目指しているものはただ一点、宝玉のみだった。それは同時にバノッサを標的とするということになり、必然、カノンは私とバノッサの間に割り込んで剣を振るってきた。私はそれを受け止める。重い一撃だった。手から腕までびりびりと振動が伝わるほどに。
 翼を羽ばたかせて距離を取り、私は剣を構える。依然として意識は宝玉へと向いている。あそこから聞こえる声が、私を狂わせる。
「…退きなさいカノン」
 静かにそう言葉を紡ぐ。けれど結果は初めから分かっていた。カノンは「できません」と言うと迷いなく私の懐へと飛び込んでくる。私はそれを甘んじて受け入れる。何もしない私に、彼が突き出した剣の軌道を僅かに逸らせて目を見開く。ずぶりと鈍い感触。冷たいものが肉を突き破って私に食い込む。
 歯を食い縛って剣の柄を握る彼の腕を掴み、掌を彼の腹部へ向けた。力を加減してどんと光の弾を撃ち込む。彼が「がはっ」と血を吐いて吹き飛んで、祭壇の柱に激突してずるずると地面に座り込んで動かなくなる。
 心臓のまさに下、もう少し狙いが上だったなら死んでいたかもしれないところに刺さっている剣を引き抜いて捨てる。血塗れの剣はからからと白い祭壇を汚して転がっていった。
 甘いかもしれない。でも、カノンは本気で私を殺さないだろうってどこかで信じていた。
 どくどくと血が流れ出ているのが分かる。バノッサが顔を顰めて「てめぇ」と呟く声が聞こえる。
「……宝玉を渡しなさい」
 すでにあの宝玉は熟していた。後はもう念じるだけで、魔王というものを召喚してしまえる。
 それだけは避けなければと、私の中のロティエルが言っている。
 私は傷を無視してばさりと翼を動かし、バノッサに肉薄した。やろうと思えば人の目では追えないほどの速さで飛ぶことができた。ただそれは私の身体に多少なりとも負担をかけるもので、まだ塞がりきっていない傷口からまた血が溢れてくるのが分かる。
 目を見開いた彼が剣を振るう前に、私は宝玉を弾き飛ばした。ごとんと音を立てて宝玉が祭壇に落ち、ごろごろと転がっていく。
 バノッサが舌打ちしてそちらに手を伸ばす。私は翼を利用して彼の視界を遮り、さらに宝玉をつま先で蹴飛ばした。その方向にはキールの召喚したハミトンがいる。
「ハミトン!」
 私の指示を的確に受け取ったらしいハミトンが宝玉を抱えてその場から消えた。そうしてキールのもとへと戻る。宝玉は無事だ。あとはあれを、きちんとした手順で封印するか破壊するかをすれば、きっと。
 一瞬の隙だったろう。ほっとしていた私にどすと背中から衝撃。衝撃に視界がぶれて、私は自分の腹部から突き出す血に汚れた剣先に目を細める。ああ、しまった。
っ!」
 キールの悲鳴が聞こえた。まだ塞がりきっていない傷口と今できたばかりの傷口から、血が溢れているのが分かる。
 耳元に吐息を感じた。誰のものかなんて、限られている。
「俺様の邪魔をするなら、てめぇも死ね」
 ずぶずぶと剣が私を貫く。傷口は灼熱を持って私の意識を奪おうとする。けれどそれを根元から再生しようとする細胞の活動と痛みがせめぎ合い、意識を手離すことも叶わない。
 せりあがってきた血にごほと咳き込む。鉄錆の味がする。
「てめぇも俺様の居場所を奪う。はぐれのくせに、生意気だ」
 そのままずばんと剣が横に払われて、私の身体は真ん中から右半分がぱっくりと割れた。何とか倒れずにばさりと翼を動かして身体を宙に浮かす。ぼたぼたと白い祭壇に血色が咲く。
っ、戻れ!」
 キールが必死に叫んでいる声が聞こえる。私の意識はふらついていた。ただ目だけは憎しみと悲しみとさみしさに揺れるバノッサを捉えていた。
「…、残念だけど、死なせて楽にさせるっていうのは、趣味じゃないの」
 ゆっくりと言葉を口にして、私はふらふらと左右に揺れながら彼に背中を向ける。キールが呼んでいる。行かなくちゃ、と思う。
 ひゅんひゅんと空を切る何かの音。またどすりという衝撃。肩越しに振り返れば、背中に投げられた剣が突き刺さっていた。投擲の格好のまま、バノッサが一滴涙を流しながら叫ぶ。
「てめぇは、生意気だ! 本当になっ」
「…バノッサ、こそ」
 ぐらりと身体が傾いで、ついに飛ぶことができなくなって私は地面に墜落した。まともに石畳にぶつかったけれど痛みを感じることがなかった。身体全体がただ熱かった。それだけだった。
っ、!」
 駆け寄ってきたキールがプラーマを召喚するのが見える。私はただそれを視界に入れているだけ。手を伸ばして彼に触れたいのに、指先を動かすことさえ叶わなかった。
「キ、ル」
、今治す。今治すから」
 泣きそうな顔で彼がそう言う。プラーマの温かい光が私を包み込む。けれど身体は灼熱を持ちながらだんだんと冷え切り、血を流しすぎたことで意識が遠くなりかける。
 だけどまだ、やらないといけないことがあるのが分かっていた。だから私は念じた。ロティエル、と彼を呼ぶ。
(力を貸して。もう少し…オルドレイクを葬るまで)
 最初にカノンにやられた傷が完治し、次に背中の傷が治り、そうして切断されかかっていた身体がどうにか修復され始める。
 宝玉を手にしたギブソンが悩んだ挙句に杖を振りかぶり、破壊した。それが一番安全だと判断したらしい。
「これでもう、魔王は召喚できまい」
 私は動くようになった腕を伸ばしてキールのマントを掴んだ。キールはまだ泣きそうな顔をしている。
「キール」
「何だい
「バノッサと、カノンは」
「…二人ならあそこだ」
 他の仲間達に囲まれて、バノッサが何か叫んでいる。カノンが腹部を押さえながら悲しいものを見るような目でバノッサを見ている。エドスが軽くバノッサを殴って、それでバノッサが殴り返して、そんなやり取りが見える。
 エドスが泣いている。それを見たバノッサの動きが止まった。カノンがそのバノッサの拳を両手で包み込んで、静かに何か言う。バノッサが敵意を喪失して俯いたのが分かる。
 私は手に力を入れて身体を起こした。キールが慌てて「まだ動いちゃ駄目だ」と言う。だけど私は首を振って、「まだやることがあるもの」と言ってプラーマに顔を向けた。傷口はもうほとんどくっつきつつある。
『…ロティエルの心配ならいりませんよ』
 私の視線を受けて、プラーマが微笑む。私は少し面食らって、それから参ったなと笑う。さすが聖母。全ての人を癒す、そういう笑顔を持っている。
『あなたの思う通りになさい。彼はどこまでもあなたと共に在り続けるでしょう』
「……うん」
 私はゆっくりと立ち上がった。傷はもう塞がっていた。キールが深く息を吐いて、「ありがとうプラーマ」と頭を下げる。彼女はくすりと笑って、光の粒子となってサプレスへと還っていった。
 地に落ちても離すことのなかった剣を握り締めて、私は顔を上げる。
 最後の仕事。いや、すべきことが、ある。