僕は人間そっくりで等身大に作られたそれを軽蔑した。それと一緒に転がってる男も同じく軽蔑した。そこに転がってるマネキン同様命ないものにしてやろう。そう思ってトンファーを振るい振り上げて、 「雲雀さん」 だけど。彼女が僕の前に立って両腕を広げるから。振り被ったトンファーが行き所を失う。本当ならこのまま振り下ろしてそこで無様にもがいてる奴の命を奪うはずだったのに。 「退いて」 「嫌です」 「…」 低い声で名前を呼んでも、彼女は動かなかった。ざわざわとうるさい雑踏と遠巻きにこっちを眺める奴と避けていくようにしている奴と。だから人目の多いことに全部がめんどくさくなって息を吐いた。折り畳みのトンファーを掌のサイズに戻して「君は馬鹿だね」とこぼす。彼女は困ったように微笑んでその手で僕の手を握って言う。 「帰りましょう雲雀さん。私は何もされてないですから」 「嫌がってたろ。何かされてたかもしれない」 「でも何もされてません。雲雀さん」 雲雀さんと。彼女がそう呼ぶから。だから僕は黙して群集の中に紛れる風紀委員の一人に目配せして後片付けを命じて、彼女を連れてその場から抜けた。 うるさいところは好きじゃない。群れてる連中も好きじゃない。だから彼女は群れないし、群れさせない。 「君は」 「はい」 「もしもってこと考えないの。もしも自分がってこと」 「あまり考えないです。考えても、こわくなるだけですから」 「じゃあどうしてさっき」 「それは。やめてほしかったからで」 「怖いでしょ。僕と獲物の間に割り込むなんて」 「…いいえ」 小さく聞こえた言葉に振り返る。彼女は僕の手に引っぱられて歩きながら困ったような顔で微笑んで「いいえ。雲雀さんのことはこわくないです」と言う。 だから僕は眉根を寄せる。君にちょっと声をかけていた売込みなのか勧誘なのか知らない男を視界に入れた僕が取った行動。問答無用でトンファーで相手を殴り倒したこと。殺そうと考えたこと。そんな僕の獣の思考に割って入って、それが怖くない? そんなの嘘だ。 だけど彼女は困ったように笑っているから。「どうしてでしょう」とその唇がこぼす言葉を僕の思考が拾い上げる。陽の暮れ始めた景色、吐き出せば白く濁る吐息。彼女は息を吐きかけて僕と繋いでない方の手をあたためるようにしながら「どうしてでしょう。それでも雲雀さんのことはこわくないんです」と言う。 だから僕は。そんなの嘘だって言うことができなくなった。 考えろ。彼女は一度でも僕に対して怯えの態度を見せたことがあったろうか? どこかの誰かのように媚びへつらうことをしただろうか? 僕の機嫌を宥めるために自分を曲げることをしてみせたろうか? 彼女はそうじゃなかったはずだ。彼女は彼女だった。いつだってそうだ。木が切られたって公園にいたときも、鳩が死んでたので埋葬してたんですと言ってみせたときも。いつかに死にかけの猫を拾ってきて看取ったときも。彼女は一度も自分を曲げなかった。 自分を曲げてその度に彼女の心を窺っていたのは。自分を曲げてでも彼女のその手を握ろうとしていたのは。彼女を捜そうとバイクのヘルメットを取ったのは、他の誰でもないこの手。僕のこの手だ。 今あの男を殴り倒したのも。そして今彼女の手を握っている手も、他の誰でもない僕自身の。 「…君はさ」 「はい」 吐き出す息が白く濁る。言葉を止めた僕に彼女が首を傾げてみせた。黒い髪が揺れて白い吐息が濁ってすぐ消える。 そういえばもうクリスマスが近いんだった。だからどこもかしこもきらきらしてて馬鹿みたいにはしゃいでて。そういうのは風紀が乱れる原因だから僕は大嫌いなのに。 大嫌いなのに。だけど彼女はケーキが好きだと知っていた。女の子らしく甘いものが好きなんだと知っていた。だけど僕は群れてる場所なんか嫌いだったし群れてる場所へなんて行かせなかった。僕は彼女を拘束している。分かってる。だけどどうして? それだけがいつも最後まで分からなかった。ただ視界に入れた瞬間に君を君だと認識した瞬間に動かずにいられない身体があるだけだった。それだけだった。 それだけ。多分きっと、これからも。 「ケーキ、好きだったね」 「? はい」 「どういうのが好きなの」 「えーと、タルトがおいしいと思います。けど…雲雀さん?」 だから僕は彼女の手を引いて「そう。なら行こう」とだけ言ってその手を引っぱって歩いた。「あの、雲雀さん、そっちは商店街で」「知ってるよ」「あの、」彼女の戸惑った声が背中越しに聞こえる。 振り返れば、彼女が困った顔で僕を見てる。そういえば君は僕を見るときそんな顔ばかりしていた。 「」 「はい」 「ココロってものがどこにあるのか知ってる?」 「…? えーと、ここでしょうか?」 彼女はこつと自分の頭を握った拳で叩いた。「どうして」と眉根を寄せれば「ええと、物を考えるのは頭ですから」と彼女が困った顔で首を傾げる。 普通胸辺りを示すもんじゃないんだろうかと思いながら「僕にはないんだって思ってたけど。どうやら僕も人間だったみたいだ」と呟いて手を伸ばす。もう片方の余っている手。ついさっきトンファーを握り締めていた手。破壊しかしてこれなかった手。君にしてやれることもきっとそう多くはない。分かっていた。だけどそれでも僕はいつだってこの手を君に伸ばしていた。違う形で、それでもいつも。 「僕のココロは。がいると生まれるみたいだ」 「はい…?」 だから伸ばした手で彼女を抱き寄せた。彼女の髪に頬を寄せた。シャンプーのにおいがした。規定違反なんてしない彼女らしい香水の欠片もない香りと黒い髪。 目を閉じる。クリスマスが迫っているこの時期の人肌は。その温度は。思っていたよりもずっと普通で、特別あたたかいこともなく。ただ生きていることだけがよく分かった。 力いっぱい壊すことは何度だってしてきた。幾百幾千それこそ数え切れないほどの破壊を。けれど反対は一度もない。その反対をしたことは、僕は一度だってなかった。 並盛の風紀のために。それでもしてきたことは破壊。僕には何も作れない。この手は壊すことしかできない。なら壊せるもの全部壊してしまおう。手に届くもの全部壊してしまおう。そんな破壊を繰り返す手で、せめて全部がなくならないようにするために境界線を敷いて。群れてる奴は容赦なくこの手で壊す、そうやって決めて。 この手が。壊さずに何かを抱けるなんてことは、思っていなかった。 だから彼女を抱き締める。壊したら僕は絶対に後悔する。一番最初に君を殴ってしまった。今昔の僕が目の前にいたら殴り倒してやりたい。だからこれからの僕に誓う。今ここから未来へ向かう自分に誓う。もう二度と彼女を傷つけないと。 「だからお願い。僕以外の場所へ行かないで」 「ひ、ばり。さん」 「いいね。僕以外の場所へ、行かないで」 |