「揃いも揃って役立たずな子供達だ」
 響いた声。それにゆっくりと顔を上げる。
 長いローブを引き摺って現れたのは間違いなく、あのオルドレイクだった。私は静かに剣を構え、次の言葉を言う暇を与えずに飛ぶ。彼に肉薄し、剣を振るう。その首を刎ねるつもりで。
 けれど予期していなかったことに、召喚術が発動した。すでに呪文を唱え終えて、後は念じるだけでよかったのだろう。パラダリオがその巨大な骸で姿を現し、私を捉えた。目の前に光が炸裂する。
(しまった)
 全身が弛緩して、剣を握る手が鈍ってするりと落ちた。払われるはずだった剣はがらんと地に落ち、私はがくんとその場に膝をつく。翼だけが唯一痺れることを回避したけれど、動きは鈍っている。
「始末するよう言ったというのに、お前のおかげで全てが台無しになったわ」
 すらりと剣を抜くオルドレイクを、私はきっと睨み上げる。びりびりと痺れて身体が動かない。仲間達がこっちへ駆けてきているのは分かる。だけど断然、オルドレイクが剣を振り上げる方が早い。
「わしの手で葬ってくれる」
 その軌道は首を刎ね飛ばすものだった。私はどうしようもなくただ負けじとオルドレイクを睨み返すのみ。
 そして、どすりという鈍い音。予期していなかった衝撃が相手を襲った。
 振り切られる前、まだ振りかぶられていただけの剣。それをオルドレイクが取り落とした。がらん、と硬質な音が響く。
 その背後にはキールが立っていた。無表情に、手にしているダガーをオルドレイクに突き刺している。
「キール…貴様」
 ごふ、と血を吐いたオルドレイクがその場に崩れ落ちた。彼はそれを無表情に見やり、冷たい声で言う。
「親の失態は…息子である僕が償う」
「失態、だと」
「その通りだな」
 一番に駆けつけたバノッサが息を切らせてキールに同意し、手にした剣を構え、憎しみに満ちた目でオルドレイクを睨みつける。
「てめぇが全てを狂わせた。責任持って、死ね」
 そして振りかぶられた剣は正確にオルドレイクの首を刎ねた。悲鳴も何もなかった。ただ口惜しいとばかりに歪んだ顔をしたオルドレイクの頭がごろごろと祭壇を転がっていった。

「…終わったのか」
 キールがぽつりと零して、首のなくなったオルドレイクの身体を見つめた。バノッサがその身体に唾を吐き捨てて、「終わったさ」と言う。
 私は動くようになった身体で立ち上がって、ばさりと翼を動かした。物言わぬ死体となったオルドレイクに特に感慨も何も感じず、ただ剣を拾い上げて鞘にしまう。

 そうして聞いた懐かしいとも言える声に私は顔を上げた。ロティエル? と胸中で彼を呼ぶ。月明かりの下、彼の姿は見えなかったけれど、その存在は身体の奥底に感じることができた。
『結界を修復しなければ。私とお前で』
(結界? 結界って…エルゴの?)
 思わず空を見上げる。そこにひびが入っているわけではないけれど、悪魔が召喚され続けたせいで、結界の穴は確実に大きくなっていることだろう。
『お前は目を閉じて、私に身体を貸すだけでいい。これが本当に最後だ』
(どういうこと?)
『これが終われば、私は消える。結界の礎となって』
 思わず目を見開いて「そんな」とこぼしたら、キールがこっち振り返ったのが分かった。私はただ月を見上げて呆然と返す。
「消えちゃうの?」
『お前の魂は傷つくことはないから安心しろ』
「そうじゃなくて」
 私は首を振った。バノッサが訝しげにこっちを見ているのが分かる。ガゼルが「ああ、お前知らないんだったか。あいつはよぉ」と説明するのが聞こえる。
(消える……)
 ばさり、と翼を動かす。これもなくなる。消えてなくなる。ロティエルの全てが。
『…悲しむことじゃない』
 優しい声に、私は頷けなかった。ただ、言われた通りに目を閉じた。そうすると暗闇の中にロティエルがいた。微笑んでこっちを見ている。
『いつかまた会うだろう。転生の輪にいる私は、死ぬことはないから』
(…うん)
 私は頷いて、意識の全てを彼へと託した。そうして本当の意味でぶつりと全てが真っ暗に途切れて、私は感覚を失う。
 さようなら、と私は言った。さようなら、と声は返ってきた。それが最後だった。
 目が覚めたときには、全てが終わっていた。
 私はフラットの自室のベッドの上にいて、一番最初に見た人はやっぱりキールで、彼は私が目を覚ますと顔をほころばせて私にキスをした。私はロティエルがついに私から剥がれてしまったのだという喪失感に胸がいっぱいになって、彼に抱きついて泣いた。私の中で私を宥めてくれる人はいなかった。私は、人間に戻ったのだ。
「キール、キール」
 彼の胸に頬を擦りつけて泣く。彼が私をしっかりと抱き締めて「大丈夫だよ」と私を慰める。
「これからは僕がずっとそばにいるから」
 私は彼に縋りついて泣く。今更ながらに不安が爆発しそうだった。ロティエルは私にとってとても大きな存在だったのだ。
 私を導いてくれた人。私をいつも見ていてくれた人。どんなときでも私を助けてくれた人。そんな人が、もういない。それがどれだけ不安なことか。
「キール…」
 とめどなく、涙が頬を伝うのを感じながら、私はただ目の前の温もりに甘えていた。
 不安で不安で仕方なかった。ロティエルという加護を失った自分が。その自分の行き先が。
 だけど私は独りぼっちではないのだと、私を抱き締める彼の体温が言っている。
 だから私は泣くのはこれで最後だからとロティエルに言った。もう言葉は返ってこないし彼の存在は感じられないけれど、それでも。
 私はそう誓いを立てて泣いた。キールは飽きずに私を抱き締め続けてキスをしてくれた。私は泣いていた。涙が涸れるまで、ずっとずっとそうしていた。