最初に彼女を紹介されたとき、第一印象は『人形みたいだな』だった。その次に『信じられない』という言葉が第二印象みたいなもんで、俺はついまじまじと紹介された先輩を眺めてしまった。
 公安局刑事課一係所属の執行官の先輩は、女、というよりは、少女だった。
 その他に俺の先輩として、いかにもベテランといった空気を醸し出してる俺の親くらいの年齢だろう男や、これまたいかにもやり手だって鋭い空気と目つきの男もいたし、無表情でこっちを一瞥しただけの無愛想な女もいた。形だけでも挨拶してきた男二人と違って無言だ。愛想がない。この一係を取り締まる監視官は言わずもがな、だ。
 そして、この職場で一番若いだろう少女は新入りの俺を見つめて、人形のようだと感じた繊細そうな作りの顔ににこりと笑顔を浮かべた。
「初めまして、縢。一係へようこそ」
 公安局刑事課というお堅い役職には似合わない笑顔に、一瞬辺りを見回してしまった。無機質に並ぶ事務机とディスプレイ。殺風景な仕事場。そこにあって、その子は異常だった。絶対にこの場にいるべき人間ではない気がした。「わたしは。よろしく」すっと差し出された手の小ささを眺めてから、こっちも手を差し出す。小さな手と握手を交わして「こっちこそ、どーぞよろしく」と返す、それが、とのありきたりで電撃的な出会い方だった。
 は僅か3歳でサイコパス検診に弾かれ、更正施設送りにされた。親の顔は憶えていない。毎月金には困らない程度の仕送りはしてきたそうだが、彼女は親という存在を電子書面の文字でしか知らない。
 シビュラ判定で執行官として適正が出たのは13歳のときだったそうだ。
 異例中の異例だ。未成年、それもまだ年端もいかない少女を執行官として採用する。潜在犯と命をやりとりする現場にこんな頼りない少女を猟犬として立たせるのだ。その小さな手に黒い銃把を握らせて。
 これにはガミガミお小言のうるさい宜野座監視官も渋ったらしいが、刑事課の人手不足は常だ。たとえ執行官としての適正判定が出たのが年端のいかない少女でも、人員不足の刑事課には猫の手でも必要だった。
 最も、本人が『嫌だ』と拒否すれば、それはそれですんだ話だったが…彼女は執行官に『なる』と言った。
 理由はほぼ俺と同じだ。たとえ首輪のついた猟犬としてでも、監視つきでも、外に出られる。執行官になれば更正施設で腐っているよりはマシな生活ができる。仕事であるからには給料も出るし、その金は好きなことに使える。そう、それだけのために命のやりとりをする仕事を選んだ。俺も、彼女も。
 今は14歳になったんだというのことは、と名前で呼ぶことにした。俺と同じような境遇と、人形みたいにかわいらしい外見に親しみを込めて。
「この仕事ってしんどい?」
 俺より長く現場に出ている先輩に、後輩としてそれっぽく経験談を尋ねてみると、は視線を天井辺りに彷徨わせた。何かを探すようにしながら「そうでもない」とあっさり告げる。少女からしたらキツい以外の何者でもないかと思ったのに、あっさりした声に拍子抜けした。
「ええ? 嘘ん。嘘でしょ」
「嘘じゃないよ。わたし、報告書とか書類とか書かないし。難しくて間違えるから、みんながやってくれるの。わたしは現場に出てきちんとお仕事をするだけ」
 にっこり笑って「ねーコウ!」と一番厄介だろう男のスーツの背中に飛び込む。この中では二番目に絡みづらい相手だというのに(一番はもちろんギノさん)、年上相手にも全く動じていないというか、むしろ慕っているというか。
 そういやここに到着したての俺とギノさんを出迎えたのもだった。おかえりなさい、と笑顔で、まるでマスコットのようにちょこんと立っていた。小言のうるさいギノさんが眼鏡を押し上げつつもそっとした声で返事をしていた辺り、彼女のこの課での立ち位置は愛玩マスコット的な意味合いが強いのかもしれない。仕事の報告書とか、みんなが代わってくれるって話だったし? まぁ年齢的に考えれば彼女には理解が難しいところなのかもしれないけど。
