主人から懺悔のような昔話を聞いたあと、泣いている彼女を宥めて疲れて眠るまで見守り、窓の外へと視線を移した。
 ずっと曇ったままの空。主人は今あの雲を除去するための理論を組み立てることに忙しい。
 空の色をしていた彼の墓に、空を見せてあげたいのだそうだ。
「…カイト……」
 自分の名であり、そして彼の名でもあった名前を呟くと、妙な感じがした。胸の辺りを押さえて目を閉じる。
 僕と全く同じ姿同じ声同じ顔を持った人物がリアルで、僕は彼のコピーのような存在。作られた機械。恐らくは何かしら情報を掴んでいた彼が、最後の手段として残した、人型のアンドロイド。
 彼女に起動され、彼女を守るように造られた僕は、もしかしたらVOCALOIDですらないのかもしれない。
 …それでも、僕は構わなかったのだけど。
 曇天が続く空から視線を移して彼女の寝顔を眺め、ベッドに膝をついて、窓を少しだけ開ける。どこか湿った風の吹く中に手を伸ばし、手首から先を銃に変えた。
 パス、という気の抜けたような音を残しただけで、主人は起きないし、三百メートル向こうのビルからこの窓を監視していた誰かは死んだ。
 手首から先の銃を眺め、普通の手に戻す。窓を閉めて、カーテンがいるなと思いながら彼女の寝顔を眺めた。

 僕はカイト。実在していたカイトという名の彼をモデルにした人型アンドロイド。そしてVOCALOID。
 主人は。国宝級の頭脳を持つ、あのテロ事件の生存者の一人。
 国家研究棟は新しく造りかえられ、警備などを強化し、人員を増やした。けれど、失ってしまった多くの頭脳者の補充とはいかず、研究者の質は落ちている。
 無理難題は自然と古参からの研究員に回ってくる。
 彼女は日々忙しい。休む暇がないくらいに。
 …それでも、空を晴らすために、今の仕事をやめるわけにはいかないと、彼女は言う。

「……心配ですよ。。あなたが」
 最近は他国からのこうしたスパイ行動も多い。余計な心配をかけないようにと内緒にしているけれど、このペースだとそのうちバレてしまうだろう。不安にさせたくはない。けれど、状況はよくはない。
 破滅へと転がっていく世界の中で、空の蒼を忘れかけた世界の中で、空を取り戻したい、と彼女は言う。
 世界平和なんてどうでもいい。温暖化なんて今更だ。どの国が戦争になっても驚かない。ただ、蒼い空を見たい、見せてあげたいと、は。
 …こんなにも彼女の心を奪っておきながら死んだ、カイトという男に、ふと恨み言を言いたくなった。口にしたところで何も変わらないし、相手はもう死んでいる。そんなことは無駄だ。それでも恨み言を言いたくなるのは、眠っている彼女が泣くからか。
「僕は、ここにいますから」
 眠っている彼女の髪を撫で、こぼれる涙を指先で拭う。
 彼女が望んでいるのは僕であって僕でない。それは分かっている。
 ただ。それでも、僕の主人はあなただから。僕はあなたを誰に譲る気もない。それが自分を亡霊のように仕立てている誰かだとしても、僕は、彼女の隣に立つ。いつか僕が本物になり死んでしまったカイトが亡霊になる日まで。
「おはよう…」
 新聞を取ってきてリビングキッチンに戻ると主人が起きてきた。「おはようございます。今日は早いですね」と笑うと彼女は眠そうに目をこすった。今日は食事を先に取る、ということのようだと理解した僕はさっそく朝食の準備をする。パンをスライスしバターとジャムを用意して、スープの鍋を火にかけ、サラダのボールをテーブルに置く。席に座って僕を眺めていた彼女が眠そうに欠伸を漏らして目をこする。
「ねぇ」
「はい」
「…変わんないのね。昨日あんな話したのに」
「そう、ですね。僕は…それでもあなたのVOCALOIDですから。以外は見ませんし、正直どうでもいいです」
 テーブルにべたっと崩れた彼女がふふと笑う。「そういうとこはカイトそのまんまだよ」と。そうなのだろうか、と思いつつあたたまったスープをよそってテーブルに置けば、椅子に座り直した彼女が「いただきます」と手を合わせてさっそくスプーンを入れる。
 オレンジジュースを出してきてコップを二つ用意し、注いで、テーブルに置いた。
 向かい側の席についていただきますをし、食物を摂る。少しの無駄もなくエネルギーに変える。
 ソーラーエネルギーが見込めない現在、僕は電気をもとに動くか、人と同じように食べてそれをエネルギーに変えるしかない。
「カイトぉ」
「はい」
「今度買い物に行こうね。服買ってあげる。自分のも買いたいし」
「はい」
 僕が笑えば彼女も笑う。そう分かっているから僕は笑う。

 あなたが笑ってくれるなら僕はなんだってしよう。
 それが、僕の存在意義だ。