好きになるって、こういうことか

 ヴァンの余計なお世話のせいで地核から生きて戻ってしまったボクは、どこかに逃げ延びたはずのルークを探した。だけど情報らしいものは一切なく、ダメもとでダアトの自室に戻ったら、ルークが着ていた服と仮面が置いてあった。
 それだけで全部分かった。馬鹿なルークのことは、ボクが一番よく知っている。
 …逃げろって言ったのに。あいつはここへ戻ってきて、馬鹿みたいに、殺されたんだ。
(馬鹿。馬鹿。馬鹿。馬鹿だよルーク)
 仮面と服を抱き締めて、ボクは泣いた。生きて戻るんじゃなかった。そう後悔した。
 ルークに会えると思ったからこそ、ボクはヴァンの駒として生き続けることを選んだのに。その君がいないんじゃ、ボクは、何のために戻ってきたんだよ。
 泣き疲れて涙も涸れた頃。ボクはようやく動き出し、ダアトを抜け出して、ヴァンにルークを作るように願い出た。それさえしてくれればどんなことでもすると誓うと、ヴァンは仕方がないって顔でディストにルーク作成を命じた。
「そういえば、あのレプリカにはどんな教育を施したのだ」
「…どういう意味」
「アレは、私に消されることを承知でお前の部屋に留まっていた。そして、お前が生きていないと知ると、自らが生きている理由もないと言って笑ったよ。無抵抗のままだった。…あ奴はそれなりに個を確立させていた固体だろう。どういう教育をするとあそこまで忠犬になれるのかと思ってな」
 後半は嫌味のような言葉だった。だから前半部分だけを反芻し、「別に。フツーのことしかしてないよ」と吐き捨てて、まだふらつく身体で廃墟の施設内を歩き、適当な部屋の適当なベッドに転がった。
 …目を閉じれば思い浮かべることができる。
 ボクがいなくなり、ボクがいた場所で呆としていたルークを探し当てたヴァンが、剣を抜いたこと。そのヴァンにボクのことを訊いたルークのこと。ボクが生きていないと聞かされ、剣を向けても無抵抗のルークに、何故かと問えば、ボクがいないなら自分が生きている理由もない、と笑った彼を。
「馬鹿…っ」
 埃っぽい布団を力任せに叩く。何度でも。それで咳き込もうとも、何度だって何度だってベッドを叩いた。
 それも、一分もすれば疲れるだけの行動に変わり、ぱたりと手を下ろして細く息を吐く。
 眠る暇などないだろう。ルークが作られるときにボクも立ち会わなければ。
 三十分ほどベッドに沈んでから、よろけながらも起き上がり、来た道を戻って、フォミクリー装置が休みなく稼働する部屋に顔を出す。流れる動作で操作盤を叩くディストが「おお、いいところに来ましたねシンク。今からルークを作成しますからね、あなたはその辺りにいてくださいよ」「はいはい」…その台詞を聞くのももう何回目だろうか。
 低い駆動音を響かせる音機関の横にある台座の上に、光が溢れて、そこに、よく知っている人の姿が形を成す。
 またやってしまった。そんな後悔と、また会えた、という安堵とで、自分の中がぐちゃぐちゃになる。
「ルーク」
 呼びかければ、その瞼が震えて、うっすら開いた瞼の向こうに青い瞳が覗く。音機関の光に照らされて緑色をしている手を握れば、彷徨った視線がボクを捉えた。
「だれ…?」
 ああ、そうだった。そうだったね。
 ぽた、と落ちた涙に構わずに「ボクはシンク。君はルークだ」と告げれば、何度か瞬きを繰り返した彼が「おれがルークで……おまえ、が、シンク…」「そうだよ」手を引いてルークが起き上がるのを手伝い、持ってきた彼の衣服を着せるのを手伝う。
 後ろでどんどん出来上がっていく他のレプリカはどうでもよくて、ルークだけが、彼だけが、ボクには必要だった。
 また一から全て教え直しだ。これで何回目だろう。
 これを飽きずに何度でも繰り返すボクは、相当狂ってる。君に、狂ってる。
†   †   †   †   †
 俺がルークとしてこの世界に生を受けてから、二週間か、その辺りの頃。シンクから教わっていた勉強を活かせる初めての仕事の場をもらった。それは、導師イオンを誘き出す、という結構重要な役目の仕事だった。
 といっても、俺がやることなんてそうない。ただちょっとダアト内を一人でぶらついて、夜の教会に忍び込んで、聖堂にいればいいだけの、それは俺がやらないと駄目なんだろうかって首を捻ってしまうような仕事だった。
 だけど仕事は仕事だ。シンクも任せてくれたのだから、俺は俺のできることをしっかりしなくちゃ。
 そうやって忍び込んだ聖堂に、導師様はやってきた。
 初めて見た導師イオンは、シンクとそっくりの顔をしていた。
 その導師様しか読めない惑星預言というものを詠ませるのが大詠師モースの、シンクの上司の目的だ。俺はその手伝いをした。
 途中で、導師に、それは俺の望むことなのかと訊かれて、悩んで、そこへシンクがやって来て、考えなくてもいいと言った。だから俺は考えることをやめてシンクに従った。
 熱い、と感じる火山で惑星預言を詠む導師のそばに立って。だんだんと苦しそうになっていく導師を眺めていた俺は、ふと、これでいいのかな、と考えた。
 仕事だった。こうすることがモースの望みだった。
 でもシンクは? シンクは、仕事でここにいるけど、シンク自身はこれを望んだんだろうか? 自分と同じ顔の、同じ声の、同じ姿の奴が、こんなふうに苦しむことを。シンクは望んだのだろうか。
 力尽きたように崩れ落ちた導師を抱き止める。イオンは、息も絶え絶えだった。

