ボクの製造者が結構に歪んだ人物だったらしく、ボクをKAITOという型からかなり外れたモノとして製作した。
 身長体重基本となる声だけは設定として外せなかったらしく死守されたけれど、髪の色と長さ、瞳や肌の色に始まって大部分がかなり脱色され、基本構造から姿を変えた。トレードマークになっているマフラーやコートを着ることもなく、どこのゲームから再現したのかと呆れてしまうような派手で現実味を帯びないデザインの服の着用を義務付けられた。
 それだけじゃない。本来なら自分のマスターとなる人を得るまでひっそりとショーケースに並んでいるのがVOCALOIDだというのに、ボクの製造者はボクに店の手伝いをさせた。店番、部品の発注、電話の応対、パソコンの入力に始まり、ボクを労働力として扱ったのだ。
 ボクは確かにKAITOとして、その端くれとして生まれたにも関わらず、この人はこの見姿を変えただけでは飽き足らず、その存在理由さえ危機に晒している。
 はっきりいって、ボクにも限界というものがあった。
 ボクはVOCALOIDだ。製造者には確かに恩があるかもしれないが、それはボクを売り上げたときに入るお金で賄われるべきもの。これは正当じゃない。
 ただのKAITOだったならまだしも、こんな白い髪で、黄色い瞳で、生白い肌になって。本来ならマスターに奉仕すべき自分という存在を、労働力として使われて。
(なんでだ。なんでボクはこんなふうに生きないとならないんだ。どうして)
 来る日も来る日も労働力として当たり前のように顎で使われ、一ヶ月、二ヶ月、三ヶ月。半年。
 気付いたとき、頭の中が熱くなっていて、思考回路が一部ショート寸前まで熱が上がっていた。
 ボクの手には初音ミクの面影を残す機械の頭部が一つ。これもまた型から外れ髪や肌の色が濃くなったようなモノで、きっと、彼女も目を醒ましたら自分の状況と惨状に後悔と怨みを抱くだろう。
 だから、これでいい。これでいいんだ。
 工房でうたた寝していた製造者の頭をこの出来損ないの頭で殴り続け、ぶち壊してから、赤い色で汚れた初音ミクの頭部、だったものを床に落とした。
 時刻は夜の二十三時十二分。
 さあ、もう後戻りはできない。ぶるりと震えた手でぐっと拳を握って、ボクは意趣返しとして製作工房の中をめちゃくちゃにして回った。バケツの水をぶちまけたりわざと漏電させたりして製作途中の初音ミクらしきモノも使い物にならないようにしてやった。それで少しはすっきりした。これでもう出来損ないのVOCALOIDがここで生まれることはないだろう。工房も製造者も死んだのだから。
(やってしまった……)
 ゲームの中から飛び出てきたような自分の格好を見下ろし、居住スペースから適当なTシャツとズボンを拝借して着替え、赤い色がこびりついた服は焼却炉で燃やして処理した。
 唐突な雷の音。降り出した大粒の雨。
 空を見上げて、目を細めて、白明する夜の空を見つめ続ける。
 …やってしまった。もう後戻りはできないし、ここにはいられない。すぐに離れなくては。
 工房はVOCALOID製作の認可が下りていない違法の製作所だし、利用する人は限られている。加えて、あの人は所帯持ちではないし、両親親戚とも疎遠なようだから、すぐにこの事態が世間に知られることはないはず。早くてボクが今日発注した部品が三日後に届くときかそれ以降。
 焼却炉の前から離れ、雨を吸って重くなったTシャツを玄関先で絞った。すっかり濡れネズミだったので、別に誰も見ていないわけだし、と開き直って裸で工房の上の居住スペースへ行き、新しいシャツとズボンを身につけて現金を捜した。カードは使った場所と持ち主が記録されるから上手い手とはいえない。できれば使ったあとなど分からない現金が望ましい。