 一係のマスコットはコウちゃんの手に押しのけられつつも負けじと腕に取り縋っていた。「ねぇ、わたしお仕事頑張ってるよね?」タバコを取り出したコウちゃんになおも縋っている。ライターでくわえタバコに火をつけたコウちゃんは若干参った顔だ。「ああ、そうだな」「力ではコウとかマサさんに勝てないけど、すばしっこく動くよね?」「ああ、そうだな」「…むーっ」同じ言葉しか返ってこないことに地団駄を踏んで「うわーんマサさん!」とスーツの右腕に取り縋った。「コウが冷たいよぅ」とめそめそウソ泣きするをとっつぁんが「コウは素直じゃないんだよ」とか言って甘やかしている。
 彼女をひと目見たときに感じた『人形のみたいだな』なんて第一印象は、その頃には早々に薄れつつあった。
 思ったより賑やかというか……いや、これが歳相応なのかもしれない。隔離更正施設ではこんなふうではなかったかもしれない。この職場に来て打ち解けたのかもしれない。どのみち、執行官に成り立ての俺には分からないことだ。
 に対しての印象が完全に間違っていたと気付いたのは、出動命令が出て、俺、コウちゃん、、ギノさんで現場に赴いたときのことだ。
 護送車の中で、彼女はまるでこれから買い物に行くのだという気軽さでコウちゃんの隣に座ってぱたぱたと足を揺らしていたが、現場に到着し、扉のロックが解除されて外へと道が開けたとき、そこに歳相応の少女はいなかった。人形みたいな無表情になって、長い髪を頭の右上辺りで1つにまとめた。その静かな表情は、古い映画で見た、これから戦場に赴く戦士の横顔に似ていた。
 小さな背丈と小さな背格好に合わせた小さなスーツ。タイトスカートではなくパンツスタイルなのは、執行官は走り回る仕事だから、らしいが。それにしても似合ってないというか、人形じみた顔と相まって、余計に人形くささが増すというか。
 いかんいかん、仕事に集中しないと。今回はけっこー面倒そうなヤツだし。
 全員が外に出て、装備搬送ドローンが吐き出したドミネーターを手に取ったのを見て、ギノさんが場を仕切る。
「いいか、状況を整理する。街頭スキャナに引っかかったのは男女二名だ。解析記録が荒くて画像では年齢まで確認できないが、スキャナは両者とも犯罪係数オーバー300を記録している。用心しろ。何があっても不思議じゃない」
 ギノさんが眼鏡の奥の目を細くして、オーバー300の潜在犯二人が潜り込んだとされる廃棄区画を一瞥する。
 濁った夜の空気は健康な街を歩いているときには感じられない雑踏を含んでいるが、俺はそれがわりと嫌いじゃない。薄暗い空間も、眩い真っ白な場所と比べれば安堵を覚えるくらいだ。
「どう分かれる? 最大は四人で四方向に散らばるのが手っ取り早いが」
 コウちゃんのぼやき声にギノさんは眼鏡を押し上げつつを一瞥した。「確かにそれが効率がいいだろうが…」その次に続く言葉は俺でも予想できた。夜の廃棄区画にみたいな少女を一人で捜査に行かせるなんて、なんつーか、危ない気がする。彼女は一応執行官だけど、年端のいかない少女の外見をしてるってことも確かなのだ。ガラの悪い連中につるまれる可能性大。一人で行動させるのは忍びないというか、こっちが仕事に集中できない。
 本来なら夜の廃棄区画での仕事なんてに振りたくはなかったんだろう。今日は六合塚ととっつぁんが非番だから仕方がないといえば仕方がないわけだけど。相手はオーバー300が二人だ。人手は多い方がいい。
 と、話題に上ったことでが人形じみた顔で首を傾げた。頭の横でちょんと結ばれた髪がさらさら揺れる。
「わたし、一人で平気。絡まれたらしばき返すよ」
「いやいや。どうやって」
 思わずツッコんだ俺に、がにこりと微笑んだ。どことなく冷たさを感じるような笑みだった。
 小さな手には似合わない無骨な黒い筐体。ドミネーター。両手で重いだろう銃を持ち上げ、コン、と軽く頭にぶつけてみせる。
「たいがいの人はドミネーターを見せれば引くし…それでも引かないなら、実力行使」
 …その実力とやらを俺は知らないわけでして。だから不安なんですけど。
