イギリスでの聖杯戦争が幕を閉じてから一ヶ月。 ボクらは聖杯戦争の勝利者として束の間もてはやされ、しかし、その願いがあまりにも大したものでなかったため、すぐさま魔術界の話題には上がらなくなった。 ボクは彼女の生存を願い、 彼女はボクの受肉を願った。 お互いが今を生きることを願った。結果だけを見ればなんてことはない戦いだったのだ。 「、お弁当忘れてるっ」 勢いよくアパートを飛び出したを追いかけてその手を掴まえ、今日のお弁当が入ったバッグを握らせると、「ごめん、ありがとう!」と彼女がバッグを抱えて駆けていく。 行く先は魔術協会の総本山である時計塔。そこにある学校だ。 彼女は学校へ行ったことがない。ましてや、きちんとした魔術の教育を受けたこともない。 せっかく本場のイギリスにいるんだ。英語は苦手だと言う彼女に、その年齢らしく勉学に励むことだって悪くはないだろうと説得して、普通の魔術師としての、学生としての生活を送ってもらっている。 ……と、彼女は思っているだろう。 これは聖杯戦争の勝利者としての、時計塔の特別な待遇なのだと。 特別と言えば特別さ。彼女は特異な体質の持ち主で、聖杯戦争で召喚したのがボク、復讐者で、結果的に見れば聖杯に泥は混じらず、ボクという不純物の願いすら叶えた。ボクらは前例を作ったのだ。 ボクが何者かということは、聖堂教会に訪れた時点で恐らく悟られていた。 それでもGOサインを出したろくでもない奴らが裏にいることはわかっている。だから彼女が『聖杯戦争勝利者として無償で』学校へ通うことは、いわゆる、人質。のようなもの。 受肉したサーヴァント(しかも反英霊)の例など希少だから、監視か、あるいは行動を抑制するようなモノを手元に置きたい。今回はそれがが『時計塔の学校へ通う』ということになっているというだけのこと。 (まぁ、妥当な判断だろう) 普通の英霊ならいざ知らず、ボクは反英霊だ。復讐者だ。そんな奴が受肉したら、何をしでかすかと警戒するのは当然のことだ。 別にそのことに不満はない……といえば嘘になるけど。あそこには聖杯戦争の経験者であり、魔術師としてまだまともな中立者であるロード・エルメロイ2世がいる。彼の学科に通っている彼女なのだ。彼女がこうなった経緯を調べることなどロードの立場があればたやすい。なら、彼女は学校でもそれなりに気遣ってもらっているはずだ。 そうは言っても、のことはもちろん心配だし、できることならボクだって学校についていきたいさ。 けど、世の中そう簡単じゃない。憂うべき問題が他にもあれこれとあるのだ。 そう。人間となったからには、生きるからには、キングゥたるボクも労働をしなくてはならない。 聖杯戦争から一ヶ月。 ボク、キングゥの現在は、狭いアパートの一室を借りて、そこらへんにいる人間と同じく労働ってものをして、水道光熱費を節約しながらなんとかやっていっている。イチ人間として。パートナーを持つ男として。 「こんにちわぁ。お荷物は三点でよろしいですか?」 別に、どんな力仕事でも、サーヴァントであったボクからしたら大した問題じゃないさ。帰ってにキスしてもらって魔力を補給したら帳尻が合う。 今のところ、面倒だけど配達関係の仕事が一番楽だ。荷物が重いのと仕分けが面倒くさいのが欠点だけど、給料は悪くないし、長時間人間に接している必要もない。 今日もその日の労働を夕方には終え、スーパーで買い出しをしてからアパートに戻り、イギリスにいるのに日本食を作るという阿呆みたいなことをして、学校から帰って来る彼女の帰りを待つ。 「まったく。何をしているんだか」 ぼふ、とソファに腰かけて、エプロンを放り投げる。 このボクが。キングゥが。人の世でせっせと働いて、小銭を稼いで、調理をして、今はソファに座ってとくに面白くもないテレビを見ている。「………あそこ、好きそう」今なら何とか周年記念でイベントをやっているらしい郊外の土地を宣伝している番組を見ながら無意識でこぼして、そんな口をばちんと叩く。 いや。なんだそれ。ボクの頭の中にはのことしかないのか? もっと自分の趣味趣向を求めていこうって、彼女にも言われたじゃないか。 (そうは言われても……) 自分の両の手のひらを掲げる。 もとはエルキドゥだったものの亡骸の体。そこに宿った魂がボク。