声が響いていた。途絶えることなくいくつもの声がずっと頭の中でわんわんと響いていた。
 魅魔の宝玉。あれのせいで、サプレスが狂わされていくのが手に取るように分かる。
 悲鳴が聞こえていた。抗えない力に呼び出されていくものたちの悲鳴が。それとは逆に、喜び勇んでこちらの世界にやってくる悪魔の歓喜の声も。
 悲鳴と歓喜の声が混じり合う。判別できない音へと変わる。それが私の中に絶え間なく響く。

 ただ、一つだけ、耳元で聞こえるように近いその声だけが、私を呼び止めている。
 ぽつんと暗闇の中で蹲って耳を押さえている私。その私を包むように、彼がいる。
『意識を手離してはいけない。しっかりしろ』
 そうね、その通り、と私は胸中で呟く。だけど頭が痛くて仕方ない。声がうるさくて仕方ない。これじゃあ何も考えることができない。うるさくてうるさくてうるさくて、本当に、うるさくて。
 彼が私の頭を撫でている。私の背中を撫でて、宥めているのが分かる。
『私を、宿せ』
 その言葉の意味が理解できなかった。え? と小さく呟いて顔を上げる。彼がいる。微笑んでいる。とてもきれいに。
『現実の仲間に隠し通すことはできなくなる。だが、私をその身体に宿せば、少しは楽になるはずだ』
 私は視線を伏せた。それは今更、という気もした。ガゼル達だって薄々感付いていることだろう。私が普通ではないことに。
 だから私は顔を上げて、しっかりと彼を見た。宿すという行為が今までとどう違うのかよく分からない。ただ何かが違うんだろうってくらい。それでも頷く。私は彼を信じていたから。
 わんわんと悲鳴と歓喜の声が木霊する。彼が光の粒子となって私に降り注ぐ。声が、遠くなる。
 闇で満ちていた辺りが私を中心に光で溢れ、見える限り視界は全て白く染まった。そのまま意識も浮上して、私は現実世界へと還る。
 直前に、声がした。彼の声が。
『お前に同化し続ければ、私という意思は消えてなくなるかもしれない。だが私はそれでも構わない』

 お前が苦しまずに生きれるのならばそれで。

「…ロティエル?」
 目覚めてすぐに、私は声を出した。それから目を開けた。ベッドに眠っているのに違和感があって、それが背中から突き出ている翼のせいだということが分かって身体を起こす。私の意思でどの翼も別々に動かせて、まるで手足のように自由さがあった。
(ロティエル?)
 呼びかけても答えがない。私は最後に聞こえた彼の言葉を思い出そうとした。だけどぼんやりとしか思い出せなかった。私は消えてなくなるかもしれない、という言葉だけが心に残っていた。それが私が私でいられる代償なのだと。
「…………」
 呼びかけても答えがないということが、こんなにさみしいことだとは思わなかった。
 人間は独りきりなのが当たり前なのに、ロティエルと一緒になってからはそういう感覚さえ忘れていた。
 背中の翼を身体に巻きつけるようにして、自分を抱き締める。
(ロティエル…)
 ふいに、きしりとベッドが軋んだ。私は驚いて顔を上げる。気付かなかったけれど、ベッドのふちによりかかるようにしてキールがいた。今目覚めたばかりなのか、薄目を開けてぼんやりとこっちを見ている。
「…?」
「キール…」
 背中の翼の隠しようはない。しまおうと思っても、いつものようにいかなかった。こうしたままでなければまた声が聞こえるのだろう。だから彼が、強制的に顕現したのだ。
 キールが私に手を伸ばして、そして抱き締められた。突然だったから思わず言葉を失って、されるがままに彼の胸に顔を埋めてしまう。
「き、キール?」
「…
 彼の手が私を抱く。懐かしいような人の体温。私は温かいその感覚に目を閉じた。
 ずっとずっと寒い場所ばかりにいた気がする。ロティエルも肉体がないから冷たいも温かいも感じなかったし、聞こえる声は皆痛くて仕方なくて、温かいものにしばらく触れていなかった。
「君とたくさん話しをしたい。ずっと…言えないでいたこと。改めて、話したいんだ」
 静かな彼の言葉に、私はそれが何なのか分かっていながら「うん」とだけ返した。彼は翼について何も触れなかった。もしかしたら分かっているのかもしれない。彼は賢い人だから。
「でも一番言いたいことは、一つだけ」
 彼がそう言って私と身体を離した。三十センチくらい開いた距離で、私は彼を上目遣いに見る。キールはきれいに微笑んでいる。そしてこう言った。
「君が、好きだ」