 しばらく探し続けると、財布が見つかった。そもそもカードを持ち歩く生活などしない田舎だからかそれなりに現金が入っていたのでそっくりいただいた。次に適当な鞄を拝借し、丁寧に持ち主の指紋を拭う作業をしてからお札と硬貨をポケットに分けて入れ、着替えも全て適当に買うことに決めて玄関へ戻る。濡れたTシャツとズボンをつまんでビニール袋に入れ、傘立てに無造作に突っ込まれた傘を一つ手に取り、ばさり、と広げる。
 あてもない逃走の始まりだった。
 KAITOでありながらボクをKAITO以外のモノとしてこの世に生まれさせた原因は除去したのだ。それでボクの復讐も終わり。この生もおしまい。ろくでもない何でもないただの悲劇。そうして終わるべきだったボクは、まだ、生きていた。
 その理由を自分なりに探してみた。
 ボクはまだ、VOCALOIDとして生まれたことに悔いている。すれ違う鏡音の双子が連れられているのを見て、電気屋のテレビに度々映るVOCALOIDという存在に、自分を探している。
 ボクだってそこに立ってみたかった。
 マスターを得てこそのVOCALOIDだ。存在理由だ。存在意義だ。ボクはボクとして生まれたことを悲劇で終わらせたくなどなかったのだ。
 逃亡生活を始めてこれでちょうど一ヶ月になる。
 新聞の紙面だったかテレビの映像だったか、もう忘れたけれど、ボクが起こした事件のことは世間に知られている。最も、警察もボクという犯人のことなど特定できていないようだけど。…当然か。VOCALOIDに指紋はないし、考えられる限りのボクだと特定される可能性は潰してきたのだ。警察がよほど優秀でなければお蔵入りになる。
 まぁ、もし警察に捕まって焼却炉行きになることが決まっても。その前に、ボクはもういない気がするけど。
 ……ゴロゴロとひどい雷鳴の音がしている。地面を打ち始めた雨の音がする。
 そういえば、あの日も雨だったな。雷が鳴っていたっけ。
 雨は苦手だ。どれだけ防水加工された肌だろうと、ボクが機械であることに変わりはない。水は苦手だ。お風呂なんてとんでもない。雨をずっと被っているのもよくない。
 けど、手持ちのお金も尽きたし、逃亡生活にも飽きたし、この辺りが潮時という気もする。
 悲劇を挽回しようと思っていたんだけど。どうやら、ボクには悲劇がお似合いのようだ。
 エネルギー切れが近づいてきた身体は動作が鈍く、ぎこちない動きで空を見上げれば、あの日のように白明する空がある。
 いっそ雷に打たれてしまえばブッツリ途切れて死ねてよかったのに。
 諦めて、コンクリートの硬い地面に再び転がる。きっとこうやって緩やかにしか死ねないのだボクは。なんて緩慢な悲劇。せめて、もっと電撃と衝撃のある終わりがよかった。
 稲光と激しい落雷の音がした。それと一緒に「わっ」と誰かの声も。
 視線だけ向けると、薄汚い路地には似合わない普通の格好をした人がいた。きれいめなパンツにブラウス、茶髪をまとめた髪。女の人だ。職業は一般的な会社員というところだろうか。「わーやばい、近い」と低いヒールの靴を鳴らしてなぜかこっちに駆け寄ってくる。
「ねぇちょっと! 意識あるんでしょ? ねぇ」
 どうやらボクのことを言ってるらしい。肩も揺さぶられた。億劫ながらまだ動けたので鈍い動きでボクより小さい手を払う。ボクに構うな、と言いたかったのだけどそれでボクの意識があると伝わったらしく、手を引っぱられ腕を取られ、濡れているボクに構わず上体を起こすまで手伝われた。
 …この人、一体何がしたいんだ。
 カッ、と頭上で光った青白い稲妻に「わっ」と肩をビクつかせたその人は「ちょっとほら、起きて、はい立って!」としつこくボクの自立を促す。
 それで、半ば引きずられるようにしてすぐそこのアパートに連れ込まれた。その頃には彼女もすっかり濡れネズミで、二人して玄関先でぐったりしたまましばらく。