それがさらにサーヴァントとして呼び出され、そして受肉したのが、今ここにいるボクだ。 ボクはキングゥ。 もう新人類の一人でもなければ、それを目指す者でもない。 ならば、ボクは一体何者なのか? 「ただいまぁ」 ガチャン、と開いた扉にぱたっと手を落として立ち上がる。「おかえり」それで両腕を広げれば、とても満足そうな顔で笑ったが僕の腕の中におさまる。「ただいま、キングゥ」と。 その体温と言葉だけで、ボクは満ち足りて、さっきまで考えていたことがどうでもよくなってしまう。 ボクはキングゥだ。に求められ、それに応えた、一人の男だ。もうそれでいいじゃないか。他のことなんてどうだって。 それに、余分なことをたくさん考えていられるほど、世間というのは甘くはないし。人生ってものも厳しいらしいし。 (昇給するけど仕事がいくつか増えるっていうあの話、どうしようかなぁ) 今の生活に不満があるわけではないけど、このアパートが狭いのは事実だし。治安がいい場所にあるわけでもないし。ボクはもうサーヴァントではないのだから、彼女の安全のためにはもう少し良い場所に引っ越したいと思うし。その場合は仕事、面倒だけど、引き受けないとダメかなぁ。 ボクの顔に弱い女の上司を思い浮かべ、なるべく楽ができるようにしてやろうと画策しながらおかえりのキスをすると、照れたように笑んだが少し視線を伏せる。その顔に満足して仕事の問題はいったん頭の片隅に押しやってエプロンをし直す。 「今日は親子丼とお味噌汁だよ」 「和食、食べたかった」 「うん。そろそろ恋しくなるだろうと思ってね」 「キングゥは、私のことならなんでもわかるね」 「もちろん。君のパートナーじゃないか」 もう君の右手に令呪はないし、ボクはサーヴァントではないけれど。魔力的な繋がりはボクらの間にはないけれど。あの頃以上に、ボクらは繋がっている。 白いご飯にあたため直した具材をのせ、味噌汁をよそい、決して広くはないアパートの一室の小さなテーブルで向かい合って手を合わせて「いただきます」をする。 なんてことはない、人の営みの一部。 その一部として、夜、一緒のベッドに入って眠そうに目をこする彼女の上に覆い被さる。また少し伸びた緑の髪が彼女の頬をくすぐる。「明日も大変?」「ううん。実技は、ないから。講義がいろいろ」「そう。じゃあ、いいよね」する、と滑らせた指でパジャマのボタンを外していくボクに、恥じらう、ということを覚えた彼女が赤い顔をして目を伏せる。 かつてはそんなことはなかった。それを許される状況にいなかったから。犯されて当たり前の環境に心が麻痺して死んでいたから。 だけど今は、自分にはイエスノーを言う権利があって、自分の意思というものがあって、そうしてもいいと思える相手がいる。不特定多数じゃない、たった一人のボクがいる。 受肉した途端嘘だろってくらいに湧いてくる性欲は、君を愛おしいと思う心とはまた別で。でも一緒くたにしてしまいそうになる。 聖杯によって再生された体でも消えなかった、肌に刻み込まれた魔術回路を舌でなぞる。ざらざらしてる。「き、ぐぅ」「ん」「もっと、下」「…ん」小さな胸を舌で愛撫しながら足の付け根に触れると濡れていた。ボクだけじゃなくて彼女も期待をしていた、求めていた、ってことだ。 そうだとわかっただけで痛いくらいに勃起するボクはどうなんだ。本当にサーヴァントだったのか。あのときは魔力供給という意味合いでしていたことを、今は愛し合うという行為としてしている。同じことをしているのに意味合いが違う。それだけでこんなに、自分を制御しがたいほど、興奮するものなのか。それとも人間って生き物がこういうモノなのか。 「優しくできなかったらごめん」 硬くて痛くてしかたないものを擦りつけると、彼女は笑って両腕を広げた。隅々まで魔術回路で覆われた腕。その腕に頭を抱かれて目を閉じる。 今のボクは泥ではない。人間だ。 だから君はあたたかいし、ボクも同じ温度をしている。ボクが君の体温を奪うことはない。 たったそれだけのことの、なんて幸せなことか。 「愛して」 「もちろん」 全身に魔術回路を刻み込まれた、君の体は決して美しいとは言えないけれど。美しい人間をと願ったその魂は、ボクが望んだ新人類、そのものなのだから。 ボクの寵愛を与えて添い遂げるのに、君ほどふさわしい人はいない。 |