夜が来るたびに、私たちは戦った。
 ときには人気のない深夜のテムズ川のほとりで。ときには誰も訪れない郊外の森林の中で。
 私たちは戦った。戦って、戦う度に、生き残る度に、朝が来たらバンガロウの家に帰って、今日も勝てたね、生き残ったねと口付けを交わしてお互いをたたえ合い、魔力供給という名のもとに、お互いを求め合った。
 キングゥが私の夢を見て。私がキングゥの夢を見て。その度にお互いがお互いのことを少しずつ理解して、私たちは、手を握って戦場に向かった。
 日にちにすれば、それはとても短い間だったのかもしれない。
 きっと、一週間とか、そのくらい。
 だけど私には宝物みたいなひと時だった。生きていてよかったと思えた時間だった。
 これまでの苦しかったこと、辛かったことの全部は、この時間のためにあったに違いないと確信さえするほどに。

「ねぇ、見て。見てグゥちゃん、すごい」

 ロンドンを一望できるという観覧車ではしゃぐ私に、隣のキングゥは呆れ顔だ。「こんなもの空からいくらでも…」言いかけて口を噤む。そう、普通の人は空なんて飛べないから。
 せっかくだから。せっかくイギリスに、ロンドンにいるんだから。私はそう言って休むべきだと訴えるキングゥを外へと連れ出して観光をした。
 夜は戦闘。朝は仮眠して、お昼からは出かけて、移動中にまた少し眠って。そうして夜になったらまた戦闘、あるいは、運が良ければ何もなくて生き残れる。
 最初の夜に戦ったアサシンのマスターには、アサシンらしく背後を狙われて、令呪のある右手に魔弾を受けそうになって、とっさに左手を盾にした。だからそれで、左腕は駄目になった。
 でも、怒ったキングゥが令呪で命じろというから、その通りにして、実力以上の力を発揮してくれたから、相手のアサシンは倒せて、対戦の結果は勝利で終わった。
 片腕をぶらりと垂れ下がらせるしかない私に、キングゥは眉間に皺を寄せた顔で唇を噛んでいた。
 次の対戦のときはキャスターとぶつかった。これもなかなか手強い相手で、キングゥがキャスター自身ではなくマスターを狙っていくのを令呪で支援し、相手の心臓を鎖で貫いて止めて、英霊は退去。魔術師だった人からはありがたく魔力を頂戴した。
 そんな日を何度か過ごしたあと。
 人気のなくなった深夜。人里から離れた波辺。黒い海を背景に、そこで待っていた最後の相手が、

「……なるほど。確かに、ふさわしい」

 ぽつりとした彼の声と、ぐっと強く握ってくる手を握り返す。
 英雄王ギルガメッシュ。
 第七特異点での記録を知っていれば、賢王でもあるギルガメッシュ。
 それはキングゥにとって宿敵とも言える相手で、キングゥの肉体の主にとっては、友愛の対象であるヒト。
 ここまでなんとか勝ち残ってきた。
 大した魔術師でもない自分がよく頑張ったと思う。
 片腕の回路と神経を防御のために使い潰し、片足の回路と神経を攻撃回避のために使い潰し、魔眼とまともに張り合ってしまった片目も、もうほとんど視えない。
 令呪は残り一画。これをなくしてしまえば私はマスターの座を失う。
 ぐっと私の手を握ったキングゥが「じゃあ、行ってくる」と残して手を離し、ほんのりと冷たい温度が私の手のひらをすり抜けた。
 ……彼はさようならとは言わなかった。なら私も。頑張らなくちゃ。