 無言で訴えたけど、の考えは変わらないし、彼女の実力行使宣言にギノさんとコウちゃんは諦めたような息を吐いた。「いいか? 無茶はするなよ。何かあったら俺を呼べ」コウちゃんがそう声をかけるとぱっと歳相応の笑顔を浮かべたが嬉しそうににこにこして「うんっ」と元気よく頷く。「あ、俺でも全然大丈夫だよ? 呼んでよ?」とりあえず乗っかっておくと彼女はにこにこした笑顔でまた1つ頷いた。ギノさんが仕方なさそうに吐息して「いいか、定期連絡をよこせ。必ずだ。15分に一度。は10分に一度でもいい」「えー」「…とにかく、充分に気をつけろ。単独での接触は避けたい。何かあれば俺に連絡だ、いいな」主にに向けて口を酸っぱくするギノさん。いつもよりガミガミ度上昇中、っと。
 しかし、なんてことはない。から『怖い人に絡まれちゃった、助けて』なんて連絡が入ることはなかった。むしろ逆だった。
『こちらハウンド4。対象を発見。二人一緒にラブホに滞在中。まだ気付かれてないと思います。現在地送付します』
 無感動な声で事務的な連絡があり、恐らくそれぞれのインターフェースに現在地の地図が送付された。そこに最も近いのは現時点で俺だったので、ギノさんの声を聞くことなく駆け出す。
 相手は二人。対して接触しそうなのが一人ってのはやっぱしどう考えても、急ぐしかないって。
 っていうかどこだって? ラブホ? おいおい14歳には刺激が強いだろうよ。だから夜の廃棄区画なんてまだ早いわけで。
『よし、そのまま監視を続けるんだハウンド4。いいか、一人で行くのはナシだ。俺達の誰かが到着するのを待て』
『そうしたいけど…このホテル、見取り図だと中が入り組んでて、地下にも繋がってるみたい。グズグズしてると逃げられちゃうかも。せめて地下への逃げ口だけでも塞がないと』
『罠って可能性もある。ハウンド4、俺が行くまで待て』
 ハウンド3…つまりコウちゃんの言葉にはわりと聞き分けのいいは、『うん』と、恐らくインターフェース越しに頷いた。
 通信に入ることなくほとんど全力疾走で地図に表示されたのいる場所までゴミ溜めみたいな区画内を走り抜け、息も荒いままに倉庫の裏に飛び込むと、ドミネーターの銃口が眼前に据えられていた。思わず固まる俺に、目を細くしたが銃を下ろす。人形みたいな顔に笑みを浮かべて「なんだ、縢か。誰かと思った」「…勘弁して」今ので対象に接触する前からどっと疲れた。
 ドミネーターに撃ち抜かれるなんて、扱ってる人間としては想像もしたくないね。これに撃たれてピンピンしてた奴なんていねーんだから。
 手首のインターフェースを起動して「こちらハウンド5。ハウンド4と合流しました」と吹き込む。二人がここに駆けつけようとしてるなら俺と同じく走ってるだろうから、返信は期待しない。
 息を整えつつ、倉庫の角からそろっと顔を覗かせて件のラブホの様子を窺う。
 一見したところただの雑居ビルだ。かろうじて入り口と思われる扉の上に電飾で飾られた文字が見える程度で、ラブホと言われなければ一昔前のバーでも通りそうな静かな佇まい。
「で、なんでここだって分かったわけ?」
「聞き込み。呼び込みしてたおじさんにホロ映像見せたら、ズバリ息詰まったから。襲われそうになったけど返り討ちにして、もう一回訊いたら、いるって」
 けろりとした顔で彼女はそう言い、返り討ち、で細い指がさした方に目を凝らすと、倉庫の影の暗がりの中にいい感じにボコボコにされているオヤジを発見した。「…あー」なんとも言いがたい。13歳で執行官に任命されただけあるというか。この華奢な人形みたいな子のどこに太っちょのオヤジをボコボコにするだけの力が秘められてるのか謎すぎるけど、とりあえず納得しておく。「それ以外は?」「一応、周辺の人にも聞き込みしたよ。見たって人が他に三人くらい」ねぇ、おじさん、とにっこり笑いかけられて太っちょのオヤジはがくがく頷くばかり。よっぽど怖い目に合ったのか這ってでも逃げ出しそうな勢いだ。
 贅肉が詰まってるんだろう腹を踏みつけて逃げ出すのを防ぎつつ、考える。
 さて、ここからどうする?