「ルーク。ずらかるよ」
「う、ん」

 俺から言う敵。イオンから言う仲間が来て、神託の盾とやり合っている中、そっとイオン地面に横たえた。震える手が縋るように俺の手を握っている。揺れる翡翠の瞳に「さようならイオン様」とこぼし、その手をぎゅっと握ってから離して、俺はシンクと一緒に熱い暑いザレッホ火山を抜け出した。
 それから少しして、新生ローレライ教団を設立した大詠師モースに従い、俺とシンクは新生教団の預言士として市民に預言を詠んで聴かせ、それと同時にレプリカ情報を抜き取る、ということを続けた。
 何でも、それがシンクの上司の人達には必要なんだそうだ。
 深く考えなくていい、というシンクに、思考を閉じた俺は、作業的に預言を詠み、レプリカ情報を抜き取る、という生活を続けて、エルドラントという、空に浮かび上がった島に一度引き上げた。
 今日からはここが家だとシンクは言う。

「貴族が住んでた屋敷を再現したところがあるんだ。そこへ行こう」
「うん」

 シンクに手を引かれて歩き、どこを見ても青い空しか見えない場所で、俺達はしばらく二人だけで過ごした。
 勉強や日常生活のこと、剣のこと、体術のことをシンクから習い、ようやく様になるくらいに会得できたのは、それから一ヶ月ほどたった頃だった。
 エルドラントから見下ろす景色が日に日に曇りがちになり、きれいだと思った景色を、濁っている、と思うようになったその日。定期健診のためにディストという六神将の一人を訪ねると、いつも部屋で機械に向かっていることが常のディストがいなかった。シンクはそのことに吐息して呆れた顔で腕を組んだだけ。
「ディストいないな。健診って普段うるさいのに」
「…いない方が悪い。帰るよ」
 さっさと歩き出したシンクに続いて薄暗い部屋を出て、不自然なところで途切れてそのままの壁の向こうにまた青い空を見る。ちかちかと眩しい陽射しに手をかざして足を止めれば、少し行ったところでシンクも足を止めた。
「ルーク」
 聞き慣れた声に呼ばれる。
 ルーク。それが俺の名前。
 ルークは、世界にもう一人いる。俺はただのルークだけど、俺達から言う敵の側に、ルーク・フォン・ファブレという人がいる。声も顔も姿形もそっくりの奴。
 俺はレプリカ。あのルークも、レプリカ。本物はアッシュという名前で生きている。
 俺はよく知らない。どうしてこんなことになったのかも、どうしてここにいるのかも。
 ただ、シンクが、泣きそうなのを堪えたような歪んだ顔で俺に手を差し伸べるから。俺は、シンクに求められて、その手を取るだけだった。
 その後、いい加減仕事しないとねとぼやいたシンクに連れられてエルドラントを下り、アッシュを捜した。アッシュの持つローレライの剣とやらが、俺達側にとっては邪魔なんだそうだ。それを奪うか、破壊するか、それが俺達が今回任せられた仕事だった。
 アッシュは漆黒の翼という手駒を使って上手く俺達をかわしていた。
 ようやく接触できたときも、シンクとアッシュの意見は真っ向からすれ違い、そうだろうなとは思ってたけど、戦闘になった。
 俺はシンクを補佐して戦った。だけど漆黒の翼をプラスしたアッシュ達に紙一重で及ばず、逃げられてしまった。
