翼を生やしたままなのはやっぱり相当に目立っていた。フラットの仲間には事情を説明したら納得してもらえたものの、何も知らないだろう街の住民にはやっぱり奇異の目で見られていた。それがちょっと痛い。
 だけどそんな視線から私を庇うように、キールはいつも側にいてくれた。
「体調は良好かい?」
「ロティエルのおかげで、全然大丈夫」
 最終決戦に向けての買い物を済ませて、彼と一緒に紙袋を抱えてフラットに戻った。久しぶりに自分の足で歩いたり食べたりしている感じがして、最後の戦いが近いのに少し嬉しくてスキップを踏んだ。
 ちゃんと身体は動く。私の思い通りに。
 私の斜め後ろからキールの忍び笑いが聞こえて振り返ったら、やっぱり笑っていた。可笑しそうに。
「元気になったね。良かった」
 彼はそう言って微笑む。私は照れ臭い感じがして視線を伏せて、「ありがとう」とだけ言って前を向く。

 キールに好きだと言われた。私はキールに対してまだ好きとかそういう感情を持っていなかったから、ごめんね分からないと返した。彼は少しさみしそうに笑ったけれど、それでもいいよと言って私に口付けた。僕が君を守るからと、そう言って。

 私はばさりと背中の翼を動かした。飛ぼうと思えば飛べるのだ。だけどそれだとなんだかより人間から遠くなる気がして、気が引けた。まだ一度も、キールを助けるとき以外、飛んだことはない。
 フラットに帰って仲間と合流して、いよいよ、バノッサのもとへと向かう。サイジェントの北部の山奥、そこにキールが育った場所があるらしい。そしてそこで召喚儀式の準備がされているはずだと彼は言う。
「ひどい有様になってるだろうから…覚悟しておいた方がいいと思う」
 彼の言葉に、私は頷くまでもなかった。腐ったような木々が林立するその場所からは、あの宝玉の気配が伝わってきていた。近くにいるんだ、と私は翼を震わせる。
 悪魔の気配がたくさんしていた。数え切れないくらいに、そして絶え間なく、増えていた。
「なんでこの森、こんなにひどい有様なんだ?」
 ガゼルが薄気味わりぃと悪態を吐きながらそう言うと、キールは視線を伏せて「…悪魔を呼び出す実験を続けてきたせいだ」と沈鬱そうに口にした。
「オルドレイクの子供達は、否応なく召喚術を学ばされた。才能のないものは暗殺者へと仕立てられた。…そういう、ろくでもない場所さ」
 遠い目をして彼がそう言って口を噤んだ。ガゼルがバツが悪そうに黙り込む。
 私はただ進行方向を見ていた。
「…来るわ。皆構えて」
 すらりと剣を抜く。黒くただれた木々の間から悪魔が顔を出す。その顔は玩具を見つけた子供のように、けれど暗く妖しい笑みを浮かべている。
 その悪魔の軍勢に混じるようにしているのが、人間。多分無色の暗殺者。
「この森のせいで気配が読めなかった」
 じり、と拳で構えを取ってジンガが前線に出る。ナイフを抜いたガゼルが舌打ちして「結構なお出迎えだな」とぼやく。
 私はとんとキールの背中に背中を預けた。翼が邪魔をしたけれど、それでも彼の体温は感じられた。
「キール」
「僕は全力で君を援護するよ」
 そう言ってキールは杖をくるりと回した。そう、悪魔はサプレスの属性だから、同じ属性の召喚術はあまり効果がないのだ。だから彼は援護に回る方が多くなるだろう。
「私は怪我しても治るから、皆の方お願い」
 そう言ったら、彼は驚いたように私を振り返った。私は彼を見ずに剣を構え、標的である悪魔を見据えながら念押しした。
「お願いね、キール」
 駆け出そうとすれば、ぐいと腕を引っぱられて危うく転びそうになった。彼の腕にぼすんと納まる形になって「キール」何するのと声を上げそうになった。だけどそれは叶わなかった。彼が、キスしてきたから。
 目を見開けば、周りの仲間も唖然としているのが見て取れた。こんな状況なのに、キールったらもう、しょうがない人だ。
「…無茶だけはしないでくれ」
 とん、と私の背中を押して、彼が召喚術を発動させた。私は頷いて今度こそ駆け出す。唇に触れた熱がまだ残っていたけれど、それもすぐに消えた。
『天使…天使か貴様ああぁ!』
 私の背中の翼を見て、悪魔が声を荒げたのだ。確かに天使を宿しているだけあって反論はできないので、私はただ怒り狂う形相でこっちへ向かって槍を振るってくる敵を迎え撃った。
 すさまじい形相だけあって、その力もすさまじかった。薙ぎ払われ弾き飛ばされる。背中の翼が自動的に動いて私はすぐに地に足をつけて、剣を振るう。がぃんと槍の柄に阻まれた攻撃。金属音。悪魔と、至近距離で顔を合わせる。
『死ねえぇ』
 呪詛のように言葉が聞こえる。私はずきりと頭に痛みを覚えて一瞬顔が引きつった。覚えのない感覚が、身体の奥から湧き上がってくる。悪魔を滅さなければという感覚が。
「…死ぬのはお前だ」
 がんと剣を振るって悪魔を弾き飛ばし距離を取り、すぐに剣を構え直して翼で空を飛び悪魔へと突っ込んだ。槍の柄を貫通して剣が深々と悪魔の胸に突き刺さる。憎しみに歪んでいるその形相がさらに歪む。
『貴様あぁ!』
 悪魔がその手を伸ばして私の頭が掴んだ。私は片腕を伸ばして悪魔の顔に掌を向けて「滅せよ」と口にする。人間ならできるはずもないことを、身体ができると教えていた。私の掌から光の弾が至近距離で発射されて悪魔の頭が吹き飛ぶ。跡形もなく粉々に。
 それでもなお私の髪を掴んでいる悪魔の手を剣で斬り飛ばして、私はこちらへ斬りかかってくる悪魔へと剣を向ける。悪魔を葬らなくてはと思う。敵だから。そう、敵。
 私は剣を振り上げて狂気に満ちた顔で笑っている悪魔に突っ込んでいった。その攻撃をすんでで避けてわざと少し腕を斬られてみせて、その顔が私を斬ったという事実にさらに歪んで隙ができたところに相手の首を刎ね飛ばした。少しの慈悲もなく。
「…悪魔は滅する」
 私の口から、私のものでない言葉が漏れる。
(ああそうか。これは…)
 束の間、私は目を閉じた。
 これは私の感覚ではない。天使として悪魔と戦う宿命を義務づけれらたロティエルの感覚だ。彼が宿っているから、私は彼の思いを感じて動いているのだ。この身体はロティエルとしての感覚を持ち、そして私という感覚を持っている。そういうことだろう。
 瞼を押し上げて剣を振るって血を払う。ぱっと赤い色が散る。無色の派閥の暗殺者の方には目もくれず悪魔へと突っ込む。

 悪魔を滅さなければ。
 それはロティエルとして残っている、最後の感覚だと思った。