 相手はオーバー300が二人。にも関わらず街頭スキャナに引っかかるというミスを犯した。もしかしたら意図的に、かもしれない。こちらを誘うための罠。そうなった場合突っ込むのは危険だ。となると、やっぱりギノさんとコウちゃんの到着を待って、万全の人数と態勢で臨むしかないだろう。
 それから5分で全員の顔が倉庫裏の暗がりに揃った。

「裏口がないのかこの建物は…」
「古い建物にはありがちなことさ。で、どうする? 正面突破するか?」
「いや、待て。罠という可能性があるなら危険すぎる…」
「でもさぁ突っ込むしかないんじゃないスか? あっちは二人でこっちは四人。扉を開けた途端ボンッ、とかでもない限り大丈夫だと思いますけどね」
「ボンッ、の可能性があるなら、一番すばしっこいわたしが扉を開けようか? 開けてすぐに転がればいいでしょ? 何もなかったらあとの三人で突入。ねぇ、これでどう?」

 はい、と当たり前に挙手してそう提案したに俺も含めて全員の男の眉間に皺が寄った。
 あまりに危険だ。年端のいかない女の子に消えない傷なんてつこうものなら激しく後悔する気が…。かわいこちゃんなだけに。
 が、結局それ以上の案が出てこなかったため、時間の浪費を避けるためにもの案が採用になった。
 電流が流れていたとしてもカバーできる特製の小さな黒い手袋をぎゅっと填めると、の小さな姿はさっと迷いなく道をすり抜けて扉の横にはりついた。こちらを一瞥した瞳が扉に戻り、黒い手袋の手がノブへと伸びる。
 男三人、俺とコウちゃんとギノさんはそれぞれダッシュの準備だ。
 はうまくやった。ドアノブを素早く回して扉を開け放つと同時にボールか何かみたいに丸くなってころころと地面を転がる。
 扉を開けた途端にボンッ、ってことはなく、開けられた扉の向こうは無人の受付があるのみ。
 突入開始だ。
 前線に立つのはあくまで執行官の仕事。ギノさんは転がって砂埃だらけになったを助け起こしている。その間に俺とコウちゃんが中に飛び込んだ。
 薄暗い店内をざっと眺め、『使用禁止』と書かれて電源の入っていないエレベーターとホテルの見取り図を視界に入れ、受付横から奥へ伸びる通路と上へ続く階段に目を留める。「どーしますぅ?」「部屋数から考えるなら、俺とお前で上だ。ギノ、とこの階を頼む。それでいいな?」「ああ」さりげなく指示を出して場を仕切りつつ、ギノさんを怒らせないコウちゃんのやり方。慣れてるなぁ。俺もあのくらいになりたいもんだ。
 すっかり砂埃で汚れた顔をしているを視界の隅に、コウちゃんの背中を追いかけ、上へと続く階段を上がっていく。あとは虱潰しに部屋を捜索だ。
 道中罠なんてものはなかった。部屋にちらほらいる男女は夜の営みの真っ最中であるか、何も知らない顔でベッドで寝こけているくらいで、例の二人組は見つからない。
(ああ、なるほど。ギノさんがあっさり了承したのは、にこういうのをなるべく見せないためでもあるわけか)
 もしかしたらがハズレを引いた可能性も…そう思った矢先だった。パリン、とどこかの窓ガラスが割れるような音がしたのは。
 手短な部屋に飛び込んで窓に取り付くと、この階の一番奥の部屋から飛び降りる人間二人が見えた。薬剤でもキメこんでんだろう、飛び降りた衝撃で片方の足が変な方向に曲がっているが、気にするでもなく慌て足で逃げていく。「げっ、くそ!」かといって真似して飛び降りるつもりはない。ドミネーターでガラスをぶち破り、照準を合わせりゃいいだけだ。
 銃把で窓を砕き、ドミネーターを構えて…二人が飛び降りた部屋が爆発、火の手が上がった。やはり細工がしてあったらしく、あっという間に飛散してこの部屋まで迫ってくる。