 正しくは、俺がアッシュに斬りつけられたから、そのことで状況を見失ったシンクの隙を突いて向こうが撤退したのだ。
 げほ、と咳き込んで、血の混じった口で言の葉を紡ぐ。アッシュに斬られた傷に掌を当ててファーストエイドをかけながら、泣きそうなシンクに、俺は笑った。
 変な顔だ、シンク。そんな顔しなくたって、お前が望めば、俺はまた生まれるのに。
 俺の傷を癒すため、と言い張って、渋い顔をする六神将の面々を無視してシンクがエルドラントに帰還し、問答無用で部屋に引っぱり込まれて、療養に専念していたある日のことだ。
 シンクが俺と同じベッドでぐっすり寝ていたとき、カッ、と空に眩い光の柱が立ち上った。その眩しいことにびっくりして起き上がった俺と、光で目を覚ましたんだろうシンクが眠そうに片目を開けて空を見上げて、興味を失ったように瞼を下ろした。
「あれ何?」
「…障気を中和するための、第七音素の塊だよ」
「中和…? そんなことできるのか?」
「理論上は可能。ローレライの剣さえあれば…」
「ローレライの剣? アッシュが持ってたアレ?」
「……結局あいつも宝玉を隠し持ってたわけだ。まぁ、どうでもいいんだけど」
 ごろんと転がって俺を見上げたシンクが手を伸ばした。手袋をしていない手が俺の頬を撫でる。眩い光のせいか、いつもより陰影の濃い表情は、今にも壊れそうだ、と思った。
「ヴァンに怒られるかもね。ローレライの剣と宝玉、どっちでもいいから奪うか破壊するかしろって言われたのに、ぐーたらしてたし」
「でも、シンクはちゃんとアッシュを捜したし、ローレライの剣を奪うか壊すこと、しようとしてたよ」
「…結果なんだよ。あいつにとって過程は問題じゃないのさ。結果よければ全てよし、なんて言うだろ」
「じゃあ、結果が悪いのは駄目なのか?」
「よくはないだろうね」
 そうなのか、と俺が顔を曇らせると、シンクは逆に笑った。微笑って「傷治った? もう痛くない?」と訊かれ、頬から滑り落ちた手が今度は胸を撫でる。「もう痛くない。平気だよ」と答えながら、ベッドに落ちたシンクの手を握った。
 俺よりも小さいこの手は、俺よりもたくさんのことを成してきた。書物のページを繰ることも、命を殺めることも、俺よりもずっとたくさんしてきた。
「シンク」
「何…?」
 眠そうにまどろむシンクを照らす光の柱が、徐々に細くなって消え失せていく。
 緑色の髪をそろそろと掌で撫でた。目を開けたシンクが俺を見上げる。そして、手を伸ばして俺の襟首を掴んでぐいと引き寄せた。俺は抗わずにベッドに手をついて体重を支え、シンクが顔を寄せるまま、唇同士を重ねた。
 キス、というこの行為を本で調べてみたけど、よく分からなかった。相手に愛情や尊敬の気持ちを伝えるときにそうするもの、らしいんだけど。
 けど、シンクは俺を尊敬なんてしてないだろう。俺がシンクを尊敬しているのなら分かる。逆は、ないと思う。そうすると残るのは愛情という方だ。この愛情、愛、というものが、いくら本を読んでも俺には理解が及ばない。
(シンクは、俺のことを愛してるんだろうか…)
 近すぎて合わない焦点でシンクを見つめてから目を閉じる。
 別に嫌ではないし。シンクがそうしたいのなら、俺もそれでいい。
 …俺が。シンクを愛しているのかどうかは。よく、分からないけれど。