世の中には理不尽なことも不思議なことも不可思議なことも溢れていると、私はよく知っていた。 雲雀さんが強いことも骸さんが強いこともそのうちの一つだし、世界の形だ。なのだけど。 「ちゃおっス」 「…あ、えと。こんにちわ?」 こういうのは。すごく意外で。だから私はいつもの応接室で書類の束を手に少しの間立ち尽くしていた。 目の前には一人の小さな、子供と呼ぶにも小さすぎる。赤ちゃん。だ。でも喋ってる。それに小さな、でもスーツっぽい格好をしてるし。あまりにも遭遇したことのない事態に、私はこういうときどうすればいいんだろうと扉付近に立ち尽くしたままだった。 雲雀さんはよく喧嘩をしてくるから、見た目からしてまずそうな人達にどう接すればいいのかとか分かってたけれど、これは逆パターンというか。想像したこともなかったパターン。 その赤ちゃんはおもちゃみたいに見える銃を一つ振って「オレの名前はリボーンだぞ」と自己紹介。何度か瞬きして目を擦って、もう一回目の前の現実を確認してから「あ、私は」「だろう、知ってるぞ。雲雀が気にかけてるからな」そう言われてまた瞬きした。 「雲雀に聞いてないのか?」 「何を?」 「ボンゴレのこととかオレ達のことだ」 「…ええと……」 視線を天井に向ける。ボンゴレ。そういえば骸さんと雲雀さんが戦うことになったのは、マフィア、とかそういう言葉が絡んでたような。あまり詳しい話はしてくれないし、私も聞いていないから知らないのだけど。ボンゴレ、っていうのもあった気がするようなしないような。 ちらりと扉を振り返る。誰かが入ってくる感じはなかった。だからリボーンって子に視線を戻してそろそろとソファの向かい側に腰かけてぱさと書類の束を机に置く。 ここは応接室で、雲雀さんの許可がないと入れない。正しくは入れるのだけど、彼の許可なしで入ったらひどいめに合う。らしい。 「あの、リボーン。ここは雲雀さんの来るところだから、ここにいると危ないと思う」 「知ってるぞ。今日は話をしにきたんだ」 「話…?」 「そうだぞ。ついでにお前のことも見にきた感じだ。そう身構えんな」 そう言われても。困ったなと思いながら応接室の時計を見た。そろそろこれに取りかからないと、また雲雀さんに迷惑をかけてしまう。 鞄の中から筆入れを取り出しながら「あの、ちょっとお仕事するね。私」「ああ」向かい側でリボーンは堂々と座ってる。それから気付いて「あ、お茶くらいなら淹れるね」と席を立つ。携帯で雲雀さんに連絡しようかとも思ったけど、肝心の携帯はポケットじゃなくて鞄の中。給水室に入ってからああしまったと思った。携帯なんだからちゃんと持ってないと意味ないのに。私の馬鹿。 しょうがないからお茶を二つ用意してソファの方へ戻った。自分の分とリボーンの分。ことんとリボーンの前にお茶のカップを置いた。「どうぞ」「おう」それで向かい側に座り直して筆入れから仕事用のシャーペンを取り出す。 だいぶ慣れてきたけど、まだ間違えるような気がするからシャーペン。ほんとなら時間短縮のためにもボールペンでいくべきなんだけど。間違える気がするし。というか何かの拍子で間違えたときに、ボールペンでは修正がきかないし。 だからシャーペンで下書きしながら鞄の中の携帯を思った。かりかりと書類に下書きを入れながら「あの」「うん?」「雲雀さんに用なら、私が呼んでみる。けど」でも絶対来てくれるかどうかは分からない。だからちょっと自信のない声になった。向かい側ではリボーンが小さく笑ったところ。 「不思議なもんだな。あの雲雀がダメツナにも似たのをそばに置いてるなんてな」 「その言葉取り消して赤ん坊」 「、」 顔を上げる。がらと開いた応接室の扉の向こうには雲雀さんがいた。ほっとしながら「雲雀さん」と漏らす。よかった。私じゃこの子にどう接したらいいのかって困ってたところだ。ぴしゃんと扉を閉めた雲雀さんが「僕にもお茶」と言うからはっとして「はい、すぐ淹れます」と慌てて立ち上がる。