 舌打ちして銃を引っ込め、「縢!」と呼ぶ声に部屋を飛び出して階段を駆け下りる。
 一階に戻ると、すでにギノさんが消防に連絡を取っていた。どことなく焦った顔でインターフェースのマイク部分を塞いで「が一人で追っていった。すぐ向かえ」と言われて外に飛び出したものの、もうどこにも小さな背中は見えなかった。「あーもーっ、肝据わりすぎ!」思わず唸った俺にコウちゃんが肩を竦めつつ、鋭いあの双眸で暗闇を睨みつける。
「二手に分かれる。念のためインターフェースは起動したままにしろ」
「うぃ、了解」
 爆発、続けて火の手が上がり、辺りは騒然としていた。
 避難すべく荷物をかき集めて走って行くホームレスの姿。向かいの建物から出てきて不安そうに爆ぜる炎を見つめる人間。そのほとんどがドミネーターに引っかかるような値を弾き出す奴ばかりで、こうも対象が多いと逆にこの銃は使いづらい。
 人混みの中を駆け抜けながら落ち着いた色の茶髪を捜した。
 浮浪者。浮浪者。ホームレス。水商売の女、女、女。どこにも小さなスーツの背中は見えない。
 気持ちが焦り始めたとき、ボンッ、と行く先で爆発があった。どうやらこっちが当たりらしい。「コウちゃん、こっちだ」『ちっ』真逆に向かって行ったコウちゃんが駆けつけるのは遅れるだろう。俺が行くしかない。
 慌ただしく移動していく人にぶつかったり押されたりしながらようやく爆発のあった場所に辿り着くと、ピン、と小さな塊が飛び込んできた。丸い物体。手榴弾だと頭では理解したもののとっさに動けない。安全ピンは抜かれている。一定秒数が経過したら爆発する。マズいぞ。どうする。どうする?
 動けない俺の足元から、眼前に迫った手榴弾をしなやかに蹴飛ばし上空に打ち上げたのは、捜していたの足だった。猫か何かなのかって動物的な態勢で足を振り抜いて、直後、爆発。衝撃にたたらを踏んだ俺とは違い、はその衝撃を利用して地を這う動物のごとく駆け出している。
 一瞬ポカンとしてしまったところから我に返ってドミネーターを構える。
 二人組のうち一人は足を引きずってしか移動できない。痛みは薬で無視できるかもしれないが、折れた足の方は遠慮なく酷使されてさっきより酷い状態になっている。自然と移動速度は落ちている。今なら殺れる。
『犯罪係数・オーバー300・執行対象です・執行モード・リーサル・エリミネーター・慎重に照準を定め・対象を排除してください』
 指向性音声と同時に黒い銃が変形する。装甲が展開し、放熱板や電磁波射出装置が広がる。
 シビュラの御託宣だ。あの男は更正の見込みナシ、この世にいらない存在となった。
 処刑のための集中電磁波は白っぽい光線として放たれ、男の身体を内側から破壊した。飛び散る血飛沫と肉片。それを恐れないは頭から被りながら、破裂した男だったものには目もくれず、男を捨てて逃げる女の背中にドミネーターを構える。が、どうやら女の方が面倒くさいようで、また手榴弾を投げやがった。今度は2つ。ドミネーターのデコンポーザーでは爆発するものに対しては無意味。
 はドミネーターをベルトに突っ込むと、さっき俺を助けたときと同じ要領で、むしろさっきより流れる動作で手榴弾を空中に蹴り上げた。まるでそういう訓練を受けてきたベテランみたいに迷いがない。手榴弾は空中で連弾して爆発し、衝撃波が砂埃を巻き上げる。
 それで手持ちが尽きたのか、ナイフやらなんやらを破れかぶれに投げつけ、狂ったような奇声を上げる女に向けて、俺がドミネーターを構える。はドミネーターの銃身で器用にナイフを弾き返している。今がチャンスだ。
 さっきと同じ指向性音声が耳なのか頭なのかに響く。
