彼は変わり者だから。だから関わるのはよしなさいと、大人の人によく言われた。
 彼の、ドワーフに育てられた人間、という一般じゃない風変わりな環境のせいだろう。ありふれた風景と日常の中に埋もれる村の人たちは彼の風変わりなところを嫌っている節があった。
 私はそのことにうっすら気付いていた。だけど知らないふりをしていた。
 ロイドという人は誰にでも平等に接していたし、誰かのために怒るときもあれば誰かのために手を貸すこともある。リフィル先生の授業はほどほどにサボってチョークの一撃をくらって椅子から転倒したり、クラスでのドッジボール大会でも年齢がばらばらな子供たちのために手を抜いていたり。少なくとも私には、ロイドが変わり者には見えなかった。彼はこの村で神子と呼ばれるコレットにも平等に接していた。彼は優しかった。少なくとも私はそうだと思った。
 神子がいるということでどこか閉鎖的なこの村で、彼は彼だった。ロイドだった。私はそんなロイドをよく知っている。正しくは見ている、の方なのかもしれないけど。
 それでも見ていた。この何年もずっと彼を。
「…あ。ノイシュ」
 その日も学校が終わった。彼はいつも村の外の森を抜けてここへ、学校へやってくる。それで毎日走ってきてるのかと言ったらそうじゃない。このノイシュに乗ってやってくるのだ。
 最初こそ犬よりずっと大きくて怖いかもと思ったけど、彼がノイシュと一緒に学校にやってくる度に見かけていたから、もうすっかり慣れてしまった。
 たまたま見回りの人がいなかったからよかった。門前というか門の横でぺたんと座り込んでいるノイシュを呼べば、ぱたんと耳が一つ動いてノイシュが顔を上げた。人を乗せられるくらい大きなノイシュだけど、その実怖がりらしい。私が近づこうとすればぱっと立ち上がって距離を保つように後ずさりする。私はそれにもすっかり慣れた。
 だからあえて近づかず、そこで立ち止まって膝を折る。座り込んでぽんぽんと隣を叩いた。ノイシュはじっと私を見つめたまま動かない。
 だいたいいつものやり取りだ。学校が終わってロイドがここにくるまで、ノイシュはどこかしらで彼を待っている。そして私は最近ここに、ノイシュがいそうなところにロイドより先にきている。
 今日は宿題が終わってない罰とかでロイドはリフィル先生の補習授業を受けてるはずだ。だから彼はまだここにはこないだろう。
「ノイシュ。今日ロイドは補習受けてるよ。リフィルせんせ気合い入ってたから、もうちょっとかかるかも」
 相変わらず距離を保ったまま、じっとこっちを見つめる視線を感じながら独り言のようにそう漏らす。体育座りでざわと風にそよぐ森を見つめて、ロイドのそばで受ける必要のない補習を一緒に受けてるコレットを思って目を閉じる。
 神子さまだ。世界が待ち望んでいた、人々が待ち望んでいた、この世界を救う人。そんな大業を成し遂げる人のそばにもロイドはいた。普通に接していた。全然普通だった。今までも、そしてこれからもきっとそう。
(でもそれももう終わる。この時間も、もう終わるんだ)
 さくと足音がして瞼を持ち上げる。視線だけずらせばノイシュが一歩こっちに寄ってきたところで、私と目が合うとちょっと動きを止めた。だけどまたさくと一歩踏み出して私のそばにきて、くーんと鳴いて私の頭をこつと鼻先で叩く。
 そっと手を伸ばしてノイシュの頭を撫でてみた。くしゃくしゃな毛並み。ロイド、きちんとノイシュ洗ってあげてるのかな。心配。
(今年で、16年目。神子は16の歳に信託を受けて世界再生の旅に向かう…今年中。もう、あと少し)
 コレットは。あの子は何を思ってるだろう。ロイドはどうするのだろう。旅に出なくてはならないコレットに、ロイドはついていくのかな。分からない。コレットはロイドと一緒にいて初めて笑う。知ってる。神子さまだからってあの子がこの村で特別扱いで、普通に接してもらえないことをさみしく思ってることも。そしてそのさみしさをロイドが取り払ってくれたことも。
 神子さまだ。でもロイドは、いつかにこう言って笑った。コレットはコレットだろ、と。
 私は、その通りだ、と思った。

