本日の宿題でどうしても分からないところがあって、逡巡した挙句、学年トップを維持する人のところへ手土産のクッキー片手に訪問したところ、ズバッと言われた。
「お前、こんなのもできねぇのか? それヤバいんじゃねーの?」
 しゃくしゃくクッキーを食べながらの言葉に正直グサッときた。「…だからこうして真広に指導をお願いしてるんですけど」と恨みがましく言い返す。クッキーを食べながらどかっと向かい側のソファに腰かけた彼は面倒くせぇという顔を隠さない。
 真広はいいよ。教科書を一度読んだくらいですんなり全て憶えられて、頭の回転だって早くて、生まれた家も資産家の実業家でさ。おまけに喧嘩も強くてかっこいいしね。金髪とピアスが似合ってて、いいよね。私だってそんな条件下に生まれてみたかったな。
 そんなことを思っていても目の前の宿題は片付かないので、くそう、と歯噛みしながらもう一度分からない部分の式を睨みつけ、もう一度解いてみる。真広はクッキをかじりつつ私の手元を見ていた。
 面倒くさい、なんでオレが。そういう顔をしながらも、相応の対価があれば真広はきちんとやってくれる。たとえば今日は手作りクッキー。これがあるから面倒くさそうにしながらも私の勉強を見てくれるのだ。
「そこ」
「え、」
「違う。そこから間違ってんだろ」
 え、ともう一度こぼしてたった今書いた計算式を見つめた。真広が言うのだから間違いはないだろう。でもどこが違うのか。じっと自分の数式を見つめて考える。自分で見つけないと、次もまた間違える。
 たっぷり一分は悩んで、式を書き直す。それからちらりと真広の顔色を窺う。相変わらずクッキーをかじっている真広は何も言わない。ということは、これで合っているってことか。
「つーか、なんでオレんとこ来るんだよ。吉野んとこ行けよ。あいつの方が教えるのとか向いてるだろ」
「…一応言っとくけど、私は吉野より成績が上。勉強に関しては真広に訊くのが一番って思ってる」
 ふーん、とどうでもよさそうにぼやいた真広はクッキーを食べ終えた。おいしかったのか、袋の中の粉まで全部口に入れて咀嚼している。
 シャーペンで最後の解を導き出して記す。真広は私の答えを一瞥してパンと袋を潰した。
「ねぇ、おいしかった…?」
 そろりと訊ねてみる。彼は首を捻って「ああ、うまかった」と普通に感想を言った。ぱっと自分の表情が明るくなるのを自覚する。
「今度は何がいい? ご飯系も作れるよ? キッシュとか」
「オレんとこ来るの前提かよ」
 くく、とおかしそうに笑う彼にはっとして、視線が彷徨う。「だって、私、計算式苦手だから…だから、きっとまた来るし……」我ながら滑稽な言い訳だったと思う。真広はそれ以上茶化すことなく「そうだなぁ、甘いもんはもういい。ひと通り食った気がするし。次はもっと腹に溜まるもんにしろ」と口角を持ち上げて笑う。期待してるぜ、って顔だ。「うん」と私も笑う。任せて、と。
 帰り道、私は吉野を捕まえて夕方で人気のなくなった公園に連れ込み、このことを話した。
 ベンチに座って、人一人分開いた距離で、缶のカフェオレを手に聞き役になっている吉野に今日の真広の反応を聞かせる。
「どうかな? 同じ男子目線から見てどう? 脈あり?」
 詰め寄る私に吉野は困った顔をする。「えっと…僕の意見が参考になるのかなぁ」「なるなる。吉野は真広に一番近い場所に立ってるもん」はぁ、とはっきりしない相槌を打った吉野の視線が泳ぐ。なんでそんな反応なんだ、吉野。私の手応えではイケるって思うんだけど。
「えっとさ。怒らないで聞いてね」
「うん」
「…真広は年上が好みだから…じゃ響かない、って言えばいいのかな。多分、単純に幼馴染のよしみだとか、そんなふうに思ってるよ、あいつは」
 カチコチカチ。吉野の困った顔を見つめて三秒ほど考えて、自分を見下ろした。
 年上。私じゃ響かない。それってつまり…真広はグラマラスボディが好きとかそういうことか。女に色気を求めるというか。そういえば、彼の女遊びって常に年上で大学生とか社会人とかって聞いた気が、する。
 まっ平らとまではいかなくても、すっとんボディに近い私じゃ、真広に恋愛対象として見てもらえないってこと…か。
 途端にズドーンと落ち込んだ。そんな私に吉野が慌てる。「ああえーとあくまで僕の意見だし、そうとも限らないから。恋愛ってそういうものだと思うし」「…うん……」しかし、あの真広相手に限りなく無謀であるということは理解した。
 真広は曲がったことを嫌う。まっすぐだ。好きなものや嫌いなものにもまっすぐだ。自分を通す。そんな真広の恋愛感性を曲げようと思ったら、壮大なる努力や想いを注ぎ込まねばならないだろう。少なくとも今のままじゃ駄目だ。真広の中には響かない。
 ズドーンと落ち込んでいる私に吉野は困り顔だ。
 …そういえば吉野、彼女いるんだっけ。そんなことを唐突に思い出して、いいなぁ、と思う。