!」
 彼女は俺が言わんとしていることを理解して、ボールみたいに丸くなってころころ地面を転がった。間髪入れず女に向けて発砲する。
 上半身を爆発させ、肉塊と血飛沫を残して、女だったものは物言わぬ死体になった。
 深く息を吐いて銃を下ろす。
 …さすがに、二人分の人間が転がっていると血なまぐさいもんだな。
「だいじょぶか、
 もそもそ起き上がった彼女に手を貸す。血飛沫を浴びてもけろりとした顔をしているは俺の手を取って立ち上がった。ぱん、ぱんとスーツを払っているが、砂埃よりも血で汚れてると思う…。
 遅れて駆けつけたコウちゃんは、現場を見て納得したらしい。「怪我はないか、二人とも」「うん」コウちゃんに声をかけられてぱっと笑顔を浮かべるの顔やら髪やらは血色でわりと酷いことになっているが、コウちゃんはそのことは表情に出さず、抱きついてきたの頭を黙って撫でていた。
 なんていうか、ぶったまげた。多分ここに配属して一番のびっくり度じゃないだろうか、これは。
 ちびちび缶コーヒーをすすりつつ、デスクに座っているを横目で確認する。オフィスチェアの上で膝を抱えるような態勢で熱心に本を読んでいる。
 なんでも、ずっと欲しくてギノさんに交渉していたんだとか。入手が難しい代物だったらしい。電子書籍が主流の現代で紙の本を熱心に読み耽るは、やっぱり人形みたいだった。この世界に存在しているのが不思議で仕方がない、って意味での。
 彼女が以前話していたとおり、14歳には難しい書面は代わりにギノさんが書いているらしい。おかげで報告書もない彼女は仕事の時間も趣味に使っているわけだ。そしてそれに誰も何も言わない。一係のマスコット、いやアイドルは、色々と容認されているわけである。
 別に、それが不満とかじゃない。むしろ14歳の少女が執行官になっているという現実に対してこれくらいの配慮はあってくれて然り、と思う。その意味ではここはまぁいい職場だ。
「それさ、なんの本?」
 気になったので訊いてみる。カバーがかかっていて俺からでは表紙も見えない。
 顔を上げたはにっこり笑顔で俺に本を差し出した。受け取って、イマドキ縁遠い紙の肌触りを指の腹で感じつつページをめくってみる。
 中身は、なんていうか、資料集みたいなものだった。爆弾から骨董品分類の刀まで、古今東西の武器について解説してある本、とでも言おうか。それを彼女は熱心に読んでいるのだ。そして、そのことに誰も何も言わない。この本を買いつけたギノさんさえ。
「こういうの、読んで楽しい?」
 げっそりした俺に彼女は笑顔で頷く。「お仕事に出てね、知識が役に立つと、気持ちがいいよ」いやまぁそりゃそうなのかもしれないけどさ。普通の子は爆弾の解体方法が載ったページに目をキラキラさせたりしないと思う。
 思って、普通の子じゃないのか、と気付いた。
 にこにこ笑顔でギノさんが買いつけた本を抱き締める姿は歳相応の少女にしか見えないけど…それでもこの子は潜在犯で、今は執行官だ。血飛沫を浴びることになんの躊躇いも見せなかった戦士の横顔。下手したら爆発する手榴弾を適切に処理する能力。オーバー300の潜在犯を一人で追う度胸もある。普通に笑えば普通にかわいこちゃんという魅力もある。
 唯一ないものがあるとすれば…。
「コウ! パフェ奢って、パフェ。ご褒美!」
「はいはい。昼にな」
「わーい」
 ないものがあるとすれば、怖いもの知らずというかなんというか、まぁそういう部分かと。
 躊躇いなくコウちゃんのスーツの背中に抱きついて甘えている。こっちからじゃコウちゃんの顔は見えないけど、きっと苦虫を噛み潰したみたいな顰め面をしてるに違いない。