夢を見る。
 見渡す限りの荒野の大地とその風景。空は曇り。俺には都合のいい天気。吹き荒れる風で暴れる髪も三つ編みにしてるからそんなに邪魔じゃない。いっそ切ろうと何度か考えてそういえば結局このままだな髪。いつ切ろう。
 それで目の前には、とりあえず敵っぽい誰かや何か。
 敵っぽいとか分類したのは、自分の顔が笑みを作っていたから。
 ああだから俺は目の前の敵っぽい誰かや何かを壊すんだろう。殺すんだろう。そう考えた。別に疑問はなかった。俺が笑ってるってことは相手を殺して見送るためだからだ。なら俺が今からすべきことは決まってる。
 ここは戦場だ。これは戦場だ。俺が生きていく場所だ。これからもこの先も俺はずっとこの中で生きていく。
 振り返ることはない。己が来た道など振り返らずとも分かっている。分かりきっている。俺の後ろには死体しかない。そしてこの手はまた死体を作り上げる。この手はまた血で汚れる。そのための腕。そのための四肢。そのための身体。そのための俺。
 そのための夜兎の血。本能。戦いを、戦場を求める本能。本能のままに動く身体。薙ぎ払い蹴倒し踏み潰し引き千切りその骨を砕き肉を裂く。
 喉が渇くように渇いている。魂が。この血が求めている。ただ戦いの感覚を。
 振り返ることはない。俺は前しか見ない。戦場しか見ることはない。俺は、
 神威さん
「、」
 ぱちと目を開ける。薄暗い天井が見えた。何度か瞬きしてから腕を伸ばしてがしと時計を掴む。時間を見れば朝の七時。
 陽の光が入らないよう遮光カーテンが引かれたままの窓。ベッドのすぐ脇に置いてあるいつもの日傘。いつもの部屋の風景。
 そして今のは。夢。
(…また。この夢か)
 ぎしとベッドを軋ませて起き上がる。ぐっと伸びをして欠伸を漏らす。長い髪が邪魔で背中に払った。そうだ切ろうって思って結局切ってないよ俺。どうしよう今からばっさりいくかな。
 そんなことを考えつつ顔を洗ってうがいをして。欠伸をしつつ部屋の方に戻る頃、必ず声がかかる。
「神威さん」
 そう、夢の中で俺を呼んだのと同じ声が。
「起きてますか? ご飯ですよ」
「起きてるよー。開けてどうぞ」
 ぼすとソファに座り込む。そうすると部屋のドアが開いて暗い光が明滅する廊下からが顔を出す。いつもみたいにがらがらとカートを押してきて、そのカートには俺の胃に収まる予定の今日の朝ご飯がある。
「おはようございます」
「おはよ」
 テーブルに手際よく並べられる料理。白いご飯が大量に、それと飽きたときようにちょっと違うおかずがあれば俺はそれでいいんだけど。が用意してくれるご飯はおいしいからまぁ量があればそれでいいや。今日も昨日と違うレパートリーだけどこれどこから憶えてくるんだろ。本とかかなぁ。
「髪、結いますよ」
「うん」
 せっかく作ってくれたご飯も俺は胃袋に収まるスピードでがつがつ平らげることしかできない。はそんな俺を見て何ともいえない顔をするけど、俺は何も返せない。これは必要な食事で必要な事項。外せはしないし変更だってきかない。
 髪に櫛が通る感触。煩わしくない程度の。
「神威さん」
「ん?」
「枝毛ができてますよ。少し毛先を切った方がいいかもしれませんね」
 きゅ、と音がして「できました」と言った彼女。俺は料理をかきこむ手を止めた。振り返ってみれば俺の後ろから髪を結っていたがいる。きょとんとした顔で「どうかしましたか」と言われて同じくきょとんとした。何振り返ってるんだろ、俺。
「いや、別に」
「そうですか? 今日もお仕事ですから、ご飯食べちゃってくださいね」
「はいはい」
 そうだ今日仕事じゃん。うわめんどくさ。そう思いつつ食事をかきこむ作業を開始。だけど何か忘れてるような。
 なんだっけ。俺は何か忘れてる。
「神威さん、今日の着替えはここに」
「あー」
「?」
「いや。もっかい俺のこと呼んで」
「…神威さん?」
「語尾ふつーに」
「…神威さん」
 少し訝しげな顔をした。そんな彼女に緩く首を振って「いいや、何でもない」と言う。
 戦場の夢。最近見るようになった夢。それでたいてい夢を見ると毎回それ。だから夢で見るのはだいたいそれ。
 戦場の夢。冷たい戦場の夢。けれど血が騒ぐままに本能のままに従う苦くもない夢。どこかであった現実。俺が生きてきた軌跡。これからも描き続ける戦場の軌跡。
 振り返る暇はない。目の前には戦場。振り返ることはない。目の前には戦場。俺はそれだけで満足でこの笑みはより深いものになる。
 そこで響いた彼女の声。
 背中側から。死体しか残っていないその軌跡から、俺を呼ぶ声。
 そしていつもそこで目が覚めた。呼ばれたところで目が覚める。
 俺は俺を呼ぶ声に振り返るのか振り返らないのか、それすら定かじゃない。ただそれでも呼ぶ声がした。俺はそれに一瞬でも意識を持っていかれた。
「ごちそーさま」
 たんと最後に器を置いて箸を置いて手を合わせる。空になった器をせっせとカートに重ねていくが「はい」と笑う。
 笑顔。そういえば俺は彼女に笑顔は向けたことがない。仕事で彼女を連れてくことはないし彼女の仕事は俺の身の回りの世話、それだけだ。彼女と戦場は少しも交わらない。だから俺は彼女に殺意を抱くことなんてない。