ぱたぱた給水室に駆けていってちらと肩越しに振り返れば、二人は私に聞こえないくらいの声で何かを話していた。何の話だろう。 (…マフィア。とか。ファミリーとか。そんな言葉を聞いたような気がする) 憶えてる限りのことを振り返ってみた。でも大したことは思い出せなかった。雲雀さんがあのリボーンて子に普通に接してる辺り、多分あの子はすごい子なんだろう。見た目に反して何かすごい力があるとか、雲雀さんが認めるだけの実力があるってことだと思う。 それってすごいことだなぁと思いながらとぽとぽお茶を淹れて、私は応接室に戻った。 ソファでは私の下書きの書類を雲雀さんが睨んでたところで、まだ何も間違えてないはずと思いながらことんとお茶のカップを置いて「あの、間違えてますか?」「別に。なんでシャーペンなの。あとでボールペンでなぞるの?」「はい。私すぐ間違えるので」「…別にいいよ。間違えて。これ手間がかかる。ボールペンでやって」「、はい」だから慌ててシャーペンを筆入れに戻した。ボールペンで一発勝負は緊張するんだけどしょうがない。雲雀さんがそうしろって言うんだから。 自然と彼の隣に腰かけて、それからいいのかなと視線を上げてみる。雲雀さんは私が用意したお茶に手をつけて目を閉じていたから、私はここでこのままお仕事していいのかどうかよく分からない。 でも何も言わないんなら、と思って雲雀さんの隣に座ったまま書類にボールペンをいれていった。向かい側には相変わらずリボーンて子がいる。なんだかにやにやとこっちを見てる。 「似てるぞ。やっぱ。お前的に分類するならは小動物だろ?」 「…違うよ。はそんなんじゃない」 「じゃあどんなんだ。お前が興味示してるってこの辺りじゃ有名だぞは」 「え」 そんなこと言われると思ってもみなかった私はさっそく余所見をしてがりとあらぬ方向にボールペンを走らせてしまった。そんな自分にがっかりしてしょんぼりして、それからそろそろと雲雀さんの方を見て「あの、すいません。手が滑りました」「…盛大にやったね。いいけど」彼が失敗してしまった書類をつまんで斜め読みして、それからぐしゃぐしゃに丸めた。「いいよ問題ない」と言うから大した内容のものじゃなかったんだとほっとしつつ「はい」と返す。向かい側では相変わらずにやにやって感じの視線が。 「…あの、仕事しづらいです」 「…そうだね。赤ん坊、用すんだんなら帰ってよ。僕には仕事がある」 ぴょんとソファを跳び下りたリボーンが「そう邪険にするな雲雀。今日はこのくらいで帰ってやる」と言ってなぜかてくてく窓に向かう。こっちを振り返ったリボーンが「また茶でも飲みにくるぞ」と言って窓に飛び乗る。だから私はソファから腰が浮いた。そんな、ここ何階だと思って。 だけど制止の声なんてかける前にリボーンはあっさりと窓枠を乗り越え落下していった。さあと自分の中から血の気が引いていく。 飛び降り、た。 「ひ、雲雀さん、ひばりさ」 「大丈夫だよ、何震えてるの。あの赤ん坊なら心配ない」 「でも、ここ一階とかじゃないですよ。なのに、」 「」 ぺしと頬を両の掌で挟まれて、ぐりと雲雀さんの方を向かせられて。なぜだかじんわりしてる私の視界に映る雲雀さんはやっぱりじんわり歪んでいた。はぁと吐息した彼が「何で泣くの」と言うから「だ、だって」と小さく漏らす。雲雀さんが大丈夫だって言うんならあの子は本当に大丈夫なんだろうけど、だって、こんなの。普通に考えたら窓から飛び降りるなんてしないし、見てるこっちの心臓がどれだけばくばくいってるか。 彼の指が私の目元を拭った。「気にしなくていいよ、赤ん坊のことは。次来るときは普通に来てって言っておくけど」「…はい」「君がそんなだからね」ふうと息を吐いた雲雀さん。私はぐいと袖で目元を擦って、まだ片頬に手がかけられてるのに気付いて「あの」と遠慮がちに声をかける。気付いたように彼が手を離して「仕事するよ」と言った。だから私は「はい」と返してすとんと座り込む。そうすると位置は、さっきと変わらないまま。彼の隣のまま。 いいのかな。そう思いながら今度は気をつけながら書類にボールペンを入れていく。彼は私の隣で足を組んで机の脇に積んである帳簿の方に視線を落としている。 その日は一日、そうやって仕事をした。いつもは向かい合っていることが多いだけに、ずっと隣に座って雲雀さんの体温を感じながら仕事をしたのは、その日が初めてだった。