「なんだその格好は。現代人にでもなりきったつもりか、エルキドゥ」
「そうだね。その方が面白いかと思って」

 キングゥはエルキドゥを真似る。ここではそういう設定だから。
 さっきまで繋がれていた手をぎゅっと握り締めて、フードを深く被って顔を隠している相手のマスターを睨みつける。
 ここまで頑張って来た。全力だった。
 ここで負けたら、意味がない。私たちの繋がりは無に帰って、私は魔力の尽きた用済みの魔術師として、敗北者として終わる。
 勝たないと。なんとしても。
 キングゥの足元から天の鎖が出現する。それは相手のギルガメッシュも同じで、様々な武器がこれでもかってくらい出てくる。「下がれマスター」「うん」とん、とその場を飛んだ私に相手のマスターも合わせてくる。
 使い潰した左腕と右足はもうまともに機能しない。そんな私を眺めて「それでよくここまで生き残ったものだ」呆れたような感心したような声に笑うしかない。ギルガメッシュを召喚したのだし、きっととても優れた魔術師なのだろう。私なんかとは違って。
 残っている全身の魔術回路を活性化させながら、押され気味のキングゥに魔力を与えながら、告げる。

「あなたに、勝つ」

 それが、私がここまで戦ってきた理由。
 それが、屈辱的な生を耐えてきた理由。
 正しく人が生きる世界を。
 こんな醜い世界ではなくて、正しくて、清くて、美しい、本来あるべきだった世界を。
 こんな私とここまで来てくれた、あなたが望んだ世界を。
 ……そこに。醜い私はいなくても。キングゥが受肉して、生きて、美しい世界を堪能して、ああこれこそが人類だ、って笑って。それでたまに私のことを思い出してくれるのなら。私はもう、それでいい。
 よりにもよって嫌な相手と当たったものだ。
 英雄王ギルガメッシュ。いや。違うな。このボクと同じく相手は混ざりものだ。さっきから刃を交える度に特異点で見た顔がチラついている。それに相手も戸惑っているから隙が生まれて、ボクなんかでもなんとか太刀打ちできている。

「貴様、何者だ」
「エルキドゥだよ。いつもの白い服じゃないとわからないかな」
「いいや、違うな。見た目は確かにあやつだが、貴様は徹底的に何かが違う」

 ギル相手によそ見をしている暇なんてなかったのに、マスターの腕が砕け散る感覚に、思わず背後を振り返ってしまう。
 の令呪は残り一画。
 ここまで無理をして戦ってきた。だから片腕と片足はもう使い物にならない。その、使い物にならない腕の方を盾にして令呪の残る腕を守ったのだと一秒で悟る。
 魔術師同士の戦いとして最初から分が悪いのだ。早くボクがそばにいってやらないと。じゃないと、

「どうしたエルキドゥ。他人の心配とはらしくない」
「…うるさいっ」

 放った鎖はギルの放つ無限に貯蔵されている武器に相殺された。「そもそも何を持ってお前は召喚されたのだ。我がマスターは性格は悪いが、魔術の腕は一級品。触媒の用意もされておったわ。だが貴様のソレは、」「うるさいっ!」言われなくたってわかっている。わかっているとも!
 かわいそうなマスター。人なのに道具のように扱われた、かわいそうな女の子。
 魔力の貯蔵庫のような扱われ方をしてきた、あの子自身に魔力はそうはない。
 だから使う度に減っていく。
 戦いを重ねる度に減っていく。
 日常生活で補給できる魔力なんて知れているし、戦った相手で魔力を補給できたのは一人だけ。あとはサーヴァントが退去したとわかるとさっさと姿をくらませた。
 彼女の残りの魔力は多くはない。そして今、彼女にもボクにも余裕はない。それなのにボクを支援して魔力を送ってくる。
 ボクが刃にした腕を振るう度に、ギルの攻撃を防ぐ度に、彼女は弱っていく。
 ここまで無理をさせてきてしまった。いや。無理をさせすぎた。
 それはボクが本来召喚されるはずのないクラスのサーヴァントであると同時に、彼女が、きちんとした魔術師ではなかったから、というのがある。
 彼女は魔力の貯蔵庫として扱われてきた。マスターになるべく育てられたのではない。ただただ魔力を貯めて必要なときに放出する、そういう存在としてただ生かされていた。だからまともな魔術を知らないし、感覚的にしか魔術が扱えない。
 本来ならば、サーヴァントを召喚した時点で彼女は用済みとして始末され、その場にいる誰かがマスターになるという計画だったのだろう。
 だけど、彼女の強い想いと、それに呼応し召喚されたボクは、最初から契約を結んでいた。
 何もかもが想定外のようで。でも、何もかもが運命のような、怒涛の日々だった。
 ……人として生まれ。しかし、人として生きることを許されず。道具のように扱われて。
 かわいそうな
 かわいそうなボクのマスター。
 できることなら、ボクが君を幸せにしたかった。