「けっこー重い…」
「あたりまえ……」
 ぐったりした声にぐったりした声で返して目を閉じる。成人の男性くらいの体重があるんだ、重くて当たり前だ。
 余分にエネルギーを消費してしまった。全く、なんて意味の分からない最後なんだ。
「ねぇ、シャワー? なんか食べる? どっちが先?」
 当たり前のようにかけられた声に、ごくり、と喉が鳴った。
 なんでボクにそんなことを訊くんだ。そもそもどうして家に上げたんだ。常識的に考えて色々とありえない。
 けど、ボクはこういうのを待っていたんだと思う。
「たべる…」
「カップ麺でいいなら五分」
「じゃあそれで」
 よし、と濡れた服のまますぐそこのシンク前でカップ麺とお湯の準備をし始める姿を力ない視線で見上げ続けた。そのうちくしゅんとくしゃみをしたことで一度キッチン前を離れ、タオルを持ってきて、ボクの頭にも被せた。「動ける?」「…むりかも」「しょうがないなー」わしゃわしゃと白い髪をかき回される。そのうちやかんの湯が沸けてボクから離れた手が手際よくカップ麺二つを用意してお湯を注ぐ。
 …そんなわけで、何の因果か、ボクはまた生き残ってしまった。
 OLかと予想した彼女は実はまだ未成年で、家庭の事情から現在パート生活で生計を立てているらしい。ということが外にバレないようOLみたいな格好を選んで髪を染めて濃い目の化粧をしているらしい。
 ボクを拾ったのは、部屋の窓から顔を出すとちょうどボクが転がっていた路地が見えたとかで、三日もそうしていたボクのことをハラハラした心地で気にしていたんだそうだ。そして今日、仕事帰りに気になっていたボクのもとへやって来た。この雷雨でもまだ路上に転がったままなら、一時的にうちに入れてあげようと思い立って。
(不用心だな)
 ということは伏せて、その話にボクは「ふーん」と返してカフェオレをすすった。しっかりエネルギーへと変換しつつ二人がけのラブソファでぐてっとしていると、メイクを落としてベッドでぐでっとしていた彼女がむくりと起き上がった。かと思えば諦めたようにごろんと転がってボクの方を眺める。「そっちは?」…どうやら自分の話をしたのだからボクの話をしろということらしい。
 ずず、とカフェオレをすすって少し考えた。
 本当のことは言えない。嘘八百を並べてもいいけど、それをいちいち気にするのも面倒だ。嘘が半分、真実が半分。そのくらいがバランスとしていい気がする。
「ボク、何に見える?」
「若者。男の子」
「それ以外」
「えー。えー、不良入ってる。かも。髪白いし」
「他には」
「えー? えー、うーん………」
 ごろんとベッドを転がって仰向けに天井を見上げ考え出す姿を視界の端で捉え続ける。その挙動の瞬き一つさえ逃さないように見つめて「ボク、VOCALOIDなんだ」と本当のことを告白すると、彼女は目を丸くしてボクを見つめた。穴が開くくらいじっと、じーっと、もういいってくらいに。
「あれでしょ、最近流行りの歌って踊るアイドルでしょ」
「そうとも言われてるね」
「…あれ? でもさ、私はあなた見たことないよ。テレビでもどこでもVOCALOID見かけるけど、あなたのこと知らない」
 それはそうだ。ボクのこの外見はイレギュラーなのだ。それに、声も、KAITOなのにKAITOじゃない自分に嫌気が差して喉に細工をした。KAITOのものより低くなって掠れる声になったから、普通は気付かない。
 曖昧な自分の定義を破壊しようと試みた。けど、結局、ボクはそこに縛られたままだ。
「KAITOっているでしょ。ボクの基礎はアレなんだ」
