彼が本当の導師イオンでないと知ったのは、つい最近。
 私達の旅路がひとまず終着し、世界が安定した頃。その頃になって、私はようやくその事実を呑み込むにいたった。
 けれどだからといって別段何かが変わるわけでもない。私は導師守護役じゃないからしょっちゅうイオンのそばにいるわけではない。イオンが本当の導師イオンではないのだと分かったとしても、ぶっちゃけ私にはそれほど関係のない真実なのだ。
 ざり、と久々にダアトの地味な街並みに立って、一つ息を吐く。街に影を落とすようにある教会を見上げて目を細めた。
 私達の旅は終わった。けれど私はまだどこかで胸が騒ぐその予感を拭いきれず、あっちへこっちへと流浪の旅を続けながら、結局行き着いたのはこの街だった。
 ヴァンという人を倒して、二週間か三週間か。それくらいの日々が過ぎた。
 みんなそれぞれ尽力しているようだけど、私はもともとただの教会の雇われ兵だった。大詠師モースに雇われてイオンの捜索に乗り出した者の一人。私の他にも雇われ兵なんて大勢いたけど、どこかしらで死んだのだろう。連絡の一つもないのだから。その顔だって憶えている者は少ない。
「…さて。行くとしますか」
 重い足取りで歩き出す。
 結局私は大詠師派ではなく、導師派だったのだ。
 莫大な報酬と前金、それが魅力だったから深く考えもせずに導師イオンの捜索に乗り出した。流れで六神将と戦ったり流れで仲間呼ばわりされてモース側からは見限られたりと色々あったけれど、結局、そういうことだった。私は全面戦争には反対だったし、預言なんてものに未来を縛られて戦争が起こった方がいいと言うモースの意見には賛成しかねた。
 ただそれだけ。そうして流れ着いて、私はここで息をしている。
 教会への長い階段を上がり、兵が二人立っているだけの重たいその扉を押し開ける。
 はぁ、と息を吐いて、久しぶりに踏み入る教会内の空気を吸い込んだ。
 イオンは今何をしているだろう。自問して、仕事だ、と自答した。そうに決まってる。体力がないくせに一番お偉いさんだからって理由でイオンは働かされていることだろう。レプリカという立場でそれでも。
(……………)
 かつ、とブーツを鳴らして歩み寄った噴水。教会の正面の扉前にあるその噴水を覗き込む。ご縁がありますようにと投げ込まれている硬貨がたくさんあった。それを見ながらふちに頬杖をつく。どうせ仕事をしてるんだろう。というか、流浪の身である私なんかには許可証でもないとイオンには会えないのかもしれない。ここまで来てからそんなことに気付いた。たとえ会えたとしても、会ってどうしたいわけでもないし、特別何か言いたいわけでもないのに。
「ばっかみたいだ、私」
 一人そうこぼす。そこへかつんと足音が一つ響いて「誰が馬鹿なんですか?」と声がした。揺れる水面から顔を上げて振り返る。
 そうすると、いつかのように微笑んだイオンがそこにいた。
「…どうして」
「予感がしたので」
 私の言葉に彼が微笑んで返す。その横には誰もいなかった。本来いるはずの導師守護役であるアニスの姿はなかった。
 こつりと靴音を立てて彼が私の隣に歩み寄った。「随分と顔を見ていなかったような気がします」とこぼした彼が私の頬に手を伸ばして、すべらかなその掌が頬を撫で落ちる。
 私の手は意味もなく拳を握っていた。よく分からなかったけど、会いたかったのだ、と分かった。
 翡翠の瞳が細められて「また傷を作りましたね」と彼が少し笑う。その指先が撫でている箇所は、確かにこの間魔物に遭遇したときに爪が掠った場所だった。私は薄く笑う。
「これくらいが何よ。イオンはもっと傷を作ってるでしょ。心に」
 とん、とその胸を叩いてみせれば、彼が笑った。あなたには敵わないと言われているような、そんな気がした。

「何?」
「ここに残ってくれませんか。僕の傍に」
 そう言われて私は一つ瞬きした。意味が分からない。首を捻って「どうして」と言うと、彼が微笑む。いつものように。
「僕はあなたが好きです」
「、」
 それはいつかにも聞かされた、二度目になる言葉だった。
 私の頬を掌が滑り落ちる。そうしてその手が噴水のふちに触れている私の手に重ねられた。人目がある。それを構わず、イオンが顔を寄せて私にキスをする。
 嘘だと思っていたわけじゃない。あの場はあれで流してしまった。それからその話をする機会はなかった。私も彼も、もしかしたらそれを避けていたのかもしれない。
 そして今改めてその口から聞かされた言葉に私は目を閉じる。
「…嘘つき」
 そうして、離れた唇にそうこぼした。目を開けて彼の額を小突き、「大好きの間違いなんじゃないの?」と含み笑いした。彼がきょとんとしたあとに笑う。「そうですね。そうでした」と。
 私はいつかのようにその手を握り返した。彼が微笑んで緩く私の手を握り返す。
 あれからだいぶ状況は変わったように思う。けれど私とイオンの心は、何も変わりはしなかったのだ。レプリカという、その重い真実の前にも。