(ああ、そうさ。たかがサーヴァントが願うには過ぎた願いだとも)

 それでもボクは。

「………かわいそうな人間がいたんだよ、ギル」
「ほう」
「人間なのに、人形のような扱いを受けていた、そんな女の子がいたんだ。
 その子はまるでボクのようでね。無意味に争うことなく共生できる、生命としての理想の人類を望んだ。この戦争に勝ったらそれを願うと、約束してくれた。
 本当のボクを、喚んでくれた。キングゥ、と」

 ギルの顔が歪む隙を見逃さない。肉薄して刃にした右手を振り切るが、いつかのように、斧で止められてしまった。
 そう。いつかのように。
 第七特異点。キングゥとして初めてあの浜辺で邂逅したときのように。
 拮抗する力になんとか食らいつく。押される刃を全身全霊で押し返す。
 残っている魔力を、力を、ボクのすべてを、今ここに。
 勝ちたい。
 相手がギルでも。勝ちたい。
 あの子のために。ボクは、勝ちたい。

「かわいそうなんだ。だから助けてあげたいんだ。
 サーヴァント風情が何を言っているのかって君は呆れるだろう。かわいそうな人間なんて山ほどいて、ウルクのときだってそうだったろうって君は笑うだろう。
 だけど、ボクの望みは今、それなんだよ!
 こんなことを言う資格はボクにはない。だけどそれでも、ボクはっ、あの子を幸せにしたいんだ!!」

 ギギギ、と熱量同士がぶつかり合い、ボクの刃がギルの斧を弾いた。
 そこにいたのは、英雄王ではなくて。金ピカの趣味の悪い鎧を着た彼ではなくて。ボクが知っている、賢王の方のギルだった。
 彼は僕が吹き飛ばした斧が彼方に飛ぶ前に消し去る。
 彼女が力を振り絞って与えてくれた魔力で、貯蔵していたろう最後の魔力で宝具を展開する。詠唱は省略。すべてを串刺しにするのではなく、ギル、君が消えれば、ボクらの勝ちだ。だから悪いけど消えてくれ。
 積もる話はたくさんある。この体が覚えている懐かしいこと。話したいこと。たくさんあるよ。それはあの頃と変わらない。
 だけど、さようならだ、ギル。

「エヌマ・エリシュ」

 賢王は、ボクが展開した巨大な光の鎖をただ見上げていた。対抗するでもなく、逃げるでもなく、マスターを庇うでもなく、自身を突き刺す光の輝きを見ていた。
 光に呑まれる最後に。ようやく望みを得たか、という声を、聞いたような、聞かなかったような。
 そうしてギルは退去した。実に呆気なく。

(勝った……いや。違うな。勝たされた)

 マスターの状態からいっても、分が悪いのはボクの方だったのに。……本当に、この体に甘いな、ギルは。
 ほぼ空になった魔力でよろけながら振り返ると、マスターの足がパンと音を立てて粉々に砕け散ったところだった。「くそ」舌打ちしながら鎖を引き出したボクに、ギルが破れたことを悟った相手の魔術師は早々に姿をくらませた。
 そう、本来そんなものなのだ。マスターとサーヴァントなんて。
 だってこの場限りの繋がりだ。この場限りの出会いだ。聖杯戦争が継続している間だけの繋がり。
 座に戻ったサーヴァントはこの事実を忘れる。
 淡白なものだ。こんなに心身を共にして戦ったというのに、人間の方は忘れなくても、ボクらの方は忘れるんだ。取るに足らない記録だと。
 決してそんなことはない。決してそんなことはないのに。
 なぜなら。君は。ボクの初めてのマスターなのだから。
 手足を片方ずつ失って落下する彼女になんとか追いついて抱き止める。「、」大丈夫かと声をかけようとして、彼女の生命活動が、もう限界なことに気がついた。
 神経のほとんどを魔術回路に見立てて使い潰している。片手も片足も、敵の魔術師の攻撃から身を庇うために盾にして吹き飛んだ。片目も潰れている。魔眼か何かを相殺するために捨てたんだろう。
 それだけじゃ飽き足らず、心臓にも脳にも負担をかけて相手の攻撃に耐え続けていた。
 もう目に光がない。きっとボクのことは見えてない。
 血が足りない。魔力も足りない。神経回路も死んでいる。このままじゃ。
 ボクだって自分を維持する魔力を保つので精一杯だ。あげられるものがない。このままじゃ彼女は……。