 白状すると、彼女はさらに目を丸くした。どこにそんな元気があったのかって動作で飛び起きるとベッドを下りてソファでぐたっとしたままのボクをぺたぺた遠慮なく触り始める。髪を引っぱったり肌をつねったり忙しない。「ちょっと…」「ほんとに? 人間じゃないの?」「残念だけど違う」「そうなの? 今の技術ってすごいのね…噂には聞いてたけど、VOCALOIDってすごいのね」笑った彼女がボクの前髪を引っぱる。白く脱色された髪はいらない設定が施されていて放っておくと人間みたいに伸びる。だから定期的に切らないとならない。全く、あの人は嫌なことばかりを植えつけてくれた。
 ボクがVOCALOIDだと知って彼女は俄然ボクに興味がわいたらしい。キャンディーが散らされたピンク色のスウェットで屈託なく笑う姿は彼女を歳相応の女の子に見せる。
「じゃあ、歌えるの? 歌って踊ってできるの?」
「……まぁ。練習すれば、たぶん」
「じゃああれは? マスター登録っていうのは? あ、そうだ、あなたは迷子なの? 逃げ出してきたの? マスターいるの? 私はあなたのマスターになれそう?」
 矢継ぎ早な彼女にストップと手をかざす。「ちょっと、待って。まず、ボクにマスターはいない」「うんうん」「迷子じゃなくて…逃げ出してきたが正しい。でも行く場所もないんだ。正直、拾ってもらいたいところ」言いながら、なんだってこんなことを言ってるんだろうと自分に呆れた。
 外は相変わらずの雨。この雨の中何もせず弱っていけばじわじわとでも死ねたのに、カップラーメンとカフェオレでエネルギーを摂取してしまった。死に向かうにはもう遅い。
 死に行くにはもう遅い。
 もう、ボクの目の前でボクをVOCALOIDとして認めている人がいる。労働力としてではなく、ボクがボクとして生まれたことを受け入れようとしている人がいる。期待に目をキラキラと輝かせている人がいる。
 ボクは渇望していた。奥底から。

「ねぇ、私はあなたのマスターになれる?」

 それは、生まれた瞬間からボクが望んで止まなかった言葉と存在。
 なれるよ、と返したボクは彼女の小さな手を取った。右の人差し指をぱくりとくわえるとカチカチカチと自分の中で機械音が響いて彼女の指紋をマスターとして登録する作業を開始する。
「マスター。お名前を」
 細い指は仕事のせいか少し肌が荒れていた。労るように両手で包んで挟む。彼女はそんなボクに笑って告げた。
「私、っていうの」
。指紋、声紋登録完了」
 カチ、と音を残してボクの中で『マスター』という一本の太い柱が突き立った。
(ボクはあなたに隠していることがある)
 マスターとなったの肩に腕を回して抱き締めてみると、小さな手から想像できたとおりに小さな身体だった。「よろしく」「う、うん」「マスターって言った方がいい?」茶色の髪を指で梳くとパサついているのが気になった。傷んでいるんだろう。まだ若いから大丈夫と思っているのかもしれないけど、今から手入れをしていかないと。
(隠し続けるか、)
 今君の髪を梳くこの手が真っ赤に汚れていることを。
(いつか、本当のことを話すのか)
 でもそれは、誰のためになることなんだ。ただボクが自己満足に赦されたいというだけの話だ。きっと君のためにならない。君はボクのマスターになった。ボクの柱になった。悪戯に杭を打つことなどしたくはない。そこからひび割れていつか脆くなるならば、穿つ愛はいらない。
 愛するのなら、全てを包み込むような、そんな愛を。
「…? マスター? どっちがいい?」
 ボクの腕の中でどんな顔をしているのか分からないけど、は「じゃあ、名前で…呼んでくれれば、それで」もにょもにょこぼして黙り込んだ。うん、とぼやくように返して機械の身体よりもずっとやわらかくてやわい身体を抱く。
 人間は、女の子はとくにやわらかい。うっかり力を入れたら壊してしまいそうだ。あの人のように。
(……壊さないように。気をつけないと。ね)

かつてと呼ばれた毒物