喚ばれることなどあるはずがない、需要がない、必要もない。それがアヴェンジャー、復讐者、と呼ばれるクラスだ。
 自分がソレに分類されるのだろうということはなんとなくわかっていたし、別に、その立ち位置でも不満はなかった。
 ランサーとして。天の鎖として。正しく戦い、正しく存在し、そして壊れたのはエルキドゥというモノだ。ボクはその器を借り受けて好き勝手しただけのモノ。だから喚ばれるはずがない。
 大人しく、泥らしく眠り、安寧のない暗闇で、ただただ、あのときを思い返す。それがボクにお似合いの末路だった。
 勝てなかった戦い。
 聞こえなかった母の声。
 最後まで傷つけることができなかった、ギルガメッシュ。この体の持ち主の友愛の対象。
 キングゥと、ついぞ呼ばれることはなかった気がするけれど。それも仕方がないことだ。だってボクはエルキドゥの皮を被っただけの、ただの、偽物でしかなかったのだから。敵でしかなかったのだから。
 それなのに。
 みたせ。みたせ。みたせ。みたせ。みたせ
 繰り返すつどに五度
 ただ、満たされる刻を破却する
 暗闇と自分の中の記録映像しかなかったそこに声が落ちた。女の声。「は?」思わずそうこぼして、自分の肉体があることに驚いた。
 嘘だろう。だってボクは復讐者だぞ。そうクラス設定された。それを、喚ぶだと? 正気じゃない。
 黒い泥から這うようにして手足を動かし、遥か頭上を見上げる。顔に垂れるのは緑の髪。憶えのある白い服。あのときと同じ。『Angang』『告げる』そして、これは。まさか。『告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に』「…やめろ」『聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ』「やめろ。ボクはエルキドゥじゃないっ」叫んだところで意味はない。頭上から光が下りてくる。拒みようのない光が。だけどどこか。赤い………。
 赤い。まるで血のようだ。
 いや。血だ。血を流している。召喚主が。万全の状態で、魔力を満たして召喚に臨むべき人間が、血を流している。触媒としての出血量じゃない。これは。何故。
 誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、 我は常世総ての悪を敷く者
 汝三大の言霊を纏う七天、 抑止の輪より来たれ、天秤の、守り手、よ
 ………応えたくなどなかった。応えてやる気もなかった。
 ボクはただ一人の新人類で、キングゥで、特異点でもう滅びた。
 それに、復讐者だ。召喚すべきモノではない。
 それなのに。ボクを喚ぶ声と光が、赤い色で、どんどんと小さく遠くなっていくから。くそ、と舌打ちしながら手を伸ばして、ボクはその光を掴んだのだ。
 そうして外に出てみれば、なんてことはない。ボクを喚んだ人間はなかなかに最悪な状況だった。
 己の意志ではない、全身に魔術回路を刻み込まれた、己のモノではない魔力を注ぎ込まれた、触媒すら用意していない無茶な召喚術式。床に人形のように転ばされ、張り付けにされた召喚主の少女。これじゃあまるで生贄だ。

「は……」

 だから旧人類は愚かだというんだ。
 こんな、年端もいかない小娘の命を懸けて、ボクのようなものを召喚するなんて。「成功だ」「成功だ」「しかしこの感じは…」背後でうるさい声を無視してしゃがみ込むと、白い服がじわじわと赤い色を吸っていく。
 今さっきまで魔術回路を刻まれ続けていたのか、流れ出ていく血に触れる。その右手に刻まれた契約の証に触れる。「どうしたい?」こんなになってまで君はボクを喚んだ。喚ばされた。ボクを使う権利は君にある。
 虚ろな目をした少女は、ボクを捉えると、笑った。

「いえのなかのみんな、ころして」

 ……ああ。なんて、ボクを召喚するにふさわしいマスターだろう。
 いいとも、とボクは笑って、この家の魔術師どもを蹂躙した。弱っているマスターと契約していようが、仮にも天の鎖の体だ。神代から遠のき力の弱くなった魔術師相手に負けるはずがない。
 鎖で串刺しにしてやった魔術師どもを部屋の倉庫のような物入れにすべて押し込み、少女を拘束していた金具を外し、弱い息を繰り返すマスターのことを抱き上げる。「湯浴みは沁みるかな。でも必要だ。このままはよくない」「……きん、ぐぅ」血にまみれた手でぎゅっと服を握ってくる手は指先まで魔術回路で埋まっている。
 まだ真名なんて教えていないのに、彼女はボクが誰かを知っているようだった。
 ああ。もう。仕方がない。
 あまりにも弱っているマスターに、これじゃあ逆だろうと思いながら口付けて、ボクから少し魔力を流してやる。
 仕方がないから広い風呂に湯を入れて、一人では入れそうにもない状態の彼女を介抱しながら体から血を落とし、刻まれて消えることのない魔術回路を睨みつける。
 こんな間に合わせで臨もうとしたのか。聖杯戦争に。
 アップデートされた知識の中には、この世界のこと、これから戦わなければならない魔術師同士が命をかけて競う戦争についての記録がある。
 それを閲覧しながらマスターのことをきれいにし、適当な服を探して着せ、血なまぐさい家の中をうろついて一番豪華そうな部屋のベッドに寝かせた。「きんぐぅ……」「いるよ」縋るように伸ばしてくる手を仕方なく握ってやる。指の先にまで刻み込まれた魔術回路が痛々しい白い指を。

「聖杯戦争。あらゆる願いを叶えるとされる万能の願望器。それの所有を巡る戦い」
「うん」
「君には、願いごとがあるのかい」

 指先に、顔に、皮膚という皮膚に隙間なく刻まれた魔術回路。
 今は痛みしか生まないだろう回路を刻まれた顔で、彼女は笑う。「わたし、」「ああ。個体名か。憶えておくよマスター」「あなたは、キングゥ」「…さっきから何度も呼ぶけど。エルキドゥの方がよかっただろう」姿かたちは似ていても、ボクらはまったくの別物だ。

(そもそも、聖杯戦争にはエクストラクラスは召喚してはいけないルールだったはず)

 確か、それでどこかの聖杯は汚染され、歪んだ形でしか願いを叶えることはできないとかなんとか。そういう話じゃなかったっけ。「きんぐぅ」「ん」「さむい」「……はぁ」お風呂には入れたけど、きっと血を流しすぎたせいだ。魔力を少し与えたとはいえ、体温が下がっている。確かにこのままはよくない。
 ………本来なら。霊体化した方がマスターの負担にはならないのだけど。
 仕方なくマスターが寝ているベッドに入り、横に並ぶ。これも仕方なく、泥でできているんだから体温などない体に熱を灯らせる。「これでどう」苦労した様子で寝返りを打ったマスターは、魔術回路だらけの顔でなんとか笑ってみせた。「あったかい」と。
 震える手を伸ばして縋って来る少女をどう扱えばいいのか束の間迷い、結局、寒いというのだから、抱き締めるのが正解なのだろうと、回路を刻まれた体が痛まない程度に緩く、細い体を抱き締めて、その夜は眠った。