「勝者、とランサーエルキドゥ。おめでとうございます」

 どこかで見ていたのか、降ってきた教会員の手には聖杯があった。
 金色に光る器。いつかウルクでも見た器。
 ………彼女が、正しい人類を願って。ボクが受肉をする。そうして二人で、新しい人類として生きる。
 最初に交わした約束。こう願う、と言ったこと。
 だけど。どんどんと弱くなっていく心拍数と、かろうじて生きているといえる彼女を見ていたら。ボクは、自分の受肉でも、新人類の誕生でもない、まったく別のことを口走っていた。

「生かしてくれ」

 この、かわいそうな女の子を。人として満足に生きられず、ボクと過ごした一ヶ月にも満たない日々だけを胸に死のうとしている、この子を。救ってくれ。

を、人間として、生かしてくれ」

 このまま君を死なせることなんてボクにはできない。
 短い間だったけど、君と笑って過ごせて、君とロンドンを歩けて、ボクは、楽しかったんだ。
 ああ、このさいだから言わせてもらおう。
 ものすごく楽しかったよ。器としてのエルキドゥじゃなくて、ボクを選んでくれた君が、現実でもボクの手を引く君が。たまらなく愛おしかった。
 魔力供給のために共にしたベッドの時間が、それだけの意味ではなくなったのは、いつからだろう。
 いつからボクは彼女という人間を慈しんでいただろう。
 聖杯に知識として与えられたものを実際に見聞きする。経験する。それはとても得難いものだった。
 一人だったらきっとどうってことないと冷めた目で物事を見つめていただろう。
 だけどボクのそばには、、君がいた。
 君がいたんだ。いつだって。
 姦しいのが人間だと。どうしようもない生き物だと、わかっていたし、知っていたけれど。観光名所を巡って素直に笑ってすごいと笑う君をそばで見ているのは、悪い気分ではなかったんだよ。
 光をこぼす聖杯にただ願う。「生かしてくれ。頼む。ボクの願いは……っ」君が、普通の人間として生きること。またああやって笑ってくれること。もう、それでいい。

「では、。あなたの願いは」
「………、」

 薄く口を開いた彼女と目が合う。再生され始めたきれいな瞳と目が合う。
 新人類の誕生。そうして世界を作り変える。それが君の願いで、そこにボクもいようと思っていたけど。
 ボクの願いはもう伝えた。君のサーヴァントとしての役目も終えた。ボクは、ここで、おしまいだ。
 願わくば。君のこの先の人生が、幸福に溢れたものであらんことを。
 光の粒として退去を始めたボクに、彼女は言う。

「彼の、受肉。を。願い。ます」
「、」

 瞬間、ボクの退去はピタリと止んで、浮かびかけていた体は地に足をつけた。
 手足が戻り、目も元に戻った彼女と、この現代という地に足をつけたボクに、役目を終えた聖杯が消えていく。「これにて聖杯戦争は終了。お疲れさまでした。三日後、現在のセーフハウスは引き払ってもらう必要がありますので、後片付けをよろしくお願いします」淡白に言って消えた教会員に、ボクはただぽかんとした顔で、泣きながら笑っている彼女を見ていることしかできなかった。
 どうして、とは、言えなかった。
 ボクが君の生存を願ったように。君もボクの生存を願った。ただそれだけの話だ。

「ごめん、ね」
「……何が」
「こんな。醜い。人の世に。生きろ、なんて、言って」

 笑って泣いた君に、ボクも笑って泣いた。
 ああ、そうだね。これから人としてここで生きていくなんて最悪の気分さ。まぁでも。

(君がいるなら、ボクはどこだって、構わないよ)