私は特異な体質を持って生まれた。
 魔術の家の生まれでありながらあまり才能はなかったにも関わらず、他者の魔力を受け入れる器として、体が機能した。
 私はいわば、魔力を貯めるためのダムのような、貯水庫のような、そういったモノ。必要なときに放出し、それまではただ貯めて留める。そういったモノ。
 私の体の中を巡るのは、私の魔力だけじゃない。
 私は純粋じゃない。
 私はきれいじゃない。
 私の中には、私以外の誰かの魔力が巡りに巡っている。私のものと混ざり合ってぐちゃぐちゃになって、多少反発し合いながらも、私のものとして機能している。
 だから。日本を出るとき、キングゥがすべて殺してくれたあの家の人たちの魔力を、唇を通してもらってきた。すべて。だから今の魔力はまぁまぁ潤沢。
 だけどあのときのキングゥ、変な顔をしていたなぁ。なんて思いながら、初めてのイギリスだったし、支援は必要だからと、聖杯戦争の参加者として聖堂教会に顔を出した。「こんにちは」そろりと中に入って挨拶すると、中にはシスターと思われる人がいた。「ようこそ」日本語が通じる。よかった。
 マスターとサーヴァントが好き勝手しないようお目付け役として監督者が派遣される。それが聖堂教会。要するに監視役だ。
 私は右手の令呪と、この殺し合いに参加させられるのではなく、自らの意思で参加する、ということを了承する。
 この戦いで死んだとしても。得るものがなかったとしても。それでも命を懸けて覇を競い合う、それが聖杯戦争。
 参加者には疑似のパスポートその他、イギリスでの活動に必要だろうものは教会が用意してくれるということだったから、私たちはそれまで教会の中で休息を取ることにした。
 今は朝だ。戦闘の時間は終わってる。気を抜いてももう大丈夫。

「グゥちゃん、疲れた?」
『それなりに』

 今は霊体化している彼の声を聞きながら、教会のベンチに横になる。
 昨日、昼間に仮眠したとはいえ、夜はほぼ海上だったし、尖塔もあった。そのせいか眠い……。
 私はぼんやりと教会の体をしているこの場所にある十字架を見上げた。「グゥちゃんは」『ん』「神様に、思うことはある?」問いかけてから、彼には難しいことだったかもしれないと思った。この教会が掲げる神様とウルクが掲げていた神様は違うし、そもそも、キングゥは複雑な存在と成り立ちだ。そんな彼に神様について尋ねるなんて、私も馬鹿だ。
 きっと眠いせいで頭が働かないんだ。「ごめん。なんでもない」目を閉じて、静謐、と言える澄んだ空気を心地よく思いながら、意識がうつらうつらしてくる。眠い………。
 まだ足りないな。これでは到底良いサーヴァントなど呼べんぞ
 しかし、我々には触媒を用意するだけの資金がない……
 潤沢な魔力。これを触媒にするしかなかろう
 ならば注ごう。この貧弱な体に、我々の魔力を
 受け止めよ。受け入れよ
 お前の役割はただそれだけである
 なれば、生殖器など不要。不要なものは始末しよう
 ああ。嫌な、声がする。嫌な音も。
 魔力で肌を焼かれる音。刻まれる音。ベッドが軋む音。
 どうしようもない、傷み。
 熱い刃でお腹を裂かれて取り出された臓器のてらてらとした、あの色。
 決して私が望んだわけじゃない、魔力を貯める器としての、人形のような人生を送る私の。俯瞰風景。
 ただ無心で、それを心掛けて息をするだけの。人形。
 気がつくと眠っていたらしく、カツ、コツ、と規則的に歩く音と小さな揺れで意識が醒めた。「あ……」気がつけば目の前にはイギリスの、テレビでしか見たことのないような風景が広がっていて。そしてここが魔術の本場、時計塔がある場所なのだと、ビッグベンを目にして思う。
 ゴーン、という鐘の音がする。日本のあの鐘じゃない。もっと荘厳な音だ。
 見上げればキングゥの宝石みたいにきれいな紫の瞳、きれいな緑の髪と整った顔立ちがあって、目を覚ました私に少し呆れた顔をしてみせる。

「おそよう」
「うん。寝てた」
「君を抱いて歩くの、別にいいんだけどさ。まぁまぁ目立っているから、できれば自分で歩いてくれる?」

 はっとして彼の腕から下りて、顔まである魔術回路がしっかり偽装されているのを確認して、やっと前を見ることができる。
 私が寝ている間にキングゥは色々してくれていた。「まずこれ、家の鍵と住所。一応住処も用意してくれるようだね。使うかどうかは君に任せる」ぽい、と放られた鍵と英語で住所の書かれた文面を睨みつける。私、英語、苦手……。「それからこれは、歴史的建造物や遺産等のある場所では戦闘はするなという誓約書みたいなもの。ボクが目を通したからマスターはいいよ」ぽい、と紙片を寄越された、これも英語だ。

「私、読めない…」

 素直にこぼすと、キングゥは私の手から紙と鍵を取り上げた。「昼間は、そこで過ごす?」私に任せるとは言ってくれたけど、私だけだと判断に自信がないから訊いてみると、彼は肩を竦めた。「ボクは反対だ。いくら中立の立場が用意した場所とはいえ、住所を見るにまぁまぁ人気のある場所だ。戦闘は夜のみとはいえ、住処が割れるのは避けた方がいいだろう。奇襲を受ける」「結界、張るよ?」「……そういう問題じゃない。それに君のアレは魔術的な結界というよりは………」頭が痛いとでも言いたげな彼が、ふと気付いた顔でお店を指した。

