僕は自分が消えていくことに未練がなかった。だから僕を護るべき存在であるアニスが両親を人質に取られて脅され、僕に惑星預言を詠ませるためにザレッホ火山の火口まで連れてきたときも、特別彼女に恨み言などを思う心はなかった。
 ただ、彼女が最終的に僕を裏切ったことが少し残念だった。
 僕は機械によって生まれたから両親という存在は分からないし、それがかけがえのないものだという概念もよく分からない。僕には頼るべき人間はいなかったように思う。僕には誰かが必ずそばにいて、けれど僕の心のそばには、少しも誰もいなかったように思う。
 ただ、一人を、除いては。

『イオン』

 そう言って笑う、導師守護役だった一人の少女の姿が視界の端を横切る。
 あるはずのないその姿を思わず目が追った。視線が追った。、と乾いた唇が音なく彼女の名前を紡ぐ。
「きっとルークたちが来ますから、だから」
 か細い声でそう綴るそばにいるアニスよりも、僕はその面影を追いかけた。翻る導師守護役の制服姿。アニスとはまた少し違った、僕よりも少し年上の彼女の無邪気な微笑みが、見える。
 僕は、彼女を、追いかけたかった。彼女が立ったのは預言のある場所だった。その前でくるりとこっちを振り返る彼女。後ろで手を組み合わせて『ここよ』という彼女の声。
 そうだ。僕は分かっている。そこが、僕が最後に預言を詠む場所だ。
 かつん、とその場所に立つ。アニスがモースに怒鳴られ、震え、そして僕から離れていくのが分かる。こっちを振り返るその姿が視界の端に映る。だけど僕は、彼女を見ていた。

『護れなくてごめんね』

 その言葉に緩く首を振った。火山の火口というだけあってここは煮えたぎるように熱く、僕は額にはりつく髪を指先で払う。その動作だけでも体力が奪われる。
「さあ、導師イオン。今ここで惑星預言を詠んでもらいましょう」
 モースの声が耳を突く。
 彼女がにこりと微笑んだ。それはモースの言葉を肯定してのことなんだろうか。僕は彼らに向ける意識が自分の中の一欠片でしかないことに気付いていた。他の全て、熱さや惑星預言を詠んだ結果のことなど、全てが頭から吹き飛んでいた。
 彼女が、笑っている。

『ごめんね』

 そう言った彼女の姿は今はなぜか地に伏していた。いつの間にと思う頭はなかった。それは僕が知っている彼女の最後だったからだ。彼女は僕を護って死んだ。導師守護役としてあるべき大義を果たしたのだ。
 口の端から血を滲ませ血泡を吹き、彼女は最後までごめんねと言い続けた。僕は彼女に泣いて縋った。泣いたのはあれが最後だ。シンクが地核から飛び降りたあの時にも涙は一欠片こぼれたけれど、悲しみではなかったように思う。それは恐らく同情にも近かった。同じ存在が失われたことが悲しみよりもさみしさに近く、そしてその運命を選んだ彼に同情をした。悲しかったのかよく分からない。僕の感覚は麻痺していた。彼女がそばにいることでその他全ての感覚が麻痺していた。
 恋というには、ぬるすぎた。
 僕は彼女の存在を欲し彼女の存在だけを求め彼女だけがそばにいればいいと本気で考えていた。本気でそんなことを考えていたから色々見落としてしまったように思う。そしてその彼女が死んだとき、僕の全ては崩れたのだ。僕の全ては死んだのだ。だから今更肉体が死のうがどうでもよかった。心は当の昔に死んでいる。
 だから、僕は、モースの言うがままに目を閉じた。両の掌を掲げる。意識を集中させる。
 自らの力だけで惑星預言を詠む。それで僕の力は尽きるだろう。ようやく全てが終わるのだ。ようやく。
 僕は安堵の気持ちと、この場を作ってくれたアニスやモースに感謝の気持ちさえ抱き、穏やかな気持ちになっていた。瞼の裏ではもう血塗れの彼女はなく、ただ僕に向かって手を差し伸べ風にそよぐ髪を押さえる彼女の微笑んだ姿だけがある。
(今、行くから、もう少しだけ待ってください)

『イオン、早く』

 笑って手を差し伸べる彼女。これは僕の記憶の中の彼女か。それとも僕を迎えに来てくれた彼女、なのだろうか。
「、」
 火傷するんじゃないかと思うくらいの熱い空気を吸い込む。
 これで最後。その思いだけが、僕を最後まで穏やかな気持ちにさせた。
 これで、ようやく、僕は彼女と一緒になれるのだ。

泣きたくなるような甘い世界に


引き込まれる
(これで僕はようやく死ねる)