「はい?」
「…いいや。何でもない」
 笑顔に。笑顔を返すことができない。俺の笑顔は相手を見送るためのもの。最後くらい誰だって笑顔で送ってもらいたいものだという考えから浮かべるようになったもの。本物の笑顔じゃない。みたいに笑うことは俺にはできない。たぶん一生かかってもそれは変わらない。
(…やだねぇ。何に感化されたかなー)
 用意されてる着替えに手を伸ばして仕事用の格好をする。最後の仕上げはやっぱり彼女だ。カートを廊下に出し終えたは白い包帯を手にしていつものように俺の準備が整うのを待っている。
 自分の顔に自分で包帯を巻くのはものすごくめんどくさい。なので俺は最後のそれをいつもに任せている。
「苦しくありませんか?」
「だいじょーぶ」
 慣れた手つきで包帯を巻いてい
 目を閉じてみた。息遣いが分かった。人の体温がすぐそばにあることが分かった。それだけだった。
「はい。終わりました」
 そう言われて目を開ける。彼女が俺の傘を差し出す。「いってらっしゃい」と。彼女は見送る。そうして笑う。
 俺が浮かべる笑顔は死ぬ相手に対しての礼儀作法。ただそれだけ。彼女の笑顔は全く違う。それを知っていながらどうしてそのまねが少しもできないんだろう。
「神威さん?」
「…仕事かー。めんどくさいなぁ」
「いけませんよ。行ってください、ほら。上の方々が待ってます」
「はいはーい」
 彼女に背中を押されて廊下に出た。「おきをつけて」と言われて適当に手を振って返す。
 振り返ることは、いつもならしなかった。
 だけど今日は振り返ってみた。目が合えばきょとんとした顔でがそこに立っている。
(…夢。か)
「神威さん?」
「何でもー。行ってくる」
「はい」
 彼女が笑う。俺は笑えない。そうして前に向き直る。

 これから待っているのは戦場。俺がいるべき、夜兎がいるべき俺達の居場所。冷たい戦場。陽の光など届かない、もしくは拒み続ける暗く冷たい血の世界。
 戦。俺の渇きを潤す唯一のこと。喉が渇くように魂が渇く。意識が渇く。どうしようもなく戦いを求める。本能が俺を呼んでいる。

「あー。
「、はい?」
 がらがらとカートを押しかけた彼女がこっちを振り返る。俺もまた彼女を振り返っていた。
 夢の光景を重ねていた。
 俺の行く道には戦場。そして俺の後ろにはその軌跡。そうして、君がいる。
「俺にさ、今度教えてよ」
「? 何をですか?」
「何でもいいや。だからなんか教えて」
「…なんですかそれ」
 呆れたように笑う彼女。笑顔。苦笑いしたような微笑。笑顔。笑顔。
 俺はやっぱり少しもその笑顔をまねできなかった。それが少し歯がゆく感じた。苦虫を噛み潰したようなって表現はこういうときに使うのかなぁと思いながらもう前を向いた。いい加減行かないとじじいどもがうるさい。

 さぁ、戦いが俺を待っている。
(そうしてそのあとには彼女が俺の帰りを待っている)
いつまでたっても始まらない