「とりあえず腹ごしらえだ。ボクは魔力が足りないし、君も、食べた方がいい」

 そういうわけで、イギリスに到着、聖堂教会に助力してもらった私たちは現在、カフェでお昼ご飯を食べています。
 イギリスのご飯はおいしくない、っていう話は有名だけど。本当に、なんといったらいいのか。うん。おいしくない……。
 それでもお金を払ったわけだし、ただ揚げただけのポテトと魚とサワークリームでも食べ切ってみせる。インスタントみたいな味のコーヒーでも飲み切ってみせる。
 キングゥはカフェのメニューに目を通して、いくつか食事を頼んで、その全部に眉間に皺を寄せながらほぼ飲み込んでいた。たぶん私と同じ感想を持ったのだろう。

「……前言撤回する。借り物の家へ行こう。外でこんなものばかり食べていたんじゃ、とてもじゃないけど、無理」
「うん」

 彼の顰め面がおかしくて思わず笑った私に、頬杖をついてチップスを口に放り込んだ彼も少しだけ笑った。
 スーパーで買い出しをした私たちは(私が寝てる間に日本円を両替もしてくれていた。キングゥはしっかり者だ)、二人で両手いっぱいの荷物を持って借り物の家へと向かった。聖杯戦争中なら好きに使っていい私たちの家だ。見たところ一階建ての平屋で、庭がとても広い。「……狭くない?」眉根を寄せての素直な感想に私は笑った。「きっと、聖杯戦争のたびに浪費するから、簡単なものにしたんだよ」「ケチくさいんだね、現代って」ブツブツ言いながらも門扉を押し開け敷地の中に入っていくキングゥのあとを追いかける。
 魔力で精査してみたけど、おかしなところはない。あとは昼間のうちに結界を施せば、昼間は安心して過ごせる場所になるだろう。
 一階建ての平屋、いわゆるバンガロウには屋根裏部屋もあった。すぐに使わない荷物はここに置いてしまおう。人に見られたくないものも。
 生活に必要なもの。ベッドとか、冷蔵庫とか、お風呂もトイレも、そういったものは揃っているし、電気もガスも水道も問題ない。すぐにこうやって生活できる場所を提供してくれるだけ教会はすごいと思う。

「グゥちゃん」

 冷蔵庫に食材をしまっている彼を呼ぶと、「ちょっと待って」と言われた。真面目さんだ。イギリスは寒いのだから、ちょっと放っておくくらい平気なのに。
 私は置いてある鏡の前に立って、自分の貧相な腕を掲げた。
 ワンピースを脱いで落とせば、鏡の中にいる私は、醜い塊だった。
 腕。足。背中。胸。首。顔。皮膚という皮膚に隙間なく魔術回路を刻み込まれた無様な体は最低限の肉がついているだけで、刻まれた術式がそう見せるのか、まるで骨と皮しかないようにも見える。
 全身に刻まれたこれでも足りなければ、神経を魔術回路に見立てて使い潰せるよう、そういうふうにもされている。
 私はあの家ではただの道具だったのだ。
 性欲処理機と言ってもいい。
 そのために子宮はなくなった。不要なものとして取り除かれた。
 魔力をやると言いながら、犯されて、刻まれて、そういう日々を何年もただ繰り返した。私はただの器だった。
 潤沢な魔力を触媒としてサーヴァントを召喚する。
 ならばそれは私が見聞きしたものに限られる。
 だから、自由な時間は特異点での記録や人類白紙化のさいの記録をずっと閲覧していた。そこから強いサーヴァントを召喚しろとさんざん言われていた。
 そうして、私が喚んだのは、



 背中側から緩く抱き締められて、中性的な顔立ちの彼の胸に体重を預ける。
 鏡の中に映る彼は美しい。宝石のような瞳。自然の象徴のような緑色の髪。整った顔立ち。神の造形物。だけどそれは器だけだと彼は言う。
 それでも、美しい彼が、私は羨ましい。
 私はこんなに醜くて、こんなに汚くて。そんな自分がいつも嫌いだった。
 過ぎた過去は変えられない。なくなった子宮も。何人に肉欲をぶつけられたのかもわからないこの体も、もう、どうしようもないのだ。「嫌な夢を見たの」「知ってる。ボクにも視えた」「そう。私ね、今まで、ああして」言いかけた口を口で塞がれた。そのままひょいと簡単に抱き上げられてベッドに運ばれて、その優しい手つきに、ああ、と思う。
 乱暴に組み敷かれて。乱暴に足を押し開かれて。乱暴に、乱暴に、ただただ貫いてきた、あの人たちとは違うのだと、その優しい顔に思う。
 ………彼はサーヴァントだ。私はマスターだ。わかってる。
 だけど、同じ夢を見たヒトだ。
 こんなに汚い私にキスをしてくれる、こんなに醜い私の肌を慈しんで撫でてくれる、たった一人の。私だけのキングゥ。

「きっと君はそのうち、ボクの嫌な夢も視る」
「うん……」
「でも今は、君の見た嫌な夢を、良い時間に変えよう。ボクは君の望む通りにしかしない。
 優しくて心地の良い時間にしよう。

 エルキドゥの亡骸に魂が与えられて動き出したモノ。それがキングゥ。
 無意味に争うことない共生を理想に掲げて生きる生命。そういう理想の人類を夢見た、私と同じ夢を見たヒト。
 私、醜い体で、とても汚れているけれど。それでも優しくしてくれる、あなたはとても、良いヒト。