 私は真広に片思いして何年だろう。そろそろ実ってもいいんじゃなんて思ってたし、今日の手作りクッキーの反応だって悪くなかったし、なんて思ってたけど。私、まだまだなんだなぁ。幸せは遠いなぁ。
「いっそ、好きなのって告白した方がいいのかな…?」
 ぽつりとこぼした私に吉野は目を丸くした。「そりゃあ、それをきっかけに真広もを見る意識が変わるだろうけど…それは同時に、答えが出るかもしれないってことでもあるよ」それでもいいの、と首を傾げる吉野。私は眉根を寄せてカフェオレをすする。
 それは、ちょっぴり怖いよ。長年想ってきたんだもの。バッサリ切って捨てられたら傷つくよ。きっと泣いちゃうよ。
 でも。私の頭の中の半分くらいは常に真広で埋まってる。そこのところをいい加減伝えたいし、知ってほしい。
「…怖いけど。でも、私。やっぱり真広が好きだし。譲れないし…。きっと傷つくけど、でも、それでおしまいになるほど弱い情熱でもないの。って、分かる?」
「うん。分かるよ」
 やわらかく笑った吉野が「僕は、真広にって手綱がついてくれると安心だけどね」なんて言う。
 吉野は曲がりなりにも私を応援してくれてるのだ。そう思ったら心強くなった。
 よし、と決意を固める。
 今年はあげよう。バレンタインチョコ。去年までは幼馴染だからとかって誤魔化して義理チョコみたいな形で渡していたけど、今年はちゃんと本命なんだって気持ちを込めて作ろう。決めた。
 ぐっと拳を握って「よし、じゃあ今年は真広に本命チョコちゃんと渡す」と決意表明。それから付け足して「玉砕したら吉野の胸貸してね」と舌を出すと、彼は困った顔をした。「僕は彼女いるんだけど…」「そこをなんとか」ぱちんと手を合わせて拝む。幼馴染だからこそできるようなやり取り。吉野は困った顔で笑って指で頬をかいていた。
 さて、それで、私の運命の日がどうなったかといえば。
 2月14日、バレンタイン。私はお手製チョコタルトケーキのホールを箱で包んで不破家を訪れた。
 心臓? そんなのずっとバクバクしてますよ。今にも口から飛び出そうだよ。
 リンゴーンと洒落た音のあとにお手伝いさんが出て、相手が私だと分かるとすぐに真広を呼んでくれた。
 真広は訪れた私に首を傾げた。ラフなジャージの格好だ。そんな姿でもかっこいいなぁと思う自分は彼にべた惚れである。いやんなっちゃうくらい。
「なんだこれ」
「バレインタインのチョコ」
「そりゃ見りゃ分かる。そうじゃなくて、このでかいハート型ホールと愛って字は何かって言ってんだよ。去年はフツーにお手製菓子だったろ」
 チョコタルトケーキをホールで、しかも愛って大きく書いたやつを、真広の家に押しかけて渡した。当たり前のツッコミがくる。ドキドキと飛び出しそうな心臓を抑えつけながら、「あの」と勢い込む私。真広は相変わらず首を捻ってチョコタルトを見下ろしている。
「あの、真広」
「あ? んだよ」
「私、あの、ずっと真広が好きでした!」
 後半の声が裏返った。はぁ? と顔を顰めた真広が私を見る。その目と目が合う。ドキドキする。吉野と目が合うのとはまた違う。「今も好きなの。だから今年は、そういうのにしたの」ハート型のチョコタルトと愛って字を指すと、ああ、とぼやいた真広が参ったなって顔でがしがし髪をかいた。
 大丈夫。傷つく覚悟はしてきた。
 今までだって真広の何気ない一言や悪気のない行動で傷ついたことは多々ある。そんな私に真広のカバーをしたのは吉野だ。吉野がいなかったら私は真広のいいところを見つけられなかったかもしれないし、今もまだ想っていなかったかもしれない。真広がいて吉野がいた。そして私がいた。だから私は、真広が好きなんだ。
「あー。それ告白か?」
「うん」
「…ちっ。吉野、こういうことかよ。早く言えっての」
 え? と首を傾げた私に「こっちの話だ」とぼやいた真広が上から下まで私のことを眺めた。悩むように腕組みして「けどなぁ。オレはお前のこと幼馴染と思っててだな…いきなり女として見ろってのは…」ぶつぶつ言ってる彼に一歩詰め寄る。「真広、私のこと嫌い?」「いいや。料理はうまいし、図々しさもないし、控えめな奴だと思ってるよ」「じゃあ好き?」「…それは分からねぇ」渋い顔をした真広に肩を落とす。
 そうだよね。うん。今まで恋愛対象として見てもらえてなかったんだもんね…。それで好きとか嫌いとか訊くのがあれなんだよね。うん。
 しかし、私は諦めないのです。
 ぐっと拳を握って顔を上げる。「私、真広のこと好きよ。ってこれからもアタックするから!」びしっと指を突きつけると軽く仰け反って指を避けた真広がにやりと笑った。意地悪な顔だ。「へぇ。宣戦布告か」「そう」諦めないからと胸を張る。そう、絶対、諦めないんだから。
「ま、とりあえず憶えといてやるよ。その盛大な告白と、こいつの味くらい」
 とん、とケーキの入った箱を指で叩いた真広の尊大な態度と、笑った顔。
 ここから、私の長い長い恋の戦いが始まるのであった。