5センチ先にある手に
触れる勇気
(…頬。やわらかかった)ぺらと帳簿のページをめくる。だけどその間もどうしても意識のどこかしらが削がれて僕の隣で書類と睨めっこをしてる彼女にいく。さっきあんなどうしようもないことで泣くから、泣かないでよって思ってしたことなんだけど。今思えばそれなりに恥ずかしいことをしてたな僕は。 (…仕事。しろよ僕) 帳簿に視線は落としてるものの、どうにも集中できない。できないんだけど、これじゃ仕事が滞るんだけど。でも隣に彼女の体温があることになぜか安堵を憶えてる自分がいる。 安堵。うん、多分それだ。彼女がそこにいることに僕は安心してる。おかしな話だ。 さっきから赤ん坊の言葉が頭の片隅でちらついている。 お前的に分類するならは小動物だろ? (違うよ。違う。彼女はそんなんじゃない) じゃあどんなんだ。お前が興味示してるってこの辺りじゃ有名だぞは (……僕は。ただ) ぱん。帳簿を閉じて机に放った。隣で顔を上げた彼女が「休憩しますか?」と言うから「うん」と返す。ボールペンに蓋をした彼女がお茶を汲みに給水室に消えて、すぐ戻ってきて。きゅうすのお茶をカップにそそぐ姿を視界に収めながら目を閉じる。 これは、現実だ。 「どうぞ」 ことんと置かれたカップ。それに手を伸ばしてずずとお茶をすする。熱い。 ぽふ軽い音を立ててソファに座り込んだ彼女は隣にいた。ふーとカップに息を吹きかけて、まだ熱いと諦めたのかことんとカップを机に置いて。始終観察してたからか彼女が困ったように笑って「どうかしましたか」と言うからぷいと顔を背けて「別に」と返して。 カップを持ってる右手。空いてる左手。彼女の手はすぐそばなのに、すぐそこにあるのに。その手を握る勇気が僕にはなかった。さっきは彼女の頬を壊さないように自然に触れることができたのに、いざ意識したら彼女が壊れてしまうんじゃないかと怖くて手が伸ばせなかった。 彼女は脆い。凡人だ。ただの人だ。僕とは違う。なのに。 (…これはなんなの) かたん。カップを机に置いて両手を組んで額をぶつける。 僕は。 「…雲雀さん? 調子悪いですか?」 「…違う。だいじょぶだよ」 「でも」 心配そうな声。顔を上げて彼女を見れば、やっぱり心配そうにこっちを見ている。 僕は勝手ばかりして君を振り回してるけど、そういえば君も結構僕を振り回してくれてたか。 「」 「はい」 「手、貸して」 「? はい」 素直に僕に手を差し出す彼女。こつと触れる体温。指先。手の甲掌指の一本一本。それを噛み締めるようにしながらぎゅうと握り締めた。壊さないように壊さないように。それだけを念じながら彼女の体温を感じた。 ざわざわしてた心が、静かになっていくのが分かる。 (僕は) 「…雲雀さん?」 不思議そうな彼女の声。だからぱっと手を離して「もういい。ありがと」と言えば彼女がきょとんとした顔をした。それからおかしそうに笑って「雲雀さんがお礼言いました」と笑う。むっと眉根を寄せて「僕だってありがとくらい言うよ」と返して帳簿を取り上げる。さっきよりはすんなり中身が頭に入ってきた。だからもう大丈夫だと思って仕事を再開する。隣では彼女がまたカップにふーと息を吹きかけているところ。それでそろりとカップに口をつけて熱いとばかりに顔を顰めてまたカップに息を吹きかけて。そんなどこにでもある光景も、彼女がいるとどうしてか口元が緩むのが分かる。 ああやっぱり。僕には君が必要だよ、。 |