「たとえばイオン様にとって恐ろしいものとは?」
「何ですか急に。それも唐突な話題ですね」
「いやぁ、花冠をただ作って競争するだけっていうのも面白くないじゃないですか。どうせならお話しましょうよ」
 言いながら、シロツメクサを編み編みする。競争相手であるイオン様とは背中合わせだ。だって相手の手元を見てしまったら競争の意味がない。はいできたっ、というまでが勝負。相手がどれくらいまで完成しているかなんて分かったら勝負じゃない。
 イオン様は私と背中合わせに「恐怖ですか」と呟く。
 私はぷちと容赦なくシロツメクサをつんでいく。そうしないと花冠は作れない。
「ではたとえば、にとって恐ろしいものとは何でしょうか」
「私ですか? うーん…そう言われると何とも言えないですねー」
 ぷち、とシロツメクサを引き抜く。私は半分くらいできたけど彼はどうだろう、どれくらい完成したろうか。おっといけないこんなことを考えてると手元が疎かになる、私は私の花冠の完成を目指さなくては。
 背中合わせ。だから私には今イオン様の顔は見えない。
「僕は」
「はい」
「…そうですね。僕は、やはり預言かと」
「はい?」
 思わず振り返ってしまう。手が止まった。彼は小さく笑ったようだ。「僕の掌の上にあるだけに、扱いに困るものなんですよ。分かるでしょう」と言われて一つ二つと瞬きした。
 私の腰には剣がある。
「…預言が力だ、ということですか?」
「否定はしません。目に見えないだけに厄介なものです。あなたのその剣のように手にできれば、刃があれば、別だったんですがね」
 彼が笑う。何となく少し悲しそうだった。
 だから私は花冠を作る手を、完全に止めた。背中側からがばと抱きつくようにして彼の手元を見る。彼は、一つも花なんてつんじゃいなかった。ただの一つも。
 この人は最初から、私が花冠を作りましょう競争しましょうと持ちかけたときから、最初っから勝負する気はなかったのだ。ただいつもみたいにやわらかく笑っていいですよと言っただけで。
「作らないんですか? 花冠」
「実は、作り方を知らないんです」
「…イオン様ぁ。そういうことは早く言ってくださいよ。私一人で突っ走ってばかみたいじゃないですか」
 ぶうたれると、彼が私の手に掌を重ねて「すみません」と謝る。私はちょっと黙った。彼が二年と少ししか生きていないことを、私は知っていたからだ。彼は仕事仕事でこうした休憩の時間だって少ない。花冠の作り方なんて、知らなくて当然。
 彼がふふと笑う。「僕は好きですよ、あなたのそういうところが」と漏らすから、ぶうたれているだけっていうのもなんだかなと思って私は息を吐く。
 ちらりと、私が膝立ちになったことで地面に落ちてしまった花冠の方に視線を落とす。
 これを作るために、どれだけの花をつんだことだろう。そして今、どれだけのシロツメクサを踏みつけていることだろう。
「…イオン様は預言を剣と同じように危険なものだと考えている、と」
「使いようによります。あなたのその剣と同じだ。守るのか、戦うのか。傷つけるのか、防ぐのか。規模は、違うかもしれませんが」
「……導師様って大変ですね。それも代理なんて。ひどい世界」
「そう言わないでください。僕はそれでも感謝しているんですから」
 彼に目を向ける。私の手の甲を撫でるように掌を滑らせて、「あなたのような人もいると知っています。だから、出遭えたことに感謝しているんですよ」と彼が笑うから。だから私は口を噤む。
 それは憎しみを、シンクのように世界を怨むことを正反対にした考え方。ううん正反対というよりは、少しだけ軌道をずらせて、その道は多分隣り合っている。だから一歩でも歩みを踏み外せば、道は重なる。
 私にできることは、彼を守ること。災厄から、妨害から、あらゆる危険から。
 だけどそれは心を守ることには繋がらない。
「…私は無力です」
「そんなことはありません」
「そんなことあります。イオン様、あなたの心を守ることはできないんですよ。様々なものからこの剣であなたを守ることはできます、でも私には、あなたの心を守ることはできない」
 彼が薄く微笑んだ。私の手をぎゅっと握って「大丈夫です。十分救われています」と。そんな優しい言葉を言うから。
 だから私は唇を噛む。ああどうしてあなたみたいに優しい人がこんな目に、と私は世界を怨む。
 これがシンクの気持ちだと、知っている。
 だけどイオン様は、私の知る彼は世界を怨まなかった。それは導師という役割故なのだろうか。それとも彼の、元来持っていた性格故なのか。個々故なのか。
「私、イオン様の力になれてますかね」
「はい」
「…そうですかね」
「はい。あなたがそこにいるだけで、僕は十分だ」
 言い切られて、それから頬に唇を寄せられた。一つ二つと瞬く。吐息が触れるくらいの近さで彼が笑う。きれいに笑う。
「これからも居続けてください。そこに、僕のそばに。手の届くところに」
「…はい」
 私は頷く。彼が私の手を取って「行きましょうか、そろそろ時間でしょうし」と漏らすから私は仕方なく立ち上がった。仕事だ。今のは束の間の休憩の時間。本来の時間ではない。

 彼について歩きながら、私は振り返る。シロツメクサで溢れるその場所を。
 花冠は途中まで作られて、そして放棄。だから追悼するように、私は目を閉じた。
(ごめんね)  

溺れて
沈んで
眠りたい
(そんなことを言ったら、あなたは悲しむのかもしれないけど。私の本音、なんだよ)