「あれ」
「、」

 声がしてぱっと顔を上げる。ノイシュが私の隣からすり抜けて声の主のところに、ロイドのもとへ駆けていく。タックルに近いそれを受け止めたロイドが笑う。「こらノイシュ、村ん中入ってくるなって言ったろ」と。はっはと舌を出してわんと鳴くノイシュに、彼の言葉は伝わってるのかどうか。
 そして彼が私の方を見て首を傾げた。「何してんだ? 」と。
 名前。憶えてくれてる。よかった。そんなところにほっとしてる自分が我ながら馬鹿らしい。この間はえーと誰だっけとか笑われちゃったの少し傷ついたとか、そんなの内緒の話。
 ぱっと立ち上がって服の砂埃を払った。「べ、つに。ノイシュがいたから、ちょっと一緒にいただけだよ」と言えばロイドがちょっと驚いたって顔をして「へぇ、村のやつはみんなノイシュが苦手かと思ったけどそうじゃないんだな」とか言うから。だから私はむくれて「こないだもここにいたのに」と漏らす。あははと彼が笑って「嘘だよ憶えてる、ノイシュが怖がらないんだ。お前いいやつなんだろ」と、でもそう言われて私は口を噤んだ。いいやつ、ってどんな人だろうか。私は。
「ねーロイド」
「ん?」
「信託が下ったら、どうするの?」
 村の外へと一緒に歩いていきながら、私は訊いてみた。案の定というか彼が困ったなって顔をする。想像してた通り、ロイドは本当に昔から変わらずだ。
「どうする、ねぇ。どうするかなぁ。はどうするんだ?」
「私?」
「俺にきいたんだから、は何か考えてるんだろ?」
 きょとんとした顔で言われて、そんなこと言われると思ってなかった私はむむと眉根を寄せて。そもそも信託が下ったら下ったで神子が、コレットが旅に出るんであって、私は。私たち普通の人は、世界が救われるのをただただ。
(…なんかやだな)
 神子に。コレットに全てを押し付けて、世界を救ってもらったとして。それで本当に顔を上げて生きていけるんだろうか。今確かにこの世界のマナは枯渇し大地は疲弊し磨り減って、魔物は増えて、ディザイアンの横暴は止まらない。今の世界は確かに嫌だ。でもじゃあマナが溢れ、大地が潤い、魔物もディザイアンもいなくなった世界が訪れたとして。私は。
「…ロイドは」
 小さく口にする。「うん?」と首を傾げた彼はノイシュにまたがろうとしているところだった。もう行ってしまう。そうしたらまた明日にしか会えない。今のうちに何か言わなくては。何か。残り時間はもう少ない。何か。何か。
 顔を上げて彼を見て、だけど言葉が。出てこない。不思議そうにこっちを見てるロイドがいる。
「どうした?」
「ロイドは。行っちゃうの?」
 小さく漏れた言葉。それは多分本音だった。
 彼と二人になれる時間なんてすごく少ない、分かってる。そしてきっと彼が、ロイドがコレットについてくことも私は分かってる。コレットはロイドが好きなんだと思う。神子として生まれて普通の扱い一つ受けてこれなかったコレット、そのコレットに普通に接したロイド。笑って怒って泣いて助けて、全部普通に当たり前にしていた彼。憧れだった。それまで一人で誰もそばにいなかったコレット、そのそばにロイドがいるようになった。コレットはきっとすごく嬉しかったんだと思う。直接長く話したことはないし、会話したのも多分指折り数えて足りるくらい。だって神子さまだ。周囲がそう囁いた。だからこそ彼女はいつも一人だった。
 周囲。そういうものを無視してコレットに接したロイド。周りに流されず貫くものを持ってるロイド。だからこそ周囲は言う。彼を風変わりだと、何かと理由をこじつけて。
 私は、憧れだった。周りに流されず色んなことを当たり前にしている彼が。当たり前に助けて当たり前に意見を言って当たり前にサボって、当たり前に自分を貫いて。憧れだった。ずっと。
「んー、そりゃ。今から帰るけどさ」
 ノイシュの上から手袋に包まれた彼の手が伸びて、ぽんぽんと私の頭を叩いた。「明日だって学校なんだし、また会えるだろ。何泣きそうな顔してんだよ」と言われて私はぐっと唇を噛み締める。目を伏せて「泣いてない」と返してぷいとそっぽ向いた。ロイドが困った顔をして、それから気付いたように陽が暮れ始めてる空を見上げて「やべ、夜になる。親父にどやされる前に帰らないと」と漏らした。だから私はその隙にぐいと袖で目元を擦ってぱっと笑顔を浮かべる。「うん、帰った方がいいね。夜は危ないから」と言った。ロイドがぽんとノイシュの背中を叩いて「そーする。じゃあな、また明日!」と言って、ノイシュが駆け出した。だから私は手をメガホンにして「またねーっ」と返す。ノイシュの背中で彼が手を振る。それがすぐに遠くなる。
 そして、彼がいなくなって。私は一人門前に立ち尽くしていた。
(きっとこう。こんなふうに、彼はいなくなる。いつもの顔で、いつもの彼で、自分を貫いて)
 だけど。真っ直ぐな彼を曲げさせるようなこと、私はしたくない。
 だから私はしまいこまなくては。この気持ちを。コレットのためにも、ロイドのためにも、世界のためにも。
 まだ時間はある。あと少しだけど、それでもこの切ないくらいの毎日は続く。まだ世界は変わらない。変わらないうちに、変わってしまう前に、私はせめて自分の中の後悔の念を片付けておこう。もっと話しておけばよかったとかもっと一緒にいればよかったとか、もっとこうすればよかったああすればよかったってあとから思うんじゃなくて、今できることをやろう。それが自分のためになる。きっとそう。だから、

さよならをいう練習を
(だから私は、この気持